村長の言葉を聞いて、男衆の間から「おおっ」と怒声が上がる。歓声ではない。それは決して喜ばしいことではないからだ。だが、この期に及んでは仕方がない。「村全体を救うためには、最小の犠牲を出すのを受け入れないといけない」というところまで、彼らは追い詰められているのだ。
「誰じゃ、誰の子を荒神様に捧げるんじゃ!」
「又吉のとこのはなはどうじゃ?」
「う、うちのはなよりは、小介のとこのふゆの方がよかろうっ」
「馬鹿言うでねぇ! ふゆはもう大きすぎるっ。新太の娘のかめの方がええに決まっとるっ」
たちまち、座敷は騒然となった。
荒神様にお頼みするには、村娘、それも、嫁入り前の若い娘を捧げなければならないと、昔から決まっている。荒神様にお願いすること自体は決まったのだが、捧げものとする娘を誰にするかが大きな問題となったのだ。誰でも良いというものではない。村全体の運命がかかっている。だが・・・・・・。
囲炉裏の上を村の若い娘の名前が次々と飛び交うのだが、皆が納得するような名前はなかなか出てこなかった。その時、座敷の奥の襖が勢いよく開かれ、奥座敷から一人の娘が現れた。年の頃は十を一つ二つ過ぎたばかりに見えるが、高い知性をうかがわせる広い額と意志の強そうな切れ長の目を持っている。座敷の中では男衆が大声で怒鳴り合っているのだが、その娘はそれに気押される様子をまったく見せていなかった。
この娘の名はとき。村長の娘だ。村の長は田植えや稲刈りの際の神事や祭りの進行も行うが、その際には彼女が川の神様に祈りを捧げる稚児の役割をこなしていた。
ときは、重大な決意を胸に秘めているかのように、思いつめた顔をしていた。
「おめえさんたち!」
思いがけないところから飛び込んできた娘の声に、座敷の男衆は一斉にときの方を見やった。
「うちを、うちを荒神様に捧げてくだせぇ。村のためになるのなら、うちはそれでええけぇ」
一瞬の間、静けさが座敷を満たした。まさか、「村のために犠牲になる」と自分から申し出る娘がいるとは、誰も思っていなかったのだ。
だが、その静けさはすぐに幾つもの大声で上書きされた。
「よう言うた、とき。だがのう・・・・・・」
「駄目じゃ、駄目じゃ!」
「ときよ、おめえじゃ駄目じゃ!」
「なんで、うちじゃ駄目なんじゃ! うちは田植えや稲刈りのときに、何度も神様にお願いしとる!」
「川神様ならええ。だけんど、荒神様にはおめえじゃ駄目なんじゃ!」
村を救いたいと言うときの思いは、座敷の男衆の胸をうった。実に美しい心がけではないか。それに、彼女の申し出を受ければ、誰かの娘を捧げ物として選ぶ必要は無くなるのだ。だがそれでも、彼らの中の誰一人として、ときを荒神への捧げものとすることに賛成する者は無かった。
「そうじゃ、長のとこにうめがおったの。あいつはどうじゃ」
「おお、うめか。あの、甘えたの泣き虫か。あいつならええのう。どうじゃ、長」
混乱の中で、誰かがうめの名を挙げた。うめはときの妹で八つになる。姉が年齢よりもしっかりとしているのとは対照的に、彼女はとても甘えん坊でありわがままな性格でもあった。村長の娘と言う立場を悪い方に利用して村の子供たちに威張り散らし、気に入らないことがあるとすぐに泣いて騒ぐ娘であった。
うめの名を耳にしたときは、すぐに「うめには無理じゃ。やっぱりうちが」と声を出して、妹をかばおうとする。だが、彼女と同じようにうめの名を、娘の名を耳にした長は・・・・・・、「よかろう」と首を縦に振ったのだった。
バシャッバシャッ!
泥水を撥ね飛ばしながら雨中を急いできた男二人が、筵で包まれた大きな荷物を簡素な小屋の中に運び込んだ。何かを恐れているかのようにビクビクとした様子の二人は、慎重に荷物を床に置くとすぐに小屋の外に出た。男の一人は木戸の閂に棒を通すため立ち止まったが、もう一人の男はそれが終わるのを待つこともできないのか、小屋の外に出た勢いのままその場から走り去ってしまった。
この小屋は物置小屋なのだろうか、四方は木板で塞がれていて、木戸の他には開いた部分はない。奇妙なのはその木戸の作りだ。閂が木戸の外側に作られているのだ。これでは、小屋の中に米や味噌を置いたとしても、それを外部の者から守ることはできない。
小屋が立てられている場所は、北側の堤の内側、それも、すぐ近くだ。上流から押し寄せてくる大量の水が次々とぶつかってあげる轟音が小屋の中にまで響き、水しぶきが屋根や木壁にザンザンと降り注いでくるようなところだ。
実は、この小屋は物を蓄えるための小屋ではない。ここは、荒神様に娘を捧げるための小屋なのだ。そのため、間違っても荒神様へのお供えが逃げ出すことが無いようにと、木戸の外側に閂を設けているのだった。