コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 第358話

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(これまでのあらすじ)

 月の巫女である竹姫と、その乳兄弟である羽磋。月の巫女としてではなく、素の自分の居場所が欲しいと頑張る竹姫に、羽磋は「輝夜」(かぐや)の名を贈り、自分が輝夜を望むところに連れて行くと約束します。それは二人だけの秘密でした。しかし、大砂嵐から身を守るために月の巫女の力を使った竹姫(輝夜姫)は、その大事な秘密を忘れてしまいます。月の巫女はその力を使った代償として自らの記憶・経験を失い、最悪の場合は、その存在が消えてしまうのです。それを知った羽磋は、輝夜姫が無事に生を全うして月に還ることができる方法を探すため、肸頓族の阿部の元へと旅立ったのでした。

 

※これまでの物語は、「月の砂漠のかぐや姫」のタブでご覧になれますし、下記リンク先でもまとめて読むことができます。

 

www.alphapolis.co.jp

 

 

【竹姫】(たけひめ)【輝夜姫】(かぐやひめ) 月の巫女とも呼ばれる少女。人々からは「竹姫」と呼ばれる。羽磋に「輝夜」(かぐや)という名を贈られるが、それは二人だけの秘密。

【羽磋】(うさ) 竹姫の乳兄弟の少年。貴霜(くしゃん)族の有望な若者として肸頓(きっとん)族へ出されることとなった。大伴の息子。幼名は「羽」(う)。

【翁】(おきな) 貴霜族の讃岐村の長老。夢に導かれて竹姫を拾い育てた。本名は造麻呂。

【大伴】(おおとも) 羽の父。貴霜族の若者頭で遊牧隊の隊長。少年の頃は伴(とも)と呼ばれていた。

【阿部】(あべ) 大伴の先輩で良き理解者。肸頓族の族長。片足を戦争で失っている。

【小野】(おの) 阿部の信頼する部下。片足を失くした阿部に代わっ

て、交易隊を率いている。小野と言う名前だが、30代の立派な成人。

【御門】(みかど) 月の民の単于(王)。

【冒頓】(ぼくとつ) 烏達渓谷の戦いで大敗した匈奴が月の民へ差し出した人質。匈奴の単于の息子。小野の交易隊で護衛隊長をしている。

【苑】(えん) 匈奴から冒頓に付き従ってきた従者の息子。成人していないので、親しいものからは「小苑」(しょうえん)と呼ばれる。

【王花】(おうか) 野盗の女頭目

【王柔】(おうじゅう) 王花の盗賊団の一人。交易隊の案内人。

【理亜】(りあ) 王柔が案内をしていた交易隊が連れていた奴隷の少女。

 

 

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【第358話】

 冒頓は弁富の声にニヤリと笑って答えました。匈奴にいた頃から冒頓は弁富の事を良く知っていましたから、彼になら羽磋や交易隊の護衛を安心して任せられると確信していました。それだけに、弁富が震える声で行った返答を聞くと、「彼ほどの男でも緊張することがあるのだ」と、可笑しくなったのでした。

「ようし・・・・・・。では、出発するっ」

 冒頓は改めて一呼吸を置くと、土光村へ戻る男たちに向かってはっきりとした声で合図を出しました。そして、その先頭に立って愛馬を引きながら歩き出しました。

 護衛隊の男たちは、怪我をして不自由な体の者を助けながら、次々と野営地から出て行きます。その中には苑も入っていました。羽磋が護衛隊と同行するようになってからは、苑は事あるごとに羽磋と一緒に行動していましたが、今回は羽磋とではなく冒頓と同じ隊に割り振られていたのでした。

 それは、冒頓が気に入って抜擢はしているものの苑はまだ年若く、少ない人数しか割り当てることのできない交易隊の護衛の一人とするには力不足だということがありました。また、彼が得意とするオオノスリの空風を使った見張りは非常に有効なので、多くの荷を運ぶが故に野盗に襲われる危険が高い交易隊本体を護衛する際にこそ本領を発揮できるだろうとも考えられたのでした。

 もちろん、苑としては隊長である冒頓の命令に従うことに、何の不満も持っていません。でも、隊列の最後についてこの場から去る際に、苑は羽磋の方を振り向かずにはいられませんでした。きっと、「寂しい」という気持ちが生じる大元は、意識とは異なるところに有るのでしょう。苑はその気持ちが生じるのを抑えようと意識していたのですが、それはできなかったのでした。

 自分の方に向かって寂しげな眼をして振り返った苑に向かって、羽磋は大きく手を振りました。彼にとっても、苑は年の近い弟のようで、とても近しく思える存在になっていたのでした。

「苑っ。縁があったらまた会おうっ。まあ、それこそすぐに吐露村で会うかもしれないけどな。はははっ。元気でなっ」

 これが同じ月の民の者であれば、「なあに、最期には月でまた会えるさ」と付け加える所ですが、異民族である苑に対してはできません。月に還ることができるのは、月から来た者を祖とする月の民の者だけだからです。その代わりに羽磋は、何度も振り返りながら去って行く苑が見え無くなるまで、ずっと腕を振り続けたのでした。

 

 土光村へ戻る護衛隊本体が出て行ってしまうと、ほんの少し前まで男たちや駱駝たちの熱気で一杯だったヤルダンの入口は、すっかりと静かになってしまいました。

 人は「これはずっと続くものだ」と考えていなくても、無意識の内にそのように思ってしまうのかもしれません。あるいは、現在の状況に慣れてしまうと、「いずれ新しい状況に変わるのだ」とわかっていても、前もってその新しい状況に備えるとこはできないのかもしれません。

 ここで冒頓の護衛隊本体と別れて、小野が付けてくれた小規模な交易隊と共に先に吐露村へ向かう。その流れは羽磋も良く理解していましたし、そうした方が吐露村にいる阿部の所に早く行けると、嬉しくさえ思っていました。

 それでも、いざこうして多くの男や駱駝たちが目の前から去ってしまうと、全く想像していなかった感情がスウッと胸の中を冷たくするのでした。それは、苑が感じた「寂しさ」に似ていましたが、少し違うものでした。親しい人との別れを「寂しい」と感じた苑とは違って、羽磋が感じたものは「さっきまで有ったものがいまはもう無いことへの寂しさ」でした。

 もちろん、生きていくと言うことはそのような事の繰り返しであると言い換えることもできるのですが、これまで羽磋はそのような感情をはっきりと自覚したことはありませんでした。季節に合わせて根拠地を変える遊牧生活を送ってはいるものの、それは自然という大きな流れに従っての生活であり、明確な境目のないゆるやかな状況変化に合わせたものでした。

 ところが、ヤルダンと言うゴビの砂漠の中でも特に精霊の力が働く一角で羽磋が経験した出来事は、余りにも異様で衝撃的なものでした。彼はそれに対処するのに文字どおり全神経を集中し、それ以外の何物にも意識を向けられないほどでした。そのようなギュッと濃縮されたような時間を過ごしたが故に、それが過ぎ去ってしまう際に、何故だか「自分が取り残されてしまう」と、感じてしまったのでした。

 時は人を置き去りにして流れていく。自分が変わろうが変わるまいが、周りはどんどんと変化していき、それを止める事はできない。

 羽磋がそのこと、つまり「無常」と言うことを、実感したのはこの時が初めてでした。実のところは、それはこれまでに彼が過ごしてきた遊牧生活でも同じことが言えるのですが、よりそれが明確に現れたのが今回の出来事だったのでした。

「羽磋殿?」

 自分の考えの中に入り込んでいた羽磋に、王柔が声を掛けました。

 羽磋が顔を上げると、ヤルダンの内部の方に身体を向けながら、王柔がこちらを見ているのでした。その周りに立つ駱駝の手綱を持った交易隊の男たちや、弁富の部下たち、それに弁富本人までもが、羽磋の方に顔を向けていました。明らかに、彼らは羽磋の合図を待っているのでした。

 理亜を除けば、ここに居る中でもっとも年若いのが羽磋です。でも、彼らはこの小隊の中心人物は羽磋であると受け入れているのです。

 先ほどまで、寂しさという冷たい風が吹き抜けていた羽磋の胸が、その底から温かくなってきました。

 時間は流れる。人の営みに関係なく。

 でも、羽磋はその流れに置いてきぼりにされていたのではなかったのです。それがどれだけのものか自分で測ることはできませんが、周囲の皆の温かな目や真剣な表情が、自分の成長を教えてくれていました。

「輝夜、待っていてくれよ。阿部殿の所に行って、月の巫女を月に還す方法をきっと見つけるから」

 羽磋の脳裏に浮かんだ輝夜姫は、朗らかな笑顔を彼に向けていました。輝夜姫は、羽磋の成長を心から喜んでくれているようでした。羽磋は彼女を月に還すために、そして、共に世界を旅するために、吐露村に行き阿部に会わなければなりません。それは、まだまだ長く続く道程の一部分に過ぎないのかもしれませんが、自分は確かに前に進んでいるのだと、羽磋は実感しました。

 羽磋は自分の方を見ている男たちを順繰りに見回すと、明るい大声を上げました。

「王柔殿、案内をお願いします。出発しましょうっ!」

(第二幕 了)