(これまでのあらすじ)
遊牧の宿営地から逃げ出した駱駝を追って、夜のバダインジャラン砂漠へと踏み入った竹姫と羽。二人は、ようやく、逃げた駱駝を捕まえることができたのでした。
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【第12話】
「あー疲れたねぇ」
泣きじゃくっていた竹姫も、しばらくすると気持ちが落ち着いてきました。すると、今まで感じていなかった体の疲れが、どっと押し寄せてきました。それは、これほどの疲れを今まで感じていなかったのが不思議なほどの、もう一歩も歩きたくないとでもいうような疲れでした。
「ああ、俺も疲れたよ、少し休んでから帰ろうぜ」
竹姫に比べて体力がある羽でしたが、こちらは竹姫と違って駱駝に乗らずに歩いてきています。やはり、休憩をせずに宿営地に戻ることはとても難しいほど、疲れていました。
それに、もう急ぐこともないのです。
なにしろ、逃げた駱駝を捕まえるという目的は、既に達成できているのですから。
捕まえた駱駝は特に暴れる様子も見せず落ち着いていて、竹姫がここまで乗ってきた駱駝と鼻筋を突き合わせて、なにやら情報交換をしているようでした。まるで、「おう、どこほっつき歩いてんだよ」「いや、足かせが取れたから夜の散歩にさ」「なにが夜の散歩だよ、おかげでこっちは寝てるところ起こされて、こんなところまで来ちまったよ」「まぁそういうなよ。あ、そうだ、このアカシア、食ってみろよ、うまいぜ」「ああ、アカシアか、いいね。せっかくここまで来たんだ、それくらいの役得がないとな」とでも言うかのように、フンフンフンっと臭いを嗅ぎあっています。そして二頭は、傍らのアカシアの葉を丈夫な顎で引きちぎり、のんびりと食事を始めるのでした。
「あいつらものんびりしているしな。もう急ぐこともないよ。ああ、砂が冷たくて気持ちいいよ、竹。ほら」
すっかり気が緩んだ羽は、また砂地の上に仰向けになりました。
竹姫も、そのすぐ横で同じように仰向けになります。ここは砂丘の陰にあるくぼ地なので、天球一面が見渡せるわけではありませんが、それでも、仰向けになった竹姫には、天上で青白く輝く月と、それに劣ることなく瞬いている数えつくすことのできない星々を見ることができました。どこまでもどこまで深く暗く、見つめれば見つめるほど吸い込まれてしまいそうな夜空なのに、その明るく踊っている月と星々は手を伸ばせば届くかのように思えました。
「‥‥‥綺麗だね、羽」
「ああ、そうだな」
心が夜空に吸い込まれてしまったかのように、竹姫はしばらく黙って夜空を見遣っていました。それから、そっとつぶやきを漏らしました。そして、羽はその竹姫のつぶやきに、優しく応えを返します。そのまま、二人は砂地の上に手を伸ばせば届く近さで並んで横になり、黙って月星を眺めるのでした。
ただぼうっと、夜空を眺める時間が過ぎた後、どちらからともなく二人は話し始めました。とりとめのない話です。
小さな子供のころの話。
好きな食事の話。
翁や大伴の好きなところ嫌いなところ。
竹姫が初めて祭祀に呼ばれた時の話。
羽が初めて遊牧に出たときの話‥‥‥。
「だけどね、やっぱり羽は凄いなって思うんだ」
竹姫はまだ夜空を眺めたまま、月に向って語り掛けました。
「なんだよ、改まって。俺なんてまだまだだよ。今回だって俺の失敗でみんなや竹にも迷惑をかけてしまったしさ。それに、竹だって、いつもすごく頑張ってるじゃないか」
同じように、羽も月に向って語り掛けます。
「違うよ、羽は凄いよ、やっぱり。わたしと同じ年なのに、もうほとんど大人扱いされているし。今度だってさ、駱駝が逃げた跡をしっかりと見つけて、全然迷わなかったじゃない。わたしは、駄目なんだ。今日も、水汲みに行かせてもらったけど、オアシスにつくまでに疲れちゃって、帰りなんか子供たちが水汲みのために連れてきた驢馬に、わたしが持ってきた水瓶も無理して載せてもらったんだよ」
確かに羽は大人たちからも一目置かれている、頭のよく回るできた少年でした。また、父である大伴が、自分の跡取りということもあるのか、幼少のころから体を鍛え武術の基礎的なことも教え込んだこともあり、頑丈な体と俊敏な身のこなしを持っていました。そんな羽と比べれば、竹姫は遊牧における知識や体力では全く劣ると言わざるを得ません。でも、羽には「竹姫が全然だめだ」とは思えませんでした。
「そんなことないだろう、そもそも、俺は男だし、竹は女だしな。それに至篤から聞いたぜ。水汲みに行ったときに、なにかあったんだって? 竹姫のおかげで助かったとか話してたけどな」
「違うんだ、そうじゃないんだよ。わたしが、みんなと同じようにできないだけなの」
竹姫は、上半身をゆっくり起こすと、両足を折って胸の前に引き寄せて、両腕で膝を抱え込みました。
「そうじゃないんだよ」
そうして、もう一度、誰に聞かせることもなく、小さくつぶやきました。その姿は見るからに小さく、誰からも触れられることを拒んでいるような、とても寂しそうな外貌でした。