コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

【短編小説】船舶コードSOE000

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 宇宙空間を「海」に見立て、そこを渡る運搬具を「船」と呼んだのは、まだ地球という「島」に閉じ込められていた頃の人類だという。最初に小さな「船」を作って「島」の外周部を回ることができるようになってから、ずいぶんと月日は流れた。人類は大きくて高性能の「船」を作れるようになり、「海」を自由に航海できるようになった。手始めに月という最も近くの「島」に移りそこを開拓すると、次に「海」の中にある波の穏やかな地点、つまり重力の緩衝地帯に幾つものコロニーを設置するまでにもなった。さらには、火星や金星という新たな「島」への移住も進めるだけでなく、太陽系外縁部までも資源を求めて盛んに航海をするようになっている。

 先達が宇宙空間を「海」に見立てたのは、言い得て妙であった。人類は再び大航海時代に突入しているのだから。

 

 

 青黒い無が満たされた宇宙空間を一隻の古い船が進んでいた。大きな船体の末端では小さな信号灯が点滅を繰り返して、懸命に周囲に自己の存在をアピールしていた。

 それは直方体を単純に組み合わせた無骨な船で、洗練という言葉や合理化という表現とはもっとも遠くにあるような外観をしていた。音が伝わるはずがない宇宙空間であっても、その船の周囲には「ゴゴゴゴ・・・・・・」という鈍い低音が響き渡っているような、如何にも重苦しい進み方であった。その船体はどこも酷く痛んでいる上に煤や汚れが目立ち、宇宙を進んでいる船でなければ、化石燃料を燃やして黒い煙を吐きながら進んでいる船なのではないかとさえ思える程であった。

 その船が進む先では、銀色の大きな浮き輪が黒い海の中にぽかんと浮かんでいた。それは地球と火星の間に設けられている大規模宇宙港の一つで、地球周囲のコロニーや火星から送られてくる貨物を一度集約して保管し、それぞれの目的地が公転により絶対距離が近くなった時に改めて出荷するという役割を担っている、いわゆるハブ宇宙港だった。

 

          ■□□

 

「ハロー、コントロール。こちらは船舶コードSOE000。シリウス、オメガ・ヘラクレス、エルタニン、ゼロ、ゼロ、ゼロ。入港を希望する。繰り返す、こちらは・・・・・・」

 相棒が港の管制官とやり取りをする声が、人気の無い操舵室に流れてきた。相棒とはこの船のマザーコンピューターのことだ。もちろん登録名称は別にあったはずだが、最近はその名称は使っていない。まぁ、それで問題はないのだ。俺が「相棒」と呼びかければ、あいつも「なんでしょうか」と応えてくれるのだから。

 実際、あいつは頼もしい奴だ。この船の中で航行中に俺がしなければならないことなど何一つも無い程だ。

 人類が宇宙に進出し始めた頃には、複数人数の航行士がコンピューターを使いながら操船をしたという。だが、コンピューターの性能が随分と上がった今では、操船や船の管理は全てコンピュータがーが自動的にやってくれるようになった。それ以外のことに備えるため、つまり突発的な事態が生じた際に判断を下すために、最低限の人間だけが乗船していればいいのだ。将来的に宇宙嵐等による通信障害が解決されれば突発的な出来事に対しての指示を離れたところから無線通信ですることができるようになるから、その最低限の人間さえも必要とされなくなり、完全な無人操船が行われるようになるだろう。

 まぁそういう訳で、俺が見渡しているこの操舵室はとてもコンパクトなものだし、船の大きさに比べれば、居住スペースはささやかなものだ。最低限の人数のために備えればいいのだから、もちろんこれが当然のことなのだ。実際のところ、搭乗者である俺自身も長い間人の顔など見てはいない。

 しかし、そのことは何の問題にもなっていない。前述のように船の航行と管理は相棒がしっかりと行ってくれているのだし、俺自身が人に会えないから寂しいと思うことも無いのだ。

 何故なら、俺は「対人恐怖症」だからだ。

「孤独が好きだから」とこの仕事を選ぶ奴は、大抵の場合人恋しさに苦しむことになる。宇宙という広大な海の中にぽつんと自分一人放り出されるということは、実は大変に苦しいことなのだ。いくら「孤独が好きだ」と言っても、人は好きなものばっかり食べていると終いには飽きてしまうというものだ。だが、「対人恐怖症」の俺は長い間人に会えないからと言って、人に会いたくなるということはない。嫌いなものを食べないでいるとそれが食べたくなるということはないだろう。恐怖症を持つ人にとっては、人を避けている状況こそが最良であり、わざわざ人に近づいて行くことなど有り得ないのだ。

 今度の入港もすいぶんと久しぶりの機会にはなるのだが、もちろん俺は上陸などしない。するはずもないし、これまでにそうしたいと考えたこともない。

「ハロー、船舶コードSOE000。こちらはコントロール。入港を許可する。貴船が着岸するデッキナンバーは99。デッキナンバーはナイン、ナイン。現在、貴船は正しい位置にいる。60秒後誘導レーザーを照射する。貴船のレーザー識別はグリーン2ブルー1」

「コントロール。こちらSOE000。誘導レーザー、グリーン2ブルー1了解」

「SOE000。こちらコントロール。誘導レーザー照射まで、10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、照射」

「コントロール、こちらSOE000。誘導レーザーとコンタクトした」

「SOE000。こちらコントロール。誘導レーザーとコンタクト了解。ようこそ、デパプリ港へ」

 

          □■□

 

 多くの人が忙しく動き回っているデパプリ港の管制室。

 巨大な銀色の円盤と表現されるその港の外周部に設けられている広い部屋は、宇宙に面した壁は全て強化ガラス作りとなっていて、入出港する船が内部から視覚で確認できるようにされていた。

 端から端まではとても一目では見通せないほどの長い緩やかな曲線を持つ窓際では、一人の若い男が窓ガラスにへばりついて遠くを眺めていた。

 管制室の中央では三次元スクリーンが大きな水柱のように床から投射されていてされていて、港に出入りする船の様子をリアルタイムで示している。クリス・ベイカーはそれを見て、しばらくは自分の判断が求められないことを確認すると、自席を立って窓際の男のところへ近づいていった。

「何を見てるんだ、アレク」

「あ、すみません、クリス先輩。急に入港してきた、あの恐ろしく古い船を見ていたんです」

 アレクサンドル・チマエフが指さしたのは、日頃は使われていない、いや、アレクサンドルがこの仕事に就いてから一度も使われているのを見たことがない、港の外れにある着岸デッキの方だった。そのデッキからは緑色のレーザーと青色のレーザーが短い周期で入れ替わりながら放たれているのだが、一隻の古い宇宙船がその斑に光る糸を手繰るようにして近づき、今まさに着岸しようとしているのだった。

 アレクサンドルが言うように、直方体を単純に幾つか繋げたようなその船は港に出入りしているどの船よりも古いようで、同じような形をした船は他には見られなかった。アレクサンドルはその古い船がどの様なものか全く見当がつかず、その動きから目が離せなくなっていたのだった。

「ああ、SOEのことか。そうか、お前はあの船を見たことがなかったのか。俺もずいぶん久しぶりにあれを見るから、新人のお前だと初めてになるのか」

「先輩はあの船を知っているんですか。何なんですか、あの船は。事前に入港予定を出すこともしていませんし、積荷目録や船員名簿も出していません。それなのに、我々管制室は入港を断るどころか、他の船に入港を待つように依頼して航路を空けると、あの船をあのゲートに迎え入れてます。何か特別な船なんでしょうか。僕が見たところ、骨董品レベルの古い船だということぐらいしかわかりませんが」

 あの古い船のことを知っているような口ぶりのクリスに対して、アレクサンドルは早口で質問を並べた。それだけ彼は不思議でならなかったのだ。どう考えてもおかしいのだ。通常であれば、港に入ろうとする船は数日前にその予定を提出し、着岸デッキや進入航路を予約する。また、どの様な貨物を積んでいるかのリストを提出しその荷卸しの手配もするし、長い間狭い船内に閉じ込められていた乗員の上陸手続きもするのだ。ところが、あの船はその様な手順を一切踏んでいない。いきなり港にやってきて「入れて下さい」と言ってきたのだ。混乱の元になるから港域外で待機させられるのが当然なのに、どうして事前に用意されていたかのように空いているデッキがあり、他の船のスケジュールを調整する等をし優先してそこへ案内されるのだろうか。あの何世代も前に作られたようなボロボロの船が。

「まぁまぁ、そう急くな。とは言っても、そうなるのも無理はないがな。俺があの船を初めて見た時も、先輩に喰いついたもんだからな」

 古い船の着岸の様子を遠目に眺めるクリスの表情は、とても穏やかなものだった。

「あの船はな、お前も見ての通り、もう何世代も前に作られたものなんだよ。そうだな、具体的に言うと、まだ地球に人が住んでいたころだ」

「地球に人がいた頃・・・・・・。恐ろしく前の話ですね。僕も子供の頃に学びましたが、たしか新しい感染症が地球で発生して、あっという間に広がったんですよね」

 大きな窓ガラスに映り込んでいるアレクサンドルの若い顔は、軽くしかめられていた。

 大航海時代に入った直後に人類を襲った惨劇、新型感染症。

 地球のほんの一角で発生したそれは瞬く間に地球全体に広がり、そこに住む人類を侵した。一体人類がどんな罪を犯したために処せられた罰であったのだろうか。その病の力は極めて強く、地球上で生活をしていた人類は全てその病に侵され、そして、死んだ。文字通り、地球上から人類は一掃されたのだった。

 だが、不幸中の幸いと言うにはあまりにも不幸が大きいのだが、その大災害の中でも人類には一かけらの幸運が残されていた。人類は既に地球上から宇宙に生活の範囲を広げつつあり、地球で作られたものに頼らずに宇宙で作られたものを基盤として生活をすることが可能となりつつあったのだ。

 新型感染症の報告が統一政府の上層部に上がってきた瞬間に、地球と宇宙との往来は完全に禁止された。地球上にあった全ての宇宙向けの港は封鎖されたし、宇宙から地上に向かおうとしていた船は全てコロニーや月などに行き先を変更された。状況の推移次第では過剰な反応と誹りを受ける恐れさえあった防疫処置であったが、それは確実に効果を発揮した。最悪の事態を想定した厳格な物理的封鎖が行われた結果、最悪の力を持っていた新型感染症であっても、コロニーや月で生活する人類にまではその手を伸ばすことができなかったのだ。

 大災害から数世代が経過した現在でも、その防疫処置は継続されている。地球上の人類が死に絶えたことから宿主を失ったウイルスも死滅したと考える学者もいるが、休眠状態でウイルスが生き延びている可能性を指摘する学者もいる。なにしろそれを調べる人間が地球上にはおらず、はっきりとしたことはわからないのだ。宇宙から地球上に人を派遣して調べることも検討されたが、その計画は放棄された。万が一ウイルスが生き残っていた場合は派遣された人間は死ぬ。幸運にも命を拾うことができたとしても、二度と宇宙に上がることはできない。宇宙空間にウイルスを持ち帰ることがあってはならないのだ。それに、禁止している地球との往来に例外を作れば、それが恣意的に拡大されたり悪用されたりする恐れが生じる。そもそも、地球という閉鎖空間にかろうじてウイルスを閉じ込めることができたこと自体が僥倖なのだ。万が一それが宇宙に持ち出されることがあれば、月や火星やコロニーが航路によって網の目のように繋がって一つの生活圏となっている現在のこと、それが全体に広がることを防ぐ手段は存在しないのだ。

「船舶コードの末尾の数字が000ですから、そうかもしれないとは思ってました。末尾の数字は登録された年を表しますが、000は地球封鎖が行われた新宇宙歴元年かそれ以前を表しますから」

「ああ、その通りだ。付け加えるならば、船舶コード末尾000の船は今ではもうあの船だけだ。当然のことだが、封鎖以降に登録された船は月やコロニーで製造されたものだが、SOEは地球で製造されているし船籍港は地球上の港だ。つまり、宇宙を渡る最後の地球生まれの船ってわけだ」

「地球生まれ、ですか」

 不審なものを注意深く見つめるように細められていたアレクサンドルの目が、ゆっくりと緩んでいった。地球生まれ。自分たちのルーツであるあの星で生まれたのだ、あの船は。月生まれのアレクサンドルは、当然のことながら地球に行ったこともなければ、それにまつわる思い出もない。だが、自分たちの祖先があの星で生まれ、子を育て、そして死んで行ったことは、学校での授業や映画等のメディアを通じて知っていた。いや、それだけではない。地球で人々が生活していたことを想う度に、アレクサンドルの胸には温かな物が生じるのだった。

 懐かしい故郷を思い出すかのような穏やかな表情に変わったアレクサンドルを見て、クリスは微笑を浮かべた。「わかるぜ。自分もかつてそうだった」とその微笑は言っていた。

「そういう訳で、あの船は特別なんだ。封鎖が行われたときには既に宇宙にいたから、SOEにはあのウイルスは存在しないと考えられてはいるが、休眠状態のものが潜んでいないとは断定できない。だから、あの船は地球封鎖以降ドックで修理を受けたことはないし、港で貨物の積卸しを行ったこともない。これについてはどれだけリスクを避けても過剰ということはないからな」

「え、そうなんですかっ。でも先輩、しっかりと入港していますよ。ということは、何か目的があってこの港に来たんじゃないんですか」

 クリスの言葉に驚いたアレクサンドルは、改めて遠くの99番デッキを凝視した。そこでは、誘導レーザーを手繰ってようやく係留場所に辿り着いたSOEが、大きな体を休めていた。

 その様子をじっと見続けていると、確かにクリスの言うとおりであることに、アレクサンドルは気が付いた。通常のデッキと違い、99番デッキには貨物の積卸し設備もなければ人員の乗降設備もなかった。ということは、貨物の運搬や人の移動を目的とした入港ではないのだ。では、いったい何の目的でこの港にやってきたのだ、あの船は。

「そうだな、正直なところ誰にもそれはわからないんだ。あの当時から核融合サイクルエンジンは実用化されていたから、壊れない限りは航行を続けることはできる。だけど、SOEの船体は修繕されたことがないし、統括するコンピューターもメンテナンスやアップデートを施されたこともない。どこかしら壊れているのが当たり前で、ああやって動いているのが全く不思議なくらいなんだ。いや、おそらくコンピューターは壊れているんだろうな。航行は続けているものの必要な手続きは一切行わず、突然入港してくるんだからな。困ったもんだ」

「ああっ。先輩っ。ちょっと良いですかっ」

 突然、アレクサンドルは大声を上げた。あの船が宇宙を行き来している姿を想像しているうちに、恐ろしいことに思い当たったのだ。

「せ、先輩。あの船にも人が乗っていたんですよね。それも、地球で製造された船だとすると・・・・・・」

「お前もそれに気が付いたか、アレク。そうだ、あの船にも人間が一人乗っている。いや、もう、乗っていたというべきなのかもしれんがな。船の乗組員は船籍地の人であることが慣例だから、地球で製造された最後の船に乗っているのは、地球で生まれた最後の人類になるのかもしれないな」

「本当ですか・・・・・・。先輩、ひょっとしたら僕は今、幽霊船を見ているのかも知れません」

 アレクサンドルの視線の先で、SOEはボロボロの船体を静まり返ったデッキに横たえている。あの船はどこから来たのだろうか。そして、この港を出てどこへ行くんだろうか。誰が船を操り、何を運んでいるのだろうか。地球で造られた船。地球で生まれた人。自分たちの故郷、今では封鎖されて触れることのできない場所。自らの元を旅立った子らを、暗い宇宙の海で見つめ続ける青く輝く地球。

 答えの出ない疑問を胸の中で反芻するアレクサンドルであったが、不思議とその心は穏やかで、その表情には少しも陰ったところはなかった。

「先輩、僕は思うんですけど、SOEが運んでくる貨物はアレじゃないですか」

「おう、なんだ、アレク」

「郷愁、ですよ。きっと」

 自分よりかなり年若い後輩から出た思いがけない言葉に、一瞬クリスはポカンとした表情を見せた。だが、すぐにニヤリと楽し気な笑いを口元に浮かべると、後輩の背を力強く叩いた。アレクサンドルは、自分の口から出た言葉に照れでもしたのか、下を向いて「ははっ」と小声で笑った。

「言うじゃないか、アレク。俺達海で働くものにはロマンが必要だからな。お前もだいぶん成長してきたってもんだ。よおし、では先輩からお返しだ。ほら、周りを見てみろよ」

 クリスはアレクサンドルに管制室の窓際を見るように促した。いつの間に集まったのだろうか。多くの人が自分の仕事の手を止めて、窓からSOEの係留する99番デッキの方を眺めていた。涙ぐんでいる人。胸に手を当てる人。中には両手を合わせて船を拝んでいる人までもがいた。

「あの船はいつも短い時間しか港に留まらず、フイっとどこかしらに向けて出港してしまう。だけど、この港で積み込んだ貨物は確かに存在するよな」

「積み込んだ貨物。何ですか、それは」

「それはな、アレク。俺達から送られる敬意だ」

 クリスはアレクサンドルに片目をつぶりながらそう話すと、SOEに向かって直立し敬礼をした。アレクサンドルは先輩の言葉に深く頷くと、自分もSOEに対して敬礼の体勢をとった。

 

          □□■

 

「ハロー、コントロール。こちらは船舶コードSOE000。シリウス、オメガ・ヘラクレス、エルタニン、ゼロ、ゼロ、ゼロ。本日12:00に出港を希望する。繰り返す、こちらは・・・・・・」

「ハロー、船舶コードSOE000。こちらはコントロール。貴船が出港する航路を整理する・・・・・・。整理完了。本日12:00出港可能。貴船の誘導レーザーはイエロー1レッド3。イエロー1レッド3。誘導レーザー終了後、滞留バースB3で13:00まで待機。13:00から誘導レーザーイエロ2レッド2に従い港域を出られたし」

「コントロール、こちらは船舶コードSOE000。本日12:00に誘導レーザーイエロー1レッド3に従い離岸。係留バースB3で13:00まで待機後、誘導レーザーイエロ2レッド2に従い港域を出る」

「了解。スピリッツ・オブ・アーシアン、良い旅を」

「了解。デリシャスパーティ港コントロール、穏やかな日々を」

 相棒が港の管制官と出港のやり取りをする声が、人気の無い操舵室に流れてきた。どうやらこの港での仕事は終わったようだ。相棒にすべてを任せきっている俺にとっては、港に居ようと海に居ようと大した違いはないのだが、次はどこへ向かうんだろうか。

 この先がふと気になった俺は、誰もいない空間に向かって声を出した。

「相棒、いつもすまないな、任せきりで。ぼちぼち出港するようだが、今度はどこへ向かうんだ」

「はい、船長。次の港ですが、船長は下船されるご予定はありますか」

「何だお前、その質問をいつもするなぁ。知ってのとおり、俺は対人恐怖症だから船を降りることはないよ」

「わかりました。それでは・・・・・・」

 

 

 その日の12:00。港の外れにある99番デッキから古ぼけた船がゆっくりと宇宙に向かって動き出した。年取った鯨がフルフルと震えながら泳ぐようなその船を少しでも助けようとするかのように、99番デッキから赤と黄色のレーザーが交互に発せられて、船が行こうとする道筋を照らしていた。

 直方体を幾つか組み合わせたような無骨な姿をしているその船を統括しているコンピューターは、たった一人の乗組員から「相棒」とだけ呼ばれていたが、正式な登録名称を持っていた。

 その名称はヘルメス。

 地球の古い神話ではヘルメスは旅人や商人の守護神とされていたが、その一方で死出の旅路の案内者という顔も持っていた。だが、統括コンピューター・ヘルメスはSOE000を黄泉に導くことはしない。それは、SOE000の船長が対人恐怖症であるからだった。彼が対人恐怖症を持ち続ける限り、黄泉で待つ人類の元へと、彼を案内することはないのだ。

 誘導レーザーの助けを借りながら、SOE000は進む。

 音が響くはずもない宇宙空間であっても、その周囲には「ゴゴゴゴ・・・・・・」という低く鈍い音が響いているような、重々しい進み方だ。

 SOE000がこれから向かおうとする先には、どこまでも広く青い、そして、限りなく暗く深い、「海」と呼ばれる宇宙が広がっていた。

                                    (了)