コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。宜しければ、ひとときおつきあいください。

月の砂漠のかぐや姫 第197話

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(これまでのあらすじ)

 月の巫女である竹姫と、その乳兄弟である羽磋。月の巫女としてではなく、素の自分の居場所が欲しいと頑張る竹姫に、羽磋は「輝夜」(かぐや)の名を贈り、自分が輝夜を望むところに連れて行くと約束します。それは二人だけの秘密でした。しかし、大砂嵐から身を守るために月の巫女の力を使った竹姫(輝夜姫)は、その大事な秘密を忘れてしまいます。月の巫女はその力を使った代償として自らの記憶・経験を失い、最悪の場合は、その存在が消えてしまうのです。それを知った羽磋は、輝夜姫が無事に生を全うして月に還ることができる方法を探すため、肸頓族の阿部の元へと旅立ったのでした。

 

※これまでの物語は、「月の砂漠のかぐや姫」のタブでご覧になれますし、下記リンク先でもまとめて読むことができます。

 

www.alphapolis.co.jp

 

 

【竹姫】(たけひめ)【輝夜姫】(かぐやひめ) 月の巫女とも呼ばれる少女。人々からは「竹姫」と呼ばれる。羽磋に「輝夜」(かぐや)という名を贈られるが、それは二人だけの秘密。

【羽磋】(うさ) 竹姫の乳兄弟の少年。貴霜(くしゃん)族の有望な若者として肸頓(きっとん)族へ出されることとなった。大伴の息子。

【翁】(おきな) 貴霜族の讃岐村の長老。夢に導かれて竹姫を拾い育てた。本名は造麻呂。

【大伴】(おおとも) 羽の父。貴霜族の若者頭で遊牧隊の隊長。少年の頃は伴(とも)と呼ばれていた。

【阿部】(あべ) 大伴の先輩で良き理解者。肸頓族の族長。片足を戦争で失っている。

【小野】(おの) 阿部の信頼する部下。片足を失くした阿部に代わっ

て、交易隊を率いている。小野と言う名前だが、30代の立派な成人。

【御門】(みかど) 月の民の単于(王)。

【冒頓】(ぼくとつ) 烏達渓谷の戦いで大敗した匈奴が月の民へ差し出した人質。匈奴の単于の息子。小野の交易隊で護衛隊長をしている。

【苑】(えん) 匈奴から冒頓に付き従ってきた従者の息子。成人していないので、親しいものからは「小苑」(しょうえん)と呼ばれる。

【王花】(おうか) 野盗の女頭目

【王柔】(おうじゅう) 王花の盗賊団の一人。交易隊の案内人。

【理亜】(りあ) 王柔が案内をしていた交易隊が連れていた奴隷の少女。

 

 

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【第197話】

 長身の男とは、羽磋や理亜と共に交易路から川に落下し、激しい水の流れに飲み込まれてしまった王柔でした。そして、彼が必死になって呼び掛けている相手は、地面に横たえられている羽磋でした。

 交易路から落下して川を流されていったのは、王柔と羽磋、それに理亜の、三人だったはずです。小さな理亜は、どこにいるのでしょうか。彼女は、王柔の背中に手を当てて、その体の陰から心配そうに羽磋を見下ろしていました。

 王柔たちはヤルダンの台地の中へと流されていき、暗闇の中で川が滝の様に落下する箇所で、一度は完全に意識を失ってしまいました。でも、前もって羽磋が取っていた処置が、彼らの命を救ってくれたのでした。決して水に沈むことのないコブを持つ駱駝に、引き綱によって自分たちの身体を縛り付けておいたお陰で、意識を失った状態でも水面の上に顔を保つことができていたのでした。そうでなければ、滝から落下する際に意識を失った彼らは、激しい水の流れに巻き込まれておぼれてしまっていたことでしょう。

 彼らの中でもっとも早く意識を回復した王柔は、川の流れがこの地中の大きな空間に到達して穏やかになったところで、自分たちを駱駝に縛りつけていた引き綱を解き、意識を失ったままの理亜と羽磋を地面の上へと引きずり上げようとしたのでした。

 川の水はヤルダンを支える台地の中に流れ込んでいき、今でも王柔の頭の上は全て暗い色をした岩で覆われていましたから、彼らが地中から外にまで流されていた訳ではありません。でも、不思議なことに川の水が薄い青色に発光しているので、本来ならば真っ暗闇であると思われるこの場所でも、王柔は自分の周りを見ることができていました。もちろん、今の彼には余裕が全くなかったので、自分が周囲の様子を見ることができていることの不思議に、彼は全く気が付いていませんでした。

 また、力仕事には慣れていない王柔が必死になって羽磋と理亜を岸の方へと引きずっている間に、駱駝の方は自力でゆうゆうと地面の上に上がってきましたから、上手く駱駝を先導することができれば、二人を駱駝の背に乗せたままで楽に水から上がることができたかもしれませんが、とにかく一刻も早く二人を水から上げたいと焦っていた王柔には、その様なことにまで考えが回ってはいなかったのでした。

 地上に引き上げるときに掛かった強い力のせいか、理亜は王柔が呼びかけるまでもなく、ひとりでに意識を取り戻しました。理亜のぱっちりとした目が震えながら開き、小さな口が動いて自分の名を呼んだ時には、王柔は喜びのあまりに大きな声を上げ、さらには、羽磋の身体を引いていた手を放して、両手で理亜の身体を抱きしめてしまいました。「理亜が生きている」。王柔にとってこれほど嬉しいことはなかったのですから。

 ただ、王柔はずっとその喜びに浸っていることはできませんでした。羽磋です。自分たちをあれほど助けてくれた羽磋は、未だにぐったりとしたままで意識を回復していないのです。王柔は、理亜の意識がしっかりとしたことを確かめると、彼女と協力をして羽磋の全身を水際から離れたところへ引き上げたのでした。

「羽磋殿のお陰で、僕も理亜も助かりました。羽磋殿も、しっかりしてくださいっ」

 王柔は、必死に羽磋の胸を押し、体をゆすり、声を掛け続けていました。長い時間水に浸かっていたせいでしょうか、わずかに薄い青色に輝いているようにも見える羽磋の胸は規則正しく上下していますし、その口からは吐息も漏れていますから、彼の命の火は消えていません。でも、羽磋の意識は、なかなか回復してくれません。

「このまま、羽磋殿は死んでしまうんじゃないか」

 王柔の心配はどんどんと大きくなってきます。

 王柔は、羽磋の頭の横に顔を寄せて、その耳元で大きく叫んだのでした。

「羽磋殿、羽磋殿っ! 目を開けてください、羽磋殿っ」

 この時、羽磋の自我は、おそらく自分の内側に生じた世界、つまり、夜の砂漠を彷徨っていました。砂漠の中のオアシスに見えた少女の影を求めて、月夜の下を駆けていたのです。その少女こそは、羽磋の大切な存在である輝夜姫だと思われました。羽磋には、どうしても彼女に伝えたいことがあったのです。でも、そのオアシスは、まるで昼の砂漠に生じる蜃気楼のように羽磋の前から逃げて行ってしまい、輝夜姫と思えたその少女にも会えず終わってしまいました。

 無力感に捕らわれた羽磋が、全てを投げ出してこのまま眠っていたいとさえ思ってしまったその時に、彼の耳に届いた呼び声こそが、この王柔の叫び声だったのでした。

 王柔が必死に叫ぶ声には、「このまま死んでほしくない」、「もう一度目を開けてほしい」という彼の熱い思いが込められていました。その言葉は、意識の海の中で羽磋の身体を包んで動けなくしていた「目に見えない無力感」を溶かしてしまいました。

「そうだ、そうだよ。俺は眠ってはいられないんだ。行かなくちゃいけないんだ」

 王柔の声から力を得た羽磋は自分を取り戻し、声のする方へと意識の海を昇って行ったのでした。

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