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ぐわっと、王柔の心の中に怒りの波が押し寄せてきました。それは、恐れの為に一度引いていた心がより戻してきたものであり、とても高い波でした。
「自分は精霊の子を恐れ敬っているから、ここに来るまでの間ずっと、礼を失しないようにするにはどうすればいいかと考え続けてきた。それなのに、精霊の子の態度ときたらなんだよ。いきなりあんな恐ろしいものを見せつけるなんて、失礼極まりないじゃないか。それが年長者に対する態度なのか!」
経験を重んじる遊牧民族の間では、若者が年長者に対して敬意を払うのが当たり前とされていました。ましてや、未成年者と成人とでは、言わずもがなです。そのため王柔は精霊の子に対して激しい怒りを覚えたのですが、彼は自分と理亜の違いにまで考えが回っていませんでした。
「ほとんどの人は、僕ではなくて自分の見たいものを見てしまう」と精霊の子は言いました。
そうです。王柔が見た恐ろしいものとは、精霊の子が彼に見せたものではありませんでした。それは、王柔が精霊の子に抱いていた畏れと恐れが形になったものでした。つまり、王柔は自分が見たいものを見ていたのでした。
その一方で、理亜は精霊の子に対して何の先入観も持っていませんでしたから、何にも惑わされることなく、中庭で休んでいた一人の少年である精霊の子そのものを見ることができたのでした。
「あなた何か変なことを言ってマスか? ここにはあなたとオージュしかいないですから、わたしはあなたを見ていますよ? お願いがあるんデス。わたしはあなたに聞きたいコトがあるんです」
「いや、君。ほんとに君は変わっているねぇ。面白い、面白いよ。アハハハ、これは面白い!」
理亜から「聞きたいことがある」とお願いをされているにもかかわらず、それがまるで耳に入らなかったように精霊の子は振舞いました。大きな声で笑いだすと、いかにも珍しいものに出会ったかのように、理亜のすぐ近くまで顔を寄せて、彼女を観察し始めるのでした。
「ちょ、ちょっと。何をするんですか」
女の子相手になにをするのか、と王柔が諫めても、精霊の子は全く頓着しません。興味のある存在、つまり、理亜と自分だけの世界に入り込んでいるのです。
精霊の子とは普通の話ができないとは聞いていましたが、これはやりすぎです。
でも、王柔がいくら声をかけても、精霊の子にとって彼はいないも同然です。結局、業を煮やした王柔が精霊の子の身体に手を掛けて押しのけ、理亜を自分の背中に隠してしまうまで、その観察は続いたのでした。
「で、精霊の子さん、どうでした?」
「お、おい。理亜?」
王柔が二人の間に無理やり割り込んだのは、理亜がどれだけ嫌な思いをしているかと思ったからです。でも、せっかく王柔が背中に隠した理亜は、自分からぴょこんと横に飛び出すと、何やら嬉しそうな顔をして、精霊の子に尋ねるのでした。
「何を言ってるんだ、理亜・・・・・・。ん、ええっ」
予想外の言葉にびっくりして理亜の顔を見た王柔は、自分の目が見たもの信じられず、目を手で強く擦りました。
何かを待っているかのような表情が浮かぶ理亜の顔では、瞳がキラキラと輝いていました。その輝きは・・・・・・。王柔にはその輝きが精霊の子のそれと全く同じものに見えたのでした。
「うん、面白かったよ。君、半分なんだね」
「ああ、そうデスか。わたし、半分なんデスね」
理亜の問いかけに対して、これは大変珍しいことなのですが、精霊の子ははっきりと返答をしました。
理亜も精霊の子に対して、「やっぱり」とでも言うかのように大きく頷いて返しました。
王柔は、二人のやり取りから完全に取り残されていました。話の内容にもついていけていませんし、そもそも、彼がここにいることを二人ともが忘れてしまっているかのようでした。
「駄目だ、一体何をしにここまで来たんだよ、僕は!」
日頃の王柔は、「目立ちたくない」と考えながら過ごしています。いつもであれば、自分が話の輪から外れているのであれば、そのまま黙ってやり過ごしてしまうところです。
でも、王柔がこの場に来たのは「理亜の為に自分ができることをする」という積極的な思いからでした。
王柔は改めて精霊の子と理亜の間に体を入れると、精霊の子に向かって一気に話し出しました。まるで、一息でもつけば精霊の子がどこかに行ってしまうと考えているかのように、頭に浮かんだ言葉を次々と精霊の子にぶつけるのでした。
「お願いです! 聞いてください! どうか、お願いですから! この子は人の身体を通り抜けてしまうんです。それに、陽が沈むと消えてしまうんです。本当なんです。助けてください!」
「僕がこの子と出会ったのはある交易隊の中で、その時はそんな不思議なところはない、普通の女の子だったんです」
「ああ、そう、風粟の病に罹りました。それで、奴隷だったこの子はヤルダンに置き去りにされて、あ、いや、もう奴隷ではないんです。放棄されましたから。それに、風粟の病も治っています。それどころか、痘痕も無くて、最初から病にも罹ってないほどなんです。ハァハア・・・・・・」
「それで、理亜は、この子は、一人でヤルダンを抜けて、此処まで来てくれたんです。ハァハァ・・・・・・。でも、消えてしまうんです。理亜に触れられないんです。どうしてなんですかっ。どうしたらいいんですかっ。教えてくださいっ!」
精霊の子に向かって、思いを一息に吐き出した王柔は、膝に手を当てて下を向いてしまいました。ひどく息を切らした彼の背中は、大きく上下していました。
王柔の心からの叫びが功を奏したのか、いままで王柔に対して何の注意も向けていなかった精霊の子は、初めて彼に向かって反応をしました。
でも、それは王柔の願っていたものとは全く違いました。精霊の子はあくまでも精霊の子なのでした。
彼は、王柔に対して明らかに不機嫌な顔を見せると、グイッとその体を押しのけました。それとは対照的に、その陰から現れた理亜に対しては、親しげな微笑みを見せました。
「はぁはぁ、お願いです、お願いです・・・・・・」
王柔の声など、まったく彼の耳には届いていませんでした。
精霊の子はくるりと反対の方を向くと、すたすたと、中庭の中央へ歩いていきました。おおよそその真ん中に達したところで、今度は両腕を空に向かって差し上げると、大きな声で唄を歌いながら、円を描くように踊りだしました。
はんぶんだ はんぶん
僕の前には 女の子
初めて会った 女の子
赤い髪した 女の子
母さん待ってる 女の子
はんぶんだ はんぶん
はんぶんだ はんぶん
月の砂漠に 風が吹き
空の星たち 隠してしまう
赤土岩山 陽が照らし
黒い影が 地の色変える
はんぶんだ はんぶん・・・・・・・・・・・・
精霊の子は何度も何度も大声で唄を繰り返しながら、中庭を踊り歩きます。その姿を見ながら、王柔は呆然として立ち尽くしていました。もう、何が何だかわからなくなっていたのです。
そこへ、彼の背中側から、可愛らしい歌声が響いてきました。
なんとそれは、精霊の子の歌に合わせて発せられた、理亜の声だったのでした。
精霊の子は耳ざとくその歌声を聞きつけると、理亜に向かって「おいでよ」と声を掛けました。すると、理亜は王柔の背中の陰から歩み出て、歌い踊り歩く精霊の子の後ろに付き従うのでした。
「はんぶんだ、はんぶん・・・・・・」
何度も何度も同じ唄を歌いながら、楽し気に踊り歩く二人。
中庭に立っている低木と同じようにぼうっと立ち、それを見つめること以外できなくなってしまった王柔の脳裏に、だんだんとその唄が浸透していくのでした。
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