「お前たちは、エデンの園に生える樹木から好きに実を採って良いが、善悪の知識の実は食べてはならない」
そのように神様に命じられていたのに、蛇に唆されたイヴは善悪の知識の実を口にし、さらにそれをアダムにも食べさせてしまいます。その結果、神様の命令に背いた罰として、二人はエデンの園から追放されることとなるのでした。
エデンの園の外で生きる中で、アダムとイヴは二人の息子を授かります。
兄の名はカイン。弟の名はアベル。
カインは大地を耕して野菜や果物を育て、アベルはヒツジやヤギを飼って生活をしていました。
ある日、二人はそれぞれの収穫物を神様に捧げました。カインは自分が育てた作物を、そして、アベルはヒツジの初子を捧げました。
ところが、神様はアベルが捧げた供物だけを良しとし、カインの捧げた供物は良しとしませんでした。
「自分の捧げた作物は神様に受け入れられなかったのに、アベルのものだけ受け入れられたのはずるい」と、弟のことを恨んだカインは、彼を野原に誘いだして殺してしまいます。
その後、カインは神様にアベルの居場所を尋ねられるのですが、「自分は知らない」と噓をつきます。でも、その様な嘘が神様に通用するはずがありません。アベルを殺したことを告白したカインを、神様はエデンの東へ追放します。
この時に、カインは深く反省をするのですが、罪人である自分は追放された先で殺されてしまうだろうと、ひどく怯えて訴えもするのでした。
そのため、神様はカインを殺す者には復讐がある事を伝え、カインが誰にも殺されないように、彼の額に印をつけたのでした。
~サラ・ハミルトンが祖母から聞いたお話
「お疲れ様でした、響ちゃん。素敵な演奏でしたっ」
「オツカれさま、ひびき」
ピアノを弾き終えて席に戻ったあたしを、さくらとサラが笑顔で迎えてくれた。
喫茶「木琴鳥」は、ちょっとしたレストランと言っても良いぐらいに広い。フロアの奥の方には小ぶりなアップライトピアノが置かれている。音大でピアノを専攻しているあたしは店長さんに頼まれて、時々それを弾いているのだ。また、店の敷地内には緑一杯の広い庭もあって、お客さんが窓から庭を眺めてくつろげるように、大きな窓に面したところには四人掛けテーブルが並べてある。あたしたちはその一番奥のテーブルで、いつも屯っているのだ。
さくらの前には湯気を立てるほうじ茶とあんみつが、サラの前にはポットに入ったコーヒーとアップルパイが置かれている。おっとりとした調子で話すさくらは、長い黒髪をポニーテールにまとめていて、今日は大きめの丸眼鏡を掛けている。その向かいに座っている長身のサラは、短くした金髪の裾を刈り上げたボーイッシュスタイルだ。彼女はイギリスからの留学生で、日本語は母国語ではないのだけれど、日常会話に不自由しないほどにはそれを理解しているらしい。サラが早口ではっきりした調子で話すこともあって、同い年のさくらよりも彼女の方が二つ三つは年長に感じられる。
何から何まで対照的なさくらとサラだけど、とっても気の合う友人だそうだ。
ああ、そうだ。彼女たちには似ているところもあった。それは、名前だ。
日本文学、特に昔話を学ぶため日本に留学してきているサラは文学部に在籍中で、調香師になってオリジナルの香水を作ることが目標のさくらは工学部だから、二人は同じ大学に通ってはいるのだけど、これまで特に接点はなかった。ところが、ある日の食堂で、さくらの友人が呼びかけた「さくら、ここ空いてるよー」という声に、たまたまそこに居合わせたサラが自分が呼ばれたものと勘違いして「ハイ、アリガトウ!」と応えたことが、二人が知り合うきっかけになったそうだ。
さくらとサラ。同じように発音する名前を持つ二人が、ちょうどその時間、その場所にいたというのは、とっても幸運な偶然だったとあたしは思う。
「ありがと、さくら、サラ。二人に演奏を聴いてもらえて嬉しいよ。さあて・・・・・・」
出番を終えてホッとしたあたしは、サラの横に腰を下ろす。
と、それにタイミングを合わせたかのように、あたしの前にスイーツを乗せたお皿とコーヒーを満たしたポットが置かれた。そのスイーツと言えばもちろん・・・・・・。
「お疲れ、響。はい、いつもの」
「おお、ありがとう、七海!」
「ダブルサイズ、パンケェキー! しょうがないなぁ、響くんは。特別だよ。はい、これ」
あたしの大好物のパンケーキ、それもダブルサイズを用意してくれたのは、このお店でアルバイトをしている七海だ。彼女はお得意のドラえもんの口真似をしながら、トレイの上からテーブルの上に、大きめのシロップポットを二つ移してくれた。
流石、七海! わかってらっしゃる!
「あたしももう少ししたらバイトが終わるから、それまで待っててね。ごゆっくり!」
ペコリ。とっても丁寧なお辞儀を披露すると、七海は給仕に戻って行った。いつも見ていて気持ちの良くなる、朗らかで軽やかな身のこなしだ。でも、あたしは知っている。七海が単に明るいだけの子ではなくて、とっても優しい子でもあることを。