コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 これまでの振り返り⑭

 

 気の弱い王柔にとって、皆の前で自分の意見を言うことは、とても勇気のいることです。話の内容が他のことであれば、疑問を持つ自分を自分自身で説得して、やり過ごしていたでしょう。
 でも、理亜についてのことだけは、王柔はどうしても自分の意見を言わずにはいられなかったのでした。彼には、皆が考えているのは「どうやってヤルダンを通ろうか」ということと、「月の巫女の祭器がそこにあるのか」ということだけで、「理亜の体を元に戻すこと」など、誰も考えてくれていないように思えたのでした。
 王柔は自分の視線を長机の中央に固定して、お腹の底から勇気を振り絞ると、震える声を出し続けました。
「そうですっ。母を待つ少女の奇岩に手を出して、もしも理亜に何かあったらどうするんですか。もっと、理亜のことを考えてあげてください。お願いですっ。理亜のことを、大切にしてあげてくださいっ」
 最後には上ずった声で叫ぶようになってしまった王柔の話は、この部屋にいる大人たちにどのように伝わったのでしょうか。
 王花と小野は王柔の性格をよく知っていましたから、彼がこのように考えると予想していました。一方で、彼とあまり深く接する機会のなかった冒頓は、以前から彼のことを「弱々しくてイライラさせられる奴」と思っていました。陽気で行動的な冒頓の性格と王柔の性格は、正反対だったのです。ですから、この王柔の発言は、彼にとっては理解できないものであったのでした。
「なんだか、よくわかんねぇなぁ。王柔・・・・・・」
 王柔の向かい側で、ギギギィッと椅子が引かれました。自分の主が立ち上がったとたんにこの場の空気がピンッと張り詰めたことに、椅子の方でも驚いているようでした。
「お前の話は、よくわかんねえんだよ。教えてくれよ、王柔。母を待つ少女の奇岩には手を出すな。じゃあ、どうすればいいと考えているんだ」
 ブルブルブル・・・・・・。
 王柔の膝が、彼に断りなく震えだしました。
「す、すみません」
 反射的に王柔が口にしたのは、謝りの言葉でした。
「謝るぐらいだったら、最初から言うんじゃねぇっ。お前には芯ってもんがないのかっ」
「す、すみません・・・・・・。ぼ、僕が言いたいのは、り、理亜のことなんです。理亜のことが心配なんです」
 王柔は自分を守るようにギュッと身体に腕を回しました。でも、席に着くことはなく話を続けました。
「小野殿も話しておられました。母を待つ少女のところに理亜を連れて行っても、どうなるかわからないと。だったら、どうしてそんな危ないことをするんですか。僕は、僕は、みなさんにもっと理亜を大切にしてほしいんですっ。助けてあげてほしいんですっ」
 王柔の後ろでは、理亜が心配そうに彼の背中を見つめていました。
 冒頓は思ってもみなかった王柔の反論に、少し面食らっていました。彼の持っていた王柔の印象から、少しこちらから強く言えば、口の中でもごもごと何かを唱えながら座り込んでしまうだろうと思っていたのです。
「あのなぁ・・・・・・、王柔。結局、お前は何が言いたいんだ」
「え・・・・・・、ですから、みなさんに理亜のことを大切にしてほしいんです」
「それは十分わかっているさ。みんなお嬢ちゃんのことを心配しているし、大切に思っているんだぜ。だが、小野殿が話してたとおり、母を待つ少女しか手掛かりがねえんだよ」
「で、でも、それは・・・・・・」
「じゃぁ、言い方を変えてやるよ。理亜のことを考えてください、お願いします、じゃあ、ねえんだ。人に頼むんじゃなくて、王柔、お前はどうしたいんだ。どうするんだよ?」
 まるでヤルダンに並ぶ奇岩のように、王柔は固まってしまいました。彼の意識の全ては、冒頓に投げかけられた答えを探して、自分の内側に向けられていました。でも、「自分がどうするのか」、その問いに対する答えは、「理亜のことを皆に頼む」以外には見つからなかったのでした。
「理亜のことを大切に・・・・・・、そ、そうです。だから、危険があるところに、理亜を連れて行かないんですよ」
「ほう、ヤルダンには連れて行かない。それで、お前はお嬢ちゃんの問題をどう解決するんだ」
 冒頓の口調は、王柔を問い詰めるような激しいものではなく、むしろ、彼に状況の説明をしているような落ち着いたものになっていました。
「え・・・・・・、いえ。すみません。正直、そこまで考えていませんでした。ただ、僕は理亜のことが心配なんです。それで、皆さんにも、理亜のことを心配してほしいんです。それだけなんですっ」
「・・・・・・冒頓殿っ!」
 自分の傍らで急に大きな気が生じたように感じられて、超克は冒頓の方に振り向きました。気の短い隊長が、王柔に怒りを爆発させるかと思ったのです。でも、冒頓はその怒りをぐっと鎮めると、とても低い声でゆっくりと王柔に語るのでした。
「心配しているだと・・・・・・。お前は大事なことを忘れているんじゃねえのか。お嬢ちゃんには悪いが、いまの不可思議な状態がずっと続くと誰が決めたんだ。いま以上に悪くならねぇと、どうして言えるんだ。夜になると消えてしまう、だが、本当に次の朝に現れるのか。精霊の力が弱くなったり、消えてしまったりすることも、ありえるんじゃねぇのか?」
 畳みかける冒頓の言葉は、王柔がこれまで無意識のうちに避けてきた心配を正確にとらえていました。
 王柔は、土光村の入り口で彼女が消えてしまった後に味わった恐怖、次の日の朝に彼女の姿を見るまで抱き続けた真っ黒な不安を、再び思い出していました。
 改めて問われてみると、王柔にも冒頓の言うことがよくわかるのでした。
 理亜の現状がいつまでも続くという保証など、どこにもありません。それがヤルダンに働く精霊の力によるものだとしたら、そこから離れている状態が続くことが、彼女にとって悪い方向に働くことも十分に考えられます。
 でも、だからと言って、ヤルダンに踏み込んで行くことが正しいということになるのでしょうか。それが、考えるのも恐ろしい決定的な出来事につながる恐れもあるのではないのでしょうか。
「僕は、ただ理亜を大事にしてほしい、それだけなのに・・・・・・」
 王柔は、もう何もわからなくなってしまいました。どちらを選んでも、その選択によって何か悪いことが起きそうで、とても選ぶことができません。
 もともと、問題が生じたときにどう対処するのかは王花たちが決めてくれる、そう思っていた王柔は、大事なことに気が付いていなかったのでした。それは、何かを決めるときに生じる「責任」でした。自分の行動を他者に決めてもらうということは、自分が取るべき責任までも他者に負わせることだということを、考えたこともありませんでした。
 ですから、いざ自分自身で大事なことを決めなければならなくなると、その責任のあまりの重さに押しつぶされそうになり、身動きできなくなってしまったのでした。
 小部屋での話し合いは、ずいぶんと長いものになっていました。相変わらず酒場の方からは、交易隊の各員が上げる楽しそうな大声が聞こえてきていますが、明り取りの窓から差し込んでくる日の光は、その境界が判らなくなるほどぼんやりとしたものになってきていました。まだ外はそれほど暗くはなっていませんが、ヤルダンが広がるその先では太陽が没しようとしているのでしょう。
「ふぁぁ・・・・・・」
 椅子に腰かける理亜の口から、小さなあくびが漏れました。いつも日暮れと共に訪れる堪え難い眠気が、今日もやってきたのでした。
「おう、お嬢ちゃんは眠くなっちまったか」
 彼女の変化にいち早く気が付いたのは、その正面にいる冒頓でした。彼はできるだけ優しい声を出して、王柔が理亜の変化に気が付けるように配慮しました。
「今日は疲れちゃったね、理亜。ゆっくりお休み」
「ん、オージュ。おやすみなサイ・・・・・・」
 理亜の体からどんどんと力が抜けていくのと同時に、彼女の体の輪郭もぼやけていきました。さらに、その体を透して反対側の様子が見えるようになってきて・・・・・・。最後には、彼女の体は椅子の上から完全に消えてしまいました。
 さっきまでここに理亜がいたことを示すものは、小部屋にいる者の記憶だけになってしまいました。