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広場からヤルダン側へ伸びていく交易路も、これまでの道のりと同様に、岩壁の中段に刻み付けられた細い道でした。交易路の左側にそそり立つ岩壁は彼らのずっと上にまで続いていて、馬上から天を仰いでも、黄土色の砂岩に邪魔されて空が見えないほどでした。一方で、右側は開けた崖になっていて、一歩でも踏み外すと即座に落下してしまう危険がありました。
ただ、広場までの交易路と異なり、こちら側では崖下まであまり高さがないようでした。これまでのように、崖下が谷になっていて一番底辺を川が流れているのではなく、だだっ広いゴビの大地の端がこの岩壁と繋がっているのでした。交易路の横を走っていた川は、彼らが休憩をした広場を支える台地の下に潜り込んで消えていたのでした。
もう案内人の王柔はおりませんが、この道を進む以外に進路はなく、それを誤る心配はありません。隊の先頭に立っている苑は、一時馬を走らせるとしばらくは歩かせ、また頃合いを見て馬を走らせるようにしました。後に続く男たちも、黙ったままで苑に足並みを合せました。この一団が走り続ける間にそこから聞こえた音と言えば、時折り乗り手が馬にかける声の他は、馬が激しく呼吸をする音と、蹄がゴビを蹴る音だけでした。
やがて、岩壁の側面を走っていた交易路はゆっくりと下りはじめ、終いにはゴビの大地の高さと同じになりました。苑は、これから進む先を確かめるために、馬をゆっくりと歩かせることにしました。後ろから続いてきていた男たちも、同様に馬を歩かせるようにしたので、苑の周りには緩やかな集団が出来上がりました。
最後尾を走っていた冒頓は、愛馬の首を叩きながら苑の横にやってくると、彼に前方を見るように促しました。冒頓が示した方には、広場で転がっていた砂岩をそのまま大きくしたような塊が、まるで、草原で休んでいる羊のように幾つも幾つも転がっているのが見えました。
「お前は来たことがあったっけな、あれがヤルダンの奇岩たちだ。まだ遠いからな、此処からは砂岩の塊にしか見えねぇが、近くまで行くとあれは岩というよりも小山だな。そして、あの周りには、いったいどうしてこんな形になったのか、まったくわけのわからんない、いろんな形をした岩が転がっている。魚に似た岩もあれば、鳥に似た岩もある。ああ、そうだ、もちろん、人間に似たものもな。もう、どんな想像を当てはめるのもご自由にってやつだな」
これから挑もうとするヤルダン魔鬼城について、過去の経験を思い出しながら話していた冒頓は、苑の厳しい表情を見て、改めて「人間に似た奇岩」を付け加えました。
「まったくな、母を待つ少女も、ちょっと人の姿に似た奇岩に誰かが昔話をあてはめたものだと、俺も思っていたさ。あの奇岩は、交易路から外れたところに立っているんだが、有名な奇岩だからな、以前に小野殿の交易隊の護衛をしていて近くを通った時に、わざわざ見に行ったりしたもんだ。まぁ、言われてみればそのようにも見えるなって、そんな感じしかしなかったがな」
「でも、俺たちを襲ったのは、間違いなく母を待つ少女の奇岩とサバクオオカミの奇岩だったっす。なんで、こうなってしまったんでしょう? 不思議でならないっす」
「なんだ、お前。根っこの方の理由を聞いてんのか」
冒頓は、「意外だな」というような顔をしましたが、まっすぐに自分の方を見る苑の表情から、単純な疑問だと解釈しました。もちろん、単なる砂岩の塊に過ぎない母を待つ少女が動き、さらには、サバクオオカミの奇岩を指揮して人を襲っているのですから、そこに疑問が生じるのは自然なことでした。
「まあ、確かにな。俺も不思議には思うさ。だが、俺はあんまりそっちには興味はねぇ。王花の盗賊団を襲ったのが誰か、それは、母を待つ少女の奇岩だった。それを止めるにはどうしたらいいか、どうやら、あいつをぶっ壊すしかなさそうだ。いまんとこは、それで十分だぜ。わからねぇことは、わからねぇままでほっとくさ。そういうのは、あのお方にお任せだ」
「あのお方ってどなたっすか。阿部殿っすか」
「ああ、阿部殿もお好きかもしれねぇが、俺が言っているのは御門殿だ。そうか、お前はあのお方にはお会いしたことがねぇのか。俺もこの月の民に連れてこられたときにお会いしたきりだが、まぁ、俺がこうして自由にさせてもらえてるのも、俺が匈奴を強くするには、豊かにするにはどうすればいいかを知りたいって話したのを、気に入ってもらえたからさ。あのお方は、知りたいってことに純粋なお方だからな。ああ、それと・・・・・・」
冒頓は、続けようとした話を急にやめてしまいました。
彼は何気なく「ひょっとしたら、羽磋は真面目な奴だから、どうしてそうなるのか、あいつも理由を知りたがるかもしれねぇな」と続けようとしたのです。でも、それが口に上る前に、羽磋が谷底へ落下してからずっと心の中に存在している黒いもやもやが、それをからめとってしまったのでした。
ほんの一呼吸の間だけ気まずい沈黙が生じました。はたして、苑はこれに気づいたでしょうか。
冒頓は雰囲気を切り替えるようと、素早くこれからの指示に話を変えました。
「よし、行くか。此処からは道がはっきりしないから、俺が先頭に立つ。小苑は後ろを頼むぜ。まぁ、あいつらのせいで、ここでちょっかいを出してくる野盗はいないだろうが、念のためにその警戒もしておいてくれや」
「わかりましたっす。空風も俺たちの近くを飛ばさせておくっす」
苑は青空の中にオオノスリの空風の姿を探して、目を細めました。空風を休ませる木箱を積んだ駱駝は広場に置いてきたため、いまは自由に空を飛ばしているのでした。
冒頓は「頼むぜ」というかのように頷くと、思い思いの格好で休息をとっている男たちの方へ馬を進め、出立の合図を出しました。
今度は、冒頓を先頭にして、一本の綱のような隊列が組まれました。遠くにうっすらと見える砂岩の林の方へゆっくりと走り出した騎馬隊の足元から、赤茶けた砂ぼこりがもうもうと立ち上がりました。
冒頓たちは、祁連山脈の西端から天山山脈の東端の間に横たわっているヤルダンと呼ばれる一帯を目指して、交易路を東から西へ進んでいました。この辺りを含めて、祁連山脈の北側一帯はゴビ砂漠という呼ばれ方もしますが、実際にはさらさらとした砂から成る砂丘はまばらにしかなく、その大部分は乾燥した荒地にぽつぽつと低い草木が生える礫砂漠でした。ですから、このように駱駝ではなく馬で移動することができるのでした。
しばらくの間は、これまでの崖際の細い道とはうって変わった、ひたすらに広がるゴビの大地の上を進むことになりました。もはや、どこまでが道でどこからが荒地かわかりません。馬上から下を見て道を辿るのではなく、背筋を伸ばし視線を遠くに向けて、視界に捉えた次の目的地に向けて馬を走らせるのです。
冒頓を先頭に、騎馬隊は走り続けました。
この見通しのいい場所で、彼らに襲い掛かる野盗などはありませんでした。もちろん、それは冒頓の見立てたとおり、母を待つ少女の奇岩が王花の盗賊団や他の野盗に攻撃を加えた結果なのかもしれません。いずれにしても、隠れている人を見つけた場合には苑に知らせるように訓練されているオオノスリの空風が、警告を発するそぶりを見せることはまったくありませんでした。
何度か速度を緩めたり小休止をとったりをしながら騎馬隊が西へ進み続けると、初めの頃には冒頓の指さす先におぼろげにしか見えてなかったヤルダンの砂岩たちが、だんだんとはっきりと見て取れるようになってきました。
ヤルダンの西側には「ヤルダンの門」と言われる大きな板状の砂岩があって、明確にヤルダンと荒地との境界を分けていましたが、こちら側にはそのようなものはありません。馬を走らせている自分の左右に、小さな砂岩がだんだんと数を増やしていき、いつの間にか自分の行く先が開けた荒地ではなくて、小山ほどの砂岩と砂岩の合間を縫うようなものに変わっていくのです。
駱駝を引きながら歩いたとすると半日はかかるであろう距離を騎馬隊は進み、人の背丈ほどの砂岩が自分たちの周りにぽつぽつと現れるようになってきていました。砂岩はどれも、奇妙にねじれ、あるいは、尖っていました。あるものは動物の姿にも見え、また、あるものは人の姿にも見えました。さらに、同じ人の姿に見える奇岩であっても、ある角度から見ると走って逃げだす姿に見えるものが、別の角度から見ると、何物かにこぶしを振り上げて立ち向かう姿にも見えました。
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