コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 第287話

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(これまでのあらすじ)

 月の巫女である竹姫と、その乳兄弟である羽磋。月の巫女としてではなく、素の自分の居場所が欲しいと頑張る竹姫に、羽磋は「輝夜」(かぐや)の名を贈り、自分が輝夜を望むところに連れて行くと約束します。それは二人だけの秘密でした。しかし、大砂嵐から身を守るために月の巫女の力を使った竹姫(輝夜姫)は、その大事な秘密を忘れてしまいます。月の巫女はその力を使った代償として自らの記憶・経験を失い、最悪の場合は、その存在が消えてしまうのです。それを知った羽磋は、輝夜姫が無事に生を全うして月に還ることができる方法を探すため、肸頓族の阿部の元へと旅立ったのでした。

 

※これまでの物語は、「月の砂漠のかぐや姫」のタブでご覧になれますし、下記リンク先でもまとめて読むことができます。

 

www.alphapolis.co.jp

 

 

【竹姫】(たけひめ)【輝夜姫】(かぐやひめ) 月の巫女とも呼ばれる少女。人々からは「竹姫」と呼ばれる。羽磋に「輝夜」(かぐや)という名を贈られるが、それは二人だけの秘密。

【羽磋】(うさ) 竹姫の乳兄弟の少年。貴霜(くしゃん)族の有望な若者として肸頓(きっとん)族へ出されることとなった。大伴の息子。幼名は「羽」(う)。

【翁】(おきな) 貴霜族の讃岐村の長老。夢に導かれて竹姫を拾い育てた。本名は造麻呂。

【大伴】(おおとも) 羽の父。貴霜族の若者頭で遊牧隊の隊長。少年の頃は伴(とも)と呼ばれていた。

【阿部】(あべ) 大伴の先輩で良き理解者。肸頓族の族長。片足を戦争で失っている。

【小野】(おの) 阿部の信頼する部下。片足を失くした阿部に代わっ

て、交易隊を率いている。小野と言う名前だが、30代の立派な成人。

【御門】(みかど) 月の民の単于(王)。

【冒頓】(ぼくとつ) 烏達渓谷の戦いで大敗した匈奴が月の民へ差し出した人質。匈奴の単于の息子。小野の交易隊で護衛隊長をしている。

【苑】(えん) 匈奴から冒頓に付き従ってきた従者の息子。成人していないので、親しいものからは「小苑」(しょうえん)と呼ばれる。

【王花】(おうか) 野盗の女頭目

【王柔】(おうじゅう) 王花の盗賊団の一人。交易隊の案内人。

【理亜】(りあ) 王柔が案内をしていた交易隊が連れていた奴隷の少女。

 

 

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【第287話】

 切り裂いた竜巻が上下左右へ飛び散っていったために、羽磋の視界がパッと開けました。羽磋の目は再び「母を待つ少女」の母親の姿を捉えましたが、その顔には「自分が見たものが信じられない」とでもいうかのような驚きの表情が浮かんでいました。

 信じられないのは、それを行った羽磋も同じでした。

 大きく手を振り上げた母親の様子を見た瞬間に、羽磋の身体は動き出していました。理亜と王柔が危ないと思ったからです。ただ、気が付いた時には、羽磋は彼女たちを背にして母親と向き合っていましたが、何をすればいいかという考えは持っていませんでした。

 母親が放ってきた竜巻に対して自分が握っていた小刀で切りつけたのは、本当に無意識での行動でした。それが竜の血を吸ったものであることは知っていたので、ひょっとしたら精霊の力を行使する母親に対して有効かもしれないとは思っていましたが、まさか竜巻を切り裂くことができるなどとは、考えてもいませんでした。飢えた獣のように恐ろしいものが自分に向かって襲い掛かってきたので、夢中で手に持っていた武器で切りつけたというのが、実際のところでした。

「はぁっ、はぁっ、はぁ・・・・・・」

 羽磋は背中を大きく上下させながら、息を整えていました。そして、小刀を握った右手を母親に向かって突き出すと、高い所から自分を見降ろしている彼女の目に、しっかりと自分の目を合せました。それは「目を逸らしたり弱気を見せたりしたら、一気に襲ってこられる」という、野生の獣を相手にしたときと同じ緊張感からの行動でした。

 「母を待つ少女」の母親は、ギリリと音がするほどに奥歯を嚙みしめると、羽磋が自分に向けて突き立てている小刀の先を凝視しました。

 この地下世界へ落ちて来てから、母親はずっと独りでした。それは、山が崩れ岩や砂となり、ヤルダンを流れる川が新たな谷を削り作るほどの長い間のことでした。精霊の不思議な力が働いたのか、彼女に「死」いう区切りは訪れませんでした。そのために、彼女は自分の持っていた恨みや憎しみを何度も何度も思い出し、純化し、さらに、それを増大させることとなり、最後にはこのような濃青色の球体という存在に変わりました。

 理亜や羽磋たちは、その長い時間の果てにようやく彼女に訪れた変化でした。それも、自分の娘を思い出させる嬉しいものでした。それなのに、ああ、それなのに。濃青色の球体となった自分の中に取り込んだ少女は自分の娘ではなく、彼女と一緒に取り込んだ少年と言ってもいいような若い男は、こうして自分に刃を向けているのです。それも、自分の巻き起こした竜巻を切り裂く力を持った、恐ろしい刃を。

 いまは濃青色の球体内部で大人の何倍もの大きさの姿となって、羽磋を、そして、その先に理亜と王柔と対峙している母親は、「長い時の果てにようやくやってきたのはコレか。どこまで世界は自分を苦しめるのだろうか」と、怒りと悔しさで細かに身体を震わせていました。

 ただ、母親はこの怒りをどうやって相手にぶつけたらいいのかを迷っていました。誰に教えられたわけでもないのですが、自然に自分の身体を動かす延長のものとして、母親は竜巻を巻き起こして王柔や羽磋を攻撃しました。でも、驚いたことに羽磋はその竜巻を小刀で切り裂いて逃れました。もしも、再び竜巻を放って攻撃したとしても、彼を打ち倒すことができるかどうかわかりません。彼の動きはとても素早いものでしたから、切り裂いた竜巻の隙間からこちらに飛び込んでこられたら、大きな体を緩慢に動かすことしかできない自分は対処できないかもしれません。

「ああ、なんとも悔しい。自分を騙したあの少女や少年を、この手で殴りつけてやりたい」

 母親はそう思いながらも、次の攻撃を放てずにいたのでした。

「どうする、どうする!」

 母親の攻撃が止まったこの間に、羽磋は一生懸命に頭を働かせていました。

 いまこうして母親に切っ先を向けているのは、それが牽制になるからというだけの理由でした。もともと、この小刀で母親に切りつけるつもりなどありませんでした。また、王柔が言うように、この場から逃げ出すつもりもありませんでした。それどころか、羽磋は「母を待つ少女」の母親に話したいことを持っていました。そして、彼女に協力をしてほしいとさえ思っていたのでした。

「だけど、この状況じゃとても無理だよな・・・・・・。」

 羽磋を睨みつけている母親の視線は、とても鋭くて恐ろしいものです。それに負けないようにとぶつけている自分の視線が弱くなるのが怖くて、瞬きをするのも逡巡するほどです。母親の顔からは、自分たちに対する怒りと憎しみ、それに、竜巻を切り裂かれたという屈辱が読み取れます。ここで羽磋が何か話しかけたとしても、その一言たりとも耳にしてくれそうにはありません。むしろ、何か声を発すれば、火に油を注ぐように、かえって母親の怒りを掻き立ててしまうような気さえします。だからと言って、羽磋には母親に切りかかるつもりはないのですから、小刀を持つ右手に力を入れながらも、彼はそれを母親に向けて保持し続けるだけで、動かすことはできないでいました。

 この奇妙な、しかし、緊迫した膠着況を動かしたのは、「母を待つ少女の」母親でも羽磋でもなく、彼らに投げかけられた少女の声でした。

「お願い、もう、止めて! 羽磋ドノッ! お母さんっ!」