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細道を抜けた先には、砂岩が大きく張り出してできた広い台地がありました。その台地は奥に行くほど広くなっていて、先ほどの細道の崖下を流れていた川は、この台地を支える岩壁のはるか下の方の側面に吸い込まれているようでした。
王柔たちが遠目で確認していたように、台地には天幕をとても大きくしたような砂岩の塊が無秩序にゴロゴロと転がっていて、ポツポツと下草が生えるほかは地形の変化に乏しいゴビの大地とは、かなり異なった様相を見せていました。
細道で岩襞を転がり落ちてきた砂岩の塊に体を打たれ、興奮のあまり走り出してしまった駱駝たちは、細道を通り抜けてこの台地に入ったところで、落ち着きを取り戻していました。
駱駝たちは、もともと大人しい性格をしていますし、生まれてすぐに訓練を受け、人と共に荷を運んで生きてきたので、逃亡しようという気などはありませんでした。安全な場所に逃げられたことで気持ちが落ち着いた彼らは、思い思いのところで数頭ずつ固まりながら、自分たちの主人が迎えに来るのを、反芻をしながら待っていました。それは、先ほどまで泡を吹きながら走っていた駱駝だとは思えないほどの、ひどくのんびりとした様子でした。
交易隊と護衛隊の男たちは、細道からこの広場に入ってくると、緊張の糸が切れたように次々と膝をつきました。壁際から離れることができるここなら、あのような恐ろしい攻撃の心配をしなくても済むからです。もっとも、この場所にはこの場所ならではの危険があります。王柔たちが心配していたように、ゴロゴロと転がっている大きな岩の陰に敵が潜んでいる恐れがあるのです。
冒頓の護衛隊はよく訓練を受けていて、このような場面で指示を待つことはありませんでした。判断をするのは隊長の仕事ですが、判断の材料を集めたり、安全の確認をしたりするのは、実際に事に当たっている者の仕事だと理解していたのです。
そのため、隊長である冒頓がまだ細道を歩いている間にも、最初に細道を抜けてこの広場に入った男たちは、お互いに励ましあってすぐに立ち上がると、駱駝を集めながら広場を歩き回ってこの場所の安全を確かめ始めるのでした。
冒頓が怪我の重い仲間を背に乗せた愛馬の轡を引きながら、一番最後に細道を抜け出てきたころには、広場の中央には、交易隊と護衛隊、それにこの広場で回収された駱駝が集まって、彼を待っていました。
「よお、すまねぇ、遅くなっちまったな。おい、悪いが、こいつの様子を見てくれ」
隊員の心配を掻き立てないためか、まるで野営の集合場所に現れでもしたかのような調子で冒頓は話しました。男たちは冒頓が馬から降ろした男を慎重に受け取ると、怪我人が集められている一角に運んでいきました。
「冒頓殿っ、周囲には敵がいないことを俺が確認しましたっ。もちろん、要所には近塩たちを立たせて警戒していますっ」
けが人を運んでいく男たちの背中を見つめていた冒頓に、一人の男が近づいて勢いよく報告をしました。年のころは三十歳を過ぎているでしょうか。浅黒い肌に筋肉質の体を持ち、言葉の端々にとても力を込めて話しています。
「わかった、踏独。おめぇが確認してくれたんなら安心だ。隊の状況の確認、それに、これからのことを決めなくちゃなんねぇ、すぐに隊の主だった奴を集めてくれ」
「わかりましたっ。すぐに集めますっ」
冒頓が信頼した様子で指示を出したこの男は踏独(トウドク)と呼ばれていて、護衛隊の小隊長の一人でした。単独行を好むことから踏独と呼ばれることになったこの男ですが、この広場に入るとすぐに皆に指示をして索敵を始め、敵が潜んでいないことを確認できた後には、死角ができないように工夫しながら、見通しがきく場所数か所に見張りを立たせていたのでした。
冒頓たちが集まっていたのは広場の真ん中に当たるところでした。ここであれば、岩壁からは離れていますし、崖下に落ちる心配も要りません。また、踏独が立てた見張りのお陰で、岩陰からの不意打ちの警戒もできています。もう夜のとばりも落ちてきていることですし、冒頓はこの場所を野営の場所と決めてその準備をするのと同時に、隊の被害の状況を確認し、怪我をしたものへの治療などを行うつもりでした。
野営の準備として、先ず乾燥させた駱駝の糞などをくべた小さな焚火が作られました。焚火の脇には冒頓が座り、その元に隊の主だった者が続々と集められてきました。
冒頓の元にやってきた者は、全ての者がそろって話し合いが始められるのを待たずに、次々と自分の担当する部門の被害の報告をしました。これは、隊全体で情報を共有することよりも、隊を率いる者であり今後の行動の判断をする者である冒頓が速やかに情報を集約できることを、最も大切なこととしているからでした。
冒頓は上がってくる報告に真剣な表情をしながら耳を傾け、時折り頷いていました。
幸い、荷を積んでいる駱駝にこだわらずに自分たちは壁際に避難するようにとの冒頓の指示が早かったので、落下してきた砂岩のために命を落とした隊員はいないようでしたが、それでも、多くの隊員が酷い怪我を負っていました。さらに、残念なことに駱駝を壁際に寄せることまではとてもできなかったので、落石に打たれて死んでしまった駱駝や、激しく興奮し走り出したせいで背中の荷ごと崖下に落下してしまった駱駝が、何十頭もいるようでした。これは、大変な損害でした。
多くの報告を受け、焚火の周りに隊の主だったものが集まったころに、冒頓の表情が変わりました。
「そういや、羽磋や王柔の姿が見えねえな。あいつらにもここにいてもらわないと困るんだが」
羽磋はどうしているのでしょうか。隊の主だった者の集まりに対して、自分は正式な護衛隊の隊員では無いということで遠慮して、見張りにでも立っているのでしょうか。それは、いかにも生真面目な羽磋がするようなことだと、冒頓は思いました。
でも、冒頓は彼の生真面目さや芯の強さを非常に気に入っていて、この短い期間で彼を弟のようにさえ思うようになっていました。隊のみんなからも羽磋は一目置かれているようですし、この場にいてほしいところです。それに、このヤルダンで起きている不思議には、月の巫女や精霊に関する力がかかわっていることは間違いないようですから、もう羽磋が部外者であるとは言えないのです。
また、王柔はと言えば、彼はヤルダンの案内人ですから、これからのことを決めるためには、彼の助言が必要になります。彼がこの場にいないことは、冒頓にとっては「呼ばれずともここに居ろよ」と、苦々しくさえ思えることでした。
「ぼ、ぼ、冒頓殿ーっ。大変ですっ」
その時、焚火が投げかける光の環の中に、苑が飛び込んできました。揺れ動く光に照らされた苑の顔には、いままでに彼の顔に現れたことがないような、深い心配が浮かんでいました。
「なんだ、小苑。いまはまだ報告を受けている最中だぜ」
冒頓は、苑に対して厳しい声を出しました。成人の価値を大切にする遊牧民族の間では、このような場に未成人が参加することはありえません。如何に冒頓が可愛がっている苑であってもそれは同じでした。もっとも、苑もそのことは十分にわかっているはずなのですが、一体何があったというのでしょうか。
「す、すみませんっす。でも、大変なんです、羽磋殿が、羽磋殿がっ」
急に涙をこらえるような表情になりながら、苑は叫ぶように答えました。
「なんだとっ。羽磋がどうしたっていうんだ! 羽磋は見張りにでも立ってんじゃねぇのかっ」
苑の言葉が、冒頓が持っていた不安を刺激してしまったのでしょう。彼の言葉は敵に投げつけるもののようにとても鋭く、苑はすっかりすくみ上ってしまい、小さな声を絞り出すのがやっとになってしまいました。
「それが……、違うんっす。見てた人がいるんっす……」
「なんだとっ? ああん、見てだとおっ」
「ひ、ひぃっ、はい……」
冒頓のいらだった声に打たれて、苑はいつも以上に小さくなってしまいました。
その時、苑の走ってきた方から、息を切らしながら男がやってきました。彼はどうやら背中を痛めているようで、痛みに顔をしかめ脂汗を浮かべながら、できるだけの速さで集合場所へ向かってきていたのでした。
「冒頓殿、すみません。はぁはぁ、私です。交易隊の兎歯です。私が、見ました」
護衛隊と交易隊の主だった者の集まる環に入る前から、兎歯は声を出しました。息をするだけでも胸や背中に切りつけられるような痛みが走るのですが、冒頓の前で小さく固まった苑が焚火の光で浮かび上がっているのを見ると、遠目からでも声を出さずにはいられなかったのでした。
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