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ヅヅォッ・・・・・・、ドウウン・・・・・・。
大きな音を立てて、塊がゴビに転がりました。
それはサバクオオカミの胴体部分で、側面にはぽっかりと大きな穴が開いていました。
男にとびかかった奇岩を射抜いてゴビに転がしたのは、冒頓でした。彼は大地に転がって動かなくなった奇岩を指さしながら、大声を張り上げました。
「おいっ。目を大きく開けて、しっかりと見やがれ! お前らの放った矢はしっかりと効いているぞ。ほら、こいつを見ろ! 相手は不死のバケモンじゃねぇっ。射れば崩れ、切れば倒れる。獣と同じだぜっ!」
「おお、そうだ!」
「ああ、隊長の言うとおりだ。よく見ろ、俺たちの矢は効いているぞ」
あたかも冒頓の声が大きな風となって、男たちの視界を遮っていた恐怖という名の雲を吹き飛ばしたかのようでした。
男たちが改めて周りに注意を向けたところ、矢で身体を砕かれて動けなくなった奇岩が、幾つもゴビに転がっているではありませんか。心を持たない奇岩に対して痛みや恐怖を与えることはできなくても、その活動を停止させるだけの力は、彼らの矢にも十分にあったのです。
「いけるぞ!」
「そうだ、いつもの通りやればいいんだ」
一度は揺らいでしまった男たちの気持ちも、自分たちの力が通じると知り、再び高まってきました。
そこへ、再び苑が叩く銅鑼の音が鳴り響きました。
ドーン、ドーン、ドーン!
迫って来ているサバクオオカミの奇岩の群れに、左右から矢を射かけていた護衛隊の男たちは、この銅鑼の音を合図に一斉に馬首を返して後退を始めました。
前方から一団となって走ってきた奇岩の群れは、離れていく左右の護衛隊を追いかけて、二手に分かれました。それでも激しい濁流のようなその勢いは少しも衰えないのですが、彼らの牙は馬を走らせる男たちにはなかなか届きません。ようやく男たちの近くまで追いついたサバクオオカミがあっても、彼らが馬上で反り返って撃つ矢に射抜かれてしまうのでした。
左右の騎馬隊がそれぞれ後退をして離れていくにしたがって、一塊だったサバクオオカミの奇岩の群れもどんどんと左右に散らばっていきます。そこへ。
ドドドドドゥツ!!
「そらそらそらぁ! あいつらはなんだ? ただの土の塊じゃねぇか。人間様を襲うなんて百年早いって教えてやろうぜっ」
馬上で槍を構える冒頓を先頭に、交易隊本体を守っていた徒歩の護衛隊が、広がって薄くなった奇岩の群れの中央に、槍先をそろえて突っ込んできたのです。
ドスドスッ!
冒頓の槍がサバクオオカミの形をした砂岩を次々と突き崩していきます。そして、動きが悪くなった個体は、その後に続く男たちによって、完全に破壊されていくのです。
もし、誰かが大空を周回しているオオノスリの空風にこの戦いの様子を尋ねたならば、「それはまるで小舟が水を割いて進むかのようだった」という答えが返ってきたでしょう。
冒頓たちは、自分たちの進む先の奇岩を思う存分に叩き潰し、群れの反対側に突き抜けました。そして、すぐさま反転をすると、また群れの中へ突っ込んでいきました。
この奇岩はサバクオオカミの形をしてはいるものの、実際のサバクオオカミの群れの用にリーダを持っていませんでした。彼らは統一した動きを取れなくなり、それぞれが自分の近くの敵に噛みつこうと動き出してしまい、当初の勢いを完全に失ってしまいました。
そこへ、ザアッと雨が降ってきました。
雨? いいえ、それは雨ではありません。再び奇岩の群れを突破した後で、離れた場所で徒歩の隊をまとめた冒頓が、左右に控えていた騎馬隊に合図を送ったのです。
「矢を放て」と。
ザアッ! ザァツ!!
バスン、バスンッ。トスットスットスッ!
椰子の葉に雨粒が当たるかのような音を立てて、次々とサバクオオカミの奇岩に矢が立っていきます。傷ついた奇岩の動きが遅くなったのを見て取った冒頓が、徒歩のものを引き連れて再度突入していきます。
しばらくの間、辺りに冒頓と護衛隊の男たちの大声が響きました。
そして、ゴビの大地に再び静けさが戻った時には、この辺りにはサバクオオカミの形をした奇岩は、一体も残ってはいなかったのでした。
オオノスリの空風を除いて、この戦いの様子を一番よく把握できていたのは誰かと言うと、実は指揮を執っていた冒頓ではなくて、羽磋と苑でした。
彼らは、冒頓と一緒にサバクオオカミの奇岩の群れに突入しておらず、全体を見渡すことができていたからでした。
苑には、少し離れた場所から周囲の警戒をし、万一新手が現れた時などには銅鑼を鳴らすことでそれを冒頓に知らせるという役目がありました。
また、羽磋はと言えば、冒頓たちと共に戦った経験がありませんでしたし、そもそも、名目上とはいえ護衛が付けられたのは、留学の徒である羽磋を守るためであったので、突入する一員には数えられていなかったのでした。
「すごい・・・・・・。やっぱり、すごいな・・・・・・」
「へへっ。それは、そうっすよ。冒頓殿が指揮する匈奴護衛隊には、どんな奴らもかないやしないっす」
思わず驚嘆の言葉を漏らした羽磋の横で、苑が自慢げに答えました。その小柄な体は、自らが所属する護衛隊の活躍に極度に興奮して、細かに震えているのでした。
交易隊を襲ってきた野盗と戦う場合などには、護衛隊が激しく抵抗することで相手に目的を達することが困難であることを悟らせれば、敵は逃げていきます。野盗の側からすると、強力な護衛隊が護る交易隊に命懸けの襲撃をせずとも、次の機会を待てば良いのですから。
しかし、動き出したゴビの砂岩であるサバクオオカミ達には、惜しむべき命もなければ次の機会をうかがう知恵もありません。
そのため、冒頓たち護衛隊は、物理的にすべてのサバクオオカミを破壊してその動きを止めねばならず、彼らが交易隊の元に引き上げてきたときには、ずいぶんと時間が経過していました。
不思議なもので、自分たちの力により敵を打ち破ってしまうと、始めに抱いていた「異形に対する恐れ」などはどこかに吹き飛んでしまったかのようでした。男たちは、興奮した様子で陽気な大声を上げたり、大げさに体を動かしたりしながら戻ってきました。
冒頓は、部下たちの様子にニヤニヤと笑みを浮かべながら羽磋たちの元に戻ってくると、大した仕事はしていないとでもいうように、軽い調子で「よう、戻ったぜ」と声を掛けました。
「お、お疲れさまでした。すごかったです」
そんな冒頓に対してどのような反応を見せれば良いかわからず、羽磋はただ背筋を伸ばして緊張した声を出すのでした。
冒頓は少年らしい素直な羽磋の反応に好意的な視線を送ると、苑に銅鑼を鳴らして隊全体を集めるように指示を出しました。
「わかったっすっ!」
尊敬と賛美の気持ちがいっぱいに詰まった返答と共に、苑は力強く銅鑼を鳴らしました。
その大きな音が響き渡る空気の下では、周囲の地面と違う色をした砂が至る所に散らばっていました。それこそが、つい先ほどまで、いびつながらもサバクオオカミの形をとり、護衛隊の男たちの喉元を食い破ろうと激しく動き回っていた、ヤルダンの奇岩の名残なのでした。
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