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物語は元の時間、冒頓の護衛隊に守られた小野の交易隊が土光村に到着した時に戻ります。それは、王柔と理亜が土光村で再会してから、約一か月後のことでした。
小野の交易隊は、月の民の東方に位置する秦という国からたくさんの荷を抱えて月の民に戻ってきたところです。彼らは遊牧民族月の民の五大部族の一つ肸頓族の男たちでした。この部族は遊牧だけでなく大規模な交易も行うという、珍しい側面を持っていました。
小野の交易隊はとても規模が大きく、運んでいる荷も多かったので、小野は村が近づくと先触れを出して、しばし逗留するための準備をさせました。常に丁寧な仕事を心掛ける小野らしい周到な準備で、これにより交易隊は村に着いた後も滞りなく作業を進めることができるのでした。
遊牧民族の国である月の民にも、部族の根拠地には小さな村や集落が見られました。でも、それらとこの土光村は比較にならないほど規模が違っていました。土光村は、日干し煉瓦造りの倉庫が幾筋にも立ち並ぶ、とても大きな村でした。
それはこの村に大小の交易路が繋がっているからでした。たくさんの道が繋がっているということは、そこを通る交易隊も多いということですから、水や食料がたくさん求められるということになります。さらに、だんだんと交易隊の往来が多くなってくるにつれて、ここで一度荷を下ろして他の交易隊と交流をし、自分たちが行っていない地方の品物も手に入れようとする者たちも増えてきているのでした。
羽磋は小野の交易隊に同行はしているものの、交易隊の一員ではなくて「留学の徒」でしたから、交易隊の仕事を手伝う必要はありませんでした。でも、交易という自分の経験したことのない仕事に興味津々の羽磋は、自ら手伝いを申し出ました。そんな羽磋を見つめる小野のまなざしは、とても暖かなものでした。
積極的な羽磋の態度に好感を持った小野は、倉庫への荷入れなどの遊牧生活では経験できなさそうな仕事に、羽磋を案内するのでした。
忙しそうにバタバタと人が出入りする搬入作業の中で、さりげない様子を装いながら、小野は羽磋の耳元に口を寄せました。
「実はご相談があるのです。交易路で困ったことが生じているという情報がありまして・・・・・・」
交易路で問題が生じているということであれば、それはもちろん、土光村を経由して阿部がいる吐露村まで行こうとしている羽磋にもかかわりがあります。でも、旅の専門家である小野が、旅の経験に乏しい羽磋に対して、そのような問題を相談しようというのは何故なのでしょうか。
「その問題には、月の巫女の力が関わっている可能性があるというのです」
「ええっ」
羽磋は驚いて小野の顔を見つめました。まさかここで「月の巫女の力」の話が出るとは、思ってもいなかったのです。でも、それこそが小野が羽磋に相談をもちかけた理由なのでした。
「搬入作業が終われば、皆が楽しみにしている慰労会です。その時に詳しくお話し致します」
小野は羽磋にそのようにささやくと、すぐに作業の指示をするために離れていきました。彼のところには、荷をしまう場所や逗留の手続きについての相談をするために、次々と人がやってきます。たしかに、いまここでそのような話をすることは、できなさそうでした。
羽磋は、この場は小野がやっている作業を少しでも勉強しようと、ざわめく心をなんとか落ち着かせながら、彼の後を追うのでした。
その日の午後のことです。
ようやく一連の搬入作業が終了しました。最低限の人数は村の外に設営している天幕や駱駝の管理の為に残さなければなりませんが、それ以外の交易隊員は全て王花の酒場に集まっていました。
彼らがゴビの砂漠の厳しい環境にさらされながら、ずっと楽しみにしていたのが、この慰労会、つまり、宴会なのでした。
王花の酒場は小野の交易隊のために貸し切りの状態になっていました。彼らは店の外にまであふれて、何度も酒を酌み交わし、肩を組んで歌い、大声をあげて笑いあっていました。
もちろん、その中には苑の姿もありました。この旅の中で大きな成長を遂げたと冒頓にも認められ、初めて酒場に座ることを認められたのでした。
苑は嬉しくって仕方がありませんでした。これまでであれば、村の外の天幕の中で乳酒を飲みながら駱駝の番をしているところです。それが今回は、酒場で大人の皆と一緒に、アルヒという強い蒸留酒を飲んでいるのですから。
「いいっすか、羽磋殿。ピーピーピーです」
「えーと、ピーピーピィー・・・・・・だろ?」
「ちがうっす。やり直しっす。もう、羽磋殿は、羽磋殿は、空風が可愛くないんすかぁ?」
初めて飲むアルヒにすっかり酔っぱらってしまった苑は、羽磋に対して空風への指笛の合図について、懇々と説明を続けていました。自分の大好きな空風のことを話したくて仕方がないのです。でも、少々、いや、大分、お酒のせいで度が過ぎてしまっているようでした。おかげで、宴の中ごろになって、酒場の奥へ来るように呼ばれたときには、羽磋は指笛の合図をすっかり覚えてしまっていました。
「やれやれ、苑のやつ酒癖が悪いなぁ。俺に指笛の合図を教えるのはいいけど、そもそも空風は自分の指笛にしか反応しないって、自慢してなかったっけ?」
首を振りながら店の奥へ消えていった羽磋の背後では、日頃から可愛がってもらっている交易隊の先輩たちから次々に酒をすすめられる、苑の嬉しそうな姿があるのでした。
「ほら、小苑、飲め!」
「あざっす、いただきます!」
「おや、杯に酒が残ってるじゃねぇか。先輩についでもらうときには、杯を空けるってもんだ」
「すいませんっす・・・・・・、んぐっ。ふっぅ。いただきます!」
「おおぅ。やっぱり若い奴の飲みっぷりは気持ちがいいなぁ。それ、飲め飲めぇ!」
やがて、したたかに酔いが回った男たちは立ち上がり、「ゴビを行く交易隊」や「帰りを待つあの子」などの唄を、杯を掲げながら陽気に歌い始めるのですが、その頃には、前後不覚になるまで酔ってしまった苑は、机の上に突っ伏してしまっているのでした。
さて、羽磋が来るように言われたのは、酒場の厨房の更に奥に造られている小部屋でした。
この建物はもともと倉庫として建てられたものなので、開放的に大きく切り取られた店の正面口とは裏腹に、反対の面には通気口程度しか開けられていませんでした。そのため、まだ酒場の方は十分明るいにもかかわらず、日差しの入らない小部屋の中には貴重な油を使った燭台が数本立てられ、中にいる人の影をゆらゆらと壁に映し出していました。
小部屋の真ん中には木製の長机が置かれていて、その周囲には数人の男女が腰を下ろしていましたが、事情を知らない人が見たら、いったい何のための集まりなのかと首をひねるような、とても統一感のない面々となっていました。
羽磋の正面に座っているのは、この酒場の女主人である王花(オウカ)でした。彼女を形容するときに適当な言葉は「きれい」だとか「活発な」というような言葉ではありませんでした。彼女は「どんっとした」とか「存在感のある」というような言葉がよく似合う、押し出しの強い女性でした。大柄な彼女の横には、対照的に小柄な男が座っていました。それは、羽磋が世話になっている交易隊の隊長である小野でした。
羽磋の右手には、これも小野の交易隊に所属している男たちで、護衛隊の隊長である冒頓とその補佐である超克が腰を下ろしていました。
羽磋の左手では、年若い男と少女が立ち上がっていて、男のほうが部屋にいる皆に対して話をしていました。ひょろっとした背の高い男の方が、王花の盗賊団の一員である王柔で、理亜という名の少女に助けられながら、自分たちがどうやってこの村に辿り着き王花の酒場に迎え入れられたかを、説明しているのでした。
羽磋が小部屋に入ってきたことに気が付いた王花は、王柔のほうに顔を向けたままで、手ぶりで羽磋に座るように促しました。自分が入ってきた扉をそっと閉めると、羽磋は椅子に腰を掛け、若い男が何を話しているのだろうと、真剣な面持ちで耳を傾けるのでした。
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