コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。宜しければ、ひとときおつきあいください。

【掌編小説】 化学の勉強に悩む後輩と体験を伝える先輩

f:id:kuninn:20180116170854j:plain

 

「先輩と久しぶりに飲めて嬉しいっす!」

「ん、そうか? 確かに久しぶりだな。まあ、飲めや。」

 俺は、後輩のグラスに、ビールを注いだ。

 

 会社帰りに、依然同じ部署で可愛がっていた後輩に出会った。しばらく前に後輩が別の部署に配置換えになってから、一緒に飲む機会がなかったので、「じゃあ軽くやるか。30分一本勝負な。」となった訳だ。

 駅近くには多くの飲食店が集まっている。といっても、若者や学生向けの居酒屋チェーンが集まる場所と、我々サラリーマン向けの店が集まる場所は、自然と区分けがなされているようだ。

 もちろん、俺たちが贔屓にしている店は後者の場所にあるものがほとんどだし、給料前の急な飲みは立ち飲みに限る。ビルとビルの間にある、知らない人は気が付かないような立ち飲み屋だが、我々には強い味方だ。

 

 店内の大きな冷蔵ケースからつまみを適当にとり、お互いのグラスにビールを注ぐ。

 「30分一本勝負」とは言ったものの、飲み始めればなかなかそうはいかない。後輩が異動する前に担当していた仕事の現状や共通の知人などの話で盛り上がり、気が付くとお互い良い感じに出来上がってきていた。

 

「そういえば、お前、新しい仕事場はどうだ?」

 俺は、板わさを一切れつまみながら、話を向けた。確か、こいつは、化学品関係の会社の担当に変わったはずだった。俺と同じ私立大学文系学部出身だから、あまりなじみがない分野のはずだ。

「ええ、まぁ、頑張っているんですけど・・・」

 後輩はグラスを持ち上げて眺めながら、ぽつぽつと話し出した。

「仕事自体は化学の専門知識なんていらないんすよ。でも、せっかく化学関係の会社さんとのお付き合いになるんで、やっぱり、ある程度の知識があった方が、相手の言うことが分かるというか、あるじゃないですかそういうのが。それで、化学を勉強しようと思ったんですけど。」

「いいじゃないか。普通に仕事をこなすだけでなくて、それに自分でプラスアルファして、より良い仕事しようということだろう?」

「そうなんです。でも、俺、私立文系でしかも、高校の時の理科科目が生物なんですよ。だから、化学なんて中学以来でさっぱりわからないんで困ってます。」

 後輩は、グッとグラスのビールを飲み干した。

 俺は、後輩のグラスにビールを継ぎながら自分の経験を話した。

「わかるよ、実はな、お前の今いる部署、俺もいたんだよ。で、お前と同じように、俺も独学で化学の勉強をした。」

「え、そうなんですか! それで、どうでした、わけわからないでしょう、化学って。」

「いや、そうでもないぞ。というか、お前、勉強するって、どういう風にしたんだよ。」

 後輩は、壁に設置されたテーブルにもたれながら天井を見上げた。

「えーと、その会社の作っている製品紹介とか機能に関する論文とかをネットで見て、わからないところを、また、ネットで調べたりして・・・・でも、説明自体がよくわからなかったっす。」

 成程、なまじインターネットで専門的な知識が手に入る今だからこそ、陥りやすい形なのだろうな。

「その会社さんの製品を理解したいという気持ちはわかるぞ。だけどな、順番が逆だ。」

「逆ですか。」 後輩は、意外そうに答えた。

「ああ、まず基礎的な知識があってこそ、説明が理解できるっていうものだ。英語にしたって、文章の成り立ちを中学高校で習っているから、難しいレターの内容を自分で調べることができるんだよ。それでな、化学の場合は基礎的な知識を手に入れる最良の方法はな・・・」

「最良の方法は?」

 俺は、自分のグラスのビールを飲み干して、後輩に継がせた。ちょっとした「間」というやつだ。

「最良の方法は、教科書を読む、だ。」

「教科書ですか!」 後輩は、ビックリしたのか、頭の上から出るような声をあげた。意外な角度からのアドバイスだった様だ。立ち飲み屋の店内に響いた声に一時注目が集まった。

「何をびっくりしているんだ。いいか、知識のない者に一から教えるために賢い人たちが知恵を絞って作った入門書、それが教科書だろう。」

「ああ、そういわれれば、そうっすね。教科書が一番わかりやすいかもしれないですね! 気づきませんでした。でも教科書って売っているんですか。」

 どうやら、口に含んでいたコロッケと一緒にアドバイスがストンと腑に落ちたようだ。

「ああ、売っていると思うよ。というか、勉強の補助用や受験用に、教科書に解説を加えた参考書が売っているんだよ。お前も受験の時に英語や社会科で使わなかったか? 俺はあれで勉強した。」

「それで、どうだったんですか、わかりましたかアレ。」

 後輩にとって、化学はよっぽど手強かったのか、とうとうアレ呼ばわりだ。

「ああ、英語で言えばアルファベットにあたるような元素記号とか、化学の基礎的な約束事とか、表記の意味とかは分かったよ。そうするとな、どうしてそういう反応が起きるかとかの専門的な話はともかく、その製品の組成の特徴とか、説明で書かれていることの意味とかが、だいぶんわかるようになったよ。逆に調子に乗ってお客さんと話してたら、化学畑の人間と勘違いされて、専門的な話を振られて往生したこともあったけどな。」

 俺の体験を聞いた後輩は、皿に残っていたわずかなつまみをかき込み、瓶のビールを自分のグラスに注いでグッと干すと、挨拶もそこそこ店を飛び出していった。

「マジっすか。いや、勉強になりました。俺、さっそく、本屋によっていろいろ調べてみます。ごちそうさまでした! 失礼します、先輩!!」

 やれやれ、忙しい奴だ。だが、自分の体験談をここまで大切に聞いてくれれば、悪い気はしない。

 

「30分三本勝負になってしまったな。」

 俺は、会計を済ませると、ゆっくりと店を出た。風が気持ち良い。冷える前に帰ることとしよう。

<了>