コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

【掌編小説】惑星ズヴェツダの丘の上で

f:id:kuninn:20190430015001j:plain

 

 

 ザワザワザワ・・・・・・。

 冷たい夜風がワタシの身体を打った。一番目の月ルチシーの行方に注目していたワタシは、ブルブルと大きく身体を揺らして、その冷たさを振り払った。

 ワタシは風が好きだ。風はワタシが忘れがちなことを、思い出させてくれる。この冷たい夜風もそうだ。心の底にある重い塊のせいで、ついつい感傷的になりそうなワタシに、冷静さを運んできてくれるようだ。

「もうそろそろだな・・・・・・」

 心の中で風に礼を言いながら、ワタシはルチシーの角度から時間を計算していた。

 ルチシーが北西に見える峰に隠れ始めたころ、反対側の地平線から、それを追うように二番目の月ドノイクシが姿を見せ始めた。わずかな時間、二つの月の光は溶けあたものの、見る見るうちに、この丘を照らす月明かりは、ルチシーの青白い光から、ドノイクシの白黄色の光に塗り替えられた。

 さあ、時間だ。あの林の向こう側から彼がやってくるはずだ。ほら・・・・・・。

 ワタシの期待したとおり、彼は、いつもの場所から、いつもの時間に、いつもの格好でやってきた。

 ドノイクシの明かりがあれば十分とでも言うように、深夜にもかかわらず、彼はワタシの方へ確かな足取りで向かってきた。彼のやわらかな前髪を夜風が触ってはしゃいでいた。細身でどこか中性的な雰囲気さえも感じさせる彼の身体を、白いシャツが包んでいるのだが、黒緑の林と下草の中では、白黄色の光を身にまとっているように見えた。彼の足元では、下草がキュッキュッと歓声をあげていた。

 そう、ワタシは、ワタシたちは、彼が大好きなのだ。

 ゆっくりと丘を上がってきた彼は、ワタシの下に辿り着くと、ワタシの身体に手を触れた。

「やぁ、すごくきれいな月だね。今日もやってきたよ」

 ワタシは、歓びでザワザワと全身を震わせた。彼は丘を見下ろせるように振り返ると、ワタシに背を預けて座り込んだ。

 ワタシは、この丘の上に立つ古木。ワタシは、ワタシたちは、彼と過ごすこの時間を愛しているのだ。

 

 

「ねぇキミ、本当に今日が最後なのかい」

 しばらくの間、月星の運行に目をやりながら交わす、とりとめのない会話を楽しんでいたが、ワタシは最後にはこう聞かずにはいられなかった。ずっと気になっていて、本当は一番初めに聞きたかったことなのだ。

「うん、そうだよ。今日が最後。明日になれば、僕はこの星からいなくなるよ」

 今ではワタシの足元の草むらに仰向けに寝転びながら、彼は何事でもないかのように答えた。真っすぐに立てた右手の人差し指には、小さな虫がとまっていた。虫はしばらく彼の指を上下していたが、意を決したように、青暗い夜空に向けて飛んで行った。

「そう、なんだ。前にキミが話していたことに、変わりはないんだね」

「そうだよ、だって君も知っているじゃないか。僕たちは、すべてあのディスクに従って行動している。あのディスクには僕たちがやるべきことが、余すことなく記されているからね」

「金のディスク、非常事態対応マニュアル(アカシックレコード)か・・・・・・」

 ワタシが知っていることは、彼から教えられたことだけだ。それでも、彼が何を言わんとしていることはわかった。

 

 

 この星に彼らの祖がやってきたのは、一体どれほど前になるのだろうか。あの月星が輝く空の一角から降り立った彼らは、この星にズヴェツダという名をつけると、今は黒い壁のように林立している木々の向こう側に半透明に輝く巨大なドームを作りあげ、その中で生活を始めたのだった。

 それはワタシがこの丘に根を張る前の出来事。

 それはあの林がまだ草むらだった頃の出来事。

 それどころか、それはこの丘にまだ緑が息づく前、単なる岩山だった頃の出来事なのかもしれない。

 ワタシたちは、個にして全、全にして個だ。この丘で三つの月を仰ぐ植物は緩やかに意識を共有しているが、そのどこを探しても、彼らがやってきた時の記憶は見つからない。

 ただ、初めて彼があの林を通り過ぎてこの丘にやって来た時に話した言葉は、しっかりと覚えている。

「やあ、気持ちのいい夜だね。ここに腰を掛けてもいい?」

 初めてこの地を訪れた彼は、ワタシたちと会話を交わすことがさも当たり前のように、そう言ったのだった。

 それから彼は、何度となくこの丘を訪れるようになった。ワタシが、ワタシたちが、この友達が訪れる時間を待ち焦がれるようになるまで、さほど日はかからなかった。

 彼の話によると、彼らは毎年あのドームで「生産」されているのだそうだ。空のかなたからこのズヴェツダを訪れた彼らの祖は、ずいぶん昔にここを去ってしまったらしい。それがどれほど前のことなのか、あのドームの中が空虚という原子で満たされていた期間がどれほどのものなのかは、彼にもわからないらしい。ただ、何らかの条件が満たされた結果、空虚という原子は結合を始めて、充実という分子となった。ドームの中に残されていた設備は活動を始め、そして彼らは「生産」されたのだった。

 目覚めた彼らが学ぶこととなったのは、金のディスクに保存されていた記録と記憶、そして計画だった。

 金のディスク。もっとも変質の恐れの少ない金属で作られた、これまでの記録と記憶、そして、これからの計画を収めた、大切な大切なディスク。その外装には、ただ単に「非常事態対応マニュアル」と記されていたという。

「人は自らに似せてヒトを作った」

 その始まりは、このような一文なのだそうだ。

 彼ら、つまりヒトは、創造者たる人によって作られた。そしてあのドームでは、計画に従って、今も毎年毎年、定められたロットの生産が続けられている。

 生産されたヒトの行動の全ては、その計画に基づいて行われるのだそうだ。マニュアルに従い、初期ロットのヒトは、眠りについていたドームの機器の再稼働を行った。同じくマニュアルに従い、中期ロットのヒトは機器の点検と、今後の活動に必要となる観測を行った。そして、直近ロットのヒトは、ついに、マニュアルに記されていた「復旧モード」に移行することになったのだそうだ。

「僕達の数つか前のロットから復旧モードに入っているんだけどね。僕より前には、ここに来たヒトはいなかったの?」

「いや、キミが初めてだよ、ここに来たのは。ワタシたちに興味を示してくれたのはキミが初めてさ」

「ふーん、そうなのか。僕達に個体差があるとは思えないけどね、人ならともかく。そうだ、人ってすごいんだよ。僕達のように、特定の設備により定められた規格で生産されるのではなくて、自分たちで増えていくんだよ。それも、その場の環境に適応できるように、わずかずつ形を変えていくらしいんだ。そうそう、さらにすごいのは、生産された個体も、知識などの蓄積によって、どんどんと能力が向上することが見込まれるんだって。僕達も知識の蓄積と分析は行うけど、彼ら有機生命体のそれはレベルが違うんだって!」

 嬉しそうに話す彼を見ると、こちらもなんだか嬉しくなって、彼が座る下草の葉でそっと彼の手に触れてみたものだ。

 

 

「それでキミが復旧モードの計画に従ってこの星を離れるのは、明日ってことなのか・・・・・・」

「そう、すべては非常事態対応マニュアル(アカシックレコード)に記載された通りさ」

 いつの頃からか、彼は非常事態対応マニュアルのことを「アカシックレコード」と呼ぶようになっていた。なんでも、この宇宙の過去から未来にかけての出来事全てが記されている本、という意味らしい。彼にとっては、自らの存在の理由とこれからの計画全てが記されたこのマニュアルが、「アカシックレコード」ということなのだろうか。

「ねぇ、キミはいつ帰ってくるんだい。そのアカシックレコードには、これからの出来事がすべて書いてあるんだろう」

 ワタシは、風で枝葉が彼の上に落ちることがないように注意しながら、最も気にかかっていた問いを彼にぶつけた。

「そうだねぇ・・・・・・」

 彼は自分の前髪を指でねじりながら、ここではないどこか遠いところを眺めるかのようにして答えた。

「行きは良いんだけどね。この星の軌道上に上がったら、僕という存在を完全に抹消するんだ。そうすると、質量保存の法則によりこの宇宙のどこかに僕という存在を補充する必要が生じるから、大宇宙が補充しようとする場所を、こちらが共振現象で操作してやれば、あら不思議、遠く離れた目的の場所に僕が現われることになるのさ。だけど、帰りはないんだよ。アカシックレコードには行先で僕がやるべきことは書いてあるけれど、その先はない。そこで僕は自らに似せて人を創らなければならない。そして彼らに対して、レコードの末尾に記されている言葉を伝えたら、僕の役割は終わりなんだ。そもそも、僕達は必要なときまで眠りにつき、必要に応じて生産された存在。おそらくは、何らかの理由で存在に問題が生じた人の手助けのために、呼び起こされたのだと思う。だから全ては定められた計画の通り、滞りなく行われるべきだ。だけど、目的を果たせばそれで僕の存在意義はなくなのさ。僕の先には計画はあるけれども開かれた未来はない、とも言えるのかも知れないね」

「キミにだって未来はあるんじゃないのかな。キミたちは未来のことを未だ来ずと書くのだろう。まだ、先はキミにも訪れていないんだから」

「そう・・・・・・かな・・・・・・」

「ああそうだよ、だから、目的を果たしたならば、帰っておいで。ワタシは、ワタシたちは、待っている。ずっと待っているから。ワタシは、ワタシたちは、個にして全、全にして個。ワタシはワタシであり、次の世代もワタシで、そのまた次の世代もワタシだから・・・・・・」

「うん・・・・・・」

 いつも冷静で計画を遂行することにしか興味がないように見えた彼にも、やはり思うところがあったのだろうか。胸の内を一気に吐き出したその顔は、いつもの飄々としたものではなくて、どこかに淋しさが影を落としているようだった。

 その時、二番目の月ドノイクシの光に大きな変化が起きた。ドノイクシの連星である三番目の月トペムがその顔を見せたのだ。トペムがドノイクシを回る周期と、それらがズヴェツダを回る周期の関係で、トペムは一晩のうちほんのわずかな時間しかその光をこの地には届けてくれない。今、そのわずかな時間が、この丘に訪れたのだった。

 ドノイクシの白黄色の光に、キラキラと輝く白銀色の光が加わった。いったい、この大気中で踊っているキラキラと輝く粒子は何だろうか、そういぶかる間もなく、大きく広げた枝葉にトペムの光を浴び、その粒子を吸い込んだワタシは、その姿を変えていった・・・・・・。

「どうしたのっ、その姿は!」

「いや、自分ではよくわからないんだけれど、どうしたのだろうか」

「ヒトだよ、僕達と同じ、ヒトの姿になっているよっ」

 その時に何が起こったのかは、今でも判らない。だが、ワタシは、丘の上のワタシたちは、ぼんやりと光り輝くヒトの姿を手に入れていたのだった。いや、その時にワタシは、彼の頭を膝に載せながら、夜空に向って大きく枝を指し伸ばしている古木としてのワタシの姿も見ていたのだ。ワタシが人の姿に変わった訳ではない。ワタシは、ワタシたちは、その時その場所に限って新たな姿を創った、という理解が一番正しいのかもしれない。

「ああ、これが手というものなんだね・・・・・・」

 ワタシは、自分の「手」で、「膝」の上に乗っている彼の髪をゆっくりと梳いた。朝露を載せた花弁のように、艶やかで美しい髪だった。いつも、ワタシが、ワタシたちが触れていた彼とは、同じようにも、また、違っているようにも感じられた。ただ、確かなことは、自ら彼に触れて、彼を感じることが出来る、それが嬉しくてたまらないということだった。

「フフフ……、くすぐったいなぁ」

 彼もいつの間にかこの状況を受け入れていて、心地よさそうに目をつぶり、ワタシにその身を委ねてくれていた。白銀の光の中で、ワタシたちの丘には、柔らかな時間が訪れていた。

「・・・・・・いいかい、キミ。帰ってくるんだよ。計画のその先は、未だ来ていない。金のディスクには記されていないんだ。未来はキミが創れるんだから」

「うん・・・・・・」

「ワタシは、ワタシたちは、キミがいなくなるととても淋しいよ」

「みんな淋しいんだよ。おそらく、あの金のディスクを創った人もそうだったんだと思う。だから自分たちがいなくなることに耐えられずに、僕達という保険、復旧の手段を用意したんだ」

「もしワタシたち全体が消えてしまったら、それは確かに淋しいことだな。今となってはキミが覚えてくれるという、慰めはあるけれど」

「そう、自分たちの存在が消えてしまう、ましてや、自分たちのことを知っているものも誰もいなくなってしまうなんて、とても寂しいことさ。だから計画は果たされなければいけない。だけど・・・・・・」

「ああ、だけど・・・・・・」

 トペムがドノイクシの傍らから顔を出す時間は、ほんのわずかなものだ。ゆっくりと彼の髪を梳くワタシの手は、トペムの光が弱まるにつれて、ワタシたち下草の緑葉に戻っていきつつあった。奇跡は、不思議は、永遠には続かないということなのかもしれない。

「だけど、そうだね。僕というヒトが自らの姿に似せて人を創り・・・・・・アカシックレコードの最後の言葉、産めよ増やせよ地に満ちよ、を伝えたあとは・・・・・・」

 サラサラサラ・・・・・・。

 ワタシは、ワタシたちは、彼の頬や身体にも、緑の葉を一杯に伸ばして優しく触れずにはいられなかった。

「そう、その後は・・・・・・。彼らの集合無意識の中にでも潜んで、この・・・・・・惑星ズヴェツダの・・・・・・丘に・・・・・・帰ってきたい・・・・・なぁ・・・・・・」

 微笑みながら眠りに落ちた彼は、ドメイクシの光を浴びて、白黄色に輝いていた。

 先程見えた淋しさの影は、もう彼のどこにも見られなくなっていた。

 

 

 次の日の昼、林の向こう側の空に、天上へ向かう明かりが見えた。その明かりは、長く長く伸びる白い雲を空に残していった。まるで、ワタシたちとの名残を惜しむように。自分がここにいた証を刻み付けるかのように。

 やがて、風が。

 いつまでもその雲を見つめるワタシに、ワタシたちに、冷静になるようにと促すように、その雲をかき消してしまった。

 

 

 それから、どれくらいの時が流れたのだろうか。

 彼がこの丘を去って以降、この丘を訪れたヒトはいない。計画の目的が果たされたのか。それとも、未だに、透明のドームの下では、毎年新たなロットのヒトが生産されているのか。

 ワタシには、ワタシたちには、わからない。

 だが、これだけは、わかっている。

 彼は帰ってくる。

「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」

 そう彼が言ったならば、彼が向かった先、テラと呼ばれる星には、必ずや優しい人が栄えるだろう。なぜならば、あの優しいヒトが自らに似せて人を創るのだから。

 そして、彼は帰ってくる。

 いつの日か、この惑星ズヴェツダの丘の上に。

 ワタシは、ワタシたちは、このズヴェツダの丘で待とう。ワタシは、ワタシたちは、個にして全、全にして個だ。いつまででも彼を待てる。

「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」

 ああ、そうだ。彼が帰ってきたときに、淋しくないように。彼の未来に、ワタシが、ワタシたちがあるように。

 ワタシは、ワタシたちは。

「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」

 この地に、この丘に満ちて、彼を迎えるのだ。