コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 第78話

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(これまでのあらすじ)

 月の巫女である竹姫と、その乳兄弟である羽磋。月の巫女としてではなく、素の自分の居場所が欲しいと頑張る竹姫に、羽磋は「輝夜」(かぐや)の名を贈り、自分が輝夜を望むところに連れて行くと約束します。それは二人だけの秘密でした。しかし、大砂嵐から身を守るために月の巫女の力を使った竹姫(輝夜姫)は、その大事な秘密を忘れてしまいます。月の巫女はその力を使った代償として自らの記憶・経験を失い、最悪の場合は、その存在が消えてしまうのです。それを知った羽磋は、輝夜姫が無事に生を全うして月に還ることができる方法を探すため、肸頓族の阿部の元へと旅立ったのでした。

※これまでの物語は、下記リンク先でまとめて読むことが出来ます。 

 

www.alphapolis.co.jp

 

【竹姫】(たけひめ)【輝夜姫】(かぐやひめ) 月の巫女とも呼ばれる少女。人々からは「竹姫」と呼ばれる。羽磋に「輝夜」(かぐや)という名を贈られるが、それは二人だけの秘密。

【羽磋】(うさ) 竹姫の乳兄弟の少年。貴霜(くしゃん)族の有望な若者として肸頓(きっとん)族へ出されることとなった。大伴の息子。

【翁】(おきな) 貴霜族の讃岐村の長老。夢に導かれて竹姫を拾い育てた。本名は造麻呂。

【大伴】(おおとも) 羽の父。貴霜族の若者頭で遊牧隊の隊長。少年の頃は伴(とも)と呼ばれていた。

【阿部】(あべ) 大伴の先輩で良き理解者。肸頓族の族長。片足を戦争で失っている。

【小野】(おの) 阿部の信頼する部下。片足を失くした阿部に代わっ

て、交易隊を率いている。小野と言う名前だが、30代の立派な成人。

【御門】(みかど) 月の民の単于(王)。

【冒頓】(ぼくとつ) 烏達渓谷の戦いで大敗した匈奴が月の民へ差し出した人質。匈奴の単于の息子。小野の交易隊で護衛隊長をしている。

【苑】(えん) 匈奴から冒頓に付き従ってきた従者の息子。成人していないので、親しいものからは「小苑」(しょうえん)と呼ばれる。

【王花】(おうか) 野盗の女頭目

【王柔】(おうじゅう) 王花の盗賊団の一人。交易隊の案内人。

 

 

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【第78話】

 ゴビの赤土はとても細かいので、交易隊の人や駱駝が歩けば、風に舞い上がって砂埃となります。

 寒山の交易隊が歩を進めると、強い風に煽られて砂埃が広範囲に舞い上がりました。しばらくして、その砂埃が収まった後に浮かび上がった姿は、取り残された奴隷の少女、理亜でした。

 熱に浮かされた意識の中で、彼女は自分の置かれた状況を、どのように理解していたのでしょうか。

 自分。置いて行かれた。病気、熱い。オーシュ、村。カアさん、村・・・・・オカアさん。王花さん。居る、オウカさん・・・・・・。

 彼女は、王柔の言葉を、切れ切れではあるものの、きちんと受け取っていました。村に行けば、王花さんがいる、カアさんみたいな人・・・・・。オウカさん・・・・・・。歩かないと・・・・・・。

 既に辺りは薄暗くなっていて、太陽が座っていた位置に、月が昇ろうとしていました。

 交易隊から置き去りにされて横たわっていた間に、少しは体力を回復できたのでしょうか。少女はゆっくりと上半身を起こし、手にしていた水袋から、水を一口飲みました。

「イタッ。痛い・・・・・・」

 喉に水が酷くしみました。それでも、何とか飲み込んだその水が、彼女の身体に力を与えたようでした。

「歩かなくちゃ、村へ、イカナイと・・・・・」

 背を丸め、一歩一歩をゆっくりと踏み出す少女。

 少しでも明るい方へ向かいたいという生き物の本能がそうさせるのでしょうか、どんどんと濃さを増していく夜闇の中で、わずかに残る橙の空を目指して、少女は歩きだしました。

 一歩、もう、一歩。

 ああ、でも、少女が向かっているのは、夕焼けがわずかに残る西の空なのです。

 他の奴隷たちと共に連に一括りにされ、交易隊の男たちの指示に従い黙々と歩いてきた少女が知ることはなかったのでした。彼女たちが、土光村へ向かって、吐露村を出てから東に向いて、進んでいたことを。

 一歩、また、一歩。

 もとより、例え交易隊の後を追って正しい道を進んでいたとしても、少女の体力が持つとはとても思えません。それでも、東に進んでいれば、わずかな距離とはいっても、少しでも前に進んだ事にはなっていたというのに。

 残された身体中の力を全て使って歩く少女の姿を見る者がここに有れば、声をかけずにはいられないでしょう。ですが、今ここで彼女の姿を見守るものは、天でその存在を主張し始めた月星を除けば、ヤルダンの奇岩とそれに宿る精霊たちだけなのでした。

 一歩・・・・・・、一歩・・・・・・。

 休み休みしながら進む彼女の足取りは、ふらふらと安定していませんでしたが、夕焼けが完全に青黒い夜空で上書きされてしまったあとも、彼女は歩き続けました。彼女の目には、村とそこで待つ王柔とカアさんの姿しか浮かんでいませんでした。

 時が経つにつれて、彼女が歩く時間と休む時間の割合は、だんだんと変わってきました。歩く時間は減り、休む時間が多くなっていきました。

 そして、月が天頂に達したころ・・・・・・。

 とうとう、彼女は一歩も歩けなくなってしまい、岩に背を預けて座り込んだまま動けなくなってしまいました。

 秋のヤルダンは、夜になるとずいぶんと気温が下がってきます。彼女が背を預けている岩もすっかり冷たくなっています。でも、彼女は体中が燃えるように熱く、そのような寒さや冷たさは全く感じていませんでした。

「はぁ、はぁ・・・・・・カアさん・・・・・・」

 彼女の声は、しわがれてとても聴き取りにくいものになっていました。まだ、王柔に渡された水袋に水は残っていましたが、とても喉が痛くて、それを飲むこともできなくなっていたのでした。

「あなたは、母さんを探しているの・・・・・・」

 その時、彼女に語り掛ける声がありました。いいえ、正確には、彼女のいたゴビの夜半の空気が震わされたわけではありませんでした。その声は、彼女の意識に、直接飛び込んできたのでした。

 誰かが現われたとでもいうのでしょうか。いいえ、ここはゴビの台地。それも、ヤルダン魔鬼城の中です。奇岩の一つに背を預けて座り込んでいる彼女の周りには、風が吹き流れる以外に動くものはありませんでした。

 いったい何者が、彼女に語り掛けたというのでしょうか。でも、もはや彼女には、そのような不思議に気を回すほどの元気は残されていませんでした。再び混濁し始めた意識の中で、彼女は呼びかけに答えました。もちろん、実際に彼女の唇から洩れたのは、渇いた息だけなのですが。

「そうよ、カアさんを探しているの」

「あなもそうなのね。わたしも待っているの。母さんを。もうずっと、ずっと。待っているの・・・・・・」

「そうなの、わたしが一緒に探してあげヨウカ」

「探してくれるの・・・・・・あなたが・・・・・・ありがとう・・・・・・。イヤ、モウ、クルハズガナインダ」

 突然、彼女に呼び掛ける声が、増えました。いいえ、それは増えたのではなく、呼び掛けていた声が二つに分かれたように、彼女には感じられました。

「コナイヨ、オマエハ、ステラレタンダ・・・・・・違う、そうじゃない、違う・・・・・・コナイ・・・・・・来るよっ・・・・・・オマエハヒトリダ、ヒトリナンダ・・・・・・違う、違う、違うっ・・・・・・」

 冷たい夜の空気がビリビリと震えました。鋭い棘が幾つも胸に刺さったような苦しみと、何かを望み欲する渇きが、背中から彼女の心に伝わってきました。

「ナ、ナニ?」

 反射的に彼女は奇岩から背中を離して、今まで自分がもたれかかっていたそれを見上げました。

 彼女がもたれかかっていた奇岩は、細長い形をしていて、月明かりの下に浮かぶその姿は、まるで少女が何かをじっと待って佇んでいるかのようでした。そう、それは、ヤルダンにあるいくつかの奇岩の中でも有名なものの一つ「母を待つ少女」でした。精霊の導きか、それとも悪霊の気まぐれか、少女はふらふらと歩き彷徨った結果、この奇岩の下に辿り着いていたのでした。

 奴隷の少女は、少しの間自分のつらさも忘れて、その「母を待つ少女」と呼ばれる奇岩を眺めていました。

 先程まで確かに聞こえてきていた声も、今では止んでいました。「母を待つ少女」の奇岩は、他の岩からは離れて、ぽつんと立っていました。そうです、他の岩とも交わらずにただ一人で、東の方を向いて、立っていました。月の光が「母を待つ少女」の頭と肩を照らし、その背中から濃い影を形作っていましたが、誰かに手を伸ばしたようにも思えるその影すらも、他の奇岩には届かずに、ゴビの台地に縫い付けられていました。

 すううううぅ・・・・・・。冷たい夜の風が、奴隷の少女と「母を待つ少女」の脇を流れて行きました。

「ダイジョウブだよ」

 ぽつんと、少女がつぶやきました。

「王花さん、いるよ。オカアさん、いるよ・・・・・・。お水、あげるね」

 どうしてそのような言葉が口から出たのか、少女にもわかりませんでしたし、どうして自分がそのようなことをしようとしているのか、考えることもできませんでした。ただ、思ったままに、奴隷の少女、理亜と呼ばれた少女は、王柔から渡された水袋の口を開けて、「母を待つ少女」の足元に水を注ぎました。

「ね、大丈夫ダヨ」

 自分に語り掛けていた誰かを安心させるかのように囁くと、理亜は自分も安心したかのように微笑み、そして、「母を待つ少女」の足元で身体を横たえました。ゴビの台地が、火照った彼女の身体を、冷たく受け止めました。

「ネ・・・・・・」

 そのまま目を閉じた理亜の背中は、もう苦しそうに上下はしていませんでした。

 月が動くにつれて「母を待つ少女」の投げる影も動きます。やがて、彼女の身体は「母を待つ少女」が作り出す影、その漆黒の闇の中に溶けて行き、月星の輝きさえも届かなくなったのでした。

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