夏が来た。
どこまでも高い青空。沸き立つ白い入道雲。
濃い緑の葉を茂らせた木々の影は、アスファルトの上に黒々と焼き付けられている。
窓を閉め切ってクーラーを利かせている室内にまで、セミの声が響いてくる。
今年も、夏が来た。
今年も、あの日がやってくるのだ。
〇
私の祖父はとても優しい人だった。
団塊ジュニアと呼ばれる私たちの世代は、鍵っ子のはしりの世代でもある。共稼ぎだった両親は、小さい頃の私の世話を祖父に任せきりにしていた。
だが、私はそれを寂しいと思ったことは一度もなかった。祖父は、いや、おじいちゃんは、いつも優しく笑いながら私の遊び相手になってくれ、私はそれで十分に幸せだったのだ。
いつも一緒だった私とおじいちゃん。おじいちゃんに叱られたことなど一度もなかった私は、今でもおじいちゃんの笑っている顔しか思い出せない。あの時のあの顔を除いては。
昭和の夏は、今ほど厳しいものではなく、開け放った窓からセミの鳴き声と一緒に風が入ってくれば、それなりに涼しかったものだ。
あの日も、私はおじいちゃんと一緒に、西瓜を食べながらテレビで高校野球を見ていた。西瓜の汁で汚れないように、テーブルの上には新聞が広げられていた。小さな私には読むことはかなわなかったが、当時は恐ろしい殺人事件が何件も続いていたから、新聞にはそれについての
大きな記事が載っていたのだと思う。
正午になった。
テレビからサイレンの音が流れてきた。高校球児たちはプレーを中断し帽子を取ると、それぞれの場所で黙とうをした。
当時の私にはその意味が分からなかったから、おじいちゃんに尋ねようとした。でも、それはできなかった。
私のそばに、おじいちゃんはいなかった。いや、私の知っている、優しい笑顔のおじいちゃんはいなかったのだ。
その時のおじいちゃんの顔は・・・・・・、この齢になっても、私はなんと表現すればいいのかわからない。
「ああ、そうだ。戦場でワシもたくさん殺したなぁ・・・・・・」
おじいちゃんは、そばに私がいることも忘れてしまっていたのだろう。殺人事件を取り上げた新聞記事の上を指でなぞりながら、誰に言うでもなく、噛みしめるようにその言葉を口にしたのだった。
〇
ミーンミーンミーン・・・・・・。
力強いセミの鳴き声は、昭和も令和も変わらない。
夏が来ると、私はあの時のおじいちゃんの顔を思い出さずにはいられない。
後悔と怒りと、寂しさと追憶と、諦めと悲しみ。
それらが合わさったような、あの時のおじいちゃんの顔を。
今年も、夏が来た。
もうすぐ、あの日がやってくる。
8月15日が。
(了)