コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 これまでの振り返り⑨

 

「だから言ったじゃないですか。もう彼女は限界なんです。少しでいいから休ませてやってくださいっ」

「関係ない奴は引っ込んでいろっ。ほら、お前、立って歩けっ」

「止めてください!」

 大きな騒ぎが起こっている交易隊の最後尾へ、寒山はすぐに馬を走らせました。そこで彼が見たものは、先ほど隊を逆走していった案内人の男が、交易隊の護衛をしている男と口論をしている姿でした。

「止めんか! 何をしているんだ、お前たちっ」

 大声で怒鳴りながら、口論をしている二人の間に寒山が馬を進めると、案内人の背に隠されている者の姿が、馬上から見て取れました。そこには、荷として運んでいる奴隷の中で最も年若い少女が、苦しそうに背中を上下させながら、うずくまっていました。

 突然に現れた寒山の姿を見て恐れたのでしょう。少女と同じ連の奴隷たちが、口々に自分たちが足を止めていることの説明をしだしました。自分たちが罰せられないようにと彼らが必死で話した内容から、遅れてこの場に来た寒山にも、おおよその事情が察せられました。

 どうやら、体調を崩していた奴隷の少女が、とうとうここで歩けなくなってしまったようでした。そこにやってきたのが案内人の若者でした。どうしたことか、彼は奴隷の少女のことをひどく心配していて、彼女を少し休ませてやってくれと護衛の者に頼み込んでいるのでした。

「奴隷が歩かないなら、歩かせるまで」

 それが、寒山たちにとっては通常の感覚なのですが、この案内人の感覚は違うようでした。

「こら、案内人」

 人に命令することになれた寒山の冷たい声に打たれて、王柔の体がびくっと震えました。

「お主の仕事はここで奴隷の前に立つことではなく、隊の先頭に立って、我々を導くことであろうが。そこをどけいっ!」

 王柔にとっても、彼らの理屈ではそれが正しいことはわかっていました。だからこそ、王柔が口にしたのは、反論ではなくて懇願でした。

「・・・・・・それはそうですが、隊長殿、この子はもう歩けません、少しでも休ませてやってください。どうか、お願いします」

「ええい、くどいっ! くどいぞ、案内人!」

 寒山の声は、とても冷たくて強く、ビリビリビリッと周りの空気全体を震わせました。

 彼らの周囲では、歩みを止めた交易隊の者や奴隷たちが、遠巻きにして成り行きを見守っていました。

 サァッと、ヤルダンの風が、彼らの間を走り抜けていきました。

「王花の盗賊団」の一員ではあるものの、王柔は決して荒々しい性格をした男ではありません。むしろ、そのひょろっとした体格と柔和な顔つきからわかるように、穏やかであり他人との争いを好まない男でした。

 そのような男が、寒山のような経験を積んだ男の厳しい一喝を受けたのです。その冬山で起こる雪崩のように強い圧力は、王柔の体全体に襲い掛かっていました。

 でも、それでも。

「隊長殿、隊長殿・・・・・・。どうか、どうか、お願いです・・・・・・」

 王柔は、体や足元が震えるのを隠すことができないほど怯えていましたが、その場を去ろうとはしないのでした。

 どうして、王柔はこれほどまで奴隷の少女を気にかけるのでしょうか。

 その理由は彼の過去にありました。実は、白い頭布を巻いて月の民の男として振舞ってはいるものの、王柔は月の民の人間ではないのでした。彼は、月の民の勢力圏の西側で遊牧を行っている、烏孫(ウソン)という遊牧民族の男でした。

 それは、彼がまだ十にもならない幼い頃で、まだ皆からは柔(ジュウ)と呼ばれていた頃のことでした。彼の部族を風粟の病という恐ろしい病が襲い、彼と妹の稚(チ)を除いて、近しい親族は亡くなってしまいました。彼と妹は、父の知り合いであった男に引き取られたのですが、ある日のこと、彼が遊牧の手伝いをした後に天幕に戻ると、妹の稚の姿がどこにも見られなくなっていたのでした。

 それは、母親代わりに彼らの面倒を見てくれていた女性が行ったことでした。なんと、通りすがりの交易隊に、稚を奴隷として売り飛ばしてしまったのでした。

「仕方なかったんだよ、だって、あの娘は・・・・・・」

 養母は彼に話をしようとするのですが、逆上した彼の耳にそれが入るはずもありませんでした。柔は妹の姿を探して天幕を飛び出すと、二度と養父母の下には帰りませんでした。

 あてもなく妹の姿を探してゴビを歩き続けた柔でしたが、やがて、精も根も尽き果てて大地に倒れこんでしまいます。そこへ、どういう精霊の気まぐれがあったのか、通りがかって彼を拾ったのが、小野の交易隊だったのでした。つまり、王柔にとって、小野は命の恩人にあたる人なのでした。

 それから数年が経ちました。小野から王花に預けられた柔は、彼女に家族同然の者として暖かく迎えられていました。そして、「王柔」の名を与えられて成人すると、王花の盗賊団の一員として働くこととなり、今に至るのでした。

 その仕事は、彼にとっても望むところでありました。王花の盗賊団に居ると様々な交易隊に接触する機会がありますから、そこで妹に関する情報を集めて、いつかは彼女を探し出すのだと、王柔は固く心に誓っているのでした。

 寒山の交易隊が荷として運んでいる奴隷の少女は、王柔たち烏孫族の者とも、また寒山たち月の民の者とも、異なる風貌をしていました。土やほこりで汚れてはいるものの、その肌は青空に浮かぶ雲のように白く、その髪はゴビの赤土のように赤いのでした。また、彼女の瞳の色も、彼ら遊牧民族の瞳の色とは異なり、赤い色をしていました。顔つきはと言えば、目鼻立ちがくっきりとしていて、自分たちと似ているところはまったくありませんでした。その上、彼ら遊牧民族が話す言葉も、彼女は片言でしか話せないのでした。

 三つか四つの頃に生き別れた妹がいまも生きていれば、ちょうど彼女と同じぐらいの十前後の年齢になるはずでした。でも、おそらく彼女は、烏孫の西にあるイリよりもはるか遠くにあると聞く、ローマかその周辺に住む異民族の少女なのでしょう。その姿や様子からは、妹を思わせるものは何一つありませんでした。

 それなのに、何故でしょうか。吐露村で寒山の交易隊に雇われた際に初めて彼女を見かけた王柔は、「稚だっ。いや、違う、まったく似ているところなんて無い。でも、同じだ。どこか稚と同じものを感じる」と思わずにはいられなかったのでした。

 理亜(リア)という名らしい彼女と妹が、どう一緒なのか、何が似ているのかは、王柔にもよくわかりません。でも、理由はわからないままでもそれはしっかりとした形となり、彼の心の真ん中にしっかりと根を張るようになりました。

 そのため、王柔は、彼女、つまり、理亜のことを自分の妹のように心配し、自分の仕事の合間を見ては、なにかと彼女の助けをしていたのでした。

 

「やれやれ、厄介だ。案内人を傷つけるわけにはいかぬし。たしかに、あの奴隷は相当弱っているようだが・・・・・・。む、あれは、まさか・・・・・・」

 馬上から動かないまま、王柔の背中に隠れている奴隷の少女の様子を確認した寒山でしたが、何か気になることを見つけでもしたのか、急に厳しい表情を浮かべました。

 寒山はさっと馬から飛び降りると、王柔を乱暴に押しのけて、腰の短剣を引き抜きながら少女へ近づきました。

 それはとても素早い動きで、「何をするんですか、止めてください」と、王柔が口にする間もない程でした。

「まさか、理亜に切りつけようというのかっ」

 慌てて振り向いた王柔の目の前で、寒山の短剣は振り下ろされました。

 プツッ。

 彼の短剣は、理亜の身体をではなく、少女と他の奴隷を繋いでいた縄を切断していました。

 一体何が行われたのでしょうか。この少女に休みを与えるために、寒山は縄を切ったのでしょうか。

 目の前で行われた出来事の意味を、皆が理解できずにいました。

 ひと時生じた静寂の中で、皆の視線が寒山に集まりました。

 自分に集まった視線を打ち返すように、寒山が大声を上げました。

「全員、この奴隷から離れろっ。こいつは風粟の病に罹っているっ」

 それは、恐ろしい宣言でした。

 始めは寒山が何を言ったのかよく理解できなかった者たちも、その言葉が意味することを飲み込んだとたんに、何かに殴られたかのように後ろに飛び退り、少しでも奴隷の少女から距離を空けようとするのでした。

「風粟の病? 風粟の病と隊長は言ったのか?」

 もちろん、王柔にも寒山の言葉は聞こえていました。ただ、すぐにはそれを飲み込めなかったのです。

 風粟の病とは、とても恐ろしい流行り病で、王柔は両親や家族をその病気で失っています。妹が奴隷として売り飛ばされて行方知れずとなってしまったのも、元を辿ればその病気のせいです。その病に奴隷の少女が罹っていると、寒山は言ったのです。それは、王柔にもとても大きな衝撃を与えていました。

 風粟の病に罹った者の身体には、赤い発疹が現れます。また、罹患した者の多くが酷い高熱を発するようになって、極めて高い確率で死に至ります。さらにこの病の恐ろしいところは伝染力の強さで、罹患した者から周囲の者にどんどんと広がっていき、家族や一族、酷いときには村全体にまで及ぶこともあります。唯一の救いは、一度風粟の病に罹った者には耐性が生じ二度と罹らないことでしたが、その場合でも、風粟の病は痘痕という爪痕を、罹患した者の身体に残すのでした。

 正しく風粟の病とは、「死をもたらす病」として、遊牧民からとても恐れられている病気なのでした。寒山が奴隷を一列に繋いでいる縄を切ったのも、他の奴隷を彼女から少しでも離して、病が広がらないようにするためでした。