コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。宜しければ、ひとときおつきあいください。

【掌編小説】 開ける

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「た、た、探偵さん、お願いしますっ。助けてくださいっ」

 分厚い樫の木でできた事務所の扉が勢いよく開かれたと思うと、大きな声を出しながら、細身の紳士が部屋の中へ飛び込んできた。同時に入り込んできた冷たい外気で、応接室の暖炉の炎が揺らいだ。

 僕がこの探偵事務所の助手をするようになってから、しばらくは経つ。このような突然の来客にも、何度かお目に掛かっている。僕は、テーブルに広げていた下書きと資料をざっとひとまとめにすると、落ち着いた様子を崩さないように気を付けながら、ソファーから立ち上がった。

「ようこそいらっしゃいました。何か、お困りごとでしょうか。どうぞ、外套はそちらにおかけになって、ソファーへおかけください、今・・・・・・」

「た、探偵さん、そうなんです、困っているんです、本当に困っているんです。聞いてください、僕は。いや、そうだ、聞いてもらうだけではなくて、教えてもらわなければ。そうです。聞いてください、そして、教えてください。僕は、僕は、どうすればいいのでしょうかっ」

 外套をとる間も惜しいかのように、一方的に僕にまくし立てる依頼者。ああ、なるほど、そういう方なのか。このように心配事で周りが見えなくなっている方から、順序立てて相談の内容を説明してもらい、こちらがそれを理解するためには、大きな努力が必要だ。まずは当人が話したいことを話させて、落ち着かせることが肝要なのだが、大抵の場合、その話は本流から逸れては戻りを何度も繰り返し、酷い時には同じところが何度も繰り返される。聞かされる方には、大きな苦痛と忍耐が伴うのだが・・・・・・。

 僕は、応接室から続いていてる事務室の奥の方へ、視線を走らせた。我らが事務所の主人は、こちらに向いて備え付けられた重厚な事務机に足を放り出して、新聞を顔にかぶっている。

 ひらひらっと手を軽く振ったのは「よろしく」ということなのだろう。先ほどまでは、一面に「倫敦会議」の字が躍るその新聞を読むでもなくただ眺めながら、「なにか面白い事件でもないかな」とぼやいていたはずなのに、一体あれは何だったのだろうか。

 仕方がない。僕がその苦役を引き受けようじゃないか。一通り事態を整理して、あわよくば、僕が解決してやる。

 軽く肩をすくめて、僕はもう一度ソファーに腰を下ろした。依頼人は、既に反対側に腰を下ろしていて、丸い眼鏡の奥できらきらとした瞳を輝かせながら、じっと僕を見つめていた。極めて仕立ての良い灰色の背広に身を包んだ、上品な感じのする若者だ。失礼なことかもしれないが、僕は、小さいころに飼ってた犬が、散歩に連れ行ってもらう前に見せた表情を思いだした。

 

「お話はよくわかりました」

 長い戦いだった。だが、明けない夜はなく、暮れない昼もない。何度も突撃を続ければ、いつかは旅順も落とせるというものだ。困難な倫敦会議に赴いている若槻主席に対して、勝手な仲間意識さえ覚えながら、僕は相手の話を打ち切った。

「いえ、ですから、とにかく」

「そうですね、とにかくどうすればいいかわからない、決めて欲しい。そういうことですよね、細野さん」

「ええ、まぁ、そうです。そうなんです」

 まだまだ話し足りないという依頼人の様子ではあるが、もう同じ話を何度繰り返し聞かされたのかわからないのだ、これ以上は勘弁していただこう。

「よろしいですか、要点を確認させていただきます。細野さん、貴方のお家は華族に連なる名家で、先般の金融恐慌にも揺るがず、大変な財産をお持ちだ。そして、貴方はその跡取りである一人息子。本来なら、家柄の等しい良家の令嬢を迎えるべきところですが、貴方が心を奪われたのは、お付きのメイドの一人だったと」

「そうです、しかし、いいですか、心を奪われたいうのは承服しかねます。彼女が私を垂らし込んだようではないですか。彼女はそのような娘ではありません、心の清らかな、すべての人の幸せを願えるような、素晴らしい女性なのです。それを、貴方は‥‥‥」

「いや、いや、それは失礼いたしました。決してそのような意図ではなかったのです。訂正いたします」

 あれ、自分で「私は彼女に心を奪われたのです」と話していたのにな、とは思ったものの、それを言ってしまっては、せっかく占めた陣地を自ら放棄して、一からまた話を聞く破目になってしまう。僕は、相手に話を合わせながら、先を進めることにした。

「そこで、貴方がここに来られた相談というのは、家も身分も捨ててその女性と一緒になるのか、それとも家のためにその女性と別れるのか、それを決めて欲しいというものですね。しかし、ですね。細野さん、ここは探偵事務所でして、ご相談の内容はこちらで扱っている事件とは、少し種類が異なるように考えるのですが」

「ええ、それはそうかもしれません。しかし、我々の仲間内では、こちらの探偵さんがこれまでたくさんの事件を、それこそ魔法を用いるかのように解決されたとの話が共有されているのです。今の私では、この件について決断が付けられず、もはや魔法のようなそのお知恵にすがるしかないと思い、参った次第です。お願いします、是非、是非、ご助言を賜りたくっ」

 勢いよく頭を下げる依頼人に、慌てて頭を上げるように促しながら、僕は頬を掻いた。

 線の細い若者で、かなり思いつめた様子だが、こうして話をしてみると悪い人物ではないんだよな。下げたことのない頭を下げて、真剣に教えを請いに来ているのだろう。いささか、浮世離れしている点は否めないが。

 何とかしてあげたいが。

 僕の視線の先にある事務机の上で、黒の革靴がひらひらと動いた。

「がんばれ、か」

「は、はいっ」

「ああ、いえ、違います。いやいや。えぇそうですね。外部の者の無責任な助言として、ご容赦ください。やはり、我々下々のものとは違い、上の世界の方にはそれなりの義務があると思います。その世界にお生まれになったからには、その義務を果たされるべきというのが、一つの考えとしてあるのではないでしょうか」

「ノブレス・オブリージュということですか。その本来の趣旨は、高貴なるものが社会に対して善を行う義務を持つ、ということだと思います。それは当然のことです。しかし、今の私に期待されているのは、華族として家を存続させるための道具としての役割です。ノブレス・オブリージュの考え方とは違うということです。そもそも、個人の愛を無視してまで、華族という形は存続すべきなのでしょうか。人は、我々は、平等であってはいけないのでしょうか」

 何度も自問自答してきたのであろう。僕のとっさに思い付いた助言には、即座に反論が提出された。おそらく、何事にも一生懸命に考える真面目な人柄なのだろう。勢い余って腰を浮かす依頼者をなだめ、発言があまりに不穏当な方向に行かないようにしなければと、僕は余計な心配までし始めた。では、反対の方向で話をもっていけばどうだろうか。

「なるほど、ごもっともです。では、いっそ、お二人で、家も身分も捨て去って、帝国を支える礎の一つとして働かれるというのは」

「そうですよね、やはり、そう考えられますか。もとより、私は彼女との間に身分の違いなど感じたこともありませんし、それを捨て去ることに何のためらいもありません。身分など何だというのですか。ただ、家を捨て去ることについては、私のご先祖様や両親に対して、恩を仇で返すことになり、人として許されないのではないかと考えてしまうのです」

 終わった。

 そもそも、他人が結論を提示できるような話ではないのだ。結論が出せない典型的な例ではないか、これは。本人にしか決めることが出来ないことではあるが、決断を下すにも、よほど大きなきっかけがないと難しい。あれこれと悩んでいる間に、当人たちの意図とは一切関係なく、時間が事態を裁断してしまう、もっとも難しい案件なのだ、これは。

 一度は、あわよくば解決してやろうと考えた僕だが、自分の限界を悟り、いよいよ助けを求めようと立ち上がりかけたとき、それを押しとどめるように冷たい手が肩に置かれた。えっと振り向いた僕の横には、いつの間に事務室の机を離れたのであろうか、当事務所の主人たる探偵が立っていたのだった。

 

「やあ、はじめまして、細野さん。僕が当事務所の主人です。ああ。そのまま、お座りのままで結構です。お話は伺いましたよ、ありがとう、高橋君」

 彼は、私の奮戦を軽くねぎらうと、暖炉の前をゆっくりと歩き始めた。

 闇夜を星の櫛で梳いたような、深みのあるつややかな黒髪は、背に掛かるまで長い。小柄なその身は、黒の背広で包まれている。磁器のようなつややかで白い肌は、その髪や背広の色と、まるで、月と夜空のような見事な対比を見せている。その顔には、聖なる境界と俗なる世界を区切る朱のような唇が、三日月のような弧を描いており、磨かれた黒檀のような相貌が、この場の全てを捕らえるかのように光っていた。

 饒舌な依頼人でさえも、彼が現われた途端、自分の言葉をどこかに忘れてきてしまったかのように、黙り込んでしまった。僕は何度もこのような光景を、目の当たりにしてきた。人が人の心を、一瞬で鷲掴みにしてしまう、この光景を。もっとも、彼については、人として考えていいものか、心のどこかに疑問が残っているのも事実ではあるのだが。

「細野さん、貴方は、僕が魔法のように事件を解決する探偵とお聞きになったそうですね」

「は、はい。その通りです」

 彼に見つめられた依頼人は、こころなしか頬を桃色に染めながら答えた。

「やれやれ、あまりそのような噂が広がってしまうのも、困りものですが。細野さん、貴方は信頼のおける方とお見受けしました。これから、僕があなたの悩みを、ある魔法で解決して差し上げます。他言無用で、お願いできますね」

「勿論、勿論です」

 依頼人の上気した声を背中に受けながら、彼は暖炉上部の飾り棚から、一つの小箱を取り上げた。暖炉周りには、数々の事件で手に入れた古物や、彼が怪しげな店から嬉々として買い入れてきた珍品が並べられていた。僕が見た記憶のないその古ぼけた小箱は、おそらく後者のものなのだろう。

「この小箱は、僕が香港で手に入れたものです」

 彼は静かに説明をしながら、その宝石箱ほどの小さな箱を我々の間にあるテーブルに置いた。

 細かな装飾が施された小さな箱の影が、暖炉の炎の揺らめきにつれて、テーブルの上で踊った。

 小箱に喰いつきそうなほど顔を近づける依頼人に、彼をそれを手に取るように勧めた。

「どうぞ、お持ちになってください。この小箱ですが‥‥‥、これは、魔法の小箱です」

「魔法ですかっ」

「ええ、貴方が聞かれた通り、僕は魔道もたしなんでおりますから。この小箱は、今はただの空の箱です。耳元で振ってみてください」

 もうこの場は完全に彼が支配していた。依頼人は、彼に指示されるまま、耳元で小箱を軽く振り、中に何も入っていないことを確かめた。

「なにも音がしませんし、中で何かが動くような感じもしません。確かに空箱です」「そうです。しかし、この小箱は、僕が魔力を注ぐことにより、持ち主が今、真に必要としているものを形にすることが出来るのです」

「この、空の箱が‥‥‥ですか」

 依頼人は、小箱をじっと見つめ、そして迷いを振り切るように叫んだ。

「お願いします、探偵さんっ。お願いします。私に、真に必要なものを授けてくださいっ」

 

「ご苦労だったね、高橋君」

 彼は、先程まで依頼人が座っていたソファーに優雅に腰を下ろすと、笑みを浮かべながら僕に語り掛けた。その笑みは、言葉とは裏腹の、依頼人に苦労を掛けられた僕をからかうようなものだったが。

「いや、ひどく疲れたよ、まったく。いったいどうなっていたんだい、あれは」

 僕は、依頼人が飛び出していった扉を見つめながら、嘆息した。

 先程、依頼人が、彼の指示に従って額に当てながら念を込め、それから開いたその小箱から、なんと、薄汚れた小さな指輪が転がり出てきたのだ。

「指輪だ、指輪が出てきましたよ、探偵さん。ああ、指輪だ。確かに空だったはずなのに。この魔法の小箱は、持ち主に真に必要なものを形にするんですよね、私に真に必要なもの、それは、指輪だったんだ! ありがとうございます、ありがとうございます!」

 依頼人は、今まで自分に圧し掛かっていた問題について、これで答えが得られたと感じたのだろう。文字通りソファーから飛び上がらんばかりに喜び、僕らの方へ深々と頭を下げたかと思うと、一目散に事務所から出て行ったというわけだ。おそらくは、彼女のところへ向かって行ったのだろう、小箱と指輪を握りしめていたから。

「なあに、僕は何もしていないよ。あれは、彼が使った魔法さ」

 彼は、引き寄せた煙草入れから一本を取り出して僕に進めると、自分も一本を取り紫煙を上げだした。

「しかし、あの箱には何も入っていなかったんだろう。どうして、中から指輪が出てくるんだい」

「そうだなぁ」

 彼は、自分が吐き出した煙を眺めながら語りだした。

「まずは、彼の依頼だがね。君も気づいていたと思うが、答えは始めから提示されていただろう」

「ああ、自分では踏ん切りがつかないだけで、惚れた女と一緒になりたい、という思いは伝わってきたよ」

「そのとおり」

 よくできました、とでもいうような視線を僕にくれてから、彼は話を続けた。

「だから、彼に必要なのは、その踏ん切り、きっかけというわけさ。僕はそれを提供したに過ぎない。結局、決めたのは彼自身さ」

「それは、判るよ。だけど、あの指輪はなんだい。ああ、そうか、始めから指輪が入っている箱を渡したのか。いや、待てよ、確か、降っても音はしなかったんだよなぁ」

「指輪はね、君。箱の中には無かったよ。いや、そう言うよりも、こう言った方が良いか。箱の中には何も存在していなかった、と。存在しているということは、つまり認知されているということだ。彼は、あの箱の中に、何かが入っていたとしても、それを認知はしていなかった。だから、あの中には何も存在していなかった。そして、彼は箱を開け、指輪を見つけた。その時に初めて、指輪は存在することになった。それは、彼が行使した魔法なのだよ。大事なのは、彼に取ってその指輪が存在しているかどうか、なのさ。」

「魔法か。存在するということは、認知されているということ‥‥‥か。まぁ、単純に指輪を渡しただけでは、あのように踏ん切りが付けられたとは思えないけれども」

「そう、そうだな、例えば、この瞬間に樺太で一本の杉が倒れたとする。君はそこで音がしたと思うかね」

 僕も彼のように自分が吐き出した紫煙を目で追いながら、其処に樺太の雪景色を重ねた。樺太の厳しい環境に耐えてきた大きな杉の木。それが、とうとう寒風に耐えかねて倒れる日が来てしまった。始まりは、幹に伝わる小さな振動。それが段々と大きくなり、杉の木の全体に伝わり始め、やがて。

「それは、確かに大きな音がするんじゃないのかい」

「君は、想像力が豊かだからね。そう答えると思っていたよ。だけどね、それはあくまで君が想像しただけであって、実際には誰もその事実を認知していないんだ。当然、君もそこに音があったと認知していない。もっと言えば、そこに杉があったことも君は認知していない。僕がそう言っただけさ。だから、君の世界の中で、それらは、存在しているとは言えないのさ」

「なんだか、上手く言いくるめられているような気がするな。こうは考えられないかい。地球上のあらゆるものは綿密に影響しあっているんだから、その杉や、倒れたときに立てた音も、巡り巡って、どこかに影響を与えている。だから、認知されてはいなくても存在しているのだ、と」

「同じことだよ、君。君が言っているのは、巡り巡ってどこかに影響を与え、結果として認知されるのであるから存在していたと言えるのではないか、そういうことじゃないか」

「うん・・・・・・、そうなのかな。ああ、そうだ、巡るものと言えば、彼から今回の相談料をもらわないといけない。まぁ請求書は始めにもらった名刺の住所に送るとして、料金はどうしよう、指輪の代金はいくらになるんだい」

 彼は、灰皿に短くなった煙草を押し付けると、それを僕の方へ押して寄こした。いかにもおかしな話を聞いたとでもいうように、笑いながら。

「いいかい、君。開けるというのは、魔法なんだ。その行為によって、存在しなかったものが認知され、この世界に生まれるんだ。僕は小箱を彼に与えたが、それを開けて、指輪を生み出したのは彼だよ。さて、君は、その指輪の代金を、生産者たる彼に請求するのかね」

 僕は、彼が寄こした灰皿に煙草を押し付けて立ち上がった。なんだか、僕も可笑しくなってきたからだ。

 彼の話には大いなる矛盾が潜んでいる、つまり、依頼者が認知して依頼者の世界に指輪が生まれたとしても、それが、我々が共有する世界に生まれるということには・・・・・・、いや、まて、あのときに転がり落ちた指輪を僕が認知した、その時に、僕の世界にも指輪が生まれたのか。いや‥‥‥。

 まぁ、いい。確かに、あの小箱は空だったはずだ。それに関して費用を請求するというのも無粋なものだろう。大体、その名目はどうすればよいのだ。「魔法で生み出した指輪の代金として」か、まさか。

「なんだか、よくわからないが、案件が一つ解決したのは間違いないね。ねぇ、今日は円タクを拾って、モナミにシチュウでも食べに行かないかい。この間、原稿料が入ったところでね、ご馳走するよ」

「ほう、珍しいこともあるものだね。では、有難くご馳走になるとしようか」

 ゆっくりと、ソファーから立ち上がり、彼も外套と山高帽を手にとった。そして、先だって部屋を出ようとする僕の背から、声をかけた。

「では、頑張ってくれた君に、僕から一つ、魔法を贈ろう。その扉を開けてごらんよ」

 彼が何のことを話しているのか訝しりながら、僕は事務所の重い樫の扉を開けた。

 その瞬間。

 僕の目の前に、世界が生まれた。