コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

【短編小説】世界で最も関心を集めた手紙

 

 

 漆黒で満たされた宇宙空間の中を、寄り添うようにしながら進んでいる二つの銀色をした球体。

 それらは、同じように宇宙に浮かんでいる巨大な星々と比較すれば極めて小さな存在であったが、星々の周囲に無数に散在している小岩石と比べれば遥かに大きかった。また、果てしなく広がる宇宙空間の中で捉えれば、それらはただその場で浮かんでいるに等しかったが、自らに定められた軌道に従って淡々と動いている惑星や衛星の動きと比べれば、その球体は非常に高速で自由に移動をしていた。端的に表現すれば、その物体は尾を引いていない彗星のようなものだった。

 その物体をよく観察してみると、それは銀色をした金属でできている外皮を持っていて、明らかに自然のものではないことがわかる。遠目では確認できないが、その外皮の一部には窓のように見える部分や何らかの機能を持つのであろう構造物があるのもわかる。それもそのはず、その二つの物体は宇宙を旅するために綿密な設計に基づき製造された人工物、つまり、宇宙船であった。

 この宇宙船は球形をした巨大な格納庫を中心として設計されていて、格納庫の周囲には複数の環が架けられていた。内側にあるいくつかの環には無骨な直方体が取り付けられていて、ときおりその環の上を移動して場所を変えていた。また、外側の環には大小の推進装置と無数の小さな噴射装置が設けられていた。大小の推進装置は大規模な加減速や軌道修正をする際に使用するものであり、小さな噴射装置は巡航時に宇宙船の周りに電磁フレアを生成して、宇宙風を捕まえて帆走するためのものであった。

 現在この二隻の宇宙船は、それぞれの後部に集中的に配置した推進装置を最大限に使用して、できる限りの加速を行っていた。

 本来、抵抗が無いに等しい宇宙空間の旅では、重力圏にさえ気をつけて進路を制御していれば、推進装置を集中使用した急加速をする機会はほとんどない。宇宙港を出る時にゆっくりと加速した後は、宇宙風を利用して巡行するのが常だ。また、よほど遠くまで移動するのであれば、宇宙のある場所とある場所を結んでいるワームホールを利用する。つまり、この二隻の宇宙船のような動きは、通常では考えられないものだった。

 

「どうすんだよっ、ヴィータ!」

「仕方ないでしょ! こんな田舎、ワームホールが有るわけないじゃない。だから、うちの船のマザーコンピューターの計算では、まずはこのまま突き進んで、その先の恒星UK1926-2022で重力ジャンプするのが、一番効率的で速いルートになってんの。それとも、マグヌスの方では別のルートでも出てんのっ?」

 僅かに先を行く宇宙船の管制室では、船長席にスッポリと収まるように座った小柄な女性が、目の前のパネルを両手で掴みながら大声で叫んでいた。小動物の耳のように頭の上で二つに結い上げられた桃色の髪が、ピョコンピョコンと揺れていた。

 彼女の声だけが響いているその部屋には小さな観葉植物があちらこちらに置かれていて、無機質な空間に柔らかな雰囲気をもたらしている。人が十数人入ったとしても余裕をもって動き回れるほど広いその部屋には、正面と側面に大きなスクリーンパネルが備えられている。また、壁際に設けられている机上にも大小幾つものパネルが設置されていて、それぞれが目まぐるしく光を発しながら、新たな情報を乗組員に伝え続けている。

 もっとも、この部屋にはパネルの数に見合った数の椅子は置かれていない。複数のパネルが集中して置かれている船長席の他には、予備シートとして使われる引き出し式のものがあるだけだ。貨物の積み降ろしをコントロールする甲板長パネルや船の巡航管理を行う航海士パネル、それに、船全体の機器管理と船長のコールドスリープ管理などを行う副長パネルの前にも椅子はない。何故なら、そこで働くのは人ではなく、下半身に装備した無限軌道で移動するロボットだからだ。いや、ここだけではない。この船で働くのは、船長を除けば全てロボットたちだ。そのため、船長のための一部のスペースを除けば、船内はロボットファーストで設計をされているのだった。

 

「いんや、長距離を走ることが多いオマエのとこの方が計算は上だからよ、そう出ているんならそうなんだろうよ。ただ、もっと、こう・・・・・・。早く助けに行きてえんだよ。アイツをよ! くそ! いっそ、タキオンブースターでも使って・・・・・・」

「何言ってんの、学校で習ったでしょ。それはブラックホールに吸い込まれそうになった時の緊急脱出用じゃない。通常空間でそれを使って亜光速まで加速したら、この時空からズレちゃうわよ。アタシたちからすれば早くにナガタのところに辿り着けたとしても、向こうからしてみたらどれだけ遠い未来にアタシたちが来ることになるかわかんないんだから。というか、アタシたち自身が、もういまの時空に戻れなくなるんだから」

「ああ、すまねぇな。わかってるよ、十分わかってるよっ。同期のピンチなもんでな、なんとかなんねぇかと思っただけだ」

 ヴィータと呼ばれた桃色の髪をした若い女性が掴むパネルの中では、自分の赤髪を両手でグシャグシャとかき乱している、彼女と同年代の男性の姿があった。マグヌスと彼女が呼んだこの男は、相当に焦っているようだった。

 まだ二十代そこそこに見えるヴィータとマグヌスは、並走している二隻の宇宙船それぞれの船長で、同じ学校を出て同時期に航宙士として働き始めた「同期」だった。

 人類が母なる星マトズベツダを飛び出し、プロトスベダフ星系どころかベズグラニキィ銀河内までを自由に旅することができるようになったこの時代でも、依然として宇宙は危険な場所であり、不確実性に溢れた先の見通せない世界だった。また、コンピューターの性能は驚くほど上がったが、人間のように突発的な出来事に柔軟な判断を下すことができるまでには至っていなかった。そのため、宇宙を渡る船には航宙士として人間が最低一人は乗船し、航行や貨物の積み卸しにおける総合的な判断を下す必要があった。

 しかし、これには大きな問題が存在していた。

 宇宙へと生活の場を広げることには成功した人類だったが、それはあくまでも三次元世界での出来事に過ぎず、「時間」という別の次元には積極的な干渉ができていなかったのだ。

 如何に宇宙船の航行性能が向上したと言っても、遠くの星へ行くためには多くの時間が掛かる。「ワームホール」という、宇宙のこちらの場所からあちらの場所へ通り抜けることができる「抜け道」は発見されていたが、それは自分たちの都合の良い場所ばかりにあるわけではない。そのため、航宙士は乗り込んだ宇宙船の中で、想像することも困難なほどの長い時間を過ごさなければならなかった。

 前述のように航宙士は人間が務めるのであるから、何もせずにいては航海の途中で命が尽きてしまう。そこで、宇宙船の入出港時や危険が見込まれる宙域を航行する時を除けば、航宙士は航海中のほとんどの時間を船内に設けられたコールドカプセル内で人工冬眠して過ごすのが常となった。

 ただし、当然のことながら、航宙士がコールドスリープをしている間も時間は経過する。航宙士が地元に残してきた家族や友人は、彼らの時間を過ごし、そして、この世界から退場していくのだ。

 多くの航宙士が、大事な人との繋がりを失うことが原因で、メンタルヘルスに問題を抱えるようになった。そして、航宙士のなり手不足は深刻化し、大きな社会的問題となった。また、人類の宇宙への進出は加速度的に進むと思われていたが、一定のところで停滞することとなってしまった。

 この問題を解消すべく中央政府がとった政策が、「同期」制度だった。

 この制度の特徴は、同じ時期に免許を取得し宇宙に出ることになった航宙士を「同期」と認定し、それ以降の仕事で使用するコールドスリープの時間が同じ程度になるように管理する、というものであった。つまり、専門学校や下積み期間を共にして同じ時期に仕事を始めることになった「同期」が、同じ時間軸で活動することになるようにしたのだった。

 もちろん、厳密に言えば、航路の違いによって同期それぞれの覚醒している時と冬眠している時のタイミングに違いはある。しかしそれは、「お互い、忙しいな。今度覚醒のタイミングを合わせて、超高速通信で話をしながら飲もうか」という程度の違いだ。休暇を取って故郷に戻ったら地元の同級生がずいぶん年上になっていた、あるいは、とうに亡くなっていたというような、大きな時間軸のズレとは訳が違う。

 依然として、航宙士として宇宙に出る以上、故郷に残した家族たちと同じ時間軸で生きることはできないと、覚悟をしなければいけないことに変わりはない。だが、自分は一人ではないのだ。自分を知り、自分と共に生きる同期が、同じ時間軸に宇宙を駆けているのだ。

 この制度が導入されて以降、精神的な問題を抱える航宙士の数は大きく減少した。さらに、航宙士のなり手不足にも改善が見られた。制度が始まってしばらくした頃から、「航宙士にとって、同期との絆は家族との血縁よりも濃い」と言われるようになるのだが、それは誇張でも何でもなく、事実そのものなのであった。

 

「ナガタの救難信号をキャッチするのが、もう少し早かったらよ。もっと上手く仕事の段取りをつけられたんだがなっ」

「仕方ないよ。この広い宇宙の中で救難信号を捕まえられる距離にいたことだけでも、神様に感謝しなきゃ。アンタだって、できるだけ早く来てくれてるんでしょ。アタシにはわかってるから」

「ありがとよ、ヴィータ。だけどよ、オレたちができるだけのことをやっても、結局最後は神頼みになっちまうのが、悔しいよな」

 画面の向こうで大げさな身振りをして嘆いて見せるマグヌスに、ヴィータは苦笑でもって答えるしかなかった。

 ヴィータは長距離貨物運搬船の操縦、マグヌスは開発中の惑星への機器運搬船の操縦に従事している。この二人が辺境と呼ばれる未開発の宙域を通りがかった時に、生物育成環境調査船の操縦に従事している同期のナガタが発信した「我レ操船不能。至急救援求ム」との緊急定型超高速通信を受け取れたのは、ヴィータの言うように幸運以外の何物でもなかった。無限とも表現される広大な宇宙の中では、如何に高速とは言え緊急通信の届く範囲は極めて限られているからだ。

 一度航海に出れば、宇宙にはどんな危険が待ち受けているかわからない。だから、航宙士同士はお互いに助け合う心を持っている。いつ困難が自分の身に降りかかるかわからず、「情けは人の為ならず」という言葉を実感することも度々あるからだ。さらに、その困難な状態に陥っている者が同期となれば、なおさらのことだ。

 もちろん、運送中の貨物や実施中の研究には、それを待ちわびている人の生活や命が掛かっていることもあるから、事故現場が遠い場所であれば、たちまち仕事を放り出して駆けつけるという訳にはいかない。今回の場合も、ナガタが緊急通信を発信した場所が、ヴィータとマグヌスがそれを受け取った場所からかなり離れたところだったので、まず二人は自分の仕事を変わってくれる航宙士を探し、しかるべきところで落ち合って貨物や調査の引継ぎをする等の調整を済ます必要があったのだ。仕方がないこととは言え、マグヌスはこのことを悔やみ続けていたのだった。「自分たちにできることはあまりにも少ない。救援が間に合うようにと、神に祈るしかないのが歯痒い」と。

 

 ビィッと鋭い警告音がマグヌスの背後で鳴った。そして、彼に対して、おそらく副長のロボットが何かを語り掛けているのが、ヴィータの耳に入った。

「チィッ、活動時間が限界に来ちまった。すぐに寝に戻らねぇと。重力ジャンプする恒星の座標を、後でこっちの船に送っといてくれ。オマエの船からのモノは受け付けるように、うちの船には言っとくからよ。まだ、オレとオマエの覚醒のタイミングはズレてるけどよ、睡眠管理はしっかりしとけよ。お前は貴重な同期だからな、ナガタのところで落ち合ったら、三人のうちオマエだけがしわくちゃのばあちゃんになってるってのは勘弁してくれよっ」

「んもう、当たり前でしょっ。座標は送っとくっ。じゃあねっ」

 マグヌスの船で鳴った警告音は、彼の時間軸管理における覚醒時間の終期が来たことを知らせるものだった。この管理を疎かにすると、「同期」の時間軸から一人だけ取り残されることになる。ナガタの事故への心配を紛らわすように冗談を飛ばしながらも、マグヌスはそれ以上会話を引き延ばしはせずに、勢いよく立ち上がった。ヴィータの方もそれは心得ているから、彼を引き留めたりはしない。冗談に対して「イーッ」と怒った顔をして返すと、すぐに通信を切った。

 久しぶりの同期との会話の後だけに、管制室に戻って来た静けさがヴィータにはいつも以上のものに感じられた。

「ナガタの船は大丈夫かなぁ・・・・・・。きちんと睡眠管理ができていると良いんだけど。ああ、神様、お願いします。ナガタを助けてください」

 真っ黒に戻ったパネルに、宙を仰ぐヴィータの姿が映り込んだ。

 だが、神に頼む前に、人間はできることをすべてやらなければならない。ヴィータは自分の頬を両手で軽く叩いて気合を入れると、副長ロボットを呼び寄せて、今後の航路の再確認及びマグヌスの船への送信を指示した。指示を受けたロボットは、航宙士パネルの前へと滑らかに移動していった。

 副長ロボットの動きを目の端で確認したヴィータは船長席の脇に置いているフォトフレームを取ると、その上で何度か指を滑らせた。そこに現れた画像は、航宙士専門学校の制服を着た若い男女三人が、思い思いの格好をしながら笑顔を見せているものだった。真ん中に位置して両手でピースサインをしている桃色の髪の女性がヴィータ、その右後ろで赤髪をかき上げながら格好をつけている長身の男がマグヌス。そして、彼の横で穏やかな笑顔を浮かべながら佇んでいる黒髪で面長の男がナガタだった。

「無事でいなさいよ、ナガタ。でないと、アタシが許さないからね・・・・・・」

 ヴィータの唇から、ポロリと独り言が漏れた。

 ナガタが遭難した場所へ辿り着くまでには、まだかなりの時間が掛かる。そして、彼女の時間軸では、マグヌスと合わせるために少しずつ調整をしているものの、この後しばらくは覚醒時間が続く。

 ヴィータは船長席の上でその小柄な体を丸め、膝を抱えた。

 彼女の独りの時間は、まだまだ続くのだった。

 

     ◆◇◇

 

「やれやれ、本当に参ったなぁ・・・・・・。もう一度聞くよ、マム。推進装置のどこかに不具合が生じているのかい」

「ハイ、船長。栄養のバランスを考慮すると、本日の食事は鶏むね肉のソテーなどタンパク質をメインにしたものをお勧めします」

「駄目かぁ。ハァア・・・・・・」

 宇宙船の船長席で大きなため息をついている、黒髪で面長の男。

 彼は自分の船のマザーコンピューターに何度も問いかけているのだったが、その度に返って来る答えは、質問と全く意味が繋がらないものだった。平たく言えば、故障しているのだ。船の運航や彼自身の睡眠管理など、宇宙空間を航行するために最も大切な部分の基礎を管理しているマザーコンピューターが。そして、おそらくは、宇宙船の各部分も。

 宇宙船が正常な航行をできなくなった原因を探りつつ、今日の夕食は鶏むね肉にしようと考えているこの男こそ、ヴィータとマグヌスの同期である、ナガタだった。

 いま彼の銀色をした宇宙船は、未開発の辺境の奥にある恒星RMBC100-BC44の第三惑星上空を周回していた。足下の惑星の表面の多くは氷で覆われており、それ以外の場所のほとんどは水で満たされていた。そこには、新たに上空に現れたキラキラと輝く存在に気が付くような生命体は、存在していなかった。

 この宙域を訪れたナガタの仕事は、未開発地域での生物育成実験であった。この恒星を重力ジャンプの支点にして更なる奥地へ飛ぼうとしていたのだが、突然宇宙船のマザーコンピューターに原因不明の不具合が生じたのだ。宇宙船の航路管理や推進装置の制御にもマザーコンピューターが関わっていることから、重力ジャンプに備えて覚醒していたナガタは急いでマニュアルに切り替えて操船をしなければならなくなった。もちろん、こうなってしまうと、極めて高度な計算と操船が要求される重力ジャンプなどできない。また、マザーコンピューターに異常が生じると船の現状把握も正確に行えなくなるから、推進装置が正常に稼働しているのか、それとも間もなく止まってしまう恐れがあるのかもわからなくなる。そのため、事故対策マニュアルでは、このような場合には推進装置が動いている間に適当な周回軌道を見つけて、そこに船を乗せて安定させることとされている。これに従いナガタが背中に冷たい汗を大量にかきながら、マザーコンピューターに頼らずに非常回路である機械・油圧制御を使ってなんとか船を導いたのが、もっとも近場にあったこの第三惑星の周回軌道だったのだ。

 誰にも頼ることができない場所を航行する宇宙船でもっとも壊れてはならない設備と言えば、宇宙船の多くの機能を司っているマザーコンピューターだ。それゆえに、長時間の耐久試験や宇宙線への防護処理など、しっかりとした故障対策は取られていたはずなのだが・・・・・・。

「しょうがない、な。結局、機械は壊れることもある」

 マザーコンピューターが壊れていて自動航行ができないとは言え、周回軌道に乗っているのだから、常時船長席に詰めている必要はない。だが、ナガタは食事を盛ったプレートを船長席に持ち込むと、そこに座ったままで湯気を立てている鶏むね肉のソテーを頬張っていた。

「うん、うん。美味しい。マムに繋がっていないコンピューターや単機能機器が生きているのは、助かったなぁ。だけど、アレはどうだろう・・・・・・、どうしたものかなぁ」

 彼がマムと呼ぶマザーコンピューターは宇宙船の主要な設備や機器に繋がっているが、もちろん、そこにある全てのものと繋がっているわけではない。食事を温めるレンジや、航行に関連しない研究ブロックのコンピューターは独立している。また、簡単な機能、すなわち、照明パネルのオンオフや空調設備のオンオフなどは、マニュアル操作に切り替えられる。さらに、短時間で簡単な操船や作業ならば、機械・油圧制御で彼自身が行うことも可能だ。

 だが、彼が示唆したアレ、つまり、睡眠管理のためのコールドスリープ装置は、そもそも、人間が眠りについている間の自動管理が前提とされており、宇宙船の航行状況によっては緊急覚醒等の柔軟な対応が必要されることから、マザーコンピューターと密接に結びつけられているのだ。マザーコンピューターに異常が生じたいま、そのコールドスリープ装置が正常に使用できるかどうか、彼には判断が付けられなかった。

 船長席の脇に置いてあるフォトフレームに表示されている画像に、ナガタは目をやった。それは、ヴィータが見た画像と同じ、ナガタ、ヴィータ、そして、マグヌスの同期三人が写っているものだった。

 船に異常が生じ正常な航行ができなくなった段階で、既に救援を求める高速通信は発信されている。前に同期二人と高速通信飲み会をした時に、ちょうどいまぐらいの時期に近くで仕事をすることになるなと話をしていたから、おそらく二人はこの救難信号を受け取ってくれているだろう。

 ナガタは、二人が自分を助けるためにこちらへ向かって来ていることを、全く疑っていなかった。もしも、自分が救難信号を受け取った側だったら、間違いなくそうするからだった。ただ、近くとは言っても、それはこの広大な宇宙の中で考えると、と言うことだ。二人がどこで救難信号を受けとってくれたかわからないが、仕事の調整を済ませてここへ辿り着くまでには相応の時間はかかるだろう。そして、それはコールドスリープを用いなければ乗り越えられない程の長い時間であることは間違いないだろう。

 ナガタは、同期と過ごした学校での日々や航宙士となった後に助け合った出来事を、思い返していた。悩んだことや辛いこともたくさんあったし、ふとした瞬間に孤独を覚えることも多かった。だが、こうして航宙士と独り立ちできたのは、同期の支えがあってのことだった。二人の顔を思い浮かべるだけで、ナガタの胸は暖かくなるのだった。

 空になった食事用プレートをフォトフレームの奥に置くと、ナガタは画像の中で笑う二人に語り掛けた。

「ごめんね、二人が来てくれる時まで待っていられるかわからない。やっぱり、機械は壊れるときは壊れるね。だけど、できるだけのことはするさ。神様に祈る前にできるだけのことをしなさいって、学校でも教えられたしね。あとさ、コールドスリープに入る前には、念のために君たちに手紙を書くことにするよ」

 

 それからのナガタの活動は、マザーコンピューターを始めとする故障個所の復旧作業に当てる時間を除いて、主に研究ブロックで行われることになった。彼の努力にも関わらず、船の故障は一向に改善されなかったことから、少しずつ彼が船長席に座る時間は減っていき、最後には一日のほとんどの時間を専門分野である生命工学に関する機器を操作することに費やされるようになった。

 宇宙の時の流れからすると認識することも困難なほどの僅かな時間、そして、限りある人の命の脈動からするとその何分の一かに値する長い時間が経過した。

 ナガタの宇宙船は、第三惑星の軌道上でいったいどれほど多くの周回を重ねたのだろうか。彼の長く伸びた黒髪には白いものが混ざり、面長の顔には深い皺が幾つも刻まれるようになった。

 ずいぶんと久しぶりに船長席に戻って来た彼は、荒れた指先で操作パネルの表面に触れた。

「ああっ、そうだっ。動かないんだよな! はははっ。学生の頃に身体に叩きこんだ動きってのは、本当に消えないもんだな。まぁ、いいや。こっちのプリント機能だけでも動いてくれれば・・・・・・。よし、ありがとうございます! 神よ!」

 船長席の主パネルは彼の指先の動きに何の反応も返さなかったが、フォトフレームは彼の指示に従い、少し離れたところに設置されているプリンターから、一枚の紙を払い出した。その紙には、あの同期三人が笑って並ぶ画像が印刷されていた。

 長い間同じ場所から動かなくなっている副長ロボットの横を通ってプリンターのところまで行くと、ナガタはその紙を手に取った。

「ヴィータ、マグヌス。こんなところまで助けに来てもらって申し訳ないな。やっと手紙が書けたから、キミたちあてに送ることにするよ。だけど、今回の事で機械には懲りた。機械は壊れるときは壊れるねぇ。そりゃ、コールドスリープは機械に頼らざるを得ないけど、この船自体もいつまで保つかわからない。手紙は別の手段で送ることにするね。キミたちなら気づいてくれるだろう。ま、念のためさ。機械が壊れないで、キミたちが来る時までボクが眠ったままで待っていられたら、それが一番なんだから」

 写真を胸のポケットに入れると、ナガタは管制室を出て行った。コツ、コツ、コツ、という彼の靴音が管制室から遠くなっていき、再び完全な静寂が部屋を満たすことになった。

 ナガタに残されたミッションは二つ。手紙を出すこと、そして、機械が正常に作動することを願いながら、コールドスリープに入ることだった。

 

 それから、わずかな時間が流れた後。

 遥かな時を経過した先の世界で「地球」と呼ばれることになる、恒星RMBC100-BC44の第三惑星。その周回軌道を回る銀色の宇宙船から、これもまた銀色をした極々小さな物体が地表に向けて射出された。恒星が放つ光を受けてキラリと輝いたそれは、宇宙船が零した一粒の涙のようであった。

 

      ◇◆◇

 

「つ、疲れたぁ・・・・・・」

 川名隆吾は自宅マンションのドアを開けると同時に、口を覆っていたマスクを剥ぎ取った。スウッと口元が涼しくなることで、これまでマスクの下がどれだけ湿気を帯びていたかが、改めて感じられた。

 玄関先にカバンを置くとすぐに隆吾は部屋の奥へ向かい、テキパキとスーツの上着をハンガーにかけ、ネクタイを取り、ズボンを部屋着のものに履き替えた。決して彼が几帳面な性格だからという訳ではない。ただ、一刻も早く楽になりたかったのだ。

 最後にワイシャツを洗濯機の中に放り込んでTシャツ姿になると、手洗いもうがいもしないままで、隆吾は柔らかなクッションの上に倒れ込んだ。

「ああ、ホント、疲れた、疲れたぁ」

 もう一度嘆息した彼は部屋の真ん中に置かれたテーブルの上に手を伸ばすと、テレビのリモコンを取り電源のボタンを押した。何か見たい番組があるわけではない。ただ、一人暮らしのせいか、部屋の中に音が無いと寂しくなるのだ。

 川名隆吾は、区役所に勤める男性だ。今年四十の大台を迎えることになる、いわゆる働き盛りの年代だ。

 東京都ではあるが二十三区ではないところにマンションを購入して、単身で住んでいる。人混みが嫌いな彼は、朝は他人よりも早く出て帰りは他人よりも遅く帰っている。通勤時間はかなりかかるから、彼がこの家で過ごす時間はたいして多くはない。もっとも、帰りが遅くなるのは彼が望んでの事ではない。忙しいのだ、仕事が。

 ポスト団塊ジュニア世代と呼ばれる彼らの世代は、就職活動の時にとても苦労した世代だ。隆吾は子供のころから本好きのおとなしい性格で、目標に向かって勉強を積み重ねることもできたから、無事に難関の公務員試験を突破することができた。だが、彼の大学や高校の同級生には、卒業時の就職活動がうまくいかず、いまでも正社員となれないままの者も数多くいる。

 就職し企業や団体に入った後も、彼らの世代のすぐ上には団塊ジュニア世代がいた。多くの企業や団体では、上位ポストよりも多くの団塊ジュニア世代社員が働いていた。つまり、団塊ジュニア世代の中には、長期間働いていても上位ポストに上がれない人間が、多く発生していたのだ。隆吾たちの世代が入社したのはその後だから、彼らが上位ポストに上がるのは、より大変なことに思われた。よほど能力がある社員、あるいは、よほど身を粉にして会社に尽くす覚悟のある人間でないと、出世の階段に足を掛けることすらできないと思われた。

 もっとも、それが不幸なことであったかというと、それ自体は隆吾にとって不幸ではなかった。彼は出世など望んではおらず、定年まで安定して働ければそれで良いと考えていたからだ。もちろん、彼はまじめな性格だったから、給料をいただく以上自分でできるだけの良い仕事で応えたいとは考えていて、与えられた仕事には全力で取り組んでいた。ただ、それと同時に、他人と争うことなどしたくない、責任ある立場になど立ちたくないというのも、他人嫌いの隆吾の正直な気持ちだったのだ。

 彼にとって不幸だったことは、そのような出世が狭き門であるという環境の中で、真面目な働きが認められて、同期の中でも早期の部類で上位ポスト、つまり、管理職へと昇任してしまったことだった。

 管理職とは部下を管理する職業だ。同僚である時には気のしていなかった職員の特徴が、部下となると際立ち、そして、負担となってくる。頼りにしていた先輩との距離感が微妙になり、指示をする度に胃が痛くなる。人間を相手にするという、もっとも自分が不得意とする仕事についてしまったのだが、それに対してもできるだけ頑張りたいという気持ちもある・・・・・・。

「ああぁ、別に自殺したいとは思わないけど、引きこもりはしたいなぁ・・・・・・」

 自分でも知らぬ間に、すっかりと疲れてしまっていたのだろう。リモコンを握る隆吾の口から、弱音が零れ落ちていた。

 

 テレビ画面に映し出されたのは報道番組で、女性のキャスターと男性の解説者が、ある大きな発見について会話を交わしていた。

「また、このニュースか。最近こればっかりやってるな」

 その番組で取り上げていたのは、アメリカで発行されている権威ある科学雑誌に先日発表された、ある「手紙」に関する論文についてのニュースで、この論文がいま全世界で様々な意見や騒動を巻き起こしているという内容だった。確かに、ここ数日はニュースだけでなくSNSやネット世界も、その「手紙」についての意見や、その意見に対してさらに付け加えられる意見などで、溢れかえっている。いまやそれは世界で最も関心を集めている「手紙」だと言っても、全く問題ないだろう。

 ネットニュースで断片的な知識しか得ていなかった隆吾は、番組の内容に興味を覚えてTVの前に座った。

 どうやら解説者は生物学の専門家のようで、この手紙はアメリカの生物科学者が人間の遺伝子情報の研究をしている中で発見したものだと説明をしていた。

 二十一世紀に入ってずいぶんと経ったこの時代、人間の遺伝子情報の分析はかなりのところまで進んでいる。既に遺伝子各所の大まかな役割は把握され、人間の病気治療でも遺伝子組み換え療法と言う神の領域に迫る方法の検討までが行われるようになってきている。

 ただ、細かなところで言えば、遺伝子を構成する物質の一つ一つの配列やそれがどういう意味を持っているのかについては、まだまだ不明な点も多い。これまでの研究では全く意味がつかめていない箇所も存在している。それに、視点を微小な点からもっと大きなところに転換すると、そもそも我々生物が何故この遺伝子を子孫に残そうとするのか、その理由もわかっていない。「本能による」と一般的には言われるが、その本能がどこから来たものかが不明だったのだ。

 今回アメリカの学者ジョン・マイケル・ハワード教授が発表したのは、これまで様々な仮説が立てられては消えていった、これらの点に関する答えだった。

 彼が言うには、我々人間を含む生物の遺伝子の未知の部分には「手紙」が組み込まれていて、その「手紙」を後代へ伝えるために生物は遺伝子を残そうとする、いや、残すように仕向けられている、というのだ。もちろん、それには「手紙」を書き、生物に「手紙」を後世に届けるように手を加えた者が必要だ。

 ハワード教授は自らが解明した「手紙」の内容も論文の中で明らかにし、それを書いたのは宇宙人であると結論付けていた。

 この「手紙」理論と「手紙」の内容が発表されたとたん、世界中で大きな騒ぎが次々と起きたと、解説者は伝えていた。

「そりゃ、これまで遺伝子の研究を行ってきた学者たちは、怒るだろうな」

 隆吾は冷蔵庫から持ってきた缶ビールに口をつけながらそう思ったが、学会の反応は他の分野での反応に比べると大人しいものだったそうだ。

 もっとも大きな反応を見せたのは宗教界で、その反応とは怒りと拒絶だった。「公開された手紙の内容は自分たちの協議に反する」というのが、彼らの反応の理由だった。成程、多くの宗教では、神が人間や生物を創ったものとされていて、それぞれが命を繋いでいくのに、「手紙」を伝えるという外部の意志が介在する余地はない。さらに言えば、生命の起源は神ではなくその宇宙人がもたらしたものだ、と言うことにすらなりかねない。ハワード教授の唱える「手紙」説を認めることは、神をも否定することに繋がるので、絶対に有り得ないという訳だった。

 それとは全く反対の領域で大きな反応を見せたのが、サブカルチャーに属するとみなされていた宇宙人信奉団体だった。彼らがこれまで探し求めていた宇宙人の存在を証明する証拠が、予想もしていない角度から与えられたのだから、色めき立った彼らは一斉に喜びの声を上げ騒ぎに騒いだ。彼らにとってみれば、ハワード教授は虐げられてきた宇宙人信奉者に福音を告げるために現れた救世者だった。

 さらに別のところで声を上げたのが、各国の軍部だった。「手紙」の内容が信用に足るものだとすると、やがて、宇宙から地球にある者が訪れることになるからだった。外部からの訪問者がある場合に彼らがまず考えることは、その者がもたらす、あるいは、もたらすかもしれない脅威に、十分に備えることだ。「手紙」が公開された次の瞬間から、各防衛産業の株価が軒並み上がったのも、その様な考え方を理解する人々が一般社会にも数多く存在することを示していた。

 報道番組が流す場面がスタジオから路上に切り替わった。どうやら、この件について世間の人々の意見を聞こうとしているようだ。

 会社員風の男性や子供を連れた女性などの数人がインタビューに答える様子が流された。もちろん、手短に編集をされたものが放送されているのだろうが、おおむね「驚いた」だとか、「よくわからなくて怖い」という感想だった。その中で隆吾の耳に留まったのが、女子高生と思われる子が、しっかりとした強い口調でレポーターに返した意見だった。

「こっちはこっちで一生懸命に生きてるんで、私たちにタダ乗りして欲しくないって言うか、なんか、迷惑って感じです」

 番組としては、彼女の意見も巷にある様々な意見の一つに過ぎないのだろう。キャスターも解説者も、特に彼女の意見に対してコメントをすることは無く、淡々と「この手紙について、様々な立場で異なる受け取り方がされています」と纏めると、新たな話題に移った。次に取り上げられた話題は、国民的歌手の訃報だった。

 隆吾の耳には、テレビから語られる新しい話題は入って来ていなかった。「一生懸命に生きているんで、タダ乗りして欲しくない」という女子高生のはっきりとした言葉が、彼の耳に残っていたからだ。彼はもはや雑音でしかなくなったテレビを消すと、スマートフォンを手に取った。新聞を取っていない隆吾は、「手紙」についてはテレビやネットのニュースを通じて、「各所に大きな衝撃を与えているもの」としてしか知らなかったのだが、その内容がどのようなものかを詳しく知りたくなったのだ。

 スマートフォンで調べてみると、権利の関係か、あるいは、その内容に公開できない部分があるためか、ハワード教授の論文そのものはもちろん、そこで発表されているのであろう「手紙」全文を無料で読むことができるサイトは無かった。論文が発表された科学雑誌のサイトでは、論文に関する日本語での簡単な紹介と英語で記された論文の有料購読案内があるだけで、彼が捜していたものは見つからなかった。

 ただ、どうやら「手紙」の概要、あるいは、要約のようなものは、公式に公開されているようで、おそらくは科学雑誌の出版社から権利を買い取ったのであろう新聞社や雑誌社のホームページで、それを日本語に翻訳したものを公開していた。

 ネット界の住民の一部は、「その未公開の部分には、地球滅亡の年月日とその原因が記されていて、国民がパニックになるのを恐れた政府が非公開にしている」だの、「不老長寿の秘術が記されている部分を伏せて、上級国民だけで独占しようとしている」等として騒ぎ立てていたが、隆吾にとっては、この新聞社の記事だけでも、十分にありがたかった。

 

 ハワード教授が発表した論文で触れられている「手紙」の概要は以下の通りです。

 

 やあ、〇〇〇〇〇〇。(解読不明)(翻訳者注:原文ママ)

 この手紙を君たちが読んでいるということは、どうやら僕は君たちを待つことができなかったということだ。

 こんな遠いところまで君たちを呼びよせてしまって、全く申し訳なかった。

 だけど、ありがとう。

 機械は壊れる。だけど、人の心の繋がりは、そして、同期の絆は壊れることは無い。

寄る人の無い宇宙を行き孤独を覚えた時も、君たちがいま同じようにこの宇宙を旅していると思うと、僕は決して絶望はしなかったよ。

 君たちが居てくれて、僕は本当に幸せだった。

 さようなら。君たちの航海が安全でありますように。

 君たちを、愛している。

 

 〇〇〇〇(解読不能)(原文ママ)

 

     ◇◇◆

 

 ガラガラガラ・・・・・・。

 隆吾は部屋の窓を開けると、小さなベランダへ出た。

 そろそろ日付が変わろうかという時間だったから、ひんやりとした外の空気が早速隆吾の身体を冷やしにかかり始めた。

 彼が住むマンションの周辺はまだ完全に宅地化されておらず、農地や雑木林も多く残されていたから、カーテンを閉めて部屋の中から漏れ出る光を遮ると、途端に暗くなった。「きっと海の底はこういう感じなのだろうな」と、隆吾は思った。

 隆吾はテレビで見た女子高生の顔を思い浮かべた。彼女の言葉は、まだ彼の耳に残っていた。

「俺も一生懸命に生きているんだけど、やっぱり色々としんどいよ。人間って、すっごくめんどくさいよ」

 視線を上げて、濃紺の夜空に浮かぶ月を見る。星の数を数える。

「だけど、まぁ、いいか。なんだかな、そんな気もしてきたんだ、あの手紙を読むと。だってさぁ・・・・・・」

 黄色や白色、あるいは、赤みがかった色など、種々の輝きを放つ星たちの中に、キラリと銀色に光る星が見えた、ような気がした。

 隆吾は星空に向かって手を差し出し、それを大切に掌に乗せるようなしぐさをした。

「だって、人間の身体の幾らかは、間違いなく優しさと感謝でできている。単純かも知れないけど、そう思うんだよ・・・・・・」

                                 (了)