コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

【短期集中連載⑥】エデンの東の果ての地で ~ココロにパフュームをⅤ

 

 

 ズ、ズルゥ・・・・・・。

 筵で包まれていた塊が暗い室内で動き出した。中に入れられている何ものかが藻掻いているのだ。その包みは特段荒紐で縛られているわけでもなかったから、強い力で抱え込んでいた男二人がいなくなれば、筵から逃れようと動くことはできるようだった。

 果たして、ベロンッと筵を剥ぎ取って、その中から転がり出てきたのは、小さな娘だった。

「・・・・・・はぁああ、・・・・・・ああ、ああっ、うわぁああんっ! どこじゃぁ、ここはどこじゃぁっ。嫌じゃぁ、嫌じゃぁ、うわあああん・・・・・・」

 やっと大きく息を吸えるようになったその娘は、さっそくそれを泣声という形で吐き出した。

 粗末な小屋の中には床板など敷かれてはおらず、娘を包んでいた筵が広がっているところ以外は土が露出していた。一応は屋根も壁もある小屋の中であるのだが、その土は酷くぬかるんでいた。小屋の周りの地面には深く水が溜まっていて、その水が小屋の中にまで入り込んで来ているのだった。

「冷たいのは嫌じゃ、ぬるぬるするのも嫌じゃっ。うわあああ、うわああああん。お父ー、お母ー。助けておくれぇ、ああん、あああん・・・・・・」

 泣きながら地面を叩く娘の手から泥が跳ねあがり、次々と顔に貼り付いた。その中には口の中にまで飛び込むものもあったのだが、それでも、娘は大口をあけて泣き叫ぶのを止めなかった。

 この娘こそ、屋敷の中で男衆が口にしていた村長の娘うめだった。村長が彼女を荒神様への捧げものにすることを承諾した後、男衆はすぐさま屋敷の奥へ入っていった。そして、部屋の隅っこで頭を抱えながらしゃがみ込んでいたうめを見つけると、この小屋へ送り込んだのだった。

 もっとも、うめの方からしてみれば、突然家の奥にまで入り込んできた男たちが、自分を攫おうとしているのだとしか思えない。うめは大声で泣き叫び、全力で手足をばたつかせて、それに抵抗した。大の男が数人がかりでようやく彼女を抑え込んだのだが、あまりにもその暴れる力が強いものだから、筵でグルグルと簀巻きにして運ばねばならなくなったのだった。

 そう、うめは何も事情を知らされていなかった。

 大雨が続いているために村中の人が困っていることは、いくら子供とは言え、うめにもわかっていた。だが、いまにも堤が切れて村が川の底に沈むかもしれないだとか、橋が流されたので他所へ逃げることができないだとかの、周囲の細かな状況は知らなかった。そして、自分がどうしてこの小屋に投げ込まれたのか、つまり、荒神様への捧げものにされたのだという最も大事なことも、知らされていないのだった。

「ぐずっ、嫌じゃ、こんなところは嫌じゃ・・・・・・」

 鼻から垂れ落ちる涙をすすりながら立ちあがったうめは、木戸を開けて外に出ようとした。だが、どれだけ力を込めて引こうが押そうが、それは少しも動こうとしなかった。

「なして・・・・・・」

 うめの心がスゥッと冷たくなる。彼女は、木戸を思いきり叩いた。バスンという湿った音が立つものの、それが壊れる気配は全くない。

 自分が閉じ込められているという現実が、うめにははっきりと理解できた。その途端、赤々とした激しい感情が、腹の底から頭のてっぺんにまで一気に沸き上がった。

「怖い怖い怖い、出たい、ここから出たい。怖いっ、出せ、出せ出せ出せ出せ、出せぇっ。出あせえっ!」

 意識ではなく感情に動かされて、うめは木戸を、壁を、手当たり次第に叩いて回る。板壁の棘経ったささくれが、うめの柔らかな拳に突き刺さっていく。だが、うめは痛みなど全く感じていないかのように、全力で壁板を叩き続ける。

 それでも、いくらうめが力いっぱい叩こうとも、木戸が壊れたり壁板が割れたりすることはなかった。この小屋には居心地の良さは必要とされないから、それには気を配られていない。だが、捧げものが逃げ出すことは絶対に有ってはならないので、十分な強さを持つようにとは配慮して作られているのだ。

「なして、なしてじゃぁ・・・・・・」

 どれぐらいの時間、壁を叩き続けただろうか。

 「もうこれ以上は腕を振り上げることができない」というぐらいにまで疲れ切ったうめは、だらんと両手を垂らしたままで、壁にもたれかかる。大きく背中を上下させるうめの口からは、泣き言の替わりに「ゼハッ、ゼハッ」という荒い呼吸が吐き出されている。

 しばらくは、息を整えることで精一杯だったうめは、それが落ち着いて来ると、ずるずると床に向かって滑り落ちていった。

「ひいっ!」

 急に甲高い悲鳴を上げて、うめは跳ね起きた。地面に腰を降ろして休もうとしたのに、冷たい泥水がべしゃぁと彼女の尻にまとわりついたのだ。

 反射的に足元を見たうめは、自分の目を疑った。

 こんなには水が溜まっていなかったはず。自分がここに放り込まれたときには、床の土はぬかるんでいたけれど、ちゃんと土だった。なのに、いまはなんだ。床が、地面が、無い。足元には水しかない。自分の足先も茶色い水の中に沈んでいて、見えなくなっている。