コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 これまでの振り返り⑥

 

 宿営地の中に作られた隊長用の天幕の中で、改めて羽磋は小野に挨拶をしました。小野は羽磋の挨拶を受け入れて、彼に目的までの同行を許可しました。
 小野の説明によると、この交易隊が物資の補給のために貴霜族の根拠地である讃岐村に立ち寄った際に、大伴から羽磋のことを頼まれたのでした。小野は肸頓族の長である阿部の部下でした。また、同時に、以前から彼と月の巫女に関する秘密を共有していました。小野は世界中を旅する交易隊の長という立場を生かして、阿部の手足となって月の巫女に関する様々な調査を行っているのでした。
「先ほどの方は頭布を巻いてはいなかったようですが、どちらの方なのでしょうか」
 羽磋が小野に尋ねたのは、自分を誰何した若い男とその部下たち、つまり冒頓たちについてでした。羽磋も、目の前にいる小野も、頭に白い布を巻き付けていました。これが、月から来たものを祖とする、月の民の装束なのでした。でも、この交易隊には、先ほどの男たちのように、頭布をつけないで飾りひもを頭髪に編み込んでいる者も、いくらかいるようでした。
「ああ、彼らは、この交易隊の護衛をしている者で、匈奴の男たちなのですよ」
「匈奴! あの匈奴ですか! 失礼ながら、まさか匈奴の人たちが、交易隊の護衛をしているなんて!」
「まぁ、いろいろあるのですよ。話せば長いことながら、これは我らが単于である御門殿もご承知のことなのですよ」
 匈奴と言うのは、数年前まで月の民と戦争をしていた、新興騎馬民族でした。その戦争において、月の巫女である弱竹姫の力を利用するという御門たちの策略を用いて、月の民は烏達渓谷の戦いで匈奴を打ち破りました。その結果、月の民と匈奴は、月の民を兄とし匈奴を弟とする和睦を結んで戦いを止めることとなりました。つまり、月の民が戦いに勝利したのでした。
 和睦のために匈奴から月の民に差し出されたものはいくつもあったのですが、その中には、匈奴の単于の息子、すなわち、匈奴の次期指導者候補の一人である冒頓がありました。平たく申しますと、彼はその部下と共に、人質として月の民へ出されたのでした。
 冒頓の場合の「出す」は、月の民の部族の間で行われる「出す」、つまり羽磋のような留学とは、意味合いが異なります。さすがに牢に閉じ込めることまではしなくても、月の民全体の単于である御門の目の届くところに、彼らを留めておく必要があるように思えます。それなのに、交易隊の護衛として、月の民の国内どころか異国に行くことまであるというのですから、羽磋が驚いたのにもまったく無理はないのでした。
 心の底から驚いた様子の羽磋に対して、小野は「これは単于である御門殿自身の御指示なのです」と安心させると、彼を促して天幕の外に出ました。
 宿営地では、野営の準備がすっかりと整っていました。中央では獣除けのかがり火が焚かれ、周囲には乳酒が入った器と干し肉を手にした男たちが、思い思いの場所に腰を下ろしていました。その中には、先ほど話に出た匈奴の男なのでしょうか、頭布を巻いていない男も混じっているのでした。
「みなさん、聞いてください。こちらは貴霜族の羽磋殿です。我が肸頓族へ留学されるとのことで、我らの目的地である吐露村まで、同行していただくことになりました」
「羽磋と申します。よろしくお願いいたしますっ」
 おおうっ、と応じる大きな声が、宿営地に響きました。
 その日から羽磋は交易隊の一員、とりわけ、護衛隊の一員として、肸頓族の根拠地である吐露村を目指して、交易路を西へと進むことになったのでした。


「どうかしたっすか、羽磋殿」
 苑の言葉を受けて、羽磋は我に返りました。少しの間、自分がこの交易隊に合流した時のことを思い出して、ぼうっとしていたようでした。
 羽磋と苑は馬を降りると、冒頓の部下たちが野盗の死体を運ぶのを手伝いました。交易隊の本体が来る前に、そこかしこに倒れている野盗の体を動かして、交易路を通りやすくするためでした。
 ぐったりとした肉の塊となった死体を動かすのは、とても骨の折れる仕事でした。そのつらい仕事を何とかやり終えて道を開けたころに、交易隊の長い列の先頭が到着しました。
 羽磋たちは河原の方へ降りて道を譲ると、交易隊が通り過ぎるのをじっと見守りました。
 砂壁と河原の間の細い道を、背に多くの荷を積んだ駱駝の群れが、川を流れる白い水のように、絶えることなく、でも、ゆっくりゆっくりと、通り過ぎていきます。この駱駝たちは、そして交易隊の人たちは、どこから来てどこまで行くのでしょうか。きっと彼らの行く先には、自分が観たことの無い景色や知らない物事がたくさんあるのでしょう。見とれてしまう程苛烈な戦いを行った匈奴のような異国民にも、数多く出会うことになるのでしょう。
「冒頓殿。世界って広いんですね」
「ハッハハハハッ! 世界は広いっと来たか! 良いな、羽磋。俺はお前を気に入ったぜ。世界は広い、まさにそうだよな」
「あ、あれ、俺、いまそんなこと言いましたか?」
 自分でも気が付かないうちに、羽磋は冒頓に対して、自分の中に芽生えた思いを素直に話していたのでした。
 冒頓は、戦いに敗れた匈奴から戦いに勝った月の民に対して、「人質」として出された男でしたが、月の民は彼を幽閉しようとはしませんでした。それは、彼に月の民の良いところを吸収してもらって、匈奴が彼の代になった際にはより友好的な関係を結びたいという、単于である御門の意向からのものでした。
 冒頓は気が変わりやすく短気な性格ではありましたが、古い考えに固執しないという一面も持っていました。人質という立場ではありましたが、御門の考えによりかなり大きな行動の自由を得ることができた彼は、積極的に月の民や他国の良いところを学び、自国をもっと良い国にしたいと考えていたのでした。
 どうやら、冒頓は羽磋を気に入ったようでした。初めて自分の部族を飛び出して世界の広さを実感した羽磋の素直な言葉に、かつての自分を重ねたのかもしれません。
「ところで、羽磋よ。お前、人を殺したことはあるのか」
 冒頓にとっては、自分が気に入った者は、もう、自分の仲間でした。冒頓から遠慮のない問いが羽磋に対して発せられました。
「え、いいえ。ありません。もちろん、遊牧で家畜を屠ることはありますし、人と争ったこともありますが、人を殺したことは・・・・・・。先ほども、危ないところで冒頓殿に助けていただきましたし」
「そうか。羽磋、俺はお前を気に入った。観たところ、お前はかなり生真面目な性格のようだ。だから言っておくが、前もってしっかりと腹をくくっておけ。腹を決めるというのは、言うのは簡単だが案外と難しいんだぜ。そして、いざというときは、迷うな。とにかく、死んだら終わり、だからな。」
「死んだら終わり、ですか。なるほど・・・・・・」
 羽磋は、冒頓の言葉を自分の中に溶かし込むように、ゆっくりと繰り返しました。
 自分が旅に出たのは何故か。竹を、輝夜姫を、助けるためだ。そのためには、人を傷つけることが必要になることもあるかもしれない。そしてなによりも、その目的を達成するためには、生き抜かなくてはならない。確かに「死んだらおわり」なのだ・・・・・・。
「ありがとうございます、冒頓殿」
 羽磋は、冒頓に向かって深々と頭を下げました。彼が自分のことを心配して助言してくれたことが、とても嬉しく感じられたからでした。
「死んだら終わりだ。いざというときには、迷うな」
 この助言は、後に羽磋の命を助けてくれることになるのですが、それはまた、別のお話です。
 しゃべり過ぎたと照れてしまったのか、冒頓は馬を走らせて交易隊の先頭へ行ってしまいました。羽磋は冒頓が走り去った方へもう一度頭を下げると、交易隊の一番後ろが自分の所に到達するのを待ち、最後尾を固めることにしました。