コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 第269話

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(これまでのあらすじ)

 月の巫女である竹姫と、その乳兄弟である羽磋。月の巫女としてではなく、素の自分の居場所が欲しいと頑張る竹姫に、羽磋は「輝夜」(かぐや)の名を贈り、自分が輝夜を望むところに連れて行くと約束します。それは二人だけの秘密でした。しかし、大砂嵐から身を守るために月の巫女の力を使った竹姫(輝夜姫)は、その大事な秘密を忘れてしまいます。月の巫女はその力を使った代償として自らの記憶・経験を失い、最悪の場合は、その存在が消えてしまうのです。それを知った羽磋は、輝夜姫が無事に生を全うして月に還ることができる方法を探すため、肸頓族の阿部の元へと旅立ったのでした。

 

※これまでの物語は、「月の砂漠のかぐや姫」のタブでご覧になれますし、下記リンク先でもまとめて読むことができます。

 

www.alphapolis.co.jp

 

 

【竹姫】(たけひめ)【輝夜姫】(かぐやひめ) 月の巫女とも呼ばれる少女。人々からは「竹姫」と呼ばれる。羽磋に「輝夜」(かぐや)という名を贈られるが、それは二人だけの秘密。

【羽磋】(うさ) 竹姫の乳兄弟の少年。貴霜(くしゃん)族の有望な若者として肸頓(きっとん)族へ出されることとなった。大伴の息子。幼名は「羽」(う)。

【翁】(おきな) 貴霜族の讃岐村の長老。夢に導かれて竹姫を拾い育てた。本名は造麻呂。

【大伴】(おおとも) 羽の父。貴霜族の若者頭で遊牧隊の隊長。少年の頃は伴(とも)と呼ばれていた。

【阿部】(あべ) 大伴の先輩で良き理解者。肸頓族の族長。片足を戦争で失っている。

【小野】(おの) 阿部の信頼する部下。片足を失くした阿部に代わっ

て、交易隊を率いている。小野と言う名前だが、30代の立派な成人。

【御門】(みかど) 月の民の単于(王)。

【冒頓】(ぼくとつ) 烏達渓谷の戦いで大敗した匈奴が月の民へ差し出した人質。匈奴の単于の息子。小野の交易隊で護衛隊長をしている。

【苑】(えん) 匈奴から冒頓に付き従ってきた従者の息子。成人していないので、親しいものからは「小苑」(しょうえん)と呼ばれる。

【王花】(おうか) 野盗の女頭目

【王柔】(おうじゅう) 王花の盗賊団の一人。交易隊の案内人。

【理亜】(りあ) 王柔が案内をしていた交易隊が連れていた奴隷の少女。

 

 

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【第269話】

 母親は娘の顔を思い浮かべました。真っ先に浮かんできたのは、彼女が元気にしていた時の笑顔ではなく、彼女が病気になってからずっと見せていた苦しげな表情でした。その娘の顔を思い出したとたんに、母親は急に胸が締め付けられるように感じられ、激しくせき込み出しました。病気の娘を一人で村に残してきたことへの負い目と彼女がいまも生きて自分を待ってくれているかという不安が、彼女の心を槍でザクザクとつくように激しく攻め立て始めたのでした。

 母親は涙で地面を濡らしながらも震える手をできるだけそっと伸ばして、風に揺れる薬草の茎に優しく触れました。

「お願いだよ。どうか死なないで、お母さんが帰るのを待っているんだよ」

 心の中でそのように強く念じながら母親は薬草を土から引き抜き、その根から丁寧に土を落とすと、ギュッと胸に押し当てました。

 ヒュオオオッ・・・・・・。

 これまで母親の身体を叩いていた冷たい風とは明らかに異なる空気の流れが、山肌に沿って駆け上がってきました。

 母親は万が一にも薬草が吹き飛ばされないようにと、それを両手で胸に押し当てたままで目をつぶりながら身体を丸くしました。

 そのため、母親は見ることができなかったのでした。

 たったいま急に湧き上った空に向かって昇る風の流れの中に、柔らかな黄白色の風と清らかな白色の風の流れが混ざっていて、その二つの流れが絡まり合いながら高く高く上がっていくところを。そして、その黄白色の風は自らの胸の中から、また、白色の風は胸に押し当てた薬草から生じていたことを。さらには、それらの風が昇っていくその先には、まるで母親の行動を見ているかのように青空の一角で薄ぼんやりと光っている月があったことを。

 強風は瞬く間に空へと駆け上がっていきました。身体を丸くして大事な薬草を抱え込み、目を閉じてひたすらに災い除けのまじない言葉を唱えていた母親は、身体に当たる風の勢いが元のものになったことを感じて身を起こしました。

「風が弱くなったこの時を逃しては、天候が悪化して山を下りられなくなるかもしれない」

 そのように思った母親は、自分が持ち歩いていた擦り傷だらけの皮袋の一番奥へ薬草を仕舞うが早いか、むき出しの岩肌が目立つ険しい山道を飛ぶように下り始めたのでした。

 

 母親の記憶を追体験している羽磋と王柔。それぞれが母親の目を通して周囲を見ているようでもあり、俯瞰した位置から全体を見下ろしているようでもありました。また、それだけではなくて、母親の意識とは離れてお互いで会話をかわしたりもできました。

 この時、王柔は母親の気持ちに感化されて、「娘が病気に負けないで生きて自分を待ってくれているだろうか」という心配と、「一刻も早く薬草を娘に届けなければいけない」という焦燥感を、強く感じていました。同じ感情は羽磋の心の中にも生じていましたが、彼には他に強く気になったものがありました。それは、強風と一緒になって月に向かって巻き上がった黄白色の風と白色の風でした。羽磋には、それらが母親の胸と薬草から流れ出しているように見えました。

「あの風はなんだろう。ひょっとして・・・・・・」

 羽磋は自分の心がザワザワッとするのを感じ、皮袋の中から狐の面を取り出そうとしました。大伴から渡された狐の面を被ってその二色の風を見ることで、「風に精霊の力が働いているのかどうか」を確認しようとしたのでした。でも、いま羽磋たちがいるのは濃青色の球体の中。自分の身体があるようでない場所です。彼の手は背に背負っているはずの皮袋を探り当てることはできませんでした。

「ああ、駄目か。狐の面を通してみれば、精霊の力が働いているかどうかわかったのに。でも、しょうがないか。昔話にうたわれるような万病を癒す力を持つ薬草であれば、精霊の力が働いていても当然かもしれないしな」

 羽磋はそのように呟いて、自分の心を落ち着かせようとしました。

 舞い上がった二色の風が精霊の力の現れであったとしても、彼がつぶやいたように母親がここで見つけたのは非常に不思議な力を持つと昔話でうたわれる薬草でしたから、その薬効が精霊の力によるものと考えれば、舞い上がった風に精霊の力が現れていてもおかしくはないのかもしれません。それに、よくよく考えてみれば疑問を持ち続けても仕方がないのです。これは既に終わった出来事で、彼はそれを追体験しているだけなのですから。疑問を解く手段がない以上、なんとか納得して忘れてしまう以外にできることは無いのです。

 それでも、彼の心の奥底には、小さな違和感が残り続けていました。

「あの二色の風、やっぱり精霊の力の現れに思えるけど・・・・・・。それが現れるのが、どうしていまなんだろう。それを煎じて娘さんに飲ませるときなら、腑に落ちるのだけど。それに、どうして母親の胸からも風が月に向かって上がるのだろう。なんだか、それで月が何かを知ろうとしているような気がする。でも、いや・・・・・・」