コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 第354話

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(これまでのあらすじ)

 月の巫女である竹姫と、その乳兄弟である羽磋。月の巫女としてではなく、素の自分の居場所が欲しいと頑張る竹姫に、羽磋は「輝夜」(かぐや)の名を贈り、自分が輝夜を望むところに連れて行くと約束します。それは二人だけの秘密でした。しかし、大砂嵐から身を守るために月の巫女の力を使った竹姫(輝夜姫)は、その大事な秘密を忘れてしまいます。月の巫女はその力を使った代償として自らの記憶・経験を失い、最悪の場合は、その存在が消えてしまうのです。それを知った羽磋は、輝夜姫が無事に生を全うして月に還ることができる方法を探すため、肸頓族の阿部の元へと旅立ったのでした。

 

※これまでの物語は、「月の砂漠のかぐや姫」のタブでご覧になれますし、下記リンク先でもまとめて読むことができます。

 

www.alphapolis.co.jp

 

 

【竹姫】(たけひめ)【輝夜姫】(かぐやひめ) 月の巫女とも呼ばれる少女。人々からは「竹姫」と呼ばれる。羽磋に「輝夜」(かぐや)という名を贈られるが、それは二人だけの秘密。

【羽磋】(うさ) 竹姫の乳兄弟の少年。貴霜(くしゃん)族の有望な若者として肸頓(きっとん)族へ出されることとなった。大伴の息子。幼名は「羽」(う)。

【翁】(おきな) 貴霜族の讃岐村の長老。夢に導かれて竹姫を拾い育てた。本名は造麻呂。

【大伴】(おおとも) 羽の父。貴霜族の若者頭で遊牧隊の隊長。少年の頃は伴(とも)と呼ばれていた。

【阿部】(あべ) 大伴の先輩で良き理解者。肸頓族の族長。片足を戦争で失っている。

【小野】(おの) 阿部の信頼する部下。片足を失くした阿部に代わっ

て、交易隊を率いている。小野と言う名前だが、30代の立派な成人。

【御門】(みかど) 月の民の単于(王)。

【冒頓】(ぼくとつ) 烏達渓谷の戦いで大敗した匈奴が月の民へ差し出した人質。匈奴の単于の息子。小野の交易隊で護衛隊長をしている。

【苑】(えん) 匈奴から冒頓に付き従ってきた従者の息子。成人していないので、親しいものからは「小苑」(しょうえん)と呼ばれる。

【王花】(おうか) 野盗の女頭目

【王柔】(おうじゅう) 王花の盗賊団の一人。交易隊の案内人。

【理亜】(りあ) 王柔が案内をしていた交易隊が連れていた奴隷の少女。

 

 

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【第354話】

 冒頓は目ざとく羽磋を見つけると、彼を囲む塊の中に割って入りました。その塊の一番内側には苑もいて、尊敬のまなざしを羽磋に向け続けていました。

「おう、羽磋。すまねえな、ずっと話してばかりになってねえか。ちゃんと食ったり飲んだりしろよ」

「は、はい、冒頓殿。ありがとうございます。不思議なんですが、なにも飲まなくてもあまり喉が乾かなくなったようなんです。でも、腹は減るので、ちゃんと馬乳酒は飲んでますよ」

 冒頓が言うように、驚きの方法で地上に戻って来てからずっと、羽磋は誰かに話しをし続けているような気がしていました。その一方で、「母を待つ少女」である由と対峙していた時も、ここまで戻って来る道すがらも、みんなが落ち着いて羽磋から話を聞く時間はありませんでした。そのため、一度簡単に羽磋の話を聞いていた騎馬隊の者ですら、彼が体験した不思議な出来事の話を詳しく聞きたいと思って集まっているのでした。

 羽磋は馬乳酒を飲んではいましたが、それは食事の一つとして口にしていただけで、喉の渇きを癒すためではありませんでした。母を待つ少女の奇岩がいた広場からここに戻る間も、羽磋は喉の渇きを覚えることはほとんどありませんでした。それは、一緒に移動していた王柔や理亜も同じでした。彼ら三人は、他の者と比べて、明らかに水分を取る量が少なかったのでした。

 思い返してみれば、地下の洞窟を歩いている間は喉がカラカラに乾いてとても苦しい思いをしました。でも、何時の頃からか・・・・・・、そうです、ちょうど濃い青色の球体に飲み込まれた辺りから、そのような事に意識が行くことは無くなっていました。あまりにも不思議な出来事が次々と起こっていたので、自分たちの身体の方に注意を向ける余裕は無かったのですが、そこで何らかの変化が生じていたのかもしれません。いまのところ、変化があったとわかるのは、「喉が渇くことが少なくなった」と言うことだけなのですが・・・・・・。

「まぁ、馬乳酒が飲めれば大丈夫だろうさ。よし、何度も繰り返すことになって悪いがよ、俺にも地下での話を詳しく教えてくれ」

「もちろんです、冒頓殿。それに、俺にも冒頓殿と奇岩たちとの戦いについて、詳しく聞かせてください」

 冒頓は羽磋の横に腰を下ろすと、近くにあった馬乳酒の皮袋を引き寄せ、羽磋の手元の椀に注ぎました。

 馬の乳を発酵させた馬乳酒は遊牧民族にとって貴重な栄養源でしたから、冒頓の言いように間違いはありません。馬乳酒は酒とは言うもののアルコール分は少なく、子供から老人まで飲むことができました。馬乳酒がビタミンやミネラルを多く含んでいて、新鮮な野菜を取ることが難しい遊牧生活の中で大きな助けとなることを彼らは、経験の中で学んでいました。そして、それを「白い食べ物」と呼んで、主食のようにしていました。

 あまり喉が渇かなくなったからと言って馬乳酒まで飲まなくなったとすると、栄養の補給と言う意味合いで心配になりますが、水はあまり飲まなくなったとしてもこれは飲んでいるのであれば、確かに問題はなさそうだと考えられるのでした。

 自分にも話を聞かせてくれと言う冒頓の求めに、羽磋は素直に応じました。そして、彼も冒頓の話を聞きたいのだと付け加えました。ヤルダンの入り口にまで戻って来たことで、お互いが経験した出来事についてゆっくりと話し合う時間を、ようやく持つことができたのでした。

 二人の周りに集まっている男たちも、改めてそれぞれの椀に馬乳酒やヤルヒを注ぎました。冒頓と羽磋が話し始めたら、もうそこに口を挟むつもりはありません。でも、ヤルダンで奇岩たちと戦った冒頓、そして、その地下に広がっていたという空間を抜けて来た羽磋と言う、人知を超えた出来事の当事者二人が交わす話を、近くでじっくり聞いているつもりなのでした。

 まずは羽磋が話し、冒頓がそれに耳を傾けます。羽磋が洞窟に入る判断を降した経緯を聞き、冒頓がそれを褒めます。地下の大空間の様子を聞き大きく両手を広げ、驚きを表します。干し肉を一切れ食いちぎり、グイッとアルヒを煽ってから、羽磋に次々と質問を投げかけます。その様子は、息子の手柄話を喜んで聞く父親の姿にも、似ていました。

 でも、羽磋の話が濃い青色の球体とその内部で見たものに及ぶと、冒頓の様子がそれまでの明るい様子から、話の内容を自分の身に置き換えながらじっくりと聞くような素振りに、変わっていきました。

 ヤルヒと言う強い蒸留酒の杯を重ねたせいもあったのでしょうが、冒頓の脳裏には故郷である匈奴の景色が浮かび上がっていたのでした。

 地下世界に潜んでいた濃い青色の球体と「母を待つ少女」の奇岩は、精霊の力に翻弄された母と娘だったと、羽磋は話しました。

 冒頓も自分の力が及ばない情勢に流されて、ここに居ます。母国である匈奴が月の民との戦に敗れたため、単于(王)の息子である彼が人質として差し出されたのです。月の民の単于である御門の好意で、このようにある程度自由な行動が許されてはいるものの、その身分に変わりはないのです。

 匈奴が月の民に大敗したあの戦い、そう烏達渓谷での戦いの時、冒頓はまだ五歳でした。その後、月の民に出されるようになった時も、もちろん成人する前の子供でした。それでも、冒頓は彼なりに情勢を理解し、その意味を納得してここに来てはいました。ただ、高熱に命を脅かされる娘のために、存在するかどうかもわからない薬草を探しに出た母親の行動が、どうやらこの一連の不可思議の発端のようだと聞くと、ふと、「自分を人質に出した父親は、自分のことをどう思っているのだろう」と考えてしまったのでした。