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「それで、どうしても皆さんにお願いしたいことがありまして・・・・・・」
「ああ、いいよ、王柔。ここからはあたしが話そう」
話が一段落したところで、王柔の話を王花が引き継ぎました。
羽磋は、王柔の話の内容にすっかり戸惑ってしまっていました。
彼の話によると、ヤルダンと呼ばれる場所に病気の為に置き去りにされた、まだ、十歳ぐらいにしかならない理亜という少女が、一人で土光村まで交易路を歩いて辿り着いたのです。それだけでもとても信じられないことなのですが、いったいどういう不思議なのか、彼女は村で出迎えた王柔の体を、まるで精霊のようにすり抜けてしまったというのです。さらに、彼女は日が沈むと同時に姿を消してしまったとも言うのです。次の日の朝になると理亜は再び姿を現したというのですが、一体どういう道理でそのようなことが起こるのでしょうか。羽磋は、これまでにこれほど不思議な話を、聞いたことがありませんでした。
「まず、はっきりとさせておこうね。理亜の体には風粟の病に罹った痕跡は全くない。だから、その点についての心配はしなくてもいいんだ」
王花の明瞭な声が小部屋に流れると、その場の主導権は完全に彼女の手に握られました。
「ただ、彼女が人の体に触れない、それに、夜になると消えてしまい、朝になると現れるという不思議な現象の理由は・・・・・・、残念だけど、よくわからないのさ。あたしも王柔も、村の長老に相談したりいろいろと考えたりしたんだけどね。だけど、彼女が母を待つ少女の声を聞いたという話からすると、その奇岩と精霊の力とが関わっているのかもしれないね」
「ああ、そうだな。その可能性は十分にあるんじゃねぇか」
冒頓が真っ先に王花の話に賛同の声を上げました。その横では、副官の超克も深く頷いていました。
「やはり、そうだよね。それに、精霊の力を高めるといわれる月の巫女の祭器も、これに関わっているのかもしれないわね」
「私もそう思います。王花殿」
小野も、精霊の力や月の巫女の祭器が、理亜の件にかかわっているのではないかとの見方を示しました。
羽磋は自分の目の前で、月の巫女の祭器に関する話が交わされているのを見て、不安を覚えました。父や小野からは、月の民全体の単于(王)である御門が月の巫女の力を利用すべく部下を放っているので、祭器に関する話は慎重に行わなければならないと聞かされていたからでした。
しかし、この場所にいる者は、阿部の部下である小野に王花、そして彼らの部下である冒頓たちだけで、彼らは全て阿部の指示を受けて月の巫女の祭器を探す仲間なのでした。
改めて小野からそのような説明を受けた羽磋は、「月の巫女を月に還したい」という仲間がいることを、心強く感じるのでした。
「さて、理亜のことの他に、もう一つ大きな問題があるんだよ。実は、ヤルダンが通り抜けできなくなっているんだ。ヤルダンの奇岩たちに遮られてね」
倉庫での作業中に羽磋が小野から「交易路に問題が生じている」と聞かされていたのが、この問題なのでしょう。でも、いったいどういうことがあったのでしょうか。強風や地震などで交易路が崩れたり大きな岩が落ちたりして、道が通れなくなっているとでも言うのでしょうか。
「いや、羽磋殿。言った通りだよ。奇岩に遮られているんだ。つまり、奇岩が、ヤルダンの魔物が動き出して、そこを通る者を襲っているんだ」
「き、奇岩が、ですか・・・・・・」
「ああ、そうだ。ぱっと聞いただけではとても信じられないかもしれないけど、ヤルダンにある奇妙な形をした砂岩、あれが動いたんだよ」
月の民という遊牧民族の国に属する者であれば、ヤルダンの名を知らない者はおりません。多くの者は子供の頃から、「ヤルダンには奇妙な形をした怪しけな砂岩が幾つも立ち並んでいて、交易路を通る者を暗い影の中に引きずり込もうとしているのだ」と年長者から伝え聞き、遠い空の下にはとても恐ろしい場所があるのだと震えながら眠りについてきたのでした。
もちろん羽磋もその一人でしたが、あくまでもそれは長老の話に出てくる想像上の世界で、現実のものとは別だと思っていました。如何にまだこの時代は人と精霊の距離が近かったとは言っても、精霊の力の現れを実際に目にする機会は、大多数の人たちにとっては無いに等しかったのですから。
でも、王花は、あたかも「遊牧している羊がサバクオオカミに襲われた」とでもいうかのように、それを現実の出来事としてはっきりと言い切ったのでした。
王花の説明によると、王花の盗賊団の仕事の一つにヤルダンの巡回がありました。それは、ヤルダンに他の盗賊団が入り込んでいないか、また、通行料を払わずにそこを通りぬけようとする交易隊がいないかどうかを警戒するためのもので、王花の盗賊団の中でも腕っぷしの強い者たちがその仕事にあたっていました。
ある日のこと、その巡回の任に当たっていた者たちが、全身にいくつもの傷を負い、歩くのが精いっぱいの状態で王花の酒場に帰って来ました。そして、彼らは思い返すのも恐ろしいという表情で、口々に叫んだのでした。
「お、王花さん、奇岩が、奇岩がぁっ!」
「悪霊だ、悪霊の仕業だ。やっぱり、ヤルダンには魔物がいるんだ!」
その時の王花の酒場には、王花と王柔、それに理亜がいたのですが、彼らの言葉の内容を確かめるよりも前に、まずその身体を心配しなければならない、それほどのひどい傷を負わされていました。幸いなことに、彼女たちの適切な手当てにより、命までを奪われる者は出ませんでしたが、怪我を負った者たちはその手当の間中もずっと、うわ言のように「奇岩が、奇岩が」と繰り返すのでした。
王花の盗賊団にいる者の多くは、それぞれの理由により月の民の社会の中に居場所を持っていない者たちで、王花はその者たちに「王」の名を与えて、自分の家族のように接していました。
それだけに、自分の部下が傷つけられたという話をするときの王花の顔には、どうしても抑えきれない強い怒りが表れているのでした。
「あの子たちの言葉を疑う訳ではもちろんないんだけど、ヤルダンがいまどうなっているのかは、はっきりとさせなきゃいけない。だから、その後にも、団の者をヤルダンに行かせたんだけどね。やっぱり同じだった。そいつも動く奇岩に襲われて逃げ帰ってきたのさ。それ以来、あたしたちはヤルダンに手出しをできない状態になっているんだよ」
ヤルダンを管理している王花の盗賊団が奇岩の襲撃の為にそこを通れないようでは、他のどの交易隊も通ることができません。つまり、現在のところヤルダンを通って吐露村から土光村へ行くこと、もちろん、その反対に土光村から吐露村へ行くことは、できなくなっているのでした。
「でもよ、結局はヤルダンの中に踏み込むしかねぇよなあ、やっぱりっ」
王花の話に区切りがつくと、それを待ちかねていたかのように、冒頓が腰を浮かせながら話し出しました。
「王花の盗賊団の者は怪我で動けねぇんだろ? だったら、ここは俺たち護衛隊の出番だ。なに、動く砂岩ってのは奇妙な代物だが、切れば崩れるんだろう? それなら、俺たちが遅れを取るわけはねえぜ」
「もちろんです、冒頓殿。冒頓殿の護衛隊の力は、これまで何度も助けていただいている私が一番知っております。おっしゃるように、ここは冒頓殿の護衛隊の出番だと思います」
小野の口から落ち着いた言葉が発せられると、冒頓は満足そうな顔をして、再び腰を下ろしました。その横には副官の超克が静かに腕組みをしながら座っていましたが、「むやみに突き進む、俄かに行動する」という意味の名を持つ隊長を上手く操縦する小野に対して、心の中で手を打ち鳴らしていました。
「まず、理亜殿のお身体がこのような状態になっているのも、彼女が母を待つ少女の奇岩の声を聴いたという、不思議な出来事がきっかけだと思われます。そして、王花殿がご説明されたように、ヤルダンの交易路には奇岩が動き回り、王花の盗賊団の方が襲われたとのことです。二つの奇怪な出来事に共通しているものは、なんでしょうか。それは、奇岩です。やはり、ヤルダンの中へ行き、母を待つ少女の奇岩が何らかの霊的な力を行使しているのではないかを確かめ、そうであれば、それを・・・・・・」
「そうだな、そうであれば、それを俺たちが破壊する。だろ、小野殿」
自信に溢れた声で自分の説明を遮った冒頓でしたが、小野は彼に対していらだった様子を見せるのではなく、「おねがいします」とでもいうかのように、頷いて見せるのでした。
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