コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 これまでの振り返り⑧

 

「あ、あそこ、なにか動きませんでしたか? 大丈夫ですかね、大丈夫ですかね・・・・・・」
「おい、お前が聞くなよ。案内人はお前だろうが」
「すみません、すみません。もちろん、大丈夫です。大丈夫ですとも。案内人は僕ですからね。でも、あっ・・・・・・、あの岩の陰で、なにか動きませんでしたか?」
「あのなぁ・・・・・・」
 ヤルダンの複雑な地形のために長く伸びた交易隊の隊列の先頭で、オアシスに立つナツメヤシのようにひょろっとした男が、こわごわとあたりを見回していました。その若い男の面長な顔立ちはとても柔和で、まだ少年から青年へと成長しきれていないかのように見えました。彼は月の民の装束である白い頭布をつけ、さらにその上へ赤い布を巻いていました。
 彼は王柔(オウジュウ)と呼ばれる若者で、横を歩いている中年の男が指摘したように、この交易隊にヤルダンの案内人として雇われていました。
 月の民は多くの部族の緩やかな集合体であり、各部族はそれぞれの勢力圏を持っていました。この辺りは、月の民の五大部族の一つである肸頓族の勢力圏に入っていました。王柔は、このヤルダンの管理を肸頓族の族長である阿部から任されている「王花の盗賊団」の一員でありました。
 ヤルダンはとても複雑な地形をしていますから、交易路を利用する交易隊を狙う盗賊団にとっては、襲撃のために待ち伏せをすることがたやすい場所でした。逆に、交易隊の側から考えると、どこで盗賊に襲われるかわからない、とても危険な場所でした。
 この危険を排除するために阿部が用いたのが、王花の盗賊団なのでした。具体的には、王花の盗賊団と呼ばれる一団に、自警団のような役割を持たせたのでした。
 彼らは、自分たち以外の盗賊団が入り込まないように、厳しくヤルダンを管理していました。そして、ヤルダンを通ろうとする交易隊があるときには、彼らから通行料を徴収することが、認められていました。さらに、通行料を払わずにヤルダンを通ろうとする交易隊があった時には、それを襲撃する許可さえもが、彼らには与えられていたのでした。
 これは、ヤルダンを通る交易隊にとっても、良いことと言えました。
 彼らにとって一番怖いことは、自分たちの命を失うことで、その次に恐ろしいことは荷を奪われることでした。一定の通行料を払うことによって、盗賊の心配をせずにヤルダンを通行でき、命と荷が守られるのであれば、それに越したことはないのでした。
 ただ、阿部の目的は、ヤルダンを通る交易隊の安全を確保する、それだけではなかったのでした。交易隊は、文字通り世界を縦横に移動して、様々な情報に触れていました。ですから、王花の盗賊団を通じて交易隊との繋がりを持つことにより、「月の巫女」の秘儀に関する情報を得ることまでも、彼は考えに入れていたのでした。
 そうです。「王花の盗賊団」とは、阿部によりヤルダンの管理を命じられた一団ではありましたが、その首領である王花という女性には、「御門とその部下には知られぬようにしながら、月の巫女に関する情報を得る」という命令も、下されていたのでした。
 王柔は、通行料を支払った交易隊に王花の盗賊団から派遣される、案内人にして生きた通行手形でした。交易隊の先頭に立って複雑に入り組んだヤルダンの中を導くことと共に、自分の顔や赤い頭布を、ヤルダンに潜伏している仲間に示すことによって、「これは通行料を支払った交易隊だから襲撃しないように」と伝えることが、彼の役割なのでした。
「王柔さんよ、ヤルダンに入ってからずいぶん経つが、まだ抜けられないのか」
「あ、雨積(ウセキ)さん。そう言うところを見ると、雨積さんも、ホントはここが怖いんでしょう。大丈夫ですよ。えーと、もうしばらくすると、母を待つ少女の奇岩が見えてきます。そうしたら、ヤルダンの出口まで、もうすぐです。だ、大丈夫です・・・・・・多分」
「ば、ばかやろう。怖くなんかねえぜ。ただ、早く土光村について一息入れないと、荷の方がなぁ・・・・・・」
 白い頭布を巻いた中年の男、王柔に雨積と呼ばれた男は、心配そうに交易隊の後ろの方を見やりました。その動きにつられたように、王柔も後ろの方を向きました。その王柔の顔には、何かをひどく心配しているような表情が現れていました。
 交易隊はとても長く連なっているので、列の先頭を歩く彼らからは、隊の後方はヤルダンの岩に隠れて見えません。彼らの視線を遮っているいくつもの砂岩のその先では、交易隊が運ぶ「荷」が荒い息を吐いていました。
 この交易隊と小野の交易隊との大きな違いは、この「荷」でした。
 長い列を成している駱駝が背負っている荷とは違って、自らの足で歩くこの「荷」は、様々なところから集められてきた「奴隷」でした。
 汚れたり破れたりした衣類を身に着けた彼らは、一様にぼさぼさに乱れた髪を振り乱し、生気のない肌にうつろな目をしていました。その中には、白い頭布をしたものは一人もいませんでした。
 彼らの両手は紐で繋がれていて、その紐はさらに、前後を歩く別の奴隷と繋がれていました。交易隊の最後部でいくつかの連にまとめられた奴隷たちは、何も話さず、自分たちの足元に視線を落としたままで、ただただ交易隊の進行に遅れないようにと、思うように動かぬ足をなんとか前に進めていたのでした。
 少しでも遅れようものなら、その脇を歩いている見張りの者から怒鳴られたり鞭打たれたりする彼らのほとんどは、月の民よりも西に住んでいる異民族でした。彼らは、吐露村よりもさらに交易路を西に行った先で買い付けられてきた者たちでした。
 行進についていくのに精いっぱいでお互いに関心を向ける余裕などない彼らでしたが、ある連では話し声が生じていました。それは、その連につながれている、まだ十になるかならないかに見える小さな少女が、たびたび立ち止まってしまうからでした。
「おい、しっかりしろよっ」
「お前が止まると、同じ連の俺たちまで止まってしまうんだよ。奴らに怒鳴られちまうだろうがっ」
 長い縄で一繋ぎにされた同じ連の奴隷たちが、見張りに聞こえないような小さな声で、彼女に次々と文句をぶつけているのでした。でも、彼女はとても体調が悪いようで、それに応えることもできないほど息を切らせていました。
 交易隊の先頭の二人が話していた「荷」とは、彼女のことでした。ここ数日、彼女の体調がとても悪かったのです。
 交易隊の一員である雨積は、「荷」を無事に届けられるかどうかと心配をしていました。一方、王柔は・・・・・・。
「あ、あの、雨積さん。すみません、僕は後ろの様子を見に行ってきます。あそこに見える砂岩まで道はまっすぐですから、お願いしますねっ」
「お、おいっ。王柔さんよっ。おいっ」
 王柔は、雨積に道の指示をしたかと思うと、身をひるがえして隊列の中へ消えていきました。彼は心配のあまり、彼女の様子を見に行かないではいられなくなってしまったのでした。
 川の流れを魚が遡るように、駱駝と交易隊員の進む薄茶色をした流れに逆らって、王柔は走っていきました。
「なんだ、あいつは・・・・・・」
 その動きに不穏な兆しを感じ取ったのは、交易隊の中央に位置し、馬上から隊の指揮を執っていた、この交易隊の長である寒山(カンザン)でした。
 彼は、深いしわが刻まれた厳しい面を豊かな髭で隠した、年のころは五十を過ぎると思われる男でした。寒山は交易の経験がとても豊富な男で、王花の盗賊団がこのヤルダンの管理を始める前から、様々な場所を旅してきていました。その彼の豊かな経験が、先導役の男が何やら厳しい顔をして隊を逆走していくという通常見られない場面から、「こういう時には決まって良くないことが起きるのだ」と、警告をしていたのでした。
「何事もなければ良いが・・・・・・」
 彼はそう呟きながら、無意識のうちに髭をなでて、波打った心を落ち着かせようとしました。
 でも、やはり経験とは最良の占い師なのかもしれません。
 しばらくすると、案内人の男が山脈のように連なる駱駝の背に見え隠れしながら走り去っていった先、交易隊の最後方から、大きな怒鳴り声が聞こえてきたのでした。