コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。宜しければ、ひとときおつきあいください。

【小説】おかしをわがてに!

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 しんあいなる、せいパウロほいくえんのどうししょくん!

 われわれはいま、ききにひんしている。

 おかしにうえ、そして、かわいているのだ。

 

 サクサクとしたしょっかんで、アニメを見ながらいくらでも食べることのできるスナックかし。

 ふかみのあるあまさで、どろあそびやおにごっこでたまったつかれを、すっかりいやしてくれるチョコレート。

 口のなかでころがすもよし。いっきにかみくだくのもよし。ひるねのあとのきぶんてんかんにさいてきなあめ玉。

 

 これらをはじめとするおかしは、こどもをしあわせにするためにうまれてきたものだ。

 しょくぶつがたいようをもとめるように、さかながみずをもとめるように、こどもはおかしをもとめるものだ。

 おかしがわれわれこどもとともにあるはずなのは、しょくんらがいちばんよくしっているだろう。

 

 しかし、しょくん!

 いまのじょうきょうはどうだ。

 おやつのじかんなどといういみふめいなぞうごにより、われわれがおかしをたべるきかいが、ふとうにせいげんされているのではないか。

 きってもきれないはずのわれわれとおかしの仲をひきさいたものは、いったいだれだ。

 

 そうだ、しょくん!

 それは、大人という名のあっせいしゃだ!

 

 大人はいう。

「おかしばかりたべていると、むしばになるよ」と。

 

 しょうし!

 

 かつて、おとなのひとりであるイエス・キリストは、つみをおかしたおんなをいしうちにしようとするものたちに、こういったのではなかったか。

「あなたたちの中で、つみをおかしたことのないものが、このおんなに、まずいしをなげなさい」

 

 おとなたちよ。

 あなたたちのくちのなかでにぶくひかっているのは、むしばのちりょうあとではないのか。

 われわれのおかしをとりあげるしかくが、はたしてじぶんにあるのか、まずはかんがえてみるべきなのではないか。

 

 あるいは、大人はこういうかもしれない。

「いまおかしをたべると、ごはんがたべられなくなるよ」と。

 

 たしかにわれわれは、おなかがいっぱいになってごはんをのこすことがある。

 では、しょくん! 

 この大人のりろんに、しんりのひかりはやどっているのか。

 

 いなである!

 大人たちのぎまんにだまされてはならない!

 われわれがごはんをのこしてしまうのは、おかしをたべすぎるからではないのだ!

 

 では、なぜか?

 

 ぼうや、だからだ!

 

 からだの小さいわれわれが、いちどにたべることのできるりょうは、もともとかぎられているのだ。

 おとなとおなじようなちょうしで、つぎのごはんまでおなかがすかないようにと、たくさんのりょうをだされても、もとからたべることはできないのだ。

 けっして、おかしをたべたから、ごはんがたべられないわけではないのだ。

 なぜなら、しんちんたいしゃのはげしいぼうやであるわれわれは、いちどにすくないりょうしかたべられないけれど、それをすぐにしょうかしてしまうからだ。

 

 おとなたちよ。かつては、こどもであったものたちよ。

 わすれたのか、われわれのからだの小ささを。

 すこしずつなんかいもたべる。

 それがこどもではなかったか。

 

 さあ、どうししょくん!

 たちあがるときはきた!

 

 ほいくえんにあめ玉をもちこもうとしてせんせいにみつかってないた、たけじ、すすむ、いのすけのあめ玉さんゆうしにつづけ!

 

 おおごえをあげろ。

 すーぱーじゅうになきごえをひびかせろ。

 すきなおかしをかってもらえるまで、さけびつづけろ。

 

 せなかをゆかにつけろ。

 あしをおおきくばたつかせろ。

 みんながみているぞ。

 そうだ、おみせはわれわれのステージだ。

 

 おかしをわがてに!

 おかしをわがてに!

 

 ぱんのかわりにケーキをたべてもいいじゃない!

 

 おかしをわがてに!

 おかしをわがてに!

 

 ニンジンとピーマンはただのかざりです。おとななのにそれがわからんのですか!