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隊の先頭を歩いていた王柔や羽磋たちも、この濁流を逃れることはできませんでした。
「な、なんだ。うわぁっ」
反射的に後ろを振り向いた王柔が見たのは、興奮した駱駝たちが、細い道の幅いっぱいに広がって、自分たちの方に向かって押し寄せてくる姿でした。
異常なまでに高まった駱駝たちの興奮は、実際に彼らが大地を蹴って進むよりも早く、前方へと伝播していました。
ンンボオオオオオウッッ!
王柔が引いていた駱駝が、突然大きく口を上げて啼いたかと思うと、前方へと駆け出そうとしました。
「オイッ、コラッ、大人しくしろ! コラッ」
王柔は必死の形相で、自分の手から離れようとする手綱を力いっぱい引き直し、何とかして駱駝を落ち着かせようとしました。なぜなら、王柔が引いているこの駱駝には、大切な理亜が乗っていたのですから。理亜は人には触れることができないものの、他の物には触れることができます。駱駝から振り落とされたり、ましてや、興奮した駱駝に踏みつけられたりしたら、大怪我では済まないかもしれないではありませんか。
「キャッ、いやぁ!」
悲鳴を上げながら、理亜は駱駝の首にしがみ付きます。
「王柔殿、大丈夫ですかっ」
羽磋が加勢に加わりました。理亜と王柔の一刻の猶予もならない様子を見ると、自分が引いていた愛馬の手綱を放り出して、王柔の身体にしがみつきました。
ンボオオウッ! ンボオオウ!
駱駝は、狂ったように首を振りながら、何とか前へ進もうとします。口から泡を吹き、飛び出した長い舌で両頬をバチバチと叩きながら、恐ろしい何かから逃れようともがきます。
力を振り絞る二人の横を通って、数頭の駱駝が前の方へと走り抜けていきました。それらは、王柔たちのすぐ後ろを歩いていた交易隊の者が引いていた駱駝でしたが、自分の身に迫った危険を避けるために、それを引いていた男が手綱を放り出してしまったのです。その駱駝の走りに触発されたのか、羽磋の愛馬までもが、前足を高く上げたかと思うと前方へ走り去ってしまいました。
「ウゥッ、イタァアッ」
王柔が握る手綱にかかる力が、さらに強くなりました。
理亜を乗せた駱駝も、自分の後ろに迫る大きな茶色の壁に気が付いたのです。このままでは、走ってくる駱駝たちに弾き飛ばされ、激しく上下するその蹄で踏みつけられてしまいます。その前に何とか自分を押さえつけている人間を振り切って、前に逃げなければいけません。
自分の命の危険を明確に感じた駱駝は力強く嘶くと、いままでにない力を四肢に込めました。
ボオオオウウウウウッ!
「イヤァ、怖い、オージュ、助けテ!」
「王柔殿、駄目です、オオオッ、くそっ」
「理亜、理亜、手を離すな、手を!」
背中に理亜を乗せた駱駝は、なんとかして押しとどめようとする王柔と羽磋を引きずったまま、ずるずると動き出しました。
そこへ、駱駝の激流の先頭が到達しました。もちろん、走って来た駱駝の方も何かにぶつかりたくはありません。始めのうちは、駱駝たちは理亜を乗せた駱駝を避けながら、あるいは、地面を引きずられる王柔と羽磋の身体の上を飛び越えながら、通り過ぎていきました。
でも、その激流を構成する駱駝の数が多くなってくると、そうはいかなくなってきました。彼らはあまりにもぎっしりと密集しているので、障害物を避けるためでも思い通りには動けないのです。
ドウウン……。
理亜を乗せた駱駝の尻に、一頭の駱駝が勢いよくぶつかりました。
興奮の極みにあるところに後ろから強烈な痛みが加えられたのですから、たまりません。理亜を乗せた駱駝は、悲鳴を上げて身をよじると、大きく跳ね飛びました。でも、反射的に駱駝が飛び跳ねた先は、何も身を支えるもののない空中でした。駱駝の背中には理亜が乗ったまま、その後ろには手綱にしがみつく王柔と羽磋を引きずったままでした。
そうです。王柔と羽磋、それに理亜は、驚いて道から飛び出した駱駝と共に、空中へ放り出されてしまったのです。
「アアアァァァ……」
何かに捕まろうと手足を激しく動かしても、何にも触れることはできません。ただ空しく手足を動かしながら、彼らは駱駝と共に崖下の暗がりへと落下していくのでした。
どれくらいの時間が過ぎたのでしょうか。
短い時間だったのでしょうか。それとも、長い時間だったのでしょうか。
岩壁にぴったりと背中をつけながら、自分の頭の上に大岩が落ちてこないようにと必死にまじない言葉を唱えていた交易隊の男たちには、それは終わることがないとさえ思えるような、とても長い時間でした。
それでも、たしかに、襲撃が終わる時は来たのでした。
それが始まった時とは逆に、岩襞を転がり落ちてくる大きな砂岩の塊がだんだんと少なくなり、やがて、子供の頭ほどの塊がまばらに転がり落ちてくるだけになり、そして、砂岩の小片がいくつかパラパラと降ってきたのを最後に、細道には静寂が戻ってきたのでした。
頭上から落下してくる大岩が絶えてからも、しばらくの間、男たちは壁際から動こうとはしませんでした。まるで、「一番最初に動いた者のところに再び大岩が落ちてくる」と、悪霊が男たちの耳にふれて回ったかのように、背中が岩襞から離れなかったのです。
その中で、最初に道の半ばにまで出てきたのは、やはり、冒頓でした。
「どうやら、終わったようだぜ」
冒頓は注意深く壁の最上段を見渡しましたが、そこには何もありませんでした。落ちてくるような砂岩も見えませんし、もちろん、それを落とした何者かの姿も見えませんでした。岩襞の上には、もうすっかり暗くなった空しか見えませんでした
冒頓たちに攻撃を加えていた母を待つ少女の奇岩は、既にこの場所を離れて、ヤルダンへ戻ろうとしていました。ヤルダンを出たときには、付き従うサバクオオカミの奇岩が彼女の後ろに長い列をなしていたのですが、ヤルダンへの帰り道で月明かりを受けてゴビに影を落としているのは、母を待つ少女の奇岩ただ一人だけでした。すべてのサバクオオカミの奇岩は、交易隊を攻撃するために自らの身体を砂岩の塊に変えて、岩襞を落下していったのでした。
怒りと悔しさで襞の最上段に張り付いてしまった視線をそこから動かすには、冒頓は特別に強く意識しなければなりませんでした。ぶんっと勢いよく首を振ってそこから目を離すと、冒頓は苑と周りの者へ大きな声で指示を送りました。
「くそ、やつらめ、やってくれやがって……。いや、いまはそれどころじゃねぇ。隊をまとめないとな。小苑、もちろん無事だろうな。急いで細道を抜けるぞ。先に見える広い場所で隊をまとめるから、合図を出してくれ。おい、おめえら、無事な奴はけが人を助けて進め! 茶色い相棒は先に行って待ってるようだぜ。あの広がっているところまで行くぞ。一休みするのはそれからだっ」
冒頓も交易隊の者も、自分たちを攻撃してきたものが何者かの見当はついていました。
サバクオオカミの奇岩。それに、おそらくは、母を待つ少女の奇岩に違いありません。
耳を通じてではなく直接頭に響いてきた、あのサバクオオカミの叫び声。それはいまでも彼らの心にしっかりと傷跡を残していましたから。
一度は襲撃を完全に退けた相手に攻撃を受け、ここまでの大きな被害が出たのですから、悔しくないわけはありません。冒頓の身体は怒りで細かく震えているほどです。でもいまは、この危険な場所を早く抜けて、傷ついた者の手当をし、逃げた駱駝を回収し、隊を立て直さねばなりません。
交易隊や護衛隊の男たちもそれを十分わかっていますし、なにより、この恐ろしい思いをした場所から早く離れたいという気持ちが強くなっています。冒頓の横で苑が叩いた銅鑼が鳴るやいなや、道から危険が去ったと知った男たちは、痛む足を引きずったり、歩けなくなった仲間を支えたりしながらも、それぞれができる精いっぱいの速さで、細道を前へと進むのでした。
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