コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

【掌編小説】セバビ ヅオレダグヘバ ジャレデ

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 冬さんと春さんが「今日は俺の日だ」と争い合うこの季節だけど、どうやら今日は春さんが勝ったみたい。ポカポカと暖かで、なんだか開放的な気分になる。

 ビジネス街の一角、壁一面に無機質なガラスをずらっと並べてツンとすまし顔をした15階建てのビル。その一階に入っている喫茶店は、屋外のオープンスペースに並べたテーブルまでお客さんでいっぱいになってる。

 歩道の脇で真面目に整列している街路樹さんが、春の日差しをいっぱい受け止めようと広げた枝葉の下で、あたしはぼんやりと佇んでいる。

 何とは無しにボーと、喫茶店のお客さんの様子なんか見ちゃったりして。

 サラリーマンの人だろうか、男の人が机の上に置いたノートパソコンを覗きながら、コーヒーを口に運んでいる。

 あちらでは、女性が3人集まってキャッキャキャッキャしている。春休みの女子大生さんかな。空いている椅子の上に脱いだコートを山積みにして、テーブルの中央に置かれたお皿をスマートフォンで撮影している。うわ、あのお皿、カワイイッ。小さなニャンコが集まってお花見してるっ。あれ、アイスやクッキーで作られてるんだよね。そりゃ、撮るでしょ、アゲるでしょっ。

 えーと、女子大生さんから離れたあちらには、と。あ、幼稚園ぐらいの男の子を連れたママさんだ。男の子は新幹線の形をしたお皿に盛られたお子様ランチを頬張っている。ママさんはその子のほっぺについたケチャップを紙ナプキンで拭ってあげたり、食べやすいようにハンバーグを小さく切ってあげたりと大変そう。そう言えば、ママさんの前に置かれているサンドイッチ、全然減ってないみたい。大変だなぁ、ママさんって。

 ふふふっ。こうしてあたしが眺めていても、誰も気にしない。都会ってそうだよね。みんな何かに忙しい。それに、みんな他人には驚くほど無関心。あたしは田舎育ちで大学になってから都会に出てきたから最初はそれに戸惑ったけど、今ではその距離感が心地良いかな。

 スフ・・・・・・。サァアッ・・・・・・。

 春風がビルの間を流れて来る。ああ、冷たくない。優しい風だ。

 シュザワワッ、ザザワッ。

 あたしの頭の上で街路樹の葉が詩を語り出した。

 木漏れ日があたしの足元でクルクルと踊り出した。

 春の空気があたしの身体を通り過ぎた。

 ここは、あたしのお気に入りの場所。本当に気持ちの良い場所。いつもあたしはこの木の下で、人が、車が、雲が、風が、そして、季節が行き交うのを眺めている。

 退屈なんかしたことがない。見ているだけで充分に楽しい。

 それに、あの人が、いるから。

 ほら。見えた。ビルのロビーにあの人の姿が。

 林先輩。あたしの大好きな人。

 うううん。違うよ。待ち合わせをしてるわけじゃないの。

 見てるだけ。それで良いの。それがちょうど良い距離感なんだ、きっと。

 距離感って大切だよね。一度だけそれを縮めようとしたことがあったけど、あははっ、失敗しちゃった。先輩は悪くないんだ。柄にもないことをした、あたしがいけなかったの。

 だから、あたしはここで見てるだけで良い。先輩を見ていられるだけで幸せ。

 

          ◆◇◇

 

「あーあ、腹減ったな。おい、林。お前も腹減ってるだろう? 近場のこの喫茶店で日替わりランチでも食わないか?」

「い、いや、今浪先輩。ここは止めときましょ。えーと、ほら、そうだ、カツカレー、今日はガンジスでカツカレー50円引きの日っすよ。ガンジスにしましょう。ガンジスに」

 ネクタイを緩めながらビルのロビーに降りてきたのは、若いビジネスマンの二人連れだった。昼食時になったので、ビルの上階に入っている勤め先から降りてきたのだ。今浪先輩と呼ばれた背の高い30歳前後に見える男はとても空腹のようで、ビルの一階に入っている手近な喫茶店で昼ごはんを食べようと考えたようだが、林と呼ばれた小柄で彼よりは幾らか若そうに見える男は、喫茶店ではなくカレー屋ガンジスでカツカレーを食べようと勧めていた。よっぽどカツカレーが食べたいのだろうか、林のその様子は、単に昼食を決めるだけとは思えないほど、真剣なものだった

「お、おう。そうかぁ、まぁ、カツカレーも良いかぁ。だけど、サービスデーだから混むんだよなぁ」

 腹を押さえながら、ぶつぶつと呟く今浪。人気メニューであるカツカレーが割引されるとなれば、ガンジスの前に行列ができているのは必至だ。だが、彼の腹は今、とにかく何か消化できるものを入れろと強く訴えているのだ。

 このビルには彼ら二人が務めている会社の本社が入居している。今浪は昨年支社から本社に戻ってきたところであり、これまでにも何度か後輩の林を連れて昼食に出たことがあった。そう言えば林は一階の喫茶店が嫌いのようでいつもそこを避けていたなと、今浪は今更ながら思い出していた。

「しっかし、林はここの喫茶店には入らないな。別にマズいとか高いとかいうこともないんだがな。ん、林、どうした?」

「いえ、すみません。別に・・・・・・」

「なんだよ、今喫茶店の方に頭下げてただろう。友達でもいるのか? あ、そうか、秘密の彼女と約束でもあったか? いいんだぜ、お前はそいつと一緒に飯食っても。俺は別のテーブルで、そっちを見ないようにするからさ。ああ、そうしようぜ。腹減ってんだ、俺。ガンジスで並ぶよりも、ここでパッと昼飯を食おうぜ」

 とにかく早く何かを腹に入れたい今浪は、そう言って喫茶店のドアを開けようとする。それを慌てて林が止めた。

「違うんです、違うんですよっ、先輩。説明しますから、ね、ガンジス行きましょう。僕、おごりますよ、カツカレー!」

「そ、そうかぁ、うーん、まぁ、お前がそこまで言うんなら、仕方ないかなぁ。だけど腹減ってるしなぁ」

 林の必死な表情と「おごる」の言葉が、今浪の足を止めた。その機を逃さず、林はロビーから外へと歩き出した。あまり大きな声では話したくないことなのだろう、今浪が聞いているかどうか確認もせず、その「説明」とやらを小声で話しながら。

「待て待てっ。わかったよ、行くよっ」

 ブツブツと独り言を呟くように話される林の「説明」は、今浪の興味を上手く掻き立てた。今浪は慌てて後輩の後を追った。

 グビィ・・・・・・ン。

 冷たい壁に囲まれたロビーから外に出ると、暖かな空気が彼らをフワッと包んだ。

「ですから、4年前のアレ。僕の大学のサークルの後輩だったんです」

「おいおいっ。何だよ、後輩だって?」

 林は下を向いて歩きながら、言葉を続けていた。少しでも早く話し終わりたいとでもいうかのように、それはとても早口だった。

「学生の時、僕は大きなイベントサークルに入っていたんです。それで、僕が4年生の時にサークルに入ってきた新入生が彼女でした。何百人もいたんですよ、僕のサークル。幽霊部員もいましたし、イベントによって参加する人も参加しない人もいましたし、正直全員の名前と顔を覚えているわけじゃなかったです。しょうがないですよね、まだ、数か月だったし。ねぇ、先輩っ」

「お、おう。おう?」

「そうですよ、僕のせいじゃない。夏休みの前、急にあの子に告白されたんです。えってなりましたよ。だって、それ以前に話したことがあったかどうかも覚えていなかったですし、そもそも彼女がうちのサークルにいたかどうかも、本当は覚えてなかったぐらいでした。だから、しょうがないですよね。ああ言ったのも。ねぇ、先輩っ」

「ああ、そ、そうだな。で、なんて言ったんだ」

 急に自分の方を振り返って詰問するような口調になった後輩に戸惑いながら、今浪は先を促した。

「だから、反射的に言っちゃったんです。君は誰だい、って。そしたら・・・・・・」

「そ、そうしたら・・・・・・。どうなったんだ?」

 喫茶店のオープンスペースの横で、林は立ち止った。

 サワン。サワワンッ。

 道路脇に並んで立つ街路樹が一斉に葉を鳴らした。

「・・・・・・だから、このビルの屋上からっ。4年前ですよっ」

 シャシャシャッ。

 ザザザアアン。

 林の言葉を頭の中で反芻したため今浪の返答が遅れた間を、街路樹たちの騒ぐ声が埋めた。

「ああっ、本社の! あれか、4年前に屋上から飛び降りた人がいたって!」

 ザワワッ! ズワッ! 

 ザザザシャアアッ!

 街路樹たちまでもが驚いたのだろうか、彼らも身体全体を激しく震わせる。

「・・・・・・そうです。・・・・・・その子なんです。その時は、良いんです、ゴメンナサイッてだけ言ってすぐにどこかに行ってしまったのに、その日の夜に、僕が内定をもらっていた会社のビル、つまり、このビルから・・・・・・」

 林の口から絞り出された声は、街路樹が騒ぎ立てる声にかき消されそうになるほど、弱々しく小さかった。

 僅かな沈黙の後、今浪はわざと明るい声を出して、後輩の肩をバンッと叩いた。

「そうかっ。それで頭を下げてたんだなぁ、お前は。わかった。俺にはわかったよ。お前は悪くない。な、大丈夫だ。だから、今日はカツカレーだ。うん、俺がおごろうっ。今日はカツカレーだっ。なっ」

「せ、先輩・・・・・・。ありがとうございますっ」

 林は営業の時にも見せないほど深々と、今浪に対して頭を下げた。

 今浪は照れくさそうな顔をしながらもう一度林の肩を叩くと、歩道の上を先に立って歩き始めた。林もすぐにその横に並んだ。

 喫茶店のオープンスペースで交わされる話し声や笑い声が、彼らの横を後ろに流れて行く。路上でパンくずをついばんでいた雀たちが、小さく鳴き声を上げて飛び立ち、今浪たちの通り道を開ける。

 歩きながら林の顔を見下ろした今浪の顔に、ふっと何かに気が付いたというような表情が浮かんだ。

「ああ、それでか。不思議だったんだよ。みんなは本社勤務を希望するのに、お前は支社に異動したいという希望をずっと出し続けていたのが。まぁ、良かったじゃないか。決まったんだろう、今度の4月」

「ええ、ようやくです。入社直後からずっと希望してましたが、やっと決まりました。今度の4月に支社に行くことになりました」

 支社行きのことを報告する林の顔は、まるで長い長い冬の後に最初の春の陽気を迎えた人であるかのように、重圧からの開放感でいっぱいだった。

 

          ◇◆◇

 

 え。

 なに。

 なんて言ったの。

「支社」って・・・・・・。なに、それ。

 この「本社」から、いなくなるの?

 ちょっと、止めてよ。

 それだけは、止めて。

 ああ、言わなくちゃ。止めなくちゃ。距離感なんて、なんて、もうっ、要らない!

 止めて止めて止めて。それだけはっ。止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めてぇ止めてぇえ止めてええっ! 

 先輩、それだけは、止めてええええ!

 

          ◇◇◆

 

 突然、ビルの間を吹き抜けていた風が止んだ。

 街路樹たちはその息を止めた。雀たちの姿はどこにも見えなくなっていた。

 耳が痛いほどの静寂に、歩道を歩いていた林と今浪は足を止めた。

 そこへ、降ってきた。

 どこからともなく、声が。

 長い間放置されていた鉄製の扉が無理やりこじ開けられた時に立てる音に似た、聞く者の舌に赤茶けた錆の味が浮かんでくるような声が。

「・・・・・・セバビィ ヅオレダグヘバッ ジャレデェェ・・・・・・」

                                   (了)