コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。宜しければ、ひとときおつきあいください。

【掌編小説】 茄子と豆腐

f:id:kuninn:20181223173808j:plain

 

 

 盛夏のことであった。

 天上に輝く太陽の光と熱は、なにものにも遮られることなく、その砂浜に届いていた。

 いつもなら、一時の涼を求めて集まった人たちが身にまとう水着で、鮮やかな色に染められていても不思議ではないその砂浜には、不思議なことに、三つの色しか存在していなかった。

 陽の光を反射し輝く珪砂の黄。寄せては返す、また、寄せては返す、気の遠くなるような古き時から同じ動きを淡々と繰り返す海の青。そして、その海と砂浜の境界、お互いが自らの領域を広げようと攻防を繰り返している、波打ち際の灰色であった。それらの色は、砂浜の端から端まで、神が大きな筆で塗りつぶしたように、一様に続いていた。

 いや、砂浜の真ん中、波打ち際の一角に、わずかではあるが彩りが見られた。

 白、紺、そして、赤。

 それらは、波打ち際の灰色に紛れてしまうような、小さな小さな点であった。

 

「まさか、こんな場所にまで、来てくれるとはな。けっ、余裕かよ」

 つやつやとした張りのある肌をした若い男は、自分と対峙してる男に軽口を放った。

 男の足元では、波の動きに従って砂がさらさらと流れていた。相手の男との間には、数歩の距離が置かれていた。

 男は軽口を叩きながらも、自分の手足に緊張が伝わっていくのを止めることが出来なかった。

 まだ、始まってはいない。だが、もうすぐだ。

 海の上を渡ってきた風が、男のヘタに生えたやわらかな産毛を揺らした。

 ヘタには鋭い棘がみられ、その下には見事に紺色に輝いた、つややかで張りのある身体があった。

 そう、男は、茄子であった。

「子供の我儘には、付き合ってやりませんとね。それが、大人というものですから」

 茄子と対峙している男は、巨漢であった。恐ろしく太ったその身体は、見る者に身長と肩幅が等しいのではないのかという錯覚さえ起こさせるほどであった。

 茄子を馬鹿にするように返したその言葉もくぐもっていて、狭い喉を無理やり通り抜けて来たようであった。

 ゆぅるり。

 巨漢が、片足を前に出した。茄子との距離が、ほんのわずか縮まった。ただ、それだけで、その場の空気が急に緊迫したものに変わった。

「いつからやりますか。私はいつでもいいですよ」

 片足を出す、その動きだけで全身の肉がフルフルと震えるその男、身丈と身幅がほぼ等しいその男は、全身が白一色であった。

 そう、その男は、豆腐であった。

 

「く、偉そうにしやがって」

 豆腐の言いざまは、明らかに茄子を見下したものであった。一気に身体中の血が沸き立った茄子であったが、どうしたことか、身体が動かなかった。

 重い。

 片足を出しただけ、たったそれだけで、この場の主導権は豆腐に握られていたのだ。それは、その柔らかな肉体からはとても想像することが出来ない、「武」を持つ者としての豆腐の側面であった

 茄子が、何も感じることが出来ずに、怒りに身を任せて豆腐に殴りかかっていくような若者であったならば、すでにもうこの闘いは終わっていただろう。茄子の身はバラバラに引き裂かれ、波打ち際はそれを餌にする蟹や小魚たちであふれかえっていたはずだ。

 しかし、茄子には、豆腐の作り出した圧力を「重さ」として感じ取るだけの力があった。やはり、この男も、ただの若い男ではなかったのだ。

「へへ、へ‥‥‥」

 なだらかな両肩にのしかかる重い空気に耐えながら、茄子は豆腐の姿を細目にとらえた。

 どこから行く。突きか。蹴りか。豆腐の身体がじりじりと大きくなってきているように感じる。距離を詰めてきているのか。それとも、俺が、そう感じているのか。まさか、この俺が。

 

 ピチャン。

 太陽の光を小さな波が乱反射する中、魚が跳ねた。

 

「ケヒィッ」

 茄子が動いた。豆腐に向って大きく踏み出したと思うと、その身体は彼の前で沈み込んだ。いや、単に沈んだのではない。一連の動きで注意を引き付けた茄子の身体は回転していた。死角となった豆腐の頭上に茄子の左の踵が現れた。上段からの浴びせ蹴り!

 しかし、豆腐の死角から突然現れ、その頭部を破壊するはずの茄子の足先には、何の手ごたえもなかった。茄子はそのまま回転して豆腐のわきをすり抜けた。

 素早く起き上がった茄子は、両拳を固めて豆腐へ走り寄った。予想通り、豆腐も反応してこちらを向いている。不意打ちの浴びせ蹴りと同様の大砲を、右拳から放つと見せかけておいて、左からのジャブを連打する。

「シャ、シャ、、、、、」

 流れは掴んだ。豆腐は防戦一方だ。大技を最初に見せておいたのは、自分の動きには隙が大きいと油断させて、このジャブを当てるための伏線だ。波打ち際は程よく湿っていて、動き回ってジャブを当てることに支障はないはずだ。

「シッ、シッシッ! シシシッ! ジャッ!」

 ジャブの回転を上げる。受け流している豆腐の動きも、左右の手でそれを外に受け流すのに精一杯のようだ。その中に、左足を踏み込んで打つ、少し大きめの左ジャブをまぜた。

 だが、それも豆腐は右手で外に掃った。掃った? いや、違う、掃わされたのだ。

 グゥウッ。豆腐の身体近くに踏み込んだ左足に力を込めた。茄子の左足は砂浜に深くめり込み、その身体は左足に引き寄せられる。大地から絞り出したその力は腰に伝えられ、さらに腰の捻転の力と共に右肩に伝えられた。そして、その全身を伝わった力は、右肩から真っすぐに差し出される右拳に伝えられた! 右からの大砲! 全身の力を一点に集中させた右ストレート!! すべてはこの一撃のための伏線だったのだ! 当たる!!

 ボゥ。

 空気を、拳が切り裂く音が響いた。

 

 空気を? 

 砕いたのではないのか、奴の頭を。

 茄子のなだらかな体を、冷たい汗が滑り落ちて行った。

「当たると思いましたか?」

 茄子の頭のすぐ後ろで、声がした。豆腐の声だ。

 いったいどれほどの柔軟性を持つというのか、豆腐は茄子の体重が乗った一撃を、身体全体をひねることでかわしていたのだ。

「な、にぃ‥‥‥」

 茄子の激しい攻めが途切れた刹那の瞬間、茄子は無防備に背中を豆腐にさらしていた。しかし、その僅かな時間は、この強者二人にとっては永遠にも等しい時間であった。茄子の背に、豆腐の背が近づいた。

「鉄、山、靠!」

 ドオゴフッウウウ‥‥‥‥ッ。

 豆腐が背から茄子に体当たりをした、わずかな動きに見えたそれは、茄子を遠くに弾き飛ばすだけの十分な威力を持っていた。

 ドオン、ドン、ズスゥウッ。

 砂浜を弾みながら転がる茄子。彼の身体は、砂浜で二人の戦いを見守っていた老婆の足元で、ようやく止まった。

 赤色の柔らな服を着た老婆は、足元で痛みに顔をゆがめている茄子を見下ろし、声をかけた。心配そうな声ではなかった。それは、愉しさを隠し切れない声であった。

 身体中を駆け巡る、経験したことのない痛みのなかで、ようやく片目を開けた茄子の視界いっぱいに、老婆の痘痕(あばた)が目立つ顔が広がった。

「大丈夫かの? そんなものかのぉ、お主の情熱は」

 紺色の肌から黄色の砂粒をハラハラと落としながら、茄子はゆっくりと立ち上がった。

「何言ってやがる。こんなもん、ちっとも効いちゃいないぜ。俺は、あいつをぶっ倒して、あんたを俺のもんにするって決めてるんだ」

 間違いなく身体の奥底にまで大きなダメージが刻み込まれているにもかかわらず、強がりを言い残して再び豆腐へ向かって行く茄子。その茄子と豆腐を見る老婆の表情は、この上もなく幸せそうなものであった。自分を巡って闘う二人の男。ああ、今、二人があれほどまでに傷つきながらも闘っているのは、ただ、自分を手に入れたい、それだけのためなのだ。老婆の顔には、心からの満足の印である微笑みが浮かび上がっていた。

 

「サァ、サア、サアアッ」

 一方的に豆腐が茄子を打ちのめして終わるかと思われた闘いは、意外な展開になっていた。時間が経つにつれて、豆腐の動きから滑らかさが失われ、それとは対照的に、茄子の動きには力強さが増してきたのだ。

「どうした、豆腐さんよぅ。動きが鈍ってるじゃねえか」

 勢いづいた茄子が右フックを豆腐の顔面に打ち込む。それを、左手で払って流そうとする豆腐だったが、その動きは茄子に読まれていた。

「遅いよ、豆腐さん!」

 豆腐が流すまま右拳を送り出して折り畳み、身体ごと右肘を豆腐の顔面にねじ込んだのだっ! 

 ドズッ!

 崩れこそしなかったものの、豆腐の全身を衝撃が走り抜けた。

「まだまだ、まだまだぁ!」

 そのまま、豆腐の身体を両手で抱え込み、膝を打ち付ける茄子。肘も膝も、硬い骨がある部分であり、多くの格闘技でこれを用いる技が禁止されている。その危険な肘と膝が、次々と豆腐の身体にめり込んでいった

「そらそらそらぁ。いいか、劉婆は俺のもんだぁっっ」

 空へ届けとばかりに突き上げた茄子の膝が、豆腐の顎をとらえたっ。大きく頭を跳ね上げられた豆腐の視界は、青一色となった。次いで、その視界は大きく揺れたかと思うと、灰色一色になった。

 とうとう、豆腐は、砂浜に片膝をつき、頭を上げることが出来なくなってしまったのだった。

「はぁ、はぁ。へへぇ、最初の余裕はどこへ行ったんだよ。はぁ、馬鹿だね、余裕を見せて俺の誘いに乗ってくるからさ」

 見下されたことへの意趣返しのように、茄子は豆腐の前で、息を整えながら得意そうに声を張り上げた。

「俺たち茄子は、もともとインドが原産地。夏に実がなるので「なつみ」が訛って「なすび」になったという説もあるほどの夏野菜さ。この太陽の光が、まさに俺のエネルギーそのものさ。だけど、あんたは、なんだいその身体は。水分がすっかり蒸発しちまって、動きの滑らかさはどこへやら、だ。俺は、このしっかりとした皮で水分の蒸発を防いでいるから、大丈夫だけどさぁ」

 勝利を確信したのか、離れたところで二人の闘いの行方を見守っている老婆の方へ、ちらっと視線を動かしながら、茄子はうずくまる豆腐を蹴り飛ばした。

「おらおら、これが、今まで劉婆を独り占めしていた豆腐の力かい。悪いが、これからは、劉婆はおれのもんだだぜ」

 茄子の言うとおり、豆腐の身体からは水分が蒸発してしまい、今やぼそぼその状態となってしまっていた。これまでのように滑らかに茄子の攻撃を受け流すこともできず、ただ、うずくまってその攻撃を耐えるしかなくなっていた。そこへ、追い打ちをかけるかのように投げつけられる茄子の言葉は、豆腐の心に深く突き刺さった。もう、このまま、茄子に屈するしかないのか。

 いやだ。いやだ、いやだ。劉氏は私のパートナーだ。彼女を、大事なパートナーを、こんな若造に、渡してたまるものかっ。

「劉氏は、劉氏は、私のものですっ」

 どこにそんな力が残っていたのか、豆腐は茄子の足元から、飛び退った。

 そして、豆腐は・・・・・・。

 豆腐は、一直線に海に向かって走り、その中へ飛び込んだのだった。

 

 ぷかり。

 ぷかり、ぷかり。

 波間に揺れる白い身体。

 やがて、その姿は、波の力によって砂浜から遠くへ運び去られていった。

「ははっ?」

 茄子は自分の目を疑った。豆腐が、自ら海の中へ飛び込んだのだ。まさか、奴ほどの強者が、自ら闘いに終止符を打つなんて、思ってもみなかった。

「はは、ははは、ははははぁあああつ? やった、やったのか? 勝ったのか、俺が、勝った、そう、勝った、勝ったんだ。ははっはあああっ!」

 茄子は、両手を天に向って掲げた。

 俺が、この俺が、この茄子がっ。絶対王者として劉婆を独占していた豆腐を、倒したのだっ。

「おおっううっつ!!」

 茄子は、腹の底からの雄たけびを上げた。それは、砂浜どころか、島中に響き渡るかのような雄たけびだった。

 しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻した茄子は、自分の本来の目的を取り戻した。

「そうだ、劉婆。劉婆は‥‥‥」

 老婆の待つ砂浜へ歩き出そうと茄子が振り返った時、その背を不思議な音が叩いた。

 ピシャッ。ピシャ。

 なんだ、この音は。魚が跳ねたにしては大きすぎるこの音は。まさか、いや、そんなはずはない、しかし。

 再び、海に目をやった茄子が見たものは。そこにいるはずもない、それは、一回りは小さくなった豆腐が、一歩一歩、足元を確かめるようにゆっくりと、波打ち際に向けて海の中から歩いてくる姿だった。

「茄子君。私は、君に詫びなくてはなりませんね。君を見くびっていたようです。お詫びの印に、私の真の力を見せてあげましょう。いいですか、君は一つ大きな勘違いをしています。この闘いの場所は、君にとってだけ、都合がいい場所ではないのです」

 感情というものを海の中に落としてきてしまったかのように、静かに茄子に語り掛ける豆腐。その身体は一回り小さくなったものの、その威圧感は、先ほどまでとは比べることが出来ないほど、大きく、そして、異質なものになっていた。

「ああっ、来るな、来るなぁ」

 波打ち際まで到達した豆腐に向って、茄子は必殺の肘打ちを何発も繰り出した。しかし、茄子に返ってきた手ごたえは、これまでのものと全く異質で、ズシリとした重いものに打ち付けているような感覚であり、肘打ちの威力の全てが吸収されてなくなっているかのようだった。

 豆腐は、茄子の攻撃に全く注意を払わず、ただ、彼の好きに任せていた。「どうせ効きはしないのだから」 彼のその態度が、そう告げていた。

「茄子君、浸透圧という言葉を知っていますか。知っての通り、私の身体は多くの水分を含んでいます。その私が海の中に飛び込んだところ、どうなるでしょうか。私の身体の中の水分と海の水、それらの中に含まれる塩分濃度は大きく異なります。そのため、その塩分濃度を均等にしようとする力が働き、私の体の中から水分が外へ出ていくのです。同時に、私は、海水の中から塩化マグネシウムを取り込みました。にがりとも呼ばれるこの物質、君には、その作用がわかりますか」

 豆腐は、淡々と語りながら、攻撃を続ける茄子の身体に両腕を回した。

 茄子の身体に、豆腐の身体の質感が直接的に伝わってきた。ずっしりとした、しかし、しっとりとした、濡れた砂を詰めた砂袋のような質感だった。戦いを始めた頃の突けば崩れそうなやわらかい身体、海に飛び込む前の水分を失ったスカスカの身体は、いったいどこへ行ってしまったのだ。

 茄子は、恐怖した。

「やめろ、放せっ」

「わかりませんか、茄子君。にがりとは、すなわち、凝固剤。私は限界まで水分を放出すると同時に、このにがりの力を利用することによって、堅豆腐となったのです。その、硬さはっ。力強さはっ。通常の豆腐とは比べ物にならずっ。ひもで縛って運んでも崩れないと言われるほどなのですっっ!」

 堅豆腐は両腕に力を籠め、茄子の身体を絞りあげた。

「放せ、放してくれ、はな、、ぐぼっ・・・・・・」

 ミチ、ミチツ、ミチチッ、ピシィツ。

「アアッ!」

 茄子の身体は、堅豆腐の力によって不自然な形にひしゃげた。その紺色の肌は、内部からあふれだそうとする何かを留めるために、細かく震えた。彼の頭からヘタが千切れて飛んで行った時、茄子は大きな声をあげ、そして、その身体は抵抗することを止めた。それは、まるで、ヘタが抜けて空いた穴から、彼の力が大気中へ放出されたかのようだった。

 ぐったりとして、生気を失ってしまった茄子の身体を、堅豆腐はそっと波打ち際へ横たえた。もちろん、投げ捨てることだってできたはずだ。だが、それは、彼なりの、茄子への敬意の表れだったのだろう。これまで、彼をここまで追い詰めた男は、いなかったのだから。

 闘いは終わったのだ。

 堅豆腐は、茄子に向けていた優しいまなざしを、自分のパートナー、劉氏へと向けた。

「さぁ、終わりましたよ、劉氏。え、劉氏?」

 予想もしていなかった光景が、そこに存在していた。堅豆腐が目にしたのは、パートナーである自分の勝利をたたえてくれる老婆の姿ではなく、太陽の光を受けて料理中の鉄板のように熱くなった砂の上に倒れている姿であった。

 男どもの闘いを砂浜の上で見守っていた老婆であったが、それは盛夏の太陽の下では、あまりに無謀な行動であった。老婆は、熱射病で倒れてしまったのだ。

「劉氏、しっかりしてください、劉氏」

 堅豆腐は、老婆の軽い身体を抱え上げると、砂浜の脇に生える木々の下へ急いだ。

 影だ、影の中へ入らなければ。日の光から逃れるのだ。それに、水、水が必要だ・・・・・・。

 張り出した枝葉が作り出す影の下へ老婆を横たえた堅豆腐であったが、水を手に入れる当てはなかった。熱射病の治療には、水分の補給が必要だ。だが、この辺りには、川もなければ、人家もない。どうすればいいのだ、熱射病は、時には人の命も奪うという。ああ、どうすれば・・・・・・。

「うう、暑い・・・・・・、暑い・・・・・・」

「しっかりしてください、劉氏!」

 老婆の横で、うろたえる堅豆腐。このまま、劉氏が息を引き取るのを、ただ見守るしかないのか。

 その時、堅豆腐の後ろに、何者かが立つ気配がした。

「誰ですっ」

「俺だよ、堅豆腐さん」

 そこには、茄子が立っていた。もう頭にはヘタはついておらず、少しひび割れさえしているようで、紺色の皮の隙間からわずかに白い果肉が覗いていた。茄子の身体からは、もう闘気は漂ってはいなかった。

「熱射病だろ、劉婆さん。ここは、俺に任せてくれよ。へへっ、心配しなくていいよ。変なことはしないって。あんたには負けたよ、堅豆腐さん。ただ、これは、俺にしかできないことだと思うんだ」

「何をしようというんですか、茄子君。あ、ああ?」

 茄子は、問いただす堅豆腐の前で、自分の頭に手をやった。そして、ヘタのところに出来た割れ目に手を入れると、なんと、自らの身体を一気に引き裂いたのだ。紺色のベールの中から飛び出す純白の果肉。そして、そのスポンジ状の柔らかな果肉には、ああ、そうだ、そこには、水分が、滴り落ちるばかりに、含まれていたのだった。

「な、茄子の身体の約90パーセントは、水分なんだ‥‥‥。かた、堅豆腐さん、これで、劉婆に、水をやっておくれよ、俺の、俺の命の水を。あ、ああ、劉婆。劉ばあにお、れを調理し、て欲しかった。だ、けど、かた、どうふさ、ん。あん、た、つよ、かた、よ‥‥‥」

「茄子君ーっ!!」

 

 その後、劉氏、劉婆と呼ばれた老婆は、茄子の身体から搾った水によって、熱射病から回復することが出来た。だが、もちろん、自らの身体を引き裂いた茄子が、二度と立ち上がることはなかった。堅豆腐と老婆は、自らの命までも投げ出す茄子の心意気に打たれ、老婆の第一のパートナーとして、彼を認めることにしたのだった。

 

 これは、僕が島で聞いた物語だ。

 中華料理屋で「麻婆」を頼んだところ、麻婆茄子が出てきた、その時に店主から聞いた話だ。この島では、単に「麻婆」と言えば、麻婆茄子を指すのだそうだ。

 なぜなら、老婆、つまり、麻婆の第一のパートナーは茄子だから。この島では、そういうことなのだそうだ。