コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 これまでの振り返り⑤

 


 大伴と別れた後で羽磋は、後ろ髪を引く輝夜姫への思いを振り切るかのように、勢いよく馬を走らせていました。
「輝夜の為にっ、阿部殿に会うんだっ」
 自分の心を奮い立たせるために、何度も何度もそう叫びながら。
 でも、そのような勢いで馬を走らせ続ける訳にはいきません。すぐに馬がつぶれてしまいます。
 やがて、落ち着きを取り戻した羽磋は、馬が自然に歩く速度にまかせて、大伴が大まかに示した方向へ進むことにしました。
 馬を駆ることだけに集中していた時とは違って、羽磋の心に少しの余地が生まれました。すると、言いようのない不安がブワッと浮かび上がってきて、彼の心を内側から揺さぶり出すのでした。
 大伴は「小野の交易隊に話をつけておいた」と言ってくれましたが、まずは、その交易隊とうまく合流しなければなりません。でも、どこそこかの村やオアシスで合流するのならともかく、小野の交易隊は交易路を東から西へと進んでいる途中なのです。この広いゴビのどこにいるのかわからない交易隊を探し出して、首尾よく合流しなければならないのですから、羽磋が不安に思うのも当然なのでした。
「あ、あの煙は・・・・・・。小野殿の交易隊だ!」
 それでも、夕方近くになって、羽磋は狼煙が上がっているのを目にすることができました。その狼煙は大伴から聞いていたとおりの色と本数でした。小野の交易隊が、羽磋の為に自分たちの居場所を知らせてくれているのでした。
 羽磋は、ブルブルっと顔を振ったかと思うと、朱に染まりだした空に薄くたなびく狼煙の立つ場所へと、馬を走らせたのでした。
 羽磋が冒頓たちと出会ったのは、その時のことでした。
 交易隊の護衛をしていた冒頓たちも、自分たちの方へと走り寄る一騎を認めていたのでした。
「ああ、あれが小野殿から聞いていた幹部候補生か。小苑と同じくらいの年らしいな。どれ、ちょっとからかってやるか」
「あまりもめ事を起こさないでくださいよ、冒頓殿」
 何やら楽しそうな表情を浮かべた冒頓は、苑の他に数人の者を引き連れて、宿営の準備を始めた交易隊から離れました。その冒頓に心配そうに声をかけたのは、冒頓よりも年長でがっしりとした体格をした、頭髪に頭布を巻かずに飾りひもを巻き付けた男でした。彼は超克(チョウコク)と呼ばれている、冒頓の副官を務めている男でした。
「やれやれ、困ったもんだ、若殿にも。まぁ、念のために・・・・・・」
 冒頓が護衛隊を離れるときには、残った隊を率いることになっている彼は、部下に指示を出すためにか、宿営地の奥へと歩いていきました。


 交易隊から数騎が離れて自分の方へと走ってくるのを認めると、羽磋は自分の馬から降りて轡を取りました。
 これは遊牧民族である彼らの間での礼儀で、「馬上で戦いを挑んだり、馬を走らせて逃走するつもりがない」、つまり「敵意」がないことを、馬から降りてその横に立っていることで、相手に示すものでした。 
 自分が交易隊の方へ向かっていることは、あちらからも見て取れたはずです。待つこともできたでしょうにわざわざ馬を走らせてやって来ることに、さらに、その男たちが自分とは違って頭布を巻いているのではないことに、羽磋は漠然とした不安を感じずにはいられませんでした。万が一諍いになった場合には、馬を降りた状態は非常に不利です。でも、まじめな性格である羽磋は、「得体のしれない男たちへの警戒」よりも、「交易隊からやってくる男たちへの礼儀」に従った態度をとったのでした。
 馬を引いて立っている羽磋の様子を見たせいか、交易隊から離れた男たちは特に警戒する様子を見せずに、まっすぐに近づいてきました。
 彼らの頭目と思われる若くて背が高い男は、遊牧民族の礼儀に乗っ取って羽磋にあわせて馬を降りるどころか、騎乗のままで羽磋の周囲をぐるぐると回り、彼の上から下までをじっくりと検分するのでした。
 内心ではムッとするところのあった羽磋でしたが、黙ってそれをこらえていると、男のほうから口を開いてきました。
「こんなゴビのど真ん中で、お客さんとはめずらしいぜ。どこのどちらさんだ」
「貴霜(クシャン)族讃岐村の羽磋と申します。このたび、族長より肸頓族へ出て学ぶよう命を受け、こちらの交易隊に同行させていただきたく参りました」
 名乗りを上げながら羽磋は、相手に警戒心を与えないようにゆっくりと皮袋を引き寄せると、大伴から渡された留学者の証である木札を取り出しました。
「留学の証はこれに。小野殿にお目通りを願いたい」
「ほほう・・・・・・」
 年若い少年の堂々とした様子に、男の目に驚きの光が瞬きました。でも、それは皮肉っぽい微笑が彼の口元に表れたのと入れ替わりに消えてしまいました。
「なるほど。留学の方でしたか。私は小野殿の交易隊の一員で、護衛を務める隊を率いている冒頓(ボクトツ)と呼ばれるものです。しかし、その証ですが・・・・・・、それを確かめさせていただいても、よろしいでしょうか」
「いえ、証は小野殿に検分していただきたい」
 留学の徒は、幹部候補生として皆から敬意を払われる存在です。しかし、それゆえに、露見すれば命を持って償わなければならない重罪であることを知りつつも、その大事な証を偽造する者もいるのです。交易隊の長である小野に紹介をする前に、まず留学の徒の証を確認したいという冒頓の言い分は、もっともなものと言えました。
 しかし、羽磋はそれをきっぱりと断ったのでした。大伴は彼に「交易隊の長である小野殿には話を通しておいた」と伝えていました。また、自分の留学は貴霜族の族長が許可を下したもので、一個人の意志で行ったものではありませんでした。そのために、羽磋は冒頓に対して、「自分の相手は交易隊の長である小野殿であって、その部下である貴方ではない」と、はっきりと態度で示したのでした。
「へぇ・・・・・・」
 きらきらと輝くまぶしいものを見るかのように、冒頓の目が細められました。それと同時に、いままでは感じられなかった猛烈な圧力が冒頓の身体が発せられるのを、羽磋は感じました。その圧力は羽磋の身体を正面から激しく叩き、後ろへ吹き飛ばしてしまおうとしていました。
「引かない。絶対に引かない」
 それは羽磋の青臭い意地であったかもしれません。でも、成人して初めての旅、それも、自分の大切なものの存在を守るための旅の冒頭です。彼の強い気持ちは、彼の頭の先から背筋を通り抜け、ゴビの大地深くまでしっかりと突き刺さって、彼の体をしっかりと支えているのでした。
「まぁまぁ、お二人とも、肩の力を抜いてください」
 羽磋と冒頓の視線が正面からぶつかり合って押し合いをしていたその時、二人を取り囲んでいた男たちの間から、柔らかな声がかけられました。その声は、緊迫したその場の空気を和らげる、不思議な力を有していました。
「羽磋殿、お待ちしておりました。私が交易隊を率いております小野(オノ)です。御留学の件、お話は御父上から承っております。無事に合流できて何よりでございました」
 男たちの間から姿を現した三十代前半に見える小柄な男は、自分が交易隊の長である小野だと名乗り、丁寧に挨拶をして羽磋を出迎えました。
 小野が交易隊の中で羽磋を待つのではなく、わざわざここまで出向いてきたのは、来訪者があるので出迎えたほうがいいという、超克の進言があったからでした。冒頓の性格をよく知る副官の超克は、交易隊から飛び出していった彼が来客ともめごとを起こすのではないかと心配したのでした。なにしろ、冒頓という呼び名は、「にわかなこと。むやみに突き進む。押し切って進める」という意味があるのですから、超克が自分の上司の気分屋的な振る舞いにどれだけ振り回されてきたかが、わかろうというものです。
 小野は年若い羽磋に対して、一人前の男に対するように、いえ、自分よりも目上の者に接するかのように丁寧に応対をし、交易隊の宿営場所へいざないました。
羽磋が冒頓の横を通るときに彼の顔をうかがうと、先ほど恐ろしい圧力を送ってきたときに見せていた厳しい表情は、どこにもありませんでした。それどころか、冒頓は人好きのする笑顔を浮かべた上に、「よろしくな」とでもいうように、片目をつぶってさえ見せるのでした。彼にとっては、先ほどの羽磋に対する態度は、「若いやつをちょっとからかってみた」という、遊び半分のものに過ぎないのでした。