コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 これまでの振り返り④

 

(第二幕)
 いくつもの高山が、まるで天を支えるかのように連なってそびえ立つ祁連山脈。その北側にはゴビの荒れ地とバダインジャラン砂漠が大きく広がっているのですが、祁連山脈近くには雪解け水の恩恵を受けた緑地やオアシスが点在していました。
 天上にかかる太陽にジリジリと肌を焼かれながら、点在する緑地を縫うようにして進む、一団の交易隊がありました。太陽の高さから見下ろすと、赤茶けたゴビの荒れ地の上に落ちた白い羊の毛のように見えるそれは、小野が率いる交易隊でした。
 少しずつではあるものの着実に前進を続ける交易隊。やがて、交易路を西へと進む彼らの前に、大きな岩山が現れました。岩山を迂回するとなると大変な時間がかかりそうですが、岩山の祁連山脈側には細い川があり、岩山と川との間を交易隊が通り抜けることはできそうでした。
 いよいよ岩山の近くまで交易隊がやって来ると、二人の少年が馬を飛ばして隊の先頭から抜け出しました。
 一人は白い頭布を巻いた月の民の少年。いいえ、もう成人しているので、青年というべきでしょうか。それは、小野の交易隊に合流していた羽磋でした。
 羽磋よりも年少に見えるもう一人の少年は、頭布をつけておりません。こちらは、この交易隊の護衛をしている匈奴(キョウド)という異民族の少年で、皆からは苑(エン)と呼ばれておりました。
 彼らは、交易隊の進路に現れた隘路に危険がないかどうかを調べるために、隊から先行したのでした。
 馬を走らせて交易隊本体から距離を取ると、苑は指笛を甲高く響かせました。すると、空の上から鋭い声で「ヒーヨー」と答えが返ってきました。ゴビの乾いた地面に小さな影を落として近づいてくるそれは、オオノスリという大きな鳥で、苑が「空風」(ソラカゼ)という名をつけて自分の相棒としているものでした。
 苑は指笛により次々と空風に指示を送りました。
 交易には様々な困難や危険があるのですが、このような隘路には彼らが運ぶ荷や食料を目当てとした盗賊が潜んでいるおそれがあるため、空風に指示を送って調べようとしているのでした。
 苑の指示に従って、隘路の上を何度も横切る空風。やがて、空風はある場所の上で、ゆっくりと旋回を始めました。
「あっ、反応がありましたよ、羽磋殿」
 苑が隣にいる羽磋に誇らしげに話しかけました。
 空風が苑に送った合図は「この下に人がいる」というものだったのです。どうやら、隘路の外側からは見えない場所に、何者かが隠れているようでした。
 息を潜めて隠れている者の方でも、自分たちの上で旋回するオオノスリを見て、潜伏がばれたのを察したのでしょうか。狭間の中から数本の矢が上空を旋回する空風に向かって放たれました。
 真上に向けて放たれたその矢には力がなく、目的を達することなくすぐに地面に落ちていきましたが、自分の相棒を攻撃された苑を怒らすだけの力は持っていました。
「くそ、あいつら、空風に向かって弓を引きやがった。羽磋殿、あいつら馬鹿っす。きっと乗ってきますから、引っ張り出しましょう。遅れないでついてきてください」
 指笛で空風に指示を送ると、苑は羽磋に提案をしました。そして、自分の弓矢の用意を整えると、馬を駈けさせたのでした。驚くことに、何者かが隠れているだろう、狭間の中に向かって。
 引っ張り出すというから、狭間の中に隠れている何者かを狭間の外に引っ張り出すと思っていたのに、苑はその中へ突入していったのです。
「ええっ、小苑。そっちには誰かが・・・・・・。ええい、くそ。それっ」
 あっけにとられた羽磋でしたが、苑は「遅れないでついてきてくれ」と言ったのです。羽磋は背にしていた弓を左手に持つと、急いで苑の後を追い始めました。

 周囲に何もないところから両側を高い岩壁に挟まれた狭間の中に飛び込んだせいか、急に強い圧迫感が羽磋と苑を襲ってきました。それは、頭の上にいくつもの岩がのっかっているような、とてつもなく重苦しいものでした。
「ハイハイッ。イィヤッホウッ!」
 それでも、苑は少しも速度を落とさずに馬を走らせます。
「ヤッホウじゃないよ、まったく」
 そんな苑にあきれながらも、羽磋は彼の右後ろを追走しました。
 ドウ、ドウッ。ドウ、ドウッ。
「おらおらっ。どうした、どうした! 出てこないのかい? 飛ぶ鳥一羽も落とせない下手くそどもは、やっぱり臆病だなっ!」
 空風に向かって矢が射かけられた場所に差し掛かると、苑は罵り言葉を大声で叫びながら走り抜けました。彼も遊牧民族の男ですから、男たちが弓の腕前について誇りを持ているだろうと想像し、先ほどの失敗を痛烈に皮肉るのでした。
 そうすると、岩ひだのどこに隠れていたのか、幾人もの野盗たちが怒号を上げながら飛び出してきたではありませんか。
「まだ、いるはずっすね」
 苑と羽磋は、奥へに向かって馬の速度をさらに上げました。
 隘路の先は緩やかに左に曲がっていて、道の右側では空の大部分が見えなくなるような高い岩壁が複雑なひだを作っていました。左側は開けていて、浅い川がうねるように流れていました。向こう岸のさらに先方には、祁連山脈から連なる丘陵が肌を見せていました。
 その丘陵側から、馬に乗った野盗が何人か、こちらに向かってきました。おそらくは、岩壁に隠れていた仲間たちと、隘路に入ってきた交易隊を挟み撃ちにする手はずだったのでしょう。でも、あまりにも苑と羽磋が素早く通り過ぎたために、馬に乗った野盗が浅い川を渡って交易路にたどり着いたときには、二人はその場所を通り過ぎていました。野盗の襲撃計画は、すっかりダメになってしまったのでした。
 隘路の曲がり角をしばらく行くと、道幅が少し広くなっているところがありました。そこで、苑と羽磋は馬の速度を落とすと、振り向いて後ろの様子を確認しました。
「おめえら、よくも俺たちをコケにしてくれたなっ! んん? おぉ、よく見ると、二人ともまだ餓鬼じゃねぇか。こりゃぁ、俺たちが礼儀ってやつをよく教えてやらないとなぁっ!」
 二人の後ろからは、岩壁から飛び出した野盗や丘陵から川を渡ってきた野盗などが、襲撃計画をダメにされた怒りで身体を火照らせながら、一団となって追ってきていたのでした。
「あ、あれ、これって大丈夫なのか」
 羽磋は急に不安になりました。確かに苑の言ったとおり、隠れていた野盗を引き出すことには成功し、彼らの挟み撃ちの計画もうまくかわすことができました。でも、見方を変えてみると、ここに居るのは自分たち二人だけで、交易隊の本体とは切り離されているとも言えます。このまま大人数の野盗たちに襲われでもしたら・・・・・・。
 ところが、羽磋の心配を知ってか知らずか、彼の隣にいる苑は、大声を上げてさらに野盗たちを罵るのでした。
 野盗たちはすっかり頭に血が上ってしまいました。そうでなくても戦うために訓練された訳ではない単なる野盗でしたから、組織立って動くことなどできません。それぞれが自分の手で苑に一撃を加えたいと意気込み、突進するのみです。
 とうとう、馬に乗った野盗の一人が矢の届く距離まで近づけたと思い、最初の一矢に手を伸ばそうとしたその時・・・・・・。
 ヒョウッ・・・・・・。ズブン。ドゥツ!
 目にもとまらぬ早業とはこのことでしょうか、苑は素早く弓を構えるやいなや、一本の矢を放ちました。それはものの見事に弓を構えようとした野盗に命中し、馬上から地面に叩き落としたのでした。
 まったく予想していなかった反撃に、その場の空気は凍りつきました。子供相手と思った野盗は、すっかり油断していたのです。しかし、その凍りついた空気は、野盗たちから沸き上がった激しい怒りによってすぐに溶けて、さらには、沸騰までするのでした。
「や、やりやがったなあっ」
「こ、こんはろ、いや、こにゃんろうっっ!」
 間近の危険を排除した苑の矢は、明らかにより大きな危険を生み出してしまったのでした。盗賊たちはみな苑と羽磋への怒りで我を忘れんばかりで、その中には興奮のあまり舌が回らない者までもがいるほどでした。
「なんで、こんなことに・・・・・・。輝夜を救うために、阿部殿に会わなければいけないのに・・・・・・」
 そのような状況でも、なおも苑は野盗たちに大声を上げあおり続けるのでした。羽磋は、そのような状況を恨めしく思わずにはいられませんでした。でも、この場に苑を置いて逃げ出そうという考えだけは、彼の中には浮かんでこなかったのでした。
 とは言え、この場を切り抜けるための良い考えが、羽磋にあるわけでもないのでした。
 見せつけられたばかりの苑の弓の腕前を警戒して、野盗たちは突進することをためらっています。でも、じりじりとこちらとの距離を詰めてきていて、いまにも一斉に襲い掛かってきそうなのです。
「くそ、こうなったら、できるだけのことはするさっ」
 彼が腹の中で覚悟を決め、自分も弓を引こうとしたその時・・・・・・。
 野盗たちの背中側、狭間の入り口の方から、重い地響きが聞こえてきました。
「来たぁ、来たっすよ。羽磋殿!」
 羽磋の横で弓を構えていた苑が、明らかにこれまでとは違う調子の高い声を上げました。
 ドドッ、ドドッ、ドドウッ!
 それは、交易隊本体と一緒に残っていた護衛隊の長である冒頓(ボクトツ)とその部下数人が、勢いよく馬を駆って狭間に侵入してきた音でした。
 前触れもなく自分たちの後ろから突入してきた冒頓たちに、野盗は全く抵抗できませんでした。冒頓たちは、鋭い斧で椰子の実を割るように野盗の群れを真ん中から断ち割り、突き抜け、そして、転換して再度突入し・・・・・・。
 すべてが終わるまでに、さして長い時間はかかりませんでした。
「よおう、おつかれさんだったな」
 息を荒げている愛馬の首を叩きながら、冒頓が羽磋と苑に声をかけたときには、幸運にも逃げ出すことに成功した僅かな者を除いて、野盗のほとんどは地面に打ち倒されておりました。
 羽磋は、自分の目の前で起こった出来事が、まるで現実のものとは思えませんでした。
 先頭に立って突入してきた冒頓に、つき従ってきた彼の部下を加えても、わずかに五人しかいないのです。その五人で、数十人はいたはずの野盗の群れを、あっという間に壊滅させてしまったのです。
「ありがとうっす、冒頓殿。冒頓殿なら、空風を向かわせたら応えてくれると思ったんす・・・・・・」
 自分のあこがれの存在である冒頓の前で、苑は緊張しながら報告をしました。
「そりゃ、空風をよこした狙いはわかるけどよ。いいか、小苑。自分の命を賭けの対象にして、大きな成果を狙うのはやめとけよ。死んだら終わりだからな」
 冒頓に褒められることを期待していた苑は、反り返っていた身体を急に小さくしてしまいました。
「頼むぜ、小苑。だが・・・・・・、まぁ、よくやったぜ」
「は、はい、ありがとうっす!」
 冒頓の厳しい言葉は、苑のためを思って言わずにはいられなかったものなのでしょう。でも、冒頓が厳しい表情を作ろうとしても、弟分としてかわいがっている苑の活躍を喜ぶ気持ちが、自然と表れてしまうのでした。
「これが、匈奴か・・・・・・」
 なんという戦いだったのでしょうか。苑と冒頓との息の合った連携。まだ少年である苑の見せた見事な弓の腕前。そして、相手に一切の抵抗を許さない、冬山の雪崩のような冒頓たちの突入。
 羽磋は、初めて見た彼らの苛烈な戦いに密かに身震いをすると共に、数日前に自分が小野の交易隊と合流した時のことを、思い出すのでした。