コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。宜しければ、ひとときおつきあいください。

【掌編小説】招待状:裁判員として出頭せよ

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「まだ、寝てて大丈夫なの?」

 いぶかし気な妻の声が、台所の方から飛んできた。

 いつも起きる時間をとうに過ぎても僕がベットから出てこないのだから、彼女が心配するのも無理はない。だけど、今日はいつもとは違う予定があるのだ。

「大丈夫だよ。ほら、招待状が来ていただろう。あれだよ、裁判員裁判に出席する日なんだよ、今日は」

 そう彼女に伝えると、僕は再び眠りについた。

 

 

野崎雄二 男 日本人

 大学で行動経済学を専攻。プロスペクト理論を研究し、それを「人は得することには積極的にならなくても、損を回避することには積極的になる」と解した。

 卒業後は、食品会社に就職。添付されたシールを五枚集めて応募すると景品がもらえるという定番商品を大胆に改革。あらかじめ四枚のシールが貼り付けられた台紙を各家庭に配ったのだ。「あと一枚シールを貼って応募しなければ、この四枚が無効になって損をする」という意識を持った消費者は、競合他社の商品には見向きもしなくなった。

 会社に莫大な利益をもたらした彼は、若くして異例の出世を遂げた。

 もっとも、目立った功績と言えばその一件のみ。

「あいつ、何もしないのにどうしてあんな地位にいるのか」という周囲の視線が、彼に突き刺さるようになる。

「このままでは、せっかく手に入れた地位を失ってしまう。それは、大きな損失だ」と焦りを覚えた彼は、積極的な行動に出る。子会社との循環取引に手を出したのだ。

 数年後、新聞の社会面をにぎわすことになった彼は、自ら人生に幕を引いた。

 享年 42歳

  

 

ウーヴェ・ヴォルフ 男 ドイツ人

 両親から愛情を惜しみなく与えられて育った彼は、家族を深く愛していた。そして、周囲の人たちとも、とても良い関係を持っていた。

「僕はこの家に生まれて幸せだよ。この国に生まれて本当によかった」

 それが、少年の頃の彼の口癖だった。

 ある時、学校で特別な授業があった。それは、自らの国が犯した大いなる過ちを学ぶものだった。教師は「これはとても大事なことだから、しっかりと心に留めるように」と、子供たちに伝えた。

「なんてことだ。僕たちの国は、とってもいけないことをしてしまったんだ」

 彼はとても悲しくなった。父も母も、そして、自分も、あんなに悪いことをした人たちの子孫なんだ。僕の大好きなこの国は悪い国だったんだ。こんな国に、生まれてこなきゃよかった。

 ある晩、両親はすっかりとふさぎ込んでしまった彼を傍らに呼び寄せると、優しく語って聞かせた。

「ウーヴェ、祖先が犯した間違いを忘れちゃいけない。だけど、大事なのはそれを反省しながら前向きに生きることなんだ」

 両親の言うことは難しくて、彼にはよくわからなかった。

 酷いことをされた人たちは死んでしまっていて、もう謝ることもできない。許してもらうことなんてできないよ。だけど、自分の中で反省をしたら、もうそれで良いのかな。

 考え込むウーヴェの様子を、両親がじっと見つめていた。その目に一杯に湛えられた強い感情に自分が焼かれるような気がして、ウーヴェは叫んだ。

「わかったよ。反省をして前向きに生きるんだね」 

 

 

「やったっ! 逃げろ」

「虐げられたトルコ人の怒り、思い知ったか!」

 人気も絶えた夜。街灯の光が届くのはほんのわずかな範囲に過ぎない。レンガ造りの建物の影から数人の男が飛び出し、石畳の上を走っていく。褐色の肌に黒い髪。ドイツが道路建設や石炭採掘の労働者として移民を受け入れたトルコ人だ。

 男たちが飛び出してきた街路には、金髪碧眼の男が腹を抱えてうずくまっている。男の足元には赤い水たまり。彼が流した血が大きく広がっているのだ。

 この男こそ、長じた後はネオナチの急先鋒として活動していたウーヴェ・ヴォルフであった。

 自分たちの基準で「不要」と断じた移民には、この国から出ていくようにと責め続け、彼らの命を奪うことすらためらわなかったウーヴェ・ヴォルフ。彼の心を占めていたのは「愛国心」と「反省すれば許されるという信念」の二つだけだった。

「おい、お前ら・・・・・・。しっかり・・・・・・、反省・・・・・・し・・・・・・」

 それが、ヴォルフが発した最後の言葉であった。

 享年 36歳

  

 

吉弘美香 女 日本人

 彼女が好んだのは自分で何かを成すことではなく、人の失敗を見ることであった。 

 幸せを手にしようと自分で積極的に行動するのは疲れるが、人の不幸はそれを見るだけで自分を幸せにしてくれる。こんなに楽しいものはない。それが彼女の考え方だった。

 もちろん、生きていく上では自分が嫌な思いをする時もあるが、それは全部他人のせいだ。自分は悪くない。悪いのは、自分の気持ちをわかってくれない他人。そんな彼女の子供のころからの口癖は「みんな死ねばいいのに」だった。

 現実的には彼女が人の命を奪うことはなかったが、それは彼女がその機会と能力に恵まれなかっただけに過ぎない。彼女が心の中で殺した人の数は、とても数えきれないほどであった。

 当然のことながら他人との接点は少なく、自宅で心筋梗塞のために亡くなった彼女が発見された時には、ずいぶんと腐敗が進んでいたという。

 享年 84歳

  

 

ハーミド・カルザイ 男 アフガニスタン人

「ねぇ、どうして人を殺しちゃいけないの」

 アニメか漫画でその様なシーンがあったのだろうか。息子は無邪気な様子で聞いてきているが、いい加減な返答はできない。

 自分の顔を見上げる息子の頭を優しくなでながら、ハーミドはしっかりとした声で答えた。

「いいかい。人を殺すなんて、とても悪いことだ。神様も、とっても悲しまれるに違いない。だから、そんなことは絶対にしてはいけないよ」

「うん、わかったぁ」

 ぱっと周りが明るくなるような笑顔を浮かべる息子をハーミドは抱き上げた。息子の体温を肌に感じる。この子が大きくなるころには、世の中は一体どうなっているだろうか。少しでも良い世界を子供たちに残す、それが我々大人の務めだ。神様、お願いします、息子をお守りください。

 その次の日、ハーミドが運転する古トラックは異教徒の結婚式会場に突っ込んだ。爆発物を満載していたトラックは、多くの出席者を巻き込んで爆発し、多数の死傷者を出した。

 結婚式会場に突っ込んで多くの者を巻き添えにしながら爆死する瞬間、彼は何を思っていたのだろうか。

 少なくとも、彼にとって異教徒は人ではなく、これは悪いことではなかった。さらには、この行為を神様が喜ばれると確信していたことは間違いない。

 享年 25歳

  

 

 やれやれだ。

 数年前に霊界の存在が明らかにされてから、世の中はあっという間に変わってしまった。それはまるで、「インターネット」という要素が生まれたと思うと、瞬く間に現実世界の上に「ネット世界」という異次元が創り出された時のようだった。 

 「霊」という新たな要素は、人々の生活の中にあっという間に溶け込み、「霊界」という新たな次元を現実世界の上に違和感なく重ねたのだ。

 今では、死者を天国に送るか地獄に送るかの裁判にまで、一般人の意見が求められるようになった。そう、僕が参加することになったのはその裁判員裁判で、これまで見ていたのはその資料だ。この死者たちの中で、天国に送るのにふさわしいのは誰で、地獄に送るしかないのは誰だろうか・・・・・・。

 「招待状で召喚された裁判員が、誰に天国への招待状を送るかを決めるわけか」とスカしてでもみなければ、あまりの重圧に押しつぶされてしまいそうだ。

 ゴオオオンン・・・・・・。ゴオオオオンンン・・・・・・。

 僕の意識が参加している霊界法廷に大きな銅鑼の音が鳴り響いた。

 法廷の隅に座って書記を務めている鬼が、立ち上がって大声を張り上げた。

「ご静粛にお願いいたします! 裁判長を務める閻魔大王が入場されます!」

                                 (了)