コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。宜しければ、ひとときおつきあいください。

【掌編小説】魔術理論Ⅰ 序論 第一回

f:id:kuninn:20201129232812j:plain

 

 

 整然と並んだ窓から陽の光が入って来ているのに、どこか陰気な講堂。100人程度は余裕を持って入れると思われる。

 がっしりとした教卓を囲むように緩やかな弧を描くのは、ひな壇のように積み重なっている木製の机。教卓の背面の壁のほとんどは、大きな黒板が占有している。

 高い天井と壁の表面には、埃にまみれた配管が走っている。天井と壁を形作っているのは、ずいぶんと前に自らの彩度を空気中に吐き出しつくしたかのような、くたびれた様子の漆喰。壁のところどころを黒く染めているのは、煤。誰かが誤ってつけたのであろうか、手で煤を広げた跡までが、くっきりと残っている。

 音はない。漆喰の壁にかけられた古ぼけたスピーカーは、長い間眠ったまま。

 講堂の座席に見える人の数は、両の手の指で数えられるほど。窓の外をぼんやりと眺める者。机に広げたものに視線を落とす者。疲れた様子で机の上に突っ伏している者。

 講堂に設けられている扉がゆっくりと開く。入ってきたのは、左脇に大きくて分厚い本を抱えている男。中肉、中背。四角い眼鏡に白髪交じりの頭。

 男は生徒が座る席の方には全く目もくれずに教卓まで進むと、そこで初めて視線を上げる。

 満足そうに頷いた男によって、この講堂に生じる、音。

 

 

 それでは、みなさん。講義を始めたいと思います。

 この講義は「魔術理論Ⅰ」です。みなさんがこれから学ぶことになる様々な魔術の総活的な理論の基礎を、学んでいただくための講義です。

 とはいっても、いきなり魔術の理論を勉強したところで、なかなかそれを理解するのは難しいと思います。なぜなら、みなさんにはすでに魔術が掛けられているからです。そうです、「固定観念」という魔法が。ですから、今日から数回は「序論」ということで、そもそも魔術とは何か、どのようにそれを捉えればよいのかをお話しいたしまして、これからの勉強の準備をしたいと思います。

 さて、先ほど私は申し上げました。みなさんが既に魔術にかかっていると。

 魔術?

 それは、例えば杖の先から火球を打ち出す「ファイヤーボール」のような、通常の世界ではありえない作用をもたらす力やその技術のことではないのかと、皆さんはお思いになるかもしれません。

 その疑問にお答えするには、まず、通常の世界とは何か、を考えなければなりません。

 

 

 通常の世界、すなわち、我々が生活するこの世界とは。

 我々が地面を踏みしめて歩き、物を取って食べ、唄を歌い、友と語らって過ごしている、この世界とは。

 皆さんの中には、この世界のことを、このように理解している方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。この世界は「三次元世界」だ、とです。

 三次元世界とは、色々な言い方はありますが、縦・横・高さという三つの要素、つまり次元で構成されている世界だと、広く認識されています。広く認識されているということは、そのように存在しているとも言い換えられます。

 次元を考えるときにはいくつかの法則が存在します。もちろん、それを突き詰めて考えていくと、原則と例外に関しての難しい話をしなければならなくなりますが、この講義の中では、そのような原則があるのだと、簡単に理解していただければ、それで十分です。

 まず、一つ目の法則。

「ある次元に属する者は、下位の次元には容易に干渉できるが、上位の次元には影響を及ぼすことはできない」

 次に、二つ目です。

「ある次元に属する者は、上位の次元に関して真に理解することはできない」

 この二つの法則は、人類が西欧で生まれた一人の男を基準にして年を数えるのをやめるギリギリの頃に、北欧の研究者ユーノ・コトフにより証明されたものです。

 それぞれを極々簡単にご説明いたします。一つ目の法則は、例えば、三次元の住人とされる人間は、二次元の存在である紙の上に描かれたものについては、それを破ったり消したりして容易に干渉することができるのですが、自分より上位の次元、例えばよく言われる「時間」という次元などには、それを巻き戻したり進めたりというような影響を及ぼすことができない、というものです。

 そして、二つ目の法則は、自分より上位の次元について、「このようなものだろう」と仮説を立てることはできても、上位の次元に影響を及ぼすことができない以上、それがどのようなものかを立証し理解することはできない、ということです。

 

 

 ああ、はい。良いご質問ですね。

 今、「「時間」は上位の次元だから影響を及ばせないとのことだが、時間を巻き戻すという魔術があったのではないか」というご質問をいただきました。

 それは、このような魔術のことをおっしゃっているのだと思います。実際に行ってみましょうか。

 

 

 教卓の上に用意されていたガラスの水差しとグラス。男が無造作に手に取って床に落とすと、グラスは粉々に砕ける。

 長年塗り込まれた油と埃で黒に近いところまで変色している床材の上に、撒き散らされる光の粒。

 男は生徒たちが事態を確認できるように一拍を置いた後で、床に散らばった光の粒を指さす。

 すると、まるで時間が巻き戻っていくかのように、床の上に散らばっていた光の粒がひとりでに集まってくる。そして、僅かな時間の跡にそこに形づくられるのは、元のグラス。

 男は、床からそれを拾い上げると、水差しの水を注ぎ、ゆっくりとのどを潤す。

 

 

 さて、私はグラスを落とし、砕きました。そして、魔術を行使することによって、グラスの破片から再び元の形に戻ったグラスで、このように水を飲んでいます。

 でも、これは時間を巻き戻したわけではありません。

 私が行使したのは、コップを創る魔術です。簡単に言えば、グラスの破片に向かって、「グラスになり給え」と命令したわけです。グラスの破片の周囲には、同じような破片が幾つも転がっています。そして、グラスの破片にしてみれば、それらは元々ひとつのグラスであったのですから、元の形に戻ることが、違う形のグラスになるよりも、一番労力が少ないわけです。ですから、結果として元のグラスが再生されることになるので、時間が巻き戻ったように見える、という訳なのです。

 私はコップを床から手で持ち上げましたが、魔術を組み合わせて、空中に構えた手に向って床からグラスを飛ばせば、より時間が巻き戻っているように見せることができます。ですが、大事なところは、グラスの再生もグラスの移動も、全ては三次元の中での出来事に過ぎないということです。

 現在のところ、「時間」という次元に影響を与える魔術は開発されておりません。このことから考えますと、「魔術」という次元は、「時間」という次元よりも、下位に位置する考えられます。

 余談ですが、時間は全ての存在に平等に影響を与えるものです。仮に、グラスの時間を巻き戻すことができたとしたら、今後そのグラスだけは、周囲から遅れた時間軸の中に存在することになるのでしょうか。考え出すと止まらない、実に興味深いテーマですね。

 

 

 どうでしょうか。少なくとも、時間を巻き戻す魔術は存在しないということは、ご理解いただけたと思います。

 でも、なにかぼんやりとしている、すっきりとしない、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。実は、そのすっきりとしないと感じられるのは、三次元だけで全てのことを考えようとすることに、源があります。

 これはどういうことかと申しますと、この「縦・横・高さ」の三次元、基礎次元とも呼ばれますが、これは非常に独特の特徴を持っていて、他の次元の要素を部分的に受け入れているのです。

 この点については、はるか遠い昔から研究者が声を上げていました。その中でも特に有名なものを、二つご紹介いたします。

 まず、「飛んでいる矢は止まっている」という考え方です。

 これは、まだ地球上に幾多の神々がいらっしゃった頃の研究者であるゼノンの言葉です。時間とは瞬間の連続であるから、流れる時間の中では飛んでいる矢も、瞬間で考えると止まっているのだ、と唱えたのです。彼が意図したものかはわかりませんが、結果として彼は矢が飛ぶのを止める魔術を開発し、当時林立していた都市国家同士の戦争で、それが使われたといわれています。

 この魔術を打ち破ったのは、まだ東洋の島国が巨大地震で海に没する前の頃、彼の地で茶の栽培をしながら研究を進めていたサロカイ・キムラという男です。

 彼は、「ものが飛んでいるというのは、支えるものがない空中において、運動エネルギーを有している状態」と定義しました。つまり、ゼノンが提唱した「瞬間において矢は止まっている」という考え方を、「瞬間において矢は三次元空間を移動はしないが、ある方向に向かって運動エネルギーを内包している状態なのだから、飛んでいると言える」という考え方で打ち破ったのです。この考えは広く受け入れられ、矢は再び空を飛ぶことが可能になったのでした。

 次にご紹介するのは、「アキレスの亀」と呼ばれるものです。これも先ほどご紹介したゼノンが唱えた考え方です。

「足の速いアキレスと足の遅い亀が競争する。亀がハンデをもらって先の方からスタートした場合、アキレスがある地点にいる亀に追いつこうとしても、彼がその地点に到達したときには亀はさらに先に行っている。それではと、アキレスがいま亀がいる地点に追いつこうとしても、彼がそこに到達したときには、また亀はさらに先に行っている。なんどやってもこれを繰り返すことになるので、永遠にアキレスは亀に追いつくことができない」というものです。

 ゼノンは、この考え方により得た「他人に追いつかれない魔術」で、古代オリンピックにあった「鬼ごっこ」という競技で無敵を誇ったと、現代に伝わっています。

 この魔術を打ち破ったのは、北米でバーを営んでいたリューネ.Y.パンテでした。彼女は、自分の経営するバー「サッド・カフェ」で待ち合わせをしていたカップルが、片方が約束の日を一日勘違いしていたために出会えなかったという話を聞き、この魔術を打ち破るヒントを得たのでした。

 彼女の考えは「追いつくという行為は、同じ時間軸において、三次元空間の同じ場所を占めるという行為である。アキレスは、亀がある時間軸において存在すると思われる場所に自分を置くことによって、それに追いつくことができる」というものでした。これを言い換えると、カップルがサッド・カフェという同じ場所にいたとしても、それぞれが違う日に来店したのでは出会うことはできない。逆に言えば、同じ時間軸に同じ場所にいれば「出会う」ことができる。つまり、アキレスと亀の場合で言えば、これは「時間」という概念を無視しているから起こるパラドックスであり、ある時間に亀が到達するであろう地点に自分が到達することによって、アキレスは亀に追いつくことができるということになります。

 この彼女の考えも、急速に世界中に広まりました。この考えが多くの人に認識されることで、犯罪者がゼノンの魔術を悪用して逃亡することができなくなり、治安が大幅に改善したのでした。

 この二つの例は、先ほど私が三次元の世界とご紹介したこの世界は、上位の次元である「運動エネルギー(ベクトル)」や「時間」の影響も受けていることを示しています。我々は、一方向に流れる時間を一つの軸として受け入れて生活していますし、同じように止まって見える物体であっても、内部に持っている運動エネルギーの違いで、性質に違いがあることを知っています。

 みなさん、だんだんと話が難しくなってきたと、お感じでしょうか。

 大丈夫です、この二つの例から私が申しあげたいのは、ただ一つのことだけです。つまり、「「魔術」という上位の次元も、この三次元世界に存在し得るのだ」ということだけなのです。

 

 

 さぁ、今日は序論の講義の第一回目。最初からあまりたくさんのことをお話しても仕方がありません。今日は、この「「魔術」という上位の次元も、我々の三次元世界に存在し得るのだ」という点だけを覚えて帰っていただければ、それで十分です。

 序論の講義は、あと二回を予定しています。

 次の講義では、「上位次元である「魔術」を行使できる我々人間とは」について、そして、序論の最後の回では、「「魔術」行使の対象としての有意識物と無意識物の選別」について、お話したいと思います。

 序論が終了した後には、いよいよ、魔術の理論そのものの学習に入っていきたいと思っています。

 それでは、本日の講義はここまでにしたいと思います。お疲れ様でございました。

 

 

 自分の話したいことを話し終えると、生徒の反応も観ずに、男は教壇を降りる。

 講堂を出た男は、人気のない薄暗い廊下を黙って歩く。廊下の突き当りには、講堂の扉と同様の分厚い扉。壁から突き出している古ぼけた標識には、掠れた文字で記されている。「書庫」と。

 これも一つの魔術であろうか、それとも単に鍵がかかっていないのであろうか、扉は何の抵抗も示さずに男を部屋の中に迎え入れる。

 入り口の近くには、木製の簡素な机が一つと椅子が一つ。

 それらの奥には、巨大な書棚がずらりと並んでいて、入り口からは部屋の奥までを見通すことができない。

 講義を終えたばかりの男は、左脇に抱えていた巨大な本を机の上に置くと、ゆっくりと椅子に座り目をつぶる。

 机の上に置かれた大きな本が、ひとりでにふわっと開いたかと思うと、男の姿の輪郭がぼんやりとしてくる。やがて、男の姿は逆さにした渦のようにぐるぐると回る黒い煙の集まりになり、最前までは頭の先であった先端から引き出され、一本の糸のように紡がれていく。目に見えぬ誰かが導くかのように黒糸は宙を舞い、机の上に開かれている本の紙上に、先端から吸収されていく。

 その糸はインクのように紙の上に文字を現わしていく。たった一行の文字。

 

 

「魔術理論Ⅰ 序論 第一回」

 

 

 すべての文字が紙の上に現れた次の瞬間、獲物を捕らえたワニのように、本は勢いよく頁を閉じる。そして、本は書棚の中の自らが収まるべき場所へと、ゆっくりと移動を始める。

                                 (了)

 

 

 

 友よ、この掌編小説を君に贈る。

 君は、私が平面世界に表したこの小説を読んで、パソコン、あるいは、スマートフォンの画面上に表された、ドットの集合である文字の数々をその目で読み取って、何らかの景色を思い浮かべただろうか。

  私が、今、この場所で記した掌編小説を、今でない時、此処でない場所で読んで、何がしかの感想を持っただろうか。

 

 

 友よ、世界には面白い事、興味深いことが溢れている。それらは、君に見つけられるのを待っているのだ。

 君は、自分が楽しいと思うことを見つけるための助けを、先人が残した書物から得ることができる。

 先人が、それを書いた時でもなく、書いた場所でもないところでだ。

 自分が何に興味を持っているのかを、一つ一つ体験して確かめる必要はないのだ。まずは、書籍を読むことで疑似体験をし、楽しいと思えるかどうかを気軽に試すことができるのだ。

 そして、自分が見つけた楽しいと思うことを極めていくのに、君は一から始めなくても良いのだ。

 君がパソコンでゲームを作りたいと思ったとしても、パソコンを作るところから始めなくてもいいし、プログラム言語を開発するところから始めなくてもいい。料理にに興味を持ったとしても、食べられる食材と食べられない食材を、身をもって調べるところから始めなくても良い。ロケットを作りたいと思っても、その軌道計算の為に、数学の公式を発見し証明するところから始めなくてもいい。

 先人が残してくれたものを、参考にすることができるからだ。

 だから、我々は、少しづつでも前に進むことができるのだ。

 

 

 君は、このことをどう思うかい。

 私なら、こう思うね。

 

 

 これこそ、「魔術」だ。

 

 

 

                             くにん