コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

【小説】ココロにパフュームを

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 ミーンミンミンミー・・・・・・。

 ミーンミンミンミー・・・・・・。

 

「あー、見えてきた。良かったぁ、まだ、ちゃんと残ってますね」

 

 まだまだ残暑が厳しい夏のある日、わたしは自分が生まれ育った村へ戻っていた。

 わたしがこの村を離れてもう何年か経つけれど、この時期には決まって村に戻ることにしているのだ。

 なぜなら、そこには、わたしを待っていてくれる人がいるから。

 そう、村に残っている、わたしの親友が。

 ほら、いつものとおり、わたしたちが最後の卒業生となった村の小中学校の校舎の前で、こちらに向かって手を振ってくれている。

 ふふふ、変わらないなぁ。元気よく振っているその手で、学校中を包んでいる蝉しぐれを、指揮しているみたいだよ。

 

「おーい、七海ぃー。帰ってきましたよぉー」

 

 自分の声がまだ届かないことは判っていたけど、わたしも両手を振りながら、彼女に向かって大声を上げた。

 一年ぶりだ。一年ぶりで彼女に会えるんだ!!

 

 

 

 
「七海、久しぶりですね! 元気でした?」

 

「もちろん! さくらも元気そうでよかったよ。ねぇねぇ、どう、この髪型。ちょっとお姉さんっぽくなったと思わない?」

 

 わたしより少し小柄な彼女は、短めの丈をしたブルーのワンピースに身を包んでいる。アクセントとしてつけられているクリーム色の小さなリボンが、とてもかわいらしい。

 彼女が少し照れながらいじっている肩先までの長さの髪は、その先がふんわりとカールしている。彼女の髪が夏の風に揺られるその様は、まるで、穏やかに寄せては返す波の繰り返しのようだ。

 ああ、いつもの七海だ。わたしの親友、お洒落が大好きな七海だ。

 

「とても良く似合ってますよ、七海。自分で縫ったんですよね。すごいです! でも、お姉さんっぽくは、どうでしょうか。ふふふっ」

 

「な、なぁにぃ・・・・・・。さくらだって、変わってないじゃん。もう・・・・・・」

 

「ええっ。そうですか! 少しはお姉さんになったつもりなんですけど。それに、どうですか、良い香りがしませんか、わたし」

 

「むむっ。確かに、夏の海を思わせる爽やかな香りがする。良い香りだね、さくら。でも、さくらのその二つ分けにした前髪の間から出てるおでこ、そのおでこの安定感は、相変らずですぞ」

 

「ええぇ~。きびしいですぅ」

 

「・・・・・・アハ、アハハ」

 

「・・・・・・フフ、フフフ」

 

「アハハハハハ、・・・・・・お帰りなさい、さくらっ」

 

「ウフフフ、・・・・・・ただいまです、七海っ」

 

 わたしたちは、数秒間お互いの顔を見つめ合った後、大声で笑いだしてしまった。

 こうして顔を合わすのは一年ぶりだけど、そこは小さいころから中学校を卒業するまで、いつも一緒だったわたしたちだ。たちまち、昔のような気の置けない間柄に戻ったのだった。

 

 

 

「懐かしいですね、この学校」

 

「そうだよね。あたしたちが卒業して廃校になったはずだけど、こうして残っていてくれて嬉しいよね」

 

 この学校は村にある唯一の学校で、生徒数の少なさから、小中学校が併設されていた。

 わたしと七海は、小学校の入学から中学校の卒業までこの学校に通ったわけだから、ここが二人で一番多くの時間を過ごした場所になる。ある意味、わたしたちにとって、家のように落ち着ける場所なのだ。

 わたしたちが卒業すると同時に、村の小中学校は他の村の学校と統合されてしまい、この建物は使われなくなってしまった。だけど、わたしが村に帰ってくる度に、二人の足が向かうのは、いつもこの場所だった。

 

 窓から教室をのぞき込んだり、ゆっくりと校舎の周りを歩いたりしながら、わたしたちは、いろんな話をしていた。誰に気を使う必要もない、わたしたちだけの時間だ。

 

 毎日の何気ないこと。

 お互いの周りで起きた楽しい出来事。

 学校での思い出。

 昔に憧れたアイドルや好きだった音楽。

 

 そして、将来の夢について。

 

 中学を卒業してから、わたしは調香師を目指すために、東京にある寮付きの進学校へ入学した。一方で、デザイナーを目指す七海は、「インターネット全盛のこの時代、村に残っていても可愛い服は作れるよ」と村に残った。

 わたしたちは、それぞれの夢へ向けて、別々の道を歩き出したのだった。だけど・・・・・・。

 

 いつしか、わたしたちは、学校の校舎を背にして、肩を並べて座り込んでいた。

 わたしたちの前では、誰にも使われることが無くなった運動場が、太陽に焼かれている。敷地の端の方には草がまばらに生えているのが見えるけれど、運動場全体が雑草に覆われていないのが不思議だ。

 運動場の向こう側、学校の入口の先では、遠くに霞んで見える山際まで、元気に背丈を伸ばしている稲が、緑色の絨毯を広げている。

 山の背からは真っ白な入道雲が立ち上がり、鮮やかな青い絹を張ったような空に、どんどんと自分の領地を広げようとしている・・・・・・。

 

「どうしたの?」

 

 夏の景色に魅入られたように黙り込んでしまったわたしに、七海が優しく囁いてきた。

 

「メールや電話してても、なんだかさ、さくらが元気ないような気がしてたんだ」

 

 心配をかけたくなくて、自分の悩みを七海に話してはいなかったので、わたしは彼女の言葉にびっくりしてしまった。いつのまに、わたしが戸惑い、疲れてしまっていることが、彼女に伝わっていたのだろうか。

 わたしの驚いた様子を見て、七海は「やっぱり」というような顔をした。

 

「だけどね、さくら」

 

 七海はわたしの顔をのぞき込むようにして、言葉を続けた。彼女の表情から、「さくらのことが心配なんだぞ」という気持ちが、痛いほどわたしの心に伝わってきた。

 

「なにに悩んでるのか、ちゃんと話してくれないと、判らないよ。良かったら、あたしに話して、ね?」

 

 夏空を背景にした七海の顔が、涙で歪んで見えた。

 

「うん、うん・・・・・・。グスッ。あのですね・・・・・・、グスッ」

 

「いいよ、ゆっくりでいいよ」

 

 温かい。わたしを抱き抱えてくれる七海の身体が、とても温かかった。

 

「七海、七海・・・・・・、わたし・・・・・・、グス、アァアアアン・・・・・・」

 

「うん、うん、頑張ったね、頑張ったね、さくら・・・・・・」

 

 

 

 抑えていた何かが、涙となってわたしの中から溢れ出ていった。ただ泣きじゃくるだけで、上手く言葉にできないわたしを、七海はゆっくりと待っていてくれた。

 しばらくたって、ようやく落ち着いて話すことができるようになった後で、わたしが七海に話したことと言うのは・・・・・・、言ってしまえば、良くある話ではあった。

 でも、それは当人にとっては切実なことなのだ。とても不安で、自分が何の上に立っているのか、それすらもわからなくなる、とても苦しいことなのだ。

 

 

 

 わたしの夢である調香師になるために、必要な国家資格などは無い。ただ、知識と経験、それに研ぎ澄まされた感覚が必要とされるだけだ。

 でも、香料を扱いその組み合わせを考えるのは化学の分野になるので、化学的な知識の習得が必要になるのは間違いない。それに、将来的には自分の香水を創りたいと考えているわたしにとって、香水の本場であるフランスへの留学も必要となるだろう。

 それらのことを考えると、高校・大学で化学の知識や語学を習得することは必須で、そのためには、この村を出て学ぶことが、どうしても必要だったのだ。

 東京の学校の寮には、全国から多くの優れた学生が、それぞれに夢を持ち集まって来ていた。

 水素化社会を実現して環境負荷を抑えることを夢見る者。バイオ農業を研究して食料を増産し、世界の人口増加に対処したいと考える者。さらには、人が地球を飛び出して宇宙でもっと活動できるよう研究をしたい、という者さえいた。

 学校から毎日出されるたくさんの課題と、自分の未来に見えている登り切れるか定かではない長く続く階段。それらのプレッシャーもあったのだろう。

 そのような大きな夢を語る学生の中で、わたしの夢はとても小さなものに思えた。

 思えてしまったのだ。

 一度そのように考えだすと、自分ではその考えを止めることができなくなってしまった。

 それからは、みんなの話を聞くたびに、自分の胸にチクリチクリと痛みが走るようになってしまったのだ。

 みんなの夢に比べて、わたしの夢って取るに足らないものなのかな。その夢のためにしているわたしの努力に、意味はあるのかな、って。

 

 

 

「それでね、すごく辛かったんです。みんなの中で、わたしだけ、違うように感じて。わたしは、ここに居ていいのかなって、思えて・・・・・・」 

 七海は、詰まりながら話すわたしの思いを、ときおり大きく頷きながら、しっかりと聞いてくれた。

 そして、わたしの話が一段落したのを確認すると、「しんどかったね」と労ってくれたのだった。

 

「ねぇ、さくら。さくらの夢は何だったっけ?」

 

「わたしの夢? 七海の知っているとおり、わたしの夢は調香師になることです。自分の香水を創りたいんです。そして、七海と一緒に、七海が創った服とわたしの創った香水で、みんなに幸せな気分を感じてほしいんです」

 

「そうだよね。あたしの夢もおんなじだよ。あたしは服で、さくらは香水で、みんなを幸せにする。良い夢じゃん。それに・・・・・・、ジャジャジャジャーン!」

 

 大げさな声と同時に七海がバッグから取り出したのは、子供の頃にわたしたちがよく遊んだおもちゃだった。

 

「あ、それはあたしの! どうしたんですか、それ?」

 

「へへっ、さくらが元気なさそうだったから、さくらのお母さんから借りてきたんだ」

 

 はいっ、とおもちゃの一つを、七海はわたしに渡してくれた。

 

 このおもちゃは、わたしと七海が子供の頃に夢中になって見ていたアニメーション番組で、ヒロインたちが使っていたものだ。香水瓶を模したもので、ヒロインたちは自分に魔法の香水を振りかけることで、魔法の戦士に変身するのだ。

 世界を希望のない乾いた砂漠のようなものへと変えようとする敵に対して、普通の中学生であるヒロインたちが、悩みながら、くじけそうになりながらも、仲間と共に立ち向かっていく姿に、まだ小さかったわたしたちは、とても憧れていたのだった。

 そうだ。そもそも、わたしたちが自分たちの夢を持ったのも・・・・・・。

 

「ねぇ、七海?」

 

「そうだよ、さくら。あたしたちが、みんなを幸せにしたいって夢を持てたのは、このアニメのお陰だよ」

 

 わたしと同じように、自分のおもちゃを手にした七海は、やはり思いも同じだったのだろう。何も言わなくても、わたしの言いたいことがわかるようだった。

 

「ねぇさくら、それって、あのヒロインたちがアニメの中で叶えたように、とても素敵な夢だと思わない? 確かに、アニメはアニメで、あたしたちはこのおもちゃで変身できないよ」

 

 七海は、おもちゃの香水瓶を、自分に吹きかけるように向けながら、話し続けた。

 

「でも、あのアニメが言いたいことは、あたしたちの心に伝わっているんじゃないかな。みんなを幸せにしたい、その気持ちは何よりも大切で、その気持ちがあれば、あたしたちはいくらでも強くなれるって!」

 

 そうだ、そうなのだ。

 

「何かのテーマを持って、作品を創る。人を楽しませたくて、作品を創る。作品の種類は色々あるし、作り手の意図も色々あるけど、それは映画でも歌でも、もちろん、アニメでも一緒だよ。あたしは、あのアニメを見て、ヒロインたちと同じ気持ちになって、そして、みんなに幸せを届けることの大切さを知った。それってすごいことだよね」

  あのアニメを見て、そのヒロインたちが悩みながらも成長していき、周りの人たちを笑顔にしていく姿を見て、わたしたちは夢を持ったのだ。大きくなったら、みんなの心が乾かないように、幸せを届ける人になりたいと。

 そして、ヒロインたちの可愛らしいコスチュームに感動した七海はデザイナー、ヒロインたちが用いる香水に心を動かされたわたしは、素敵な香りを創る調香師を目指すようになったのだ。

 

「アニメがきっかけだって馬鹿にする人がいたら、その人はいつの間にか見失っているんだよ。大切なこと、それ自体はいつも単純なんだ、それを達成する方法が難しいだけなんだってことを」

 

 七海の目は真っすぐに私を見つめていた。真剣さが溢れているその瞳は、大切なことが何かを、わたしに思いださせてくれた。

 大切なこと、わたしが夢として描いていたこと。

 それは、調香師になることではなかった。もっと単純なことだ。そう、それは、みんなに幸せを届ける、そのことなんだ。

 

「そう、そうですよね、七海!」

 

「うん、そうだよ! だから、みんなに比べて、その夢をかなえる方法がどうのこうのなんて無し、だよ。なんだったら、こっちの夢の方が大切だって言ってもいいくらいだよ。良い環境になったって、宇宙で活躍できたって、みんなの心に幸せがなかったら、意味ないじゃん?」

 

「もう、言い過ぎですよ、七海。みんなきっと、人に幸せになってほしい、悲しい思いをして欲しくないって言う気持ちが、きっかけなんです。その夢をかなえる方法がどうのこうのなんて無しって、自分で言ってたじゃないですか」

 

 おそらくは、あたしのために、わざと言い過ぎてくれたのだろう。七海はそういう優しい気づかいをする。わたしは、七海のその優しさに甘えて、いつものように、笑いながらそれをたしなめる役割に回るのだった。

 

 ありがとう、七海。

 わたしが悩んだり迷ったりしたときは、いつもあなたが助けてくれる。

 本当にありがとう。

 

 

 

「実は、もう一つ、さくらに見せたいものがあるんだよね。・・・・・・これ、でーす!」

 

 彼女がわたしに差し出したのは、しっかりとした紙でできた薄いカタログだった。

 

「なんですか、これ。えーと、学校案内・・・・・・東京服飾デザイン専門学校・・・・・・って、七海、これって!」

 

「えへへ・・・・・・、実は、カッコイイことを色々言ってたんだけどさ、やっぱり、独学では限界を感じまして。で、ね、あの、なんだか、格好悪いんだけど、あたしも遅ればせながら、高校を卒業したらさくらと一緒に東京に、む、むぎゅっぎゅっ!」

 

 七海は最後まで話をすることができなかった。だって、わたしが七海に抱き付いたから。そして、彼女に頬を寄せて、大声で泣き叫んだから。

 

「七海、来年から、東京で、一緒にいてくれるんですか。ほんとに、ほんとですか!」

 

「う、うん、本当! 本当だよ!」

 

「七海、ありがとう、ありがとうございます! いつでも、七海はわたしを助けてくれる。本当にありがとうございます!!」

 

「ううー、いやいや・・・・・・」

 

 思いがけないわたしの激しい反応に当惑したのか、七海は泣いているわたしの頭をポンポンと叩くと、わたしの耳元に口を近づけて、優しい言葉を送ってくれた。きっと七海のことだ、すごく照れくさそうな顔をしながら、話してくれたのだろう。

 

「本当にすごいのはさくらだよ。一度自分で決めたら、どんな困難なことにも飛び込んでいける。あたしはさくらが開いてくれたから、その道を行けるんだよ。ありがとうさくら。あたしこそ、ありがとう」

 

 

 

 

 ミーンミンミンミー・・・・・・。

 ミーンミンミンミー・・・・・・。

 

「頑張ろうね、さくら」

「頑張りましょう、七海」

 

 遠くの山の上には、真っ白な入道雲が二つ、大きく大きく成長していた。その身体の中に激しいエネルギーを蓄えながら。

 子供の頃には、どうして入道雲はいつも山の上に現れるのだろう、頭の上、お空の真ん中にできないのはどうしてだろう、と考えていた。

 今ならわかる気がする。

 山があるから、自分の行く手に大きな障害があるから、それを乗り越えるために、雲は大きく成長するんだと。そして、自分の内に大きな力を蓄えることができるんだと。

 

「二人でみんなに幸せを届けましょう、七海」

 

 わたしは、七海の手を取って立ち上がった。もう片方の手には、香水瓶のおもちゃを握っていた。

 

「ねぇ、いつものアレをやりましょう!」

 

「ええぇ、アレ? んー、しょうがないなぁ、さくらくんはぁ」

 

 口調とは裏腹に、七海もまんざらでもない表情を浮かべていた。その瞳は「ほら、やっぱりさくらが先頭を切って進んでくれる」と言っていた。

 わたしは、七海の手をぎゅっと握って返事を返した。「わたしが壁にぶつかったら、いつも、七海が助けてくれますから」と伝わったはずだ。

 二人で手をつないだまま、反対の手でおもちゃの香水瓶のスイッチを押した。

 おもちゃから流れる軽やかな電子音のリズムに乗りながら、全身に魔法の香水を振りかけていく。

 子供の頃から何度も何度も繰り返してきた、あのアニメーションのヒロインたちの変身アクションだ。

 最後に、顔と顔を見合わせてうなづくと、わたしたちは、大きな声を張り上げた。

 わたしたち二人の声は合わさり、夏の風に乗って、緑の絨毯の上を、青空へ向けて駆けあがっていった。

 

 『ココロにパフュームを!!』

 『あなたのハートに、幸せ届けますっ!!!』