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「おおーい、この先は細い道が続きますから、気を付けてくださいよー」
王柔の声が交易隊の先頭で起きると、長く続く列の各所で、「この先は道が細くなっているから気を付けるように」と、後ろへ後ろへと注意を申し送る声が生じました。
交易隊の先には、谷のすぐそばを通るとても細い道が現れていました。そこでは左側の岩壁がグッと張り出してきて、道を歩く者を右側の崖縁へと押しやっていました。
空中に張り出した崖縁から下を見ると、下の方は暗い影で満たされていて、一体どれだけの高さがあるのかわかりません。でも、幸いなことに、それは獣道というほど狭いものではなく、かなり気を使いながらゆっくりと進めば、かろうじて駱駝を引きながら通ることができるだけの広さはありそうでした。
「下、どうなってるんダロ」
興味を持った理亜が小石を崖下に投げてみたところ、唄の一説を唱えるほどの時間がたってから、弱々しい「ポチャーン」という音が返ってきました。
どうやら、この谷底には水があるようです。もともと、ヤルダンは風の精霊と水の精霊が砂岩を削って作り上げたものとも言われていますし、南東にある祁連山脈から交易路沿いに流れていた川が、この底につながっているのかもしれません。でも、音が返って来るのに要した時間から考えると、この崖は水面から相当高いところにあるように思えます。万が一、崖から転げ落ちでもしたらと考えると、身震いせずにはいられません。
「やれやれ、こんなところであいつらには出会いたくねぇな。さっさと通り抜けたいもんだぜ」
このように心の中でつぶやいたのは、交易隊の中央で、視界を確保する意味から馬上にあった冒頓でした。
昼間のような広い場所であればまだしも、このような狭隘な場所でサバクオオカミの砂岩に襲われでもしたら、如何に冒頓としても対処のしようがないのでした。
でも、いくら危険があるとは言っても、ほかに道はないのです。この道を進まないわけにはいかないのです。唯一彼が打てる有効な対策は、このような場所をできるだけ早く抜け出す、それしかないのでした。
「気を付けて進めよっ。転がり落ちても、めんどくせぇから置いていくぜ。落ちた奴は自分で上がって来いよっ」
部下の緊張をほぐすためか、冗談めかした大きな声で注意を促した冒頓は、行進の邪魔にならないように馬を脇に寄せて止めると、ぐるりとあたりを見渡しました。
彼の前にも後ろにも、交易隊のものが駱駝を引きながら、長い列を作っていました。彼の近くではニ列になって進んでいる男たちも、先の方では地形に合わせて一列になって、ゆっくりと慎重に進んでいました。
先頭の王柔は白い頭布の上に目印の赤い布を巻いていますから、遠目にもすぐにわかります。既に道幅が狭くなっているところの奥の方にまで進んでいます。
この岩襞と崖の間の細い場所を抜けた先がどうなっているのかと視線を走らせると、先の方では、一転して広がった台地にでるようです。そこには巨人の握りこぶしのような砂岩がゴロゴロと転がっていて、岩陰からの不意打ちという別の危険に備えなければならないようでした。
「やれやれ。崖っぷちの次には、あの岩だらけのところを通らなけりゃいけねぇのか。まだヤルダンに入っちゃいねえってのに、気の休まるときがねぇな」
冒頓も彼の部下たちも、小野の交易隊の護衛として、何度かヤルダンを通り抜けたことはありました。ヤルダンやその周囲に広がるこのような複雑な地形も経験しています。
ただ、これまでであれば、魔鬼城と呼ばれるヤルダンの中はともかくとして、その外側では複雑な地形を踏み外すことへの注意だけをしていればよかったのです。でも、いまでは、その複雑な地形を安全に通ることに加えて、サバクオオカミの奇岩の不意打ちについても注意しなければいけないのでした。
崖の外側の空間を、風が吹き抜けていきます。
岩襞にそって無言で歩く男たちの緊張が、引かれている駱駝にもわかるのでしょうか。彼らが時たま上げる「ンゴオオオオ」という鳴き声も、どこか不安げな調子です。
「あの岩陰のどこかに、あいつらが隠れているかもしれない」
隊の先頭を歩く王柔と羽磋は時折立ち止まり、手の平を丸めて目にくっつけると、自分たちがこれから通り抜けることになる、大きな砂岩がゴロゴロと転がった台地の様子を窺っていました。
まだ、彼らは崖際の細い道を歩いているのですが、もしもこの先に異変があるとしたら、先頭を歩く自分たちが真っ先にそれに気づいて、皆に知らせなければいけません。そう思うと、自分たちの足元よりも道の先の様子の方が気になって仕方がないのでした。
「羽磋殿、どうですか」
「ええ、大丈夫そうです。進みましょう」
何度もそのようなやり取りを繰り返しながら、王柔と羽磋は岩襞と崖の間の細い道を進みます。
一歩ずつ。一歩ずつ。
それは僅かな距離の積み重ねに過ぎません。でも、交易隊の男たちは、文句も言わずに進みます。
彼らは経験を通して、知っているのです。
例え一歩ずつでも進んでいれば、いつかは、困難な状況を抜けられるということを。
労力を惜しんで一か八かの近道を取ったとしても、それがうまく行くとは限らない。むしろ、困難だけれども確実な道を最初から通っていた方がかえって楽だった、という場合の方が多いことを。
コロン。
道幅に合わせて細い縄のようになっている交易隊の先頭が、ようやく崖際を抜けようかという時、隊の中頃を歩く男の足元に小さな岩が転がってきました。
「うん? 小石か?」
それは、赤子の握りこぶしほどの小さな砂岩でした。男はたいした意識もせずに、それを踏みつぶして砂に還しました。
パラパラン。コロコロン。
後ろを歩く男の足元にも、同じくらいの大きさの砂岩がいくつか転げ落ちてきました。
「なんだよ、邪魔だな。それっ」
男はそれを蹴って砕きました。
バラバラバラッ。ゴローンッ。
「うわぁっ! 上から! あぶねぇっ!」
次の男の足元には、子供の頭ほどの大きな砂岩がいくつも転がり落ちてきました。危うくそれにぶつかりそうになった男は、飛び上がって大声を上げました。そして、砂岩が転がり落ちてきた岩襞の上を見上げました。
「おわわっつ! いわ、いわあっ! あぶねぇ、あぶねぇぞ!」
男が見たのは、自分たちをめがけて岩襞を転がり落ちてくる、大小入り交じった無数の岩の塊でした。下からそれを見上げた男には、自分たちの上に岩が滝のように落ちてくると思えました。
ガシン! バシンバシンッ!
「おいっ、どうした。うわぁ!」
「ぐわっ、いてぇっ」
ドドドドン。バシバシ! ガラガラン。ガラガラガラン!
ンゴオ! ンゴオオッ!!
バン、ドシンッ。
「やめろ、おい、止まれっ」
ブオッ、ンブオオオ・・・・・・。
ドドドドド! ガシン、ガシン、ガシン!
「駱駝が、駱駝が!」
「落ちるぞっ。崖から離れろっ」
「岩襞に近づくな、頭を守れっ」
岩襞を転がり落ちてくる砂岩に隊の中央を襲われた交易隊は、煮えたぎった油に水を注いだかのように大混乱に陥ってしまいました。
あちらには、砂岩から身を守ろうと、小さく縮こまって頭を抱えている者がいます。
こちらには、驚いて走り出そうとする駱駝を引き留めようと、手綱を全力で引いている者がいます。
岩を避けているうちに崖際まで来てしまって、肝を冷やす者もいます。
彼らの足元には、転がり落ちて来る岩の直撃を受けたのか、身体の一部を押さえて、うめきながら倒れ込んでいる者もいます。
ウオオオオオン! ウオオオオオンッ! ウオオオオンンンンッ!
長い列に伸びて交易隊の先頭から最後尾にまで、声なき声が、サバクオオカミの音無き叫びが、耳を通さずに響いてきました。
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