コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 第344話

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(これまでのあらすじ)

 月の巫女である竹姫と、その乳兄弟である羽磋。月の巫女としてではなく、素の自分の居場所が欲しいと頑張る竹姫に、羽磋は「輝夜」(かぐや)の名を贈り、自分が輝夜を望むところに連れて行くと約束します。それは二人だけの秘密でした。しかし、大砂嵐から身を守るために月の巫女の力を使った竹姫(輝夜姫)は、その大事な秘密を忘れてしまいます。月の巫女はその力を使った代償として自らの記憶・経験を失い、最悪の場合は、その存在が消えてしまうのです。それを知った羽磋は、輝夜姫が無事に生を全うして月に還ることができる方法を探すため、肸頓族の阿部の元へと旅立ったのでした。

 

※これまでの物語は、「月の砂漠のかぐや姫」のタブでご覧になれますし、下記リンク先でもまとめて読むことができます。

 

www.alphapolis.co.jp

 

 

【竹姫】(たけひめ)【輝夜姫】(かぐやひめ) 月の巫女とも呼ばれる少女。人々からは「竹姫」と呼ばれる。羽磋に「輝夜」(かぐや)という名を贈られるが、それは二人だけの秘密。

【羽磋】(うさ) 竹姫の乳兄弟の少年。貴霜(くしゃん)族の有望な若者として肸頓(きっとん)族へ出されることとなった。大伴の息子。幼名は「羽」(う)。

【翁】(おきな) 貴霜族の讃岐村の長老。夢に導かれて竹姫を拾い育てた。本名は造麻呂。

【大伴】(おおとも) 羽の父。貴霜族の若者頭で遊牧隊の隊長。少年の頃は伴(とも)と呼ばれていた。

【阿部】(あべ) 大伴の先輩で良き理解者。肸頓族の族長。片足を戦争で失っている。

【小野】(おの) 阿部の信頼する部下。片足を失くした阿部に代わっ

て、交易隊を率いている。小野と言う名前だが、30代の立派な成人。

【御門】(みかど) 月の民の単于(王)。

【冒頓】(ぼくとつ) 烏達渓谷の戦いで大敗した匈奴が月の民へ差し出した人質。匈奴の単于の息子。小野の交易隊で護衛隊長をしている。

【苑】(えん) 匈奴から冒頓に付き従ってきた従者の息子。成人していないので、親しいものからは「小苑」(しょうえん)と呼ばれる。

【王花】(おうか) 野盗の女頭目

【王柔】(おうじゅう) 王花の盗賊団の一人。交易隊の案内人。

【理亜】(りあ) 王柔が案内をしていた交易隊が連れていた奴隷の少女。

 

 

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【第344話】

「すみません、冒頓殿。ちょっと、理亜の様子を見てきます」

 まだ冒頓への報告は終わってはいませんでしたが、羽磋はそれを中断して理亜の元に向かいたいと話しました。

 理亜の悲痛な泣き声は冒頓たちにも聞こえていましたし、「母を待つ少女」やサバクオオカミの奇岩が消えたいま、羽磋の報告を急いで聞く必要もありません。冒頓は羽磋に対して頷いて見せました。

 サッと頭を下げて、理亜の元へ行こうとする羽磋。彼が横を通り過ぎる際に、冒頓が小声で尋ねました。「王柔はどうしたんだ?」と。先ほどから理亜は「オージュ、オージュ」と泣き声をあげていますし、彼だけがまだ地上へ戻って来ていないので、きっと何かがあったのではないかと推測したのでした。

 羽磋は自分と理亜を地上に送り出してくれた時の、濃青色の球体の様子を思い出しました。外殻の至る所に傷が生じ、そこから煙のようなものが漏れ出ていた球体。「母を待つ少女」の母親が転じた姿であるそれは、自分の娘を救うために、最期の力をかき集めて、羽磋と理亜を地上へ送り出したように思えました。そして、まだ、王柔は地上へ戻ってきていません。おそらくは、もう・・・・・・。

 羽磋は黙ったままで、小さく首を振りました。

 それは、近くにいる冒頓にしかわからないほどの小さな仕草でしたが、彼には羽磋の想いが確実に伝わっていました。「もう、王柔が地上に戻って来ることはないだろう」と。

「そうか、わかった。お嬢ちゃんのところへ、早く行ってやってくれ」

 一瞬だけ目を伏せた冒頓はそう早口で羽磋に伝えると、次の瞬間には顔を上げて、護衛隊の男たちの方へ指示を出しました。

「よおし、潮時だ! ひとまずヤルダンの入口にまで戻るぞ! 羽磋の話は、そこで待たしている交易隊の連中も交えて、ゆっくりと聞かせてもらおうぜ。怪我している奴は、しっかりと応急処置をしておけよっ」

 羽磋の話を聞こうと集まっていた護衛隊の男たちは、自分たちの馬を呼び寄せたり鞍を付け直したりと、帰路の準備を始めました。その中でも、苑は鞍の上の当て布や積んでいる荷物の位置を、しきりに調整していました。まだ細かな命令は下されていなかったのですが、馬を持たない羽磋と理亜を連れてここを離れる際には、仲の良い羽磋を自分の馬に乗せたいと思ったからでした。

 冒頓の元を離れた羽磋は、勢い良く理亜の方へ走り出しました。でも、彼女に近づくにつれてその速度は遅くなりました。そして、理亜に向かって走るから歩くに変わり、そして、理亜の後ろに立った時には、彼の足取りはとても重くなっていました。

 始めの頃のように周囲に向かって大声を出したりはしていませんが、理亜は背中を丸めて泣き続けており、すぐそばに立った羽磋の方を見ようとはしません。そもそも、悲しみの世界に閉じこもってしまった理亜は、彼が傍ら来たことに気付いていなかったのかもしれません。

「理亜・・・・・・」

 こんな時にどのような言葉を掛ければいいのか、羽磋には全くわかりませんでした。それに、地下から地上へ戻る際に、理亜が嫌がって時間を無駄にすることを避けるために、「王柔殿も後からくるから」とその場しのぎの言葉を発してしまった自覚が、羽磋にはありました。そのことが、羽磋の足取りを重くし、彼が理亜に慰めの言葉を発することを難しくした、大きな原因なのでした。

「理亜・・・・・・」

 羽磋は、もう一度理亜に呼びかけました。その声は理亜の背中と同じように、細かに震えていました。

 いまでも、彼女を慰めるためだけに、思ってもいないことを言うことはできます。つまり、こういうのです。

「大丈夫だよ、理亜。濃青色の球体が力を取り戻したら、すぐに王柔殿を地上に戻してくれるよ」

 でも、そう言えばきっと、理亜はこう尋ねてくるでしょう。

「いつ? いつ、オージュは帰って来るノ?」

 その問いにどう答えればよいのか、羽磋にはわかりませんでした。

 先ほど、冒頓が撤収準備の指示を出していましたから、彼らは程なくここを離れることになります。それまでに王柔が戻ってこなかったとしたら、ここを離れることを理亜はおとなしく受け入れるでしょうか。

 もう理亜は、あまりにも物わかりの良い子供ではなくなり、普通の子供の心を取り戻しているのです。ここに残って王柔を待つと泣いて暴れる理亜を、無理やり馬に乗せるしかなくなるでしょう。それは、彼女の心に大きな傷をつけることになると、羽磋には思えました。

 それに、羽磋自身が、地下を離れる時の状況から見て、濃青色の球体にはもう力が残っておらず、王柔を地上に戻すことはできないと、認識しているのです。それを「大丈夫だ」なんて・・・・・・。いくら小さな子供相手とは言え、地下世界の困難を一緒に潜り抜けて来た理亜に対して、もう羽磋はその場しのぎの誤魔化しをしたくはありませんでした。

「理亜・・・・・・」

 羽磋は、さらに理亜に声を掛けると、彼女の小さな背中にそっと触れました。

 ビクッと、羽磋の掌を理亜の背中が、強く押し返しました。

 なんとなくなのでしょうが、理亜には誰かが自分に触れて何かを語りかけることがわかっていたようです。でも、その何かを自分は聞きたくなくて、誰かが触れることをブルブルと恐れていたようでした。

「イヤダッ!」

 理亜の身体を、これまでにない激しい感情が走り抜けました。そして、彼女の口から、王柔を求める叫びが上がりました。

「オージュッ。オオージュウゥッ!」

 その瞬間です。まるで、理亜の叫び声に呼応するかのように、地面に大きな振動が生じたのでした。