コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

【短編小説】猫飯店事件

 

 

「弥永部長、片野先輩、藤本先輩。さようならー」

「はい、お疲れー。気ぃ付けて帰ってなぁ」

「じゃぁ、弥永。俺もお疲れーと言うことで・・・・・・」

「ちょい待ち。何言うてるん、自分はアカンで。しっかりつきおうてや」

「ああ、だよなぁ・・・・・・。がっくし」

 

 今日最後の授業が終わってから数時間が経った放課後。

 文芸部が部室代わりにしている三年二組の教室には、オレンジ色をした夕日が僅かに差し込むようになってきている。それでも、グラウンドでは運動部がまだ活動をしているんやろう。開け放たれた教室の窓からは、金属バットが立てるカキーンという甲高い音や、仲間に指示を出す野太い声が、風と一緒に入って来る。

 ウチから一つ離れた椅子にドカッと座り込んだのは、同じ文芸部の三年生である片野涼。教室の真ん中に座っているウチらから少し離れた窓側の席には、もう一人小柄な女子が座っていて、こちらを見ながらクスクスと笑っている。藤本遥、文芸部の三年生。ウチこと弥永香取を入れて三人、文芸部の三年生はこれで全員だ。

 通常の部活時間が終わって、後輩の最後の一人が教室を出て行ったところなんやけど、ウチら三年生三人はまだ帰るわけにはいかない。一学期の期末試験が終わりあと数日で夏休みに入ろうという時期だから、学校中にホッとした雰囲気が見られるんやけど、文芸部、特にウチら三年生にとっては、いまが大事な時期なんだ。

「会誌」。

 文芸部の一年間の活動の中でメインとなるのは会誌の作成だ、と言っても過言ではない。春先にテーマを決め、一学期と夏休みの間に各人が作品を作り、夏休み明けから編集作業に入る。そして、秋の文化祭がそれを展示・発表する場となるんだ。

 会誌のテーマや編集は三年生が中心となって行うし、なにより、割り当てられるページ数も三年生が一番多い。夏休み中に作品を書くことを考えると、休みに入る前に大まかな方向性を決めておかなければならないんだ。

 ウチらは総勢九人の小さな部だし、その中には「各生徒はいずれかの部に所属しなければいけない」という学校の決まりのために籍だけ置いている生徒もいる。だから、ウチが入部してからの二年間の会誌は、お世辞にも力の入ったものとは言えなかった。いや、やる気のある部員は力作を発表していたんやけど、その逆に締切り前日にちょこちょこと形だけ筆を走らせたような作品がほとんどだったんだ。

 恥ずかしながら過去二年間にウチが提出した作品も、「ちょこちょこ」の方だった。

 いや、やる気はあったんよ、やる気は。むっちゃ頑張って歴史や学校生活や色んなところから面白そうなことを探し出して、こだわった設定を作ったんやで。

 けどなぁ、アカンかってん。ウチは設定を作るのは好きなんやけど、そこから話を進めるのが苦手。すぐに話が大きくなり過ぎて、ハリウッドから監督呼んできて超ド級SF大作映画(もちろん上演時間4時間超ね)を撮ってもらうか、テレビの大河ドラマとして一年間放映してもらわなあかんようになってしまう。

 で、結局、二年とも締切りギリギリになってから、収拾のつかなくなった大作を泣く泣く諦めて、その代わりにとあわててサッと走り書きのようなものを書いて提出していたわけだ。

 ただ、いよいよウチも三年生になって、今年が会誌を作る最後の機会になるし、今度こそしっかりとした作品を作りたいと思っている。もちろん、昨年までと同じことにならないように対策も考えている。今年は、ウチが関西からここに引越してきて以来の、つまり、小学校高学年からの付き合いになる涼に協力を頼んでいるんだ。

 涼は、子供のころからずっと、漫画や小説をネタにした話をしてきた友人だから、ウチが作った設定を基に涼となんやかんやと話をすれば、自分が苦手にしているストーリーの膨らませができるのではないかと期待している。

 

「なぁ、涼。聞いてる? どうやろ、この設定。あんな、会誌のテーマは猫飯店やろ?うちの話の中では、猫飯店って言うのは、インターネット上に誰かが作ったメタバース空間なんよ」

「メタバース? メタバースを取り上げたテレビ番組で、渋谷を再現した仮想ショッピングモールがネット空間に作られたとか、オンラインゲームが一種のメタバースみたいに会議や交流場所として利用されている、なんていうのを見たことがあるな。やっぱりそう言うのは、大手企業が商業ベースで主宰するのが多いんだろう?」

 涼は頭の回転は速いけど集中が続かないタイプ。創作物を完成させるにはひらめきと共に持続力が必要だから、やる気はあるけど後者に欠ける彼はウチと同じように過去二年間は「ちょこちょこ」とした作品しか提出できていなかった。

 だから、「今年はウチと合作で、ええの作らへん?」と誘ったら、涼は二つ返事で引き受けてくれたのだ。いまもめんどくさそうなポーズは見せながらも、きちんとウチの話に乗ってくれている。

「んー。これはちゃうねん。知る人ぞ知るサイトで特に有名でもないし、大手企業が主宰してるわけでもないねん」

「そうか。で、そうすると、その猫飯店は何をする空間なわけ? メタバースで多く見られるのは、買い物やゲーム、それに、交流。あ、観光ができる空間もあるらしいけど」

「何をする・・・・・・、えーと、そう。猫になる」

「はぁっ? 猫になる?」

 ウチの答えがよほど意表を突いたものだったんだろうか、涼は大きな声を出してウチの顔を正面から覗き込んだ。

 何やろ、おかしいかなぁ。全人類はすべからく「猫になりたい」という願望を心の奥底に持っていると思うんやけどなぁ。そんなに意外なんやろか、「猫になれる」メタバース空間は。「猫になる」ことをテーマにしたアニメ映画もあったぐらいやで。

「いや、良くなくない? 猫になれるんやで、猫に」

「良いとか悪いとかじゃなくてさ、猫になるだけなのか? 猫になって何かするんじゃないのか? 町の中に隠されているいろんな謎や宝物を探す宝探し的な要素とか、アバターの猫がいくつかの集団に分かれて縄張り争いをするゲーム要素があるとかさ」

 涼の口調が少しずつ強くなるのに比例して、ウチの声はだんだんと小さくなっていった。

「いや、猫になるだけやで。別に、何かする訳じゃなくて、な? 猫になって、ボーとするねん。空とか見たりして・・・・・・」

「そうすると、何か? そのメタバース空間には、参加者のアバターとなる猫しかいないわけか? そいつらが、人間の言葉をしゃべって、他の参加者と交流を深めるだけってことか? でも、猫ばっかりだと、どの猫が誰なのか見わけもつかなくなるんじゃねぇか?」

「えーと、な。アバターの猫を作る時に、品種やら毛並みやらをごっつい選べるねん。それにしっぽの長さや形も選べるし、首輪とかも選べる。だから、他の人のアバターと被る事なんかまず無いねんよ。それに、そもそも他の参加者としゃべったりすることないしな」

 突っ込みどころが多すぎて困るというような顔をしながら、涼がウチの言葉の続きを待っている。まぁ聞いてくれるのはええことやけど。小説の設定を共有せなあかんしな。

「猫になるんやからな、人間の言葉なんかしゃべられへんねん。参加者がたくさんしゃべるのは自由やけど、コンピューターがそれを処理して、相手には『ニャア』とか『ニャニャン』とかしか伝わらへんようになってるねん。もちろん、相手から自分に話しかけられるときもそうやで」

「なるほど・・・・・・。本当に猫になるんだな」

 涼がすごく疲れたような声を出した。

 そんな涼の態度を見ていると、「何言うてるんかな、こいつ」という気もしてくる。そもそも、今年の初めに会誌のテーマを決める会議をした時に、この難しい「猫飯店」というテーマを出したのは涼なのだから。そりゃ、「何それ、カワイイ!」ってだけでそれに決めたウチらにも少しばっかりの責任があるとしても、提案者としての大きな責任でもって積極的に創作に協力してほしい。

「んもうっ。だから、猫になるのが目的のメタバース空間なんやって。みんな猫になりたいって思ってるやん。現実が色々としんどくて、そこから自由になりたいと思ってる人って多いと思うねん。その理由はそれぞれやと思うから、そこで面白い小説になると思うんやんか」

「あー、そう言うことか。確かになぁ。各登場人物にストーリーがあって、それが重なるようになれば面白い、かなぁ。けどなぁ・・・・・・」

 ようやく、ウチの言うことに少し興味を持ってくれたらしい。額に手を当てると、涼は大きくのけ反った。昔はほっそりとしていた喉に、のどぼとけが目立っている。ウチは何だかそれを見ていてはいけないような気がして、窓の方へ目を移した。

 風通りが良いように大きく開いた窓。

 フワリフワリと揺れるカーテン。そのカーテンが撫でているのは、机の上に覆いかぶさるようにして作業をしている小柄な女子生徒の背中。

 背中までまっすぐに伸びた黒髪。時折り風に流されて頬に落ちてくるそれを左手でかき上げながら、机の上に広げたスケッチブックに一心に何かを描いている女子生徒。

 眉の上で切りそろえられた前髪と可愛らしい広いおでこ。すっかりと自分の世界に没入しているその姿は、幼さを残すその容姿と相まって、小さな子供のように愛らしい。

 かーいーな、遥。ウチの親友は。

「何描いてるん、遥」

 自分の席からウチが呼んでも、遥は反応しない。

 彼女はいつもそうだ。羨ましいばかりの集中力を持っていて、自分が描くイラストの世界に入っている彼女をこちらに呼び戻すのは大変なのだ。さっきからウチと涼とがガヤガヤと言い合っていたことなど、彼女の耳には全く届いていなかっただろう。

 ウチはアレコレと考え始めた涼をほっておいて、遥のところへ歩いて行くと、声を掛けながら肩をツンツンとつついた。少し強めにな。

「はーるーか。何描いてるん? 見て良い?」

「え、え、何。あ、かとちゃんっ」

 没入していたイラストの世界から一気に現実の世界へ戻ってきた遥。居眠りしていたところを起こされた人みたいに、一瞬、自分がどういう状況に置かれているのか戸惑いを見せていたが、すぐに肩をつついたのがウチと気が付いて、笑顔を見せてくれる。

「あ、イラスト見てくれるの? 良いよぉ、どうぞどうぞー。ほら、かとちゃん。猫描いてるの、猫ちゃん」

「うわぁ、むっちゃかわいーなぁ。さすが遥やん!」

 いつも通りのんびりとした口調で話す遥に促されてスケッチブックを覗くと、そこには思い思いの格好で過ごすいろんな種類の猫が、紙面いっぱいに描かれていた。長毛種の猫が椅子の上に座り、フカフカの長いしっぽが床に垂れている様子。三毛猫がお腹を見せながら床に寝そべっている様子。小さな黒猫が、一匹二匹三匹四匹、五匹! その子たちが、並んでご飯を食べている様子・・・・・・。

 遥のイラストは彼女の人柄を良く表していて、とてもほんわかとして暖かいものだ。鉛筆で描かれたスケッチもとても可愛らしいし、時間をかけて透明水彩絵の具で彩色された作品には、どんなにイライラしている人でも自然な笑顔にする力があると思う。よし、今年の会誌の表紙は、遥のイラストで飾らせてもらおう。

「どのニャンコもかわいーわ! 遥は今年もイラストを提出するんやんなぁ。悪いけど今年は会誌の表紙も頼めへんかなぁ、遥の可愛いニャンコをどうしても表紙に載せたいねん!」

「んー。かとちゃんのお願いだったら、仕方ないかなぁ。わたしのイラストで良かったら使って。頑張って描くから」

「もちろん、遥の猫ちゃんがええんよ! ありがとなぁっ」

 正面に回って大げさに両手を合わせて頼むウチに、遥は嫌な顔も見せずに引き受けてくれる。遥はいつもウチを助けてくれる、ほんとに大切な存在だ。

 じわじわと心の内側から「遥、好き好き」感が湧き上って来たウチは、もう一度机を回り込んで遥の後ろへ行くと、座っている彼女の上半身をギュッと抱きしめた。

「はるかー、ありがとー。ムギュムギューッ」

「か、かとちゃん、アハハ、くるしーよー。アハハッ」

「なにぃ、さらにムギュムギュ攻撃だ、ムギュー!」

「ウフフッ、もう、アハハハ・・・・・・」

 ふざけ合うウチらに、教室の中心から突っ込みの声が飛んだ。

「おーい、んなとこで百合ってんじゃねーよ。弥永も、いつも俺に集中力がないって言ってるのに、自分が切らしてるじゃねーか」

「ご、ごめーん」

 確かに、涼の言う通りだ。ウチは遥と顔を見合わせて笑い合うと、それぞれの席に戻ってもう一度作品の制作に取り掛かった。

 でも、やはり緩んでしまった創作へ繋がる意識を、その場でもう一度張り詰めるのは難しい。その日は最終下校時間まで頑張っても、それ以上の進展は見られなかった。

 

 下校時間を知らせる音楽が教室のスピーカーから流れてきた。グラウンドから聞こえていた運動部が立てる音も、いつの間にか聞こえなくなっている。

 校舎に残っている生徒へ下校を促すアナウンスに急かされながら、ウチらは教室を出た。

「あんま進まへんかったなぁ」

「しょうがないさ。まだ時間はある。来週の水曜日が部活動日だろう。それまでに俺も話を考えておくよ。弥永が考えてるのは、メタバースにやってくる人たちの群像劇だろう?」

「せやねん、せやねん! あ、そうそう! あんな、それでな・・・・・・」

「危ないよ、かとちゃん、足元見て」

「おお、と。遥、あんがとな」

 どうして部活の時間内では働かなかった頭が、帰宅時間になって階段を降りている時には働くんだろう。急に新しい設定が頭にいっぱい浮かんできたんだけど、そちらに気を取られて階段を踏み外しそうになってしまった。

 やっぱり、今日のところはおとなしく帰った方が良さそうだ。

 ウチは、新しく浮かんできた設定はもう少し自分の中で検討することにした。良さそうなものがあれば、後でSNSで涼に送ればいいんだ。

 校舎の外に出ると、三人でできるだけ日陰を伝って歩く。

 最終下校時間になって、多少なりとも太陽が傾き日差しのオレンジ色が濃くなったと言っても、夏の日差しは強烈だ。少しでも日なたに出れば、たちまち汗が噴き出してくるのだ。とは言え、三人のうちウチだけは少し離れたところに住んでいて自転車通学をしているので、すぐに汗をかくことにはなるんやけどね。

 校門へ向かう二人と別れて、ウチは自転車置き場に向かった。

 暑いわ。まったく。

 蝉も鳴いてるし。こんな時間やけど、全然暗くないし。

 なに、あの空の向こう。

 いやぁ、立派な入道雲ですなあ。

 ふ、と。

 何の気なしにウチは振り返って、校門へ向かう二人の背中を見た。

 ひょろっとしたやせ型の涼の背中。細いけど背が高いから上下に広い。なんかなぁ、小学生の時はウチより小さかったのになぁ。

 その隣を、青地の上に泳ぐイルカが描かれた可愛らしい柄の日傘をさしながら遥が歩いている。小柄な彼女だが、さしている日傘が涼の邪魔にならないようにさりげなく気遣っている。何を話しているのかな。遥はずっと涼の顔を見上げながら歩いている。彼女の背中では、長く伸びた綺麗な髪が、楽しそうに揺れている。

「また来週、なぁあ!」

 二人の背中に向かって大声でそう呼び掛けようと思ったけど、止めた。

 ま、ね。

 来週また二人に会えるんやしね。

 暑いしね。これから自転車こいで帰らなあかんしね。

 それに、猫飯店の話を考えなあかんしね。

 

     ◆◇◇◇

 

 夏休みに入ってから数日後。最初の部活動日。

 規定の部活動時間が終了して後輩たちが帰った後も、やっぱりウチら三年生三人は教室に残っていた。

 あいかわらず暑い。できるだけ風を通すために、教室の窓は外側も廊下側も全開にして、さらに、廊下の外側の窓も開けておく。

 この間と同じように、窓から入ってきた金属バットが立てる高音が教室を通り抜けていく。お、良い当たりでも出たのか、一際いい音が。

 カキィイイインンン・・・・・・。

 何か、おもろいな。先頭の「カ」は教室も廊下も通り抜けて中庭へ達しているのに、お尻の「ン」は、まだグラウンドに残っている感じ。よいしょっと手を伸ばしたら、「イ」をいくつか掴めるかもしれへんな。

 さて、と。

 いつもの通り、それぞれの作業に集中して取り組むために、ウチと涼は教室の真ん中に、遥は窓際の席にと、別れて座り直そうとしている。

 ウチは、やる気の無さそうにゆっくりと近くにやってきた涼の顔を、キッと睨んだ。

 この時を待っていたのだ。本当は部活時間中も涼にアレコレと言いたかったのだが、あいつは後輩の男子とずっと話をしていて、ウチが話をするタイミングが無かった。ウチが文句というかアレコレを言いたがっているのは、SNSを通じて涼もわかっているだろうから、きっとワザとに違いない。

 アイツがそういうつもりなら無理やり話に割って入っても乗ってこないだろうし、後輩の前でギャアギャア言い合うのも格好が悪いしだったから、三年生だけになるこの時間まで待つことにしたのだ。

 

「あんなぁ、涼。あれから幾つもメール送ったやんか。けど、涼から全然返信が無いんやけど・・・・・・。なんで?」

 自分の口から出た口調がむっちゃ不機嫌なものだったんで、自分でもびっくりした。

 わ、わわわっ。あかんあかんっ。喧嘩する気は無いねんっ。

 慌ててはみたけれど、一度口から出た言葉を止める術はない。その言葉は涼の顔に正面からぶつかっていった。

 でも、ウチが不機嫌(あ、言うてもた)になるのには、ちゃんと理由があるのだ。夏休み前の部活が終わってから、小説に関して思いついたことを何度も涼にSNSで送っていたのだが、あいつからは一度も返信が無いのだ。お陰で小説はほとんど進んでいなかった。いや、正直に言えば、まだスタートラインにも立てていなかったのだ。

 ウチから何か言われるとあらかじめ予想していたからか、涼はツンツンした不機嫌な言葉に怒った様子は見せなかった。ただ、すごく困ったような顔をして頭の後ろをかいていた。

 なんやろ、なんか言いたいことがあるんやったら、はっきり言えばいいのに。

「ま、待て、言うから、な」

 ここは流石に無駄に長い付き合いをしているわけじゃないというところだろう。涼はウチの攻撃の第二弾の兆候を察知して、慌てて両手を前に出した。

 それでも、もうしばらくは腕を組んだり天井を眺めたりしていて、涼はなかなか話しだそうとはしなかった。言いたいことはあるんだけど、それをどうやって言葉にしたらいいかを探っているようだった。

 そんなに話しにくいことなんかな。なんやろね。言いにくいこと・・・・・・、え、なんか一つ思いついたんやけど。え、ええっ。

 ウチは窓際の席に座っている遥の方を見た。居る、よね、教室に。涼とウチだけでなく、遥も。

 ええっ。このタイミングで?

「あのな、弥永」

 やっと、涼が言葉を発してくれた。わわわっ、何だ、ウチの顔を真っすぐに見てくる、この真剣な顔は。

「は、はぃっ」

 思わず変な声が出た。恥ずかしっ。涼はウチの脳天から出たような声に意外そうな顔をしながらも、その先を続けた。

「こんなことを言ったらお前に怒られるんじゃないかと思って、言えなかったんだけど・・・・・・。やっぱり言うよ。あのな」

「・・・・・・はい」

「お前が何を書きたいのか、さっぱりわからん」

「はいい?」

 予想外の涼の言葉に、さっきとは別の種類の変な声が、ウチの頭の斜め上から出て行った。

 アハ、アハハ、ハハ。焦った焦った。そうだよねだよねだよねー。うん。そうだ。ウチと涼はそういう関係じゃないしね、納得、納得。

 いや、いやいやいや。なに納得してんねん。アカンアカン。いま涼はなんて言った?

「ちょっと待って? ウチが何を書きたいかさっぱりわからんって何? あんだけ色々送ったやん?」

「ああ、確かに登場人物の設定や猫飯店でできることの設定なんかを、たくさんもらったよ。だけどなぁ・・・・・・。いや、やっぱり、小説をまともに書いたことのない俺の方が間違ってるのかもしれないな、ごめん」

 ああ、そうか。

 真剣にいろいろと考えを巡らせてくれている涼を見て、昂っていたウチの気持ちはスッと落ち着いた。

 ウチが幾つも送り付けた設定を涼は真剣に読んでくれていたんだ。そして、それについてしっかりと考えてくれていた。だけど、小説を書いた経験がないから、自分の考えをウチに伝えるところで遠慮が生じていたんだ。だから、メールも返せなかったし、今日もなんとなくウチに対して気後れしてたんだ。

 なんだか、自分から「一緒に作品を作ろう」と涼を誘ったのに、「自分のために何かをしてくれること」だけを期待していたような気がする。アドバイスをもらいたいなら、「アドバイスをしやすい環境」をウチが涼に提供しなきゃいけなかった。

「こっちこそゴメンな。なんか、簡単にお願いってだけで済まし過ぎてたわ。ええねん、涼の思ったこと何でも言ってくれて。ウチの意見と違う意見でもええねん。というか、それが必要やねん。だって、一人で書くよりもええ作品を書きたいんやで。ウチの意見と同じ意見だけもろうても、ウチ一人以上の力にはならへんやん。ウチの意見と涼の意見。それで、ウチ一人以上の力になるんやから」

 難しい顔をしていた涼が、ニヤッと笑った。もう、飄々としたいつものあいつに戻っている。

「了解。じゃあ。思ったことを正直に言うからな。ただし、怒るなよ、弥永」

「ウチも了解。善処するわ」

「うわ、怖いな。まあ、いいか。あのな・・・・・・、もう一度確認するが、弥永が考えているのは、猫になることを目的としたメタバースを中心とした群像劇なんだよな。それで、この間からSNSで送られてきてたのが、各登場人物の設定やメタバースの設定という訳だ」

「せやねん。まぁ、まだアイデア段階なんやけどな」

 ウチが送ったのは登場人物数人の設定。それぞれがどういう性格をしているのかやどういう年恰好であるのかはもちろん、どういう経緯でメタバース「猫飯店」を訪れたのかやそこで何をしているのかを、詳しく作り込んだつもりだ。

 それと、メタバース「猫飯店」の設定のいくつかも送った。例えば、メタバースだから参加者はゴーグルとコントローラーを使用して猫アバターを操作するんだけど、猫飯店の中で自分の猫アバターが感じる視覚や聴覚だけでなく、嗅覚や味覚も感じられるというもの。それは、新規に開発された技術で、サブリミナル効果のように参加者のゴーグルにある種の不可視光線を一定の感覚で挿入することで可能になっているという設定なのだ。それに、猫飯店内部ではしゃべったことは相手に伝わらない。その逆もそう。何故ならコンピューターが瞬時に「ニャニャン」等の猫語に変換してしまうから、という設定もある。あ、そうそう、コントローラーを肉球タイプにするというアイデアもあったな。あと、猫アバターができるジャンプやスリスリなどの行動パターン案とか。

 本編に関係してくるかどうかわからないけど、作品世界設定を作り込むって大切やんね。考えるだけでワクワクするし。

 だけど、次に涼が発した言葉は、ウチの浮ついた心にずっしりと圧し掛かるものだった。

「弥永・・・・・・。色々と人物や世界の設定はもらったけどな、一番大事なところをまだもらっていないような気がするんだ。つまりさ、お前はこの小説で何をテーマにしているんだ。何を言いたいんだ。そうでなきゃ、何を描きたいんだ」

「え、と。あれ、テーマ?」

 始めは涼が何を言っているのか、よくわからなかった。だって、テーマは「猫飯店」だと思っていたからだ。

「テーマは猫飯店ちゃうん? ほんで、書きたいものって言うたら、なんやろう。『猫になれるメタバース、猫飯店』になるんかなぁ?」

「いや、それはテーマというよりはモチーフと考えた方が良いんじゃないか。俺が言うのも何だけど、弥永がストーリーを考えるのが苦手なのは、言いたいことや描きたいことを意識してないからじゃないかな」

 怒気っ。いや違う、涼は真剣に考えてくれてる。怒ってどうするウチめ。ドキッ、だよ、ドキッ。

 反射的に怒気が起こりそうになったのは、涼の言うことがウチの弱いところを的確についていたからだ。設定を作るのは好きだけどそこから話を作り出すことが苦手であることはウチも自覚しているので、小説の書き方やストーリーの作り方をいろんな本やサイトを見て勉強したことがある。そして、どの本でも同じようなことが書かれていたんだ。「テーマを決めよう」と。

「群像劇だと、猫飯店を訪れる人たちそれぞれのストーリーを描いて、さらにそれが少しずつ重なり合って大きなストーリーを形作るようにするんだよな。ストーリーの中にテーマを入れるとするならば、この大きなストーリーの中に入れるのが良いと思う。だけど、弥永のアイデアはそんな風にストーリーに組み込むようなものじゃないと思うんだよな」

 うむうむ。ウチもそう思う。続けたまえ。

「どっちかというと、猫になれるメタバースという発想、あ、それとこの間言ってたよな、現実を離れた電脳空間で猫になることでホッとするという面白さ、そう言うのが弥永の書きたいことじゃないのかな。なんというか、ストーリーの流れの面白さよりも景色の面白さだよな、弥永が書きたいのは」

 ああ! そう言われれば、そうなのかも。

 景色。情景。

 確かに、そうだ。ウチがいつも思い浮かぶのは、「こういう感じの場面って面白いな」とか、「これをこう考えると面白いな」というものであって、「読んでいる人がキュンキュンするような恋愛話を書きたい」とか、「主人公が困難に負けずに立ち上がる姿を描いて、諦めないことの大切さを伝えたい」とかいうものではない。話の展開の面白さや登場人物の行動ではなくて・・・・・・、そうだ、ある場面の空気感を描きたいんだ。

「ちょっと見方を変えたら、面白くない?」

 きっと、それがウチの書きたいものなんだ。

「わわわっ、すごい、すごいわっ! 涼、ありがとうっ! やっぱ、涼に頼んで良かったわ。ウチ一人ではよう気付けへんかったもん。ホンマにありがとうっ!」

 なんだか目の前がパーッと明るくなったような気がして、ウチのテンションは一気に上がってしまった。

 気が付いた時には、ウチは涼の両手をギュッと握って、何度も何度も振り回していた。

 

     ◇◆◇◇

 

「遥ぁー、慰めてー」

「はいはい。かとちゃん、元気出してー」

 ウチは窓際の遥の前の席に後ろ向きに腰かけて、彼女の机の上にグダーと上半身を横たえていた。

 あの後すぐに、涼は「疲れたし、俺の役目は終わったから」と言って、一人で帰ってしまった。

 涼のアドバイスで目から鱗が落ちた状態だったウチは、もっともっと涼と話がしたかったんだけど、どれだけ引き留めても無駄だった。まぁ、少し顔色も赤くなっていて、のぼせたような感じだったから、集中が苦手なあいつに無理して頭を使ってもらい過ぎたのかもしれない。

 残念だけど、な。

 遥に頭をナデナデしてもらいながら顔を横に向けると、ウチが押しのけた何冊もの本や図鑑の背表紙が目に入った。うわぁ、みんな猫関係のものだ。イラストの資料だろうな、流石は遥、下準備もしっかりだ。

「遥はすごいなぁ、こんなにいろいろと調べるんやなぁ。ウチやったら適当に手と足としっぽつけて終わりやけどなぁ」

「何言ってるの、かとちゃんだってすごいよ」

 遥の優しい声が頭の上から降りてくる。ウチの頭をナデナデしながら、遥は話し続ける。

「わたし知ってるよ、かとちゃんが図書館でメタバースの調べものしてたの。わたしはさー、イラスト描くのが好きだから、描く前に調べものするのも楽しいよ。かとちゃんと一緒だよー。かとちゃんも小説の設定を考えるための調べもの、楽しいでしょ」

「うん、せやな。確かに楽しいわ。一緒やな。ハハハッ」

「うん、一緒だねー。フフフッ」

 お互いに笑いあったあとで、遥がウチと涼との合作の進展具合を尋ねてきた。夏休みの部活動日はお盆過ぎにあと一回あるだけで、夏休み明けには編集作業に入らなければならないから、先に涼が帰ってしまったこともあるし、心配をしてくれているのだ。

 ウチは涼に気付かされたことを大まかに伝えた。そして、自分が書きたいことがなんとなくわかったから、家で作業を進められると思うと話した。

「遥はどうなん? イラストのことはわからへんから、お任せしてしまって悪いんやけど、表紙の方は順調?」

「んー、構想はできてるかなぁー。あのね、これ、見てくれる?」

 遥のナデナデは名残惜しいが、彼女が見せてくれるものが気になる。ウチは上半身を起こすと、遥が机の中から取り出して広げたスケッチブックを見た。

 まだ構想段階だからだろう。ザッザッと鉛筆で走り書きがされているのだけど、画面の中央に大きな噴水のようなものがあるのがわかる。そして、その周りには十個弱の丸が描かれている。

「これは、噴水?」

「そうだよー、正解。そしてね、噴水の周りに丸があるでしょ? そこにね、うちの部員をモデルにした猫ちゃんを描くの。わかる? かとちゃん?」

「ふふふ、ウチにボケで対決を挑むとは、やるねぇ遥君。もう、ピンと来てるでぇ。じゃぁ、一緒に答え合わせしようやないかい。せーの!」

猫噴水ネコファウンテン!」

猫噴水ネコファウンテン!」

 ぴったりと声を合せて正解を叫んだウチら。教室には二人しかいないのに、しばらくの間そこは賑やかな笑い声で一杯になった。

「アハハ、ハハ、ハァ。ハァ。さすがはウチの相方や。大好きやで、遥のそのセンス。猫飯店からの猫噴水ネコファウンテンやもんなぁ。それに、遥のホンワカした優しいイラストも、ほんまに好きや。部員のみんながどんな猫になるのか、楽しみやわ」

「わたしのイラストをかとちゃんが好きって言ってくれるの、すごく嬉しいな。フフフッ、いま色々と調べてるから、楽しみにしててね。わたしも、かとちゃんの書く小説、大好きだから楽しみにしてるんだよー。ストーリーがすごい小説もいいけど、かとちゃんが書くような、景色が見えてくる小説も大好きなの。なんだか、ずーと心に残るんだよね。かとちゃんの小説は」

 息が切れるまで笑いあった後で、遥の姿をしっかりと見る。

 彼女の言葉を聞いて思い出した。以前に遥が自分の画風に自信を無くした時に、ウチが言ったんだった。「ウチはリアルな絵も好きやけど、遥の描く可愛らしいイラストも大好きやで。なんかな、遥のイラスト見てると心がポカポカしてくるねん」って。あの時にウチが言ったことはホントの気持ちだったから、きっと遥が言ってくれてるのも彼女のホントの気持ちなのだろう。

 優しいなぁ、遥。こんなに優しくて可愛らしい子、男子はほっとかへんやろうなぁ。

 ん、なんや。変な感じがする。なんやろ。なんか、チクッとするで、胸が。

「夏休みの部活は、あと一回だよね。その日だけじゃないけど・・・・・・、片野君のこと、頑張ってね、かとちゃん!」

 急に遥は両手でグーを作って、ウチを励ましてきた。何だ、どこぞの野球チームの監督か?

「んん? が、がんばるで? ええアドバイス貰ったしな。また涼に相談しながら、最後の会誌にええ作品だすわ」

「あれぇ、なんでそうなっちゃうかなぁ・・・・・・。まぁ、いいけどぉ。ウフフ」

 はて、ウチはなんか変なことを言うたやろうか。小首をかしげながら微笑を浮かべる遥が、その小さな体と童顔にもかかわらず、急に何歳も年上に感じられた。

「この間の部活の帰り、片野君がずっとかとちゃんのことを話してたよ。あれだけ面白い設定を考えられるなんて、アイツはすごいって。それに、部長としてみんなに良く目配りをしてるし、それに・・・・・・。あ、ととと」

「ん、何々? なんて?」

 何かを言い淀んだ遥。なんやろ、気になるわ。

「えーと、そうそう。あの大作志向だけ、ちょっと直してくれたらなって。会誌の割り当て字数をかとちゃんは考えてないだろうなって言ってた」

「むぐぐ。最大一人当たり原稿用紙十枚やからな。そりゃ、おっしゃるとおりやわ。自分でも収まるわけないと思ってたもん。二人の合作やから二十枚使わせてもらったとしても、まとまる気がせえへんもんなぁ」

 そうかあ、あの時に二人でウチの事を話してくれてたんやなぁ。それに、さすがは涼やな。ウチのこと、ようわかってる。

 いつの間にか、さっき感じた胸のチクチクはどこかに行っていた。

 

     ◇◇◆◇

 

 お盆が終わり、夏休みの後半戦。今日は文芸部にとって夏休み中最後の部活動日だ。

 盛夏が過ぎて残暑の季節になっているはずなのに、酷暑とまで言われる暑さは一向に収まる気配を見せていない。毎日、テレビやネットでは「熱中症に警戒してください」と注意が呼びかけられている上に、特に今日は気温が高いとかで、グラウンドを使用する運動部の部活動が中止になっているほどだ。ウチも自転車で登校してくる間、汗が止まらなくてまいってしまった。

 実は、今日のウチはちょっとソワソワしている。ソワソワ? なんか違うな。なんて言ったらいいんやろ。とにかく落ち着かない。部活が始まる時間のずいぶん前に学校に来てしまったし、教室に入ってからもチラチラと入口の方を見ずにいられないでいる。

 涼、まだこーへんな。

 そう、ウチは涼を待っているのだ。

 前回の部活動日の後、ウチは涼のアドバイスを基に、最初から話を組み立て直した。それに、遥から聞いた字数の面も考えに入れた。

 当初色々と考えていた人物の設定はほとんど使えなくなったし、メタバースの設定も掘り下げてはいない。

 だけど、書き上げた作品を読み返してみると、とても自分らしいものになったと思う。いや、この作品ができたのは、間違いなく涼の力があってのものだから、これはウチと涼の作品らしい作品というべきなのかな。

 その作品をSNSで涼に送ったウチは、次の部活で感想を聞かせてくれるように頼んでいたのだった。

 それはメールで短く感想を伝えられるよりも直接話してもらった方が絶対に良いと思ったからなんだけど、こんなにも緊張するとは予想外だった。自分で自分の心臓の音が聞こえる。むっちゃ早く打ってる、ウチの心臓。ええんやろか、こんなに早く打っても。

 涼、早く来て。いや、怖い、こんといて。って、どっちやねん、自分・・・・・・。

 切れのない突っ込みを自分に入れている間に、ようやく部活が始まる時間が近づいてきた。既に登校している後輩たちは、それぞれの作業を始めている。窓際のいつもの席では、遥が画材を並べ始めている。そして・・・・・・。

「ふいっ、間に合った。おはようっすー」

 風を通すために開けっ放しのドアから、涼が勢いよく入ってきた。

 うわぁっ。涼、来たぁ。

 どうしよう。全然ダメって言われたらどうしよう。ウチじゃアカンって言われたらどうしよう。

 本来なら、部長として部活を始める区切りの挨拶をしなければいけないところなんだけど、ウチの頭の中からはそんなことは完全にすっ飛んでしまっていた。

「りょっ、涼!」

 大きな声を挙げて、教室に入ったばかりでまだ席にも着いていない涼に駆け寄る。

「どやった。ねぇ、返事聞かせて。ねぇ!」

 ドキドキで爆発しそうな胸を押さえながら、涼の顔を見上げる。アカン、ウチ、涙声になってるかも。

 部のみんなもびっくりしただろうけど、ウチの勢いに一番面食らったのは涼だったのかもしれない。なにせ、心の準備も何もないところに、急にウチが顔を真っ赤にして涙声になりながら迫ったんやからね。

 すっかり調子が狂って焦った涼は、つかえながらウチに答えた。

「お、おう。良いよ。す、好きだぜ、俺は」

 アアアッ! 良いって。す、好きだって! 涼が!

 カアッと、全身が火照って来る。顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。

 涙が溢れて来るけど、自分でもどうしようもできない。

 「好きだ」って言葉が、何度も頭の中で鳴り響く。

 グラグラアッと涼が揺れる。

 グルグルッと教室が回る。

「お、おい。弥永。どうした?」

 涼の声が遠くから聞こえる・・・・・・。

 あとから聞いたところによると、この時にウチは涼の目の前で倒れてしまったらしい。そして、そのまま熱射病患者として、救急搬送されたらしい・・・・・・。

 

     ◇◇◇◆

 

 文化祭当日。

 文芸部のスペースは、いつも活動をしている三年二組の教室だ。

 部員それぞれが作ったお勧めの本や漫画を紹介するパネルや歴代の先輩方が作った会誌が並べられている。そして、会場の一番目立つところには今年の会誌が置かれていて、会場を訪れた人が無料で手に取れるようになっている。

「おお、どうだ調子は」

「あ、古木先輩。お久しぶりですっ」

 会場を訪れた一人の男性が、案内役をしていたウチと遥に声を掛けてきた。この人は誰だろうかと言うような顔をしている後輩男子に、この人はウチらの学年から二つ上の先輩だよと教え、挨拶をさせる。

 少しぽっちゃり体形で黒縁メガネをかけた古木先輩は、当時の文芸部の中でも数少ない「力作」を書く人で、後輩の面倒見も良く、ウチらがすごく尊敬をしていた先輩だった。

 先輩の手には今年の会誌が握られている。直近三年間の卒業生には最新の会誌と共に文化祭への招待状を送っている。卒業生も自分の用事で忙しいだろうから実際に文化祭に来てくれる人は少ないのだけど、古木先輩は去年も今年も来てくれたのだった。

「会誌、読ませてもらったよ。今年は誰の代だったか、この表紙で一発でわかるな。相変わらず、あったかい良いイラストを描くなぁ、藤本は」

「ありがとうございますー。古木先輩」

 入部当時から遥のイラストを褒めてくれていた古木先輩は、会誌の表紙を飾っている猫噴水ネコファウンテンをすごく褒めてくれた。

「それに、弥永」

「は、はいっ」

 ウチの背筋が伸びた。古木先輩にはいろいろと教えてもらったんだけど、どうしても設定好きの大作志向が抜けなくて、これまではあまりいい作品を読んでもらえてなかったからだ。

「上手くまとめたんじゃないか、今回のは。それでいてお前らしさも消えてないしな」

「あ、ありがとうございます! 今回は涼と合作にさせてもらって、それでいろいろと気付くことができました!」

 尊敬する先輩から褒めてもらった! 嬉しくて、ウチの声が一段高くなった。

「なるほどなぁ。俺たちの代に比べて、会誌の配布がすごく調子良いようだけど、二人の、いや、合作だから片野も含めてか、お前らの代全員の力なんだな。よく頑張ったな!」

「いえ、それは猫飯店事件の宣伝効果、いてぇっ!」

「ん、そいつ、どうした?」

「いえっ! 何もないです! ありがとうございます、古木先輩。ゆっくり文化祭を楽しんでいってください。良かったら打ち上げにも是非!」

「お、おう。そうだな。中を見させてもらった後で、他のところも見てくるわ。打ち上げにも、ちょっと顔出させてもらうな」

「ありがとうございます! ごゆっくり!」

 パネルなどの発表物を見るために教室に入っていった古木先輩に、遥と声を合せてお礼を言った。

 そして、ウチは直ぐに後ろを向くと、余計な茶々を入れようとした後輩男子の腹に追加のパンチを入れた。

「小笠原ぁー。自分、なに言ってんねんっ」

「い、いや、だって、今年の会誌の配布が好調なのは、あの事件の宣伝効果が大きいっすよ」

「あんなぁ、それを大先輩に言うかぁ。しかも、ウチの前でー」

 ウチの声がどんどんと低くなっていく。それで危険を察知したのだろうか、遥が後輩男子を「休憩に行っていいよ」と言って逃がしてしまった。

「はるかぁ、なんで逃がすんよー」

「フフフッ、だって、可哀そうだったしー。それに、小笠原君の言うことも、ねぇ?」

「んむ? んー・・・・・・」

 遥に上目遣いの笑顔で言われると、ウチも弱い。

 それにまあ・・・・・・。確かに、小笠原の言う通りとも言えなくはない、のだ。

 あの夏休み最後の部活動日。ウチは熱射病で倒れて救急車で運ばれるって大失態を演じてしまった。自転車で登校してくるときから暑くて仕方がなかったし、涼からの返事があると思ってその前日は全く眠れてなかったしで、体調が悪かったのだと思う。

 ところが、夏休みが明けて二学期の始業式だ。登校したウチを待っていたのは、女子の友達を中心としたお祝いの言葉とインタビューの嵐だった。

 つまり、こう言うことになっていたのだ。

「文芸部長弥永香取は同部員片野涼に告白をしていた。その返事がなされたのは文芸部の夏休み最終活動日。部員が見守る中で『俺は好きだぜ』と片野部員に返事をされた弥永部長は、極度の喜びと幸せのあまり涙を流しながらその場に崩れ落ちた」

 そうか。そうかぁ。そうなるんやなぁ・・・・・・。

 遥や涼が他所にこの話をするはずはないけど、あの時は文芸部の後輩もその場にいたから、そっちの方を経由して学校中に広がったんやろうなぁ。ウチの学校、小さな学校やし。

 どうやらこの事は、ウチらが合作していた小説のテーマにひっかけて「猫飯店事件」という名称で広がっていて、事件のそもそもに関わって来る合作に興味を持った生徒が、それが載っている会誌を手に取ってくれているらしいのだ。

 うーん、なんか複雑やわぁ。ウチらの合作も含めて部員の作品が載った会誌をたくさんの人が読んでくれたら嬉しいのは嬉しいけど、きっかけがきっかけやしなぁ。

 学校中に広がった「猫飯店事件」の話は、一応いまも消えることなく生きている。なにせ、まぁ、その、それが全くのフェイクという訳でもなかったのだから。

「かとちゃん。もう少ししたら案内の交代の子が来るから、もうかとちゃんも休憩に行っていいよ。片野君と一緒に他の出し物を見に行きなよ」

 遥がウチに気を使って言ってくれる。敵わんなぁ、遥には。ほんまにウチよりもお姉さんやわ。だけど、ありがとう。ここは素直になって、最後の文化祭を彼氏と回らせてもらうわ。

「ありがとな、遥。じゃあ、お言葉に甘えて、涼と回らせてもらうわ」

「うん。それが良いよ。あ、そうそう」

 まるで自分の事のようにとっても嬉しそうにしてくれている遥は、両手をグーにしてウチにつき出した。

「頑張ったね、かとちゃん!」

 ありがとうございます、頑張りましたよ、遥監督!

 ウチは涙が落ちそうになるのを必死に我慢しながら両手をグーにすると、それを遥のグーにチョンと合わせた。

                                  (了)

 

 

 

 

   メタバース「猫飯店」

                       片野 涼 ・ 弥永 香取

 

 

 フカフカとした芝生の上であたしは後ろ脚をしっかりと踏ん張って、思いきり上半身を前に伸ばす。

 伸びー。

 背中は低く。腰は高く。

 ついでに大きく欠伸。

「ふぁああ・・・・・・。ニャアアア・・・・・・」

 ふうー。すっきり。

 とは言っても、実際にあたしの身体が伸びているわけではない。

 何故なら、ここは電脳空間メタバースの中。あたしは「猫飯店」というサイトの中で猫の姿のアバターになっているのだから。

 同じ中学の友達から聞いたこのサイト、かなり変わった名前なんだけど、その由来ははっきりとしていない。始めた人の実家が中華料理屋だったことから「猫飯店」という名前になったんだとか、最初に登録されたアバターが斑点柄の猫だったからだとか、都市伝説的な説はあるんだけどね。

 数あるメタバースサイトの中でこのサイトの特徴は、「猫になれること」。

 何かを売るようなショッピングサイトでもなければ、コンサートや交流会が開かれるようなサイトでもない。

 どこか特定の街を模したわけでは無さそうな、これと言って目立つもののない、どこにでもあるような街並みが再現されているこのサイトには、たくさんの猫が気ままに過ごしている。

 この猫たちはサイトに参加している人のアバターだ。この「猫飯店」というサイトでは、アバターは猫しか選べないのだ。

 様々な品種や毛並みの猫が用意されたアバターは、猫そのもののように動かすことができる仕様となっている。猫そのものだ。人間のように二足歩行なんてとんでもない。ここは「猫になれる」ことが売りのサイトであって、「猫的なキャラになれる」ことが売りではないのだ。

 さらにこのサイトのすごいところは、参加者が話した言葉までもが勝手に猫の鳴き声に変換されるところだ。もちろん、サイトの中で誰かが自分に話しかけてきたとしても、それは「ニャニャン」等の猫の鳴き声にしか聞こえない。猫ライフ再現への、製作者の恐ろしいまでのこだわりが感じられる。

 

 あたしのアバターは、長いしっぽを持ったロシアンブルーだ。

 いまいるところは、街の外れにある大きな森林公園の中にある芝生広場。少し離れたところには子供向けのすべり台や砂場が設けられた一角がある。その反対側には、バーベキューができる施設もある。とは言っても、すべり台の上に登っているのは、もちろん子供でなくて猫なんだけどね。

 あたしは、久しぶりに訪れたこのサイトの空気を感じたくて、芝生の上に腰を下ろして顔を空に向ける。いまは春なのかな、少し白みがかった青空に、小さな雲がポツンポツンと浮いている。柔らかい日差しがゆっくりと降りてくるのを感じる。

 きっと、いまのあたしは目が細くなっているんだろうなぁ。

 さあて、と。

 身体もあったまってきたし(そのように感じられるのが、このサイトのすごいところ!)、ちょっとお散歩してこようかな。

 トト、トト、ト。芝生の上を歩くと、肉球にチクチクとした感触が伝わってくる。

 芝生広場の端に置かれているベンチの上では、オレンジ色のキジ猫と白黒の八割れ柄の猫が丸くなって寝てる。参加者がログインしていない間は、アバターの猫は消えるんじゃなくて寝てるんだよね。だから、チョイチョイッてこちらからちょっかい出しても、欠伸とかちょっとした猫パンチとかしか反応は返ってこない。

 あたしは噴水や花壇などを巡るお気に入り散歩コースを、ゆっくりと回った。

 何匹かの見知った猫がいた。その中でも、フワフワの白い襟巻をしたヒマラヤンは、花壇の周りでよく会う猫だ。

 チョンチョン、と鼻をくっつけて挨拶をする。スリスリ。今日は良い天気ですねー。

「ニャン」

「ニャァー」

 じゃあまたねー、と言われたような気がしたので、またねーと返した。

 

 倉庫の裏側とフェンスの間を通り抜ける。なんだかこういう狭いところを通りたくなるんだよね。猫だから? 猫だからか。

 芝生の上を歩く時とは違って、今度は身体に下草が当たるチクチクとした感覚がする。(どうやってるんだろう!)

 白詰め草が広がる一角に出ると、その真ん中ではしっぽにリボンをつけた黒猫が座っていて、すっと上半身を高く伸ばしている。

 しっぽにリボンがついた猫は、運営のアバターなんだ。

 この間、あたしは長々とこの子とお話していた。

 もちろん、運営のアバター相手とは言え、あたしがしゃべった言葉は「ニャニャア」とか「ミャミャッ」とかに変換されてしまうし、相手からの返答も「ニャウニャウ」とか言うものだ。

 じゃあ、サイトの中で何を話しても空しいだけかと言えば、そうではない。

 現実世界を生きる中で、どうしても納得して分解できないことがモヤモヤとした気持ちになって、それがお腹の中にギュウギュウに溜まって爆発しそうになることがあるんだ。それはきっと、大人にでも子供にでも。

 そういう時は、下手に説教などせずに、じっと話を聞いてくれる相手が欲しい。いや、もう限界ってときは、聞いてくれさえしなくてもいい、話をしてそのモヤモヤとした気持ちのガス抜きができればいいのだ。

 この間のあたしは、その「限界」って時だったから、リボンしっぽの黒猫さんに対して一方的にずーと話をしていた。実際にこちらから出る言葉は「ニャニャニャウ」で、黒猫さんがそれに頷きながらたまに「ミャウ?」とかの相槌を打ってくれるだけだったけど、それでだいぶんスッキリできたよ。話しているうちに自分で気づけたこともあったし。

「ミャウッ」

 この間はありがと、と小さく呟いて、今日は次の場所へと向かう。またきっと来るだろうから、その時はよろしくね、黒猫さん。

 

 林の中の遊歩道。

 トンボの池。バッタの丘。

 所々で休憩を取りながら公園を軽く一周して、あたしは元の芝生広場へ戻ってきた。

 カカカッ。後ろ足で首筋を掻いてみる。

 ふああああっ。自然と大きな欠伸が出る。

 ふふふっ。ティーちゃん(あたしのアバターの名前だ)、疲れて眠くなってきたみたい。

 じゃあ、お休みするか、ティーちゃん。

 あたしはあたしの世界に戻るね。

 ここは楽しいしホッとする場所。あたしにとって大切な場所だけど、あたしの属する場所じゃないことは、ここに来るたびに実感するんだ。

 人は大切なものを失って初めて知るのだとしたら、こうして別の世界に行って別の存在になることでも、その機会になるのかもしれないね。

 それじゃ、ティーちゃん。

 お休みなさい。

                                 (了)

                 (令和四年度文芸部会誌「猫飯店」より)