コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 これまでの振り返り③

 

 思い出話に続いて、大伴は羽磋の質問に答え、自分が砂漠で見た異様な光景を説明しました。砂嵐で埋め尽くされてしまわぬように、何者かが壁を立てて羽磋と竹姫を守っていた結果生まれたとしか思えないような、自然にはありえない形をした半丘状の砂丘。それは明らかに、竹姫が月の巫女の力を使ったことを大伴に示していたのでした。
 では、何故そのことを、大伴は竹姫に話さなかったのでしょうか。
 いまの月の民の単于、つまり王は、あの御門でした。彼も大伴や阿部と同じように、烏達渓谷の戦いの後に、月の巫女の力について調べを進めていました。でも、彼が調べを進める目的は大伴と阿部のそれとは違っていて、月の巫女を月に還すためではなく、その力を利用するためなのでした。そのため、大伴と阿部は、単于たる御門に知られぬように苦労しながら、月の巫女を月に還す方法を探しているのでした。
「俺がお前たち二人を見つけた場所は、とてもあり得ない形をした砂丘のすぐ下だった。あれは間違いなく竹姫が月の巫女の力を使って、羽磋、お前を守ったのだ。俺はできるだけそのことを周りに伏せておきたかったので、竹姫や皆に対しては、お前たちが熱を出して倒れていたと話したのだ。それに、竹姫に月の巫女の力について話すということは、自分は単なる器としての存在で、しかも力を使い果たすと消えてしまうという、月の巫女の悲しい宿命についても触れなければならない。できることならば、竹姫にはそのような話はしたくないのだ。だが、竹姫が月の巫女の力を使ったことを御門殿に知られるのは、時間の問題だろうがな」
 大伴はそのように羽磋に話しながら、宿営地のほうを見るように促しました。そこでは、大伴が砂漠で見かけた至徳という女性が、一人の男に何事かを言伝てした上で送り出していました。実は、至徳は讃岐村の月の巫女である竹姫に変わった動向があれば報告するようにと、ある人物から命を受けていたのでした。
 月の巫女の力が、その器に溜まった精霊の力に比例するのであれば、いますぐに竹姫が御門に利用されるということはないだろうと、大伴は考えていました。ただ、その秘密に触れた羽磋について、御門がどのように考えるのかはわかりませんでした。
 阿部という自分の協力者の下へ羽磋を送り月の巫女の秘儀についての相談をさせること、そして、御門の目から彼を隠すことが必要だと大伴は考えました。そこで、大伴は羽磋を成人させること、また、幹部候補生として肸頓族へ派遣するということの許可を貴霜族の族長から得るために、急いで貴霜族の根拠地まで馬を走らせ、今日の朝に遊牧隊の宿営地へ戻ってきたところだったのでした。
「羽磋、肸頓族へ行け。そして、いまはその族長になっておられる阿部殿に会うのだ。阿部殿はとても聡明な方だ。きっと、月の巫女を月に還す方法を示してくれる」
 考え込む羽磋に対して、大伴は自分の短剣を差し出しました。その鞘には「大伴」の名が彫られていました。肸頓族の族長である阿部に会ったときに、羽磋が大伴の息子であることを証することができるようにと、自分の愛刀を手渡したのでした。
 大伴の話は終わりました。
 羽磋はその話を自分の中に落とし込むのに、とても苦労していました。
「月の巫女とは、つまり器だと父上は言う。精霊の力を溜めるための器。その力を使うと記憶や経験の一部が消えてしまう。終いには、その力を使い果たすと、器である月の巫女そのものまでも消えてしまう。竹は、月の巫女だ。竹が消えてしまう? そんなことは嫌だ。消えてしまうっていうことは、人生の最後に月に還ることもできないということじゃないか。待てよ・・・・・・。経験や記憶の一部が消えてしまうって・・・・・・、ひょっとしてっ」
 羽磋は、これまでずっと頭の一部で「どうして竹はあの大事な約束を忘れてしまったのか」と考え続けていました。その答えがいま、彼の頭の中で急に組み上がったのでした。
「まさか、大事な約束や俺が贈った名前を竹が忘れていたのは、砂漠でハブブに襲われたときに俺たちを守ろうと月の巫女の力を使って、そのために記憶を失ってしまったからなのでは・・・・・・」
 羽磋の脳裏に、あの夜の砂漠での出来事を必死に説明する自分の言葉を、真剣に聞き取ろうとする竹姫の姿が思い浮かびました。その竹姫の身体は・・・・・・。ああ、そうです。羽磋は自分が持っていた違和感の原因に気がつきました。砂漠の中で竹姫は右腕の骨を折るという大怪我をしていたのに、それが完全になかったことになっていたではありませんか。
「ああ、竹は忘れていたんじゃなかったんだ。俺との約束を、俺自身を、軽く見ていたわけでもない。俺の夢を竹が喜んでくれたというのも、俺の思い違いなんかじゃないんだ。竹の中で無かったことになっているんだ、あの夜の知識と経験そのものが。ああ、ごめん、ごめんよ、竹。それなのに、俺はあんなにひどいことを言ってしまった」
 羽磋が気づいたとおりなのでした。竹姫は羽磋を護るために月の巫女の力を行使しました。その結果、あの夜の経験や記憶を失ってしまったのでした。そして、彼女が失ったものの中には、二人の大切な約束や羽が思いを込めて贈った「輝夜」という名も含まれていたのでした。
「父上、肸頓族へ行くのはわかりました。竹が消えてしまうなんて、絶対に嫌です。阿部殿にお会いして、俺も月の巫女を月に還すためのお手伝いがしたいと思います」
 もちろん、竹姫のことを大切に思う羽磋が、月の巫女である竹姫が消えてしまうことを、黙って受け入れるはずがありません。父の話を聞く中で羽磋は、どれだけ困難があるとしても、竹姫を助ける手段を必ず探し出すことを、腹の底で決意していました。
 でも、自分の思い違いで竹姫をひどく傷つけてしまったことにも、彼は思い至っていたのでした。「どうしても竹姫に謝りたい」という思いで、羽磋は大伴に願い出ました。
「ただ、お願いがあります。この地を去る前に、もう一度竹に会って話をしたいのです」
「いや、もう、宿営地へ戻る時間はないのだ、羽磋。都合のいいことに、肸頓族へ向かう交易隊が、この近くにいるのだ。交易隊の隊長である小野には話を通しておいた。羽磋よ、いますぐにここを出て、交易隊に合流するのだ」
 大伴は、自分の顔を正面から見つめている羽磋に対して、そのように指示をしました。
 肸頓族の阿部の下へと辿り着くためには、ゴビの荒れ地や砂漠を長期間旅しなければなりません。これには、多くの水や食料を持ち歩く必要があります。また、道中には盗賊や獣などの危険もあります。これらのことから、ゴビや砂漠を長期間移動する場合には、単独で旅をするのではなく、大人数で隊を組まなければなりません。
 そのため、交易や遊牧などの集団としての目的を持ってではなく、羽磋のように個人的な目的があって長距離の移動を行う場合には、自分の目的地の方へと進む交易隊や遊牧隊と行動を共にするのが常なのでした。
 しかし、交易隊や遊牧隊はそれぞれの目的に従って移動していますし、それらの数自体も決して多いわけではありません。大伴が言うように、羽磋が目指す肸頓族の根拠地の方向へ向かう交易隊が近くにいるというのは、羽磋にとってはこの上もない幸運であると言えるのでした。
「それにな、この交易隊の隊長である小野は、我々と月の巫女の秘密を共有している、信用のできる男なのだ」
 大伴はそう言いながら、羽磋に皮袋を渡しました。その皮袋の中には、いくつかの大切な品物が入っているのでした。
 羽磋にも大伴の言うことはわかりました。
 万が一、この機会を逃してしまえば、次に旅立つ機会がやってくるのは、いつになるのかわからないのです。
 では、竹姫に対しての謝罪の言葉を、大伴に預けていくのはどうでしょうか。
 いいえ、羽磋にはそれはできませんでした。自分のしてしまったことを深く後悔しているからこそ、自分自身で竹姫に謝りたいと考えていたのでした。それに、そもそも彼と竹姫の間で生じたすれ違いのことなど、父が知る由もないのでした。
「それでは、父上、これを竹に渡してください。俺からこれを竹に贈ると。そして、俺の夢は変わらない、きっと竹を迎えに行くと、そう、伝えてください・・・・・・」
 羽磋は、自分の短剣を手に取りました。その鞘には自分のこれまでの名である「羽」の字が彫りつけられていました。羽磋は、大伴から贈られた短剣の先で、その字の横に「輝夜」と彫り込むと、それを大伴に渡したのでした。
「それに、父上・・・・・・、竹に、ありがとう、と。そして・・・・・・、悪かったと。俺が戻るまで、元気で・・・・・・と」
「ああ、わかった。必ず伝える」
 大伴は、激しく動く感情を必死に押さえつけている羽磋の震える背中を、その大きな手のひらで優しく叩くのでした。


 宿営地の中では、竹姫が天幕に閉じこもっていました。それは月の巫女のために特別に用意されている天幕でした。
 羽磋と別れて宿営地に戻ってきた大伴は、天幕の外から竹姫に声をかけて呼び出すのですが、外に出てきた竹姫の生気のなさに、ひどく驚かされるのでした。
「ご心配ありがとうございます、私は大丈夫です。ところで、大伴殿。羽がどこにいるかご存じないですか」
 自分の体を心配する大伴に対して、竹姫は羽がどこにいるか知らないかと尋ねました。朝の一件の後もずっと、竹姫は羽が言ったことを考え続けていたのでした。
 竹姫に対して大伴は手短に説明をしました。羽が成人して「羽磋」となったこと。彼の能力が認められて肸頓族に「出される」ことになり、急遽旅立ったこと。そして、彼から預かったものがあること。
「羽磋から、あなたに伝えてくれと言われました。この短剣をあなたに贈る。自分の夢は変わらない。きっとあなたを迎えに行く。そして、悪かった、自分が迎えに行く時まで元気で、と」
 竹姫は、あまりにも急な話を呆然とした様子で聞きながら、大伴が差し出した短剣を両手で受け取りました。


 大伴が去ったあとで、再び天幕に入った竹姫は、崩れ落ちるように敷布の上に座りました。
 大伴の話はしっかりと聞いていたのに、まだ、まったく理解が進んでいませんでした。
 気が付くと、自分は何かを握っていました。そう、それは羽磋から贈られた短剣でした。竹姫がそれを良く見ると、「羽」の字の横に別の字が彫られていました。
「これを、羽、いえ、羽磋がわたしに贈るって・・・・・・。輝、夜・・・・・・」
 竹姫は、その字を何度も読み上げました。輝夜、ああ、輝夜! 羽がこれを私に贈ると!
 竹姫はわかったのでした。これこそが、羽磋が話していた「名」だと。彼が心を込めて自分に贈ってくれた名だと。
 そして、それと同時に、彼女の身体のどこかでせき止められていた気持ちが、一気にあふれ出しました。
 羽、羽は、どこにいるの? 羽は、幕の向こう側になんて、行ったりはしなかった。認めてくれてたんだ。わたしを、わたし自身を。そして、わたしに大切な名を贈ってくれたんだ。羽は、羽は、どこに行ってしまうの? 羽、羽・・・・・・、羽・・・・・・。
 いつしか、竹姫の頬を涙が伝い、敷物を濡らしていました。
 竹姫は、誰も訪れる事のない天幕の中で一人、羽磋から贈られた短剣を握りしめ、いつまでも肩を震わせているのでした。
                               (第一幕 了)