(これまでのあらすじ)
いよいよ、逃げた駱駝を追ってバダインジャラン砂漠へ足を踏み入れる竹姫と羽。二人は駱駝の行き先の手掛かりを得ることができるのでしょうか。
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【第10話】
「わたしだけ乗せてもらってごめんね、羽、大丈夫?」
駱駝の背の上から、竹姫が羽を気遣いました。
「ああ、こっちは大丈夫だから、竹は周りを頼むぜ」
羽も、その竹姫の気遣いに、優しく答えます。でも、本当は、かなり体力を消耗しているのでした。
バダインジャラン砂漠に入って、そろそろ一刻が経とうとしていました。
バダインジャランの柔らかい砂地では、踏み出すたびにギュギュッと足が沈み込み、羽の体力はゴビを歩くときの何倍も奪われているのでした。その歩きにくさは、試しに駱駝を降りて歩いてみた竹姫が、僅かな距離を歩いただけで気づいたほどでした。
一方で、駱駝の足は足袋を履いたように大きく肉厚のため砂に沈み込まないので、砂上をスイスイと歩くことができます。羽と竹姫に出来ることは、逃げた駱駝があまり砂丘の奥に入り込んでいないことを祈ることだけでした。
「とはいえ、竹が駱駝を見つけてくれていたのは、本当に幸運だったな」と、羽は心の中でつぶやきました。
追跡の際に一番恐ろしいことは、「この場所を探していて本当に良いのか。全く見当違いのところを探しているのではないか。今からでも、別の場所を探した方が良いのではないか」という疑念が心に沸いてくることです。これには答えがありません。現段階で対象が見つかっていなくても、あと一歩踏み出せばその手掛かりが得られるかもしれません。あるいは、そこは完全に見当違いの場所であって、その一歩一歩は目的に到達するために何の役にもたたないものなのかもしれません。一度この答えがない疑念が心に生じてしまうと、探索行は、自分で自分を斬りつけながら歩くような、とてもつらいものになってしまいます。
しかし、過去にそのような探索も経験したことがある羽、そして竹姫の同行を許してくれた大伴には、竹姫が駱駝を見かけていたことによって、今回の探索は時間がかかるものになったとしても苦行にはならないという、見通しを立てることができました。
そして、その見立ての通り、まだ、駱駝自体は見つけられてはいないものの、おそらく逃げた駱駝が喰いちぎったのであろうアカシアなどを発見し、今のところは駱駝の逃げた道筋をたどることができていたのでした。
「さっきアカシアの木を駱駝が食った場所から、こっちの方に足跡が続いていたよな。でも、駄目だな。これ以上は風で足跡が消されている。竹、上から何か見えるか」
竹姫が乗っている駱駝の足を止め、背に積んでいる荷から取り出した水袋に口をつけながら、羽が尋ねました。
日差しを遮るものがない砂漠は日中は大変暑くなります。でも逆に夜はその熱を保つものがないので、意外なほど涼しくなります。秋のこの時期でも、夜の砂漠は肌寒く感じるほど冷え込んでいました。でも、脚抜きの悪い砂上を苦労しながら歩く羽は、そんな寒さとは関係がなく、体中が火照って、何度も水袋から水分を補給しているのでした。
「こっちの方角だよね」
竹姫は、羽に方角を確認しながら、首を伸ばして遠くを見やりました。
「風が強くなってきたよね。あっちの雲が少し広がってきてるんだけど、これ以上広がって月にかからないで欲しいなぁ。えーと、むぅ……」
「頼むぜ、そろそろ見つけてくれよ」
竹姫の乗る駱駝に身体をもたれさせて小休止し、さらに水を口に含みながら、羽は上を向きました。
「わかってますぅ。ちゃんと探してるよ。むぅ……、あの、砂丘の影、あの稜線‥‥‥。その左のポコッとなっているのはナツメヤシの影だろうし‥‥‥。あそこの月の光が当たっているところの影は‥‥‥。あ、あぁぁっ!」
ぶつぶつとつぶやきながら、周囲を見渡していた竹姫が、不意に大きな声をあげました。
「羽、いた、いたよ! あっちの方、ほら、あそこだよ!」
長い時間砂漠の上を苦労して歩いてきましたが、とうとう、竹姫が駱駝を見つけたのでしょうか。
羽も興奮しながら竹姫が指さす方向を眺めますが、竹姫よりも遠くを見るのに慣れている羽の目には、駱駝の姿を捉えることができません。
「え、本当か、どこだよ!!」
「あそこだよ、ほら、あのナツメヤシの影の向こう側の、少しくぼんでいるところ。月明かりで赤い何かが見えるもん」
「低くなっているところか、そりゃその高さでないと見えないな。助かったぜ、ありがとう! これも竹が付いてきてくれたおかげだよな。よし、奴が動く前に追いつこう、竹、方向を指示してくれ」
竹姫が駱駝を発見してくれたらしいと納得したのか、さっそく動き出そうとする羽に、竹姫は慌てて確認をしました。
「え、いいの。わたしの見間違いかもしれないよ。羽も駱駝の背に上がって確認したら?」
竹姫の言葉を全く疑うことのない羽の様子に、むしろ、竹姫の方がびっくりしてしまいました。もしこれが竹姫の見間違いだとしたら、大きく時間を失ってしまうことになるのですから。
でも、羽にとってはその「再確認」という発想は全くなかったのでした。「竹姫がいると言ったのならいるのだろう」、それは「月の巫女」の人外の力がどうということではなく、もっと単純に、信頼する友達が一生懸命探してくれた結果に何の疑問も抱かない、ただそれだけの事でした。羽にとっては、それが自然なのです。
「いいよ、竹がちゃんと見てくれたんだから。それよりも目を離さないでくれよ。行ってみたら足跡だけでした、なんてのはごめんだからな」
「うん、絶対見失わない。ずぅーと見てるよ!」
竹姫は、羽の信頼がとてもうれしかったので、特に力を込めた返事をしました。「瞬き一つするものか」というぐらいの勢いが、声に込められていました。
「ははは、力が入るのは良いけど、その駱駝から落ちないでくれよ」
「もう、羽の意地悪。ふふっ、でも、良かったね」
まだ、駱駝を捕まえた訳ではありませんが、二人には大きな安ど感が広がっていました。痕跡をたどれていたとはいえ、やはり、目に見えない疑念が少しづつ少しづつ二人にのしかかっていたのかも知れません。竹姫が駱駝の手掛かりを得たことによって、二人は文字通り身体が軽くなったかのように感じていました。自然と冗談も出ようというものでした。
それでも、そこは大人からも、もうすぐ一人前と目される羽です。ひとしきり、竹姫と笑いあったあとは、すぐに気持ちを切り替えるのでした。
「ああ、でも、まだ捕まえた訳じゃないからな。気を引き締めていくぞ」
「うん、そうだね。では、あのナツメヤシの影の方へお願いしますっ」
「了解!」
さあ、やっと、逃げた駱駝を捕まえることができます。二人は竹姫の指差す方角へ向けて、足早に夜の砂漠を進むのでした。