コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 これまでの振り返り㉞

 

 交易隊の男たちも羽磋たちがどうなったかが気にかかっていましたから、駱駝や馬の世話などの朝の仕事を済ませると、広場の谷に面した縁の方へやってきて、苑の動作を注意深く見守っていました。男たちは苑の気持ちも良くわかっていましたから、彼に対して「もう、あきらめよう」と声をかけられる男は一人もおりませんでした。
 とは言え、いつまでもこの場に留まって羽磋たちを探し続けるわけには、いかないのでした。
 冒頓が昨晩に決定した通り、騎馬隊だけでヤルダンに乗り込んで母を待つ少女の奇岩を破壊する、それを太陽の出ているうちにやり遂げようというのであれば、早々にここを立つ必要があるのです。
 そこで、苑を取り囲んだ男たちの集まりの中から進み出て、彼の肩に手を置いてこの捜索活動の終了を告げたのは、やはり、冒頓だったのでした。
 いまの状況がどのようなものかは、苑の方でも理解していました。だからこそ、彼は自分に声が掛けられることを、恐れていたのです。
 命令が下されることを恐れていたとしても、それが下された以上、気持ちを切り替えてそれに従うしかありません。
 ああ、でも、それでも。
 自分の中に「ここに留まって羽磋たちを探したい」と願うもう一人の自分がいることを、苑ははっきりと感じていました。
 もちろん、そのようなことは、これまでにはなかったことでした。
 冒頓と共に戦うこと以外に、自分が望むことなどなかったはずなのに。どうしてだろう。
 苑の心の中に生じた迷いは、冒頓に対しての質問となって現れました。それは、一見いつもの苑が発する何気ない一言のようではありましたが、実のところは苑の心の中で起こっている感情の複雑な絡み合いが、そのまま形となって苑の口から外に出たものでした。
「了解しましたっす。冒頓殿。すぐに空風を呼び寄せて、出発の用意をするっす。ところで・・・・・・、羽磋殿の馬はどうしましょう?」
 冒頓は、自分に返答をしたかと思うとくるりと背を向けて、朝空に向かって指笛を鳴らしている苑をぎろりと睨みつけました。最初は、この少年が自分を試しているのかと思ったのです。ですが、少年の様子からはそのような意図は全く読み取れませんでした。おそらくは、言葉の通り、乗り手のいない羽磋の馬をどうするかについて、冒頓の指示を求めただけなのでしょう。
 冒頓は、苑に呼ばれて谷の上の空からこちらへ戻ってくる空風を見ながら、大きく息を吸いました。
「冒頓殿、貴方は羽磋殿が死んだと思いますか」
 苑の言葉がそのように聞こえたのは、自分の心に大きな迷いがあるからだったのでしょうか。
 ゴビの砂漠では馬は非常に貴重な家畜でしたから、この冒頓の護衛隊でも、馬に乗る者は二十人に満たないぐらいでした。これから、ヤルダンの中に騎馬隊だけで乗り込んで行って、母を待つ少女の奇岩を破壊しようというのですから、護衛隊の誰かが羽磋の馬に乗って参加すれば、大きな戦力の向上になります。
 一方で、馬は乗り手の相棒というべき存在であり、他の人が乗ると別の癖が付くということもあって、他人の愛馬には乗らないというのが、月の民や匈奴などの騎馬民族の間で共通する礼儀なのでした。
 ですから、仮に冒頓が護衛隊の誰かを羽磋の愛馬に乗せてヤルダンへの討伐に参加させると指示したとしたら、それは冒頓がその馬はもう羽磋の愛馬ではない、つまり、羽磋は死んだと考えている、ということになるのでした。
 もちろん、このような緊急の時ですから、冒頓が羽磋の愛馬を誰かにあてがったとしても、それがそのまま、彼が羽磋の死を認めたということにはならないでしょう。例え羽磋がこの場にいたとしても、自分が怪我をして馬に乗れないような場合には、他の誰かに愛馬を託したことでしょうから。
 でも、冒頓には、苑の言葉が自分の考えを、羽磋が生きていると思うか死んでいると思うかについてどう思うかを、遠回しに聞いてきているものに思えたのでした。
 では、羽磋たちがどうなったかについて、冒頓自身はどう考えていたのでしょうか。
 実のところは、冒頓はそのことについて判断を下せてはいませんでした。「死んだら終わり」、それが冒頓の考えですが、あのような状況であるにもかかわらず「羽磋が終わってしまった」という実感を、まったく持てていなかったのでした。
「まぁ、小苑はそんな風に頭を巡らす奴じゃぁねぇしな。俺の気のせいか」
 冒頓は、単に指示を求めたものであると思い直すと、こちらも深い意味など無い単なる指示として答えることにしました。
「ああ、羽磋の馬は、ここに残しておく。ここに残る徒歩の者の誰かに預けといてくれや」
「了解しましたっす。冒頓殿っ」
 苑は大声で冒頓に答えると、手元に帰ってきた空風を木箱に戻して、自分の出立の準備の為に駆け出していきました。先ほどまでの暗い声に比べて、その声には幾分かの明るい何かが混じっていたように冒頓には受け取れましたが、ひょっとしたら、それも冒頓自身の中にある迷いが、そのように聞こえさせたのかもしれませんでした。
 苑だけではありません。空風が帰ってくることで、苑が行っていた捜索が終了したことを知った男たちは、いよいよ迫った戦いの準備の為に、それぞれの持ち場へと走って戻っていきました。
 
 僅かな時間が経過した後には、広場の中央には冒頓とその騎馬隊の者が、戦いの準備を整えて集まっていました。この男たちは、冒頓の護衛隊の中でも、特に戦いに秀でた男たちでした。
 冒頓は、騎馬隊の前に自分の馬を進めると、剣を抜いて力強い一声を上げました。
「行くぜ、お前らっ!」
「おおうっ!!」
 ドドウッ、ドウッ、ドウッツ。
 冒頓の号令に合わせて騎馬隊の男が愛馬に指示を送ると、激しい蹄の音が広場の中央で生じ、土ぼこりが高く巻き上げられました。
「行ってきます。羽磋殿」
 苑は心の中でそのようにつぶやくと、騎馬隊の先頭に立ってヤルダンに繋がる交易路へと飛び出していきました。
 苑の後には騎馬隊の男たちが続いていくのですが、その中には谷の方に体を向けると左胸に手を当てて頭を下げる、匈奴の男たちが死者に対して行う礼をしてから出発する者もおりました。
 その行いに対しても、冒頓は何も言いませんでした。
 状況だけを見れば、羽磋や王柔たちが生きているとはとても思えないのです。それに、彼らだけではなく、交易隊の財産であり旅を共にしてきた仲間でもある駱駝が、数多く谷底へ落下していったのは事実なのですから、彼らのような態度は、むしろ、敬虔なものであるとさえ言えるかもしれないのですから。
「さぁて、俺も行ってくるぜ、羽磋」
 冒頓も羽磋に対して心の中で挨拶を送ると、騎馬隊のしんがりとなって交易路へ飛び出していきました。でも、それがどこにいる羽磋に対しての挨拶なのか、それは、いまも彼の中では定まっていませんでした。
 ただ一つ確かなことは、「あの母を待つ少女の奇岩、あいつだけはぶっ壊してやらないと気が済まねぇ」、その熱い気持ちが、じりじりと彼を内面から焼き続けているということだけなのでした。
「オオオオゥッ! ご無事で、ご無事でっ!」
「冒頓殿! ご武運をっ!」
「奴らに匈奴騎馬隊の恐ろしさを思い知らせてやってください!」
「くそ、この体が、体が動きさえすれば。ああっ、冒頓殿、悔しいです、悔しいですっ」
 勢いよく広場から交易路へ飛び出していく冒頓たちの背を、残された男たちの雄たけびが力強く押すのでした。