コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

【掌編小説】 自主製作映画「ライフ・ボート」

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 地方都市の駅前にあるその商店街は、郊外型大型店舗が近くに出店した影響を受けて営業している店の方が少ないような状態だった。ましてや、夜の9時ともなれば、シャッターを開けている店など一軒もなかった。

 司慎吾は、申し訳程度に残っている街灯の明かりを頼りに最近廃業した映画館を探して、商店街の中をさまよっていた。なにかよからぬ計画を立てているわけではない。先日、飲み屋のトイレに置かれていたフライヤーを見て興味を持った、「自主製作映画 ライフ・ボート」の上映場所を探しているのだ。

「自主製作映画 ライフ・ボート   全ての生命のために」

という簡素極まりない煽り文句が客船を背景にして印刷されたそのフライヤーの裏面には、「製作者:ライフ・ボート製作委員会」、「入場料:千円」、上映日時が記載されたほか、上映場所として、商店街の中の廃業したはずの映画館が記されていた。

 小劇団の上演場所や自主製作映画の上映場所を探すのはなかなか難しい。それは、活動団体に十分な資金がないために、安価で借りられるところが利用されるケースが多いからだ。小劇団ファンである司にも、これまでに、古寺の講堂や廃ビルの一室など様々な場所で観劇をした経験があった。今回は、おそらく、廃業したが取り壊しまでまだ間がある映画館を借りることができたのだろう。

「ああ、ここだ。」

 司がようやく辿り着いた映画館は、シャッターを下ろした呉服屋と喫茶店の間にひっそりと建っていた。ここに映画館があると知っている者でなければ、通り過ぎてしまっても不思議がない。開業時には映画館の前にのぼりや看板が盛大に設置されていたのだろうが、いまでは廃業する間際まで上演していたのであろうポルノ映画の看板が一枚、薄暗闇の中から司を見下ろしているのみだった。

 自動ドアの電気が来ていないのか開けっ放しになっていた入口からロビーに入ると、内部は想像したほど朽ちてはいなかった。

「廃業してから、さほど時間が経っていないのかも知れないな。」と司は思った。

 ロビーの照明は必要最小限のものしか使用できないようだし、床のカーペットも人の通り道がわかるぐらいに擦り切れてはいるが、自主製作映画の上映環境としては上等の部類と言えよう。

 映画館を探すのに手間取ってしまい上映間際に到着したせいか、ロビーには誰もいなかった。物販の机も設置されていなければ、仲間同士で贈りあう花束や酒が置かれている机もない。さらに、館内への入口には入場料を取る者の姿もなかった。

「やれやれ、これが自主製作の忙しさだな。上映間際でバタバタしているのだろう。まぁ、帰り際に感想を伝えるのと一緒に支払えばいいか。」

 小劇団の上演の魅力は、観客と製作スタッフの距離の近さで、上演の前後で交流を持てることも多い。司はスタッフに後で料金を支払うことに決めて、無人の入口から館内へと入った。

 館内は70席ほどの小さな空間で、先に入場していたおよそ10人ぐらいの客が、それぞれ間をあけて座っていた。皆はうつむいて何かを考えこんでいる様子で、上映前の高揚感はあまり感じられなかった。司は、できるだけ他の客と離れた席に腰を下ろした。久しぶりの客に、椅子がキィッと喜びの声をあげた。

 司の後には客は入ってこず、ほどなくして、もともと頼りない館内の明かりが落とされた。残るは非常時の誘導灯によるほのかな明るさだけだ。これが一般の映画であれば、上映時の諸注意や近々公開予定の映画の宣伝が流れるところであるが、今日はそのようなものがあるはずもなかった。

「おや、この匂いは。」 

 ふいに、司は、なにやら甘い香りを感じた。司は、アロマやお香に詳しくはないので、その香りがどのようなものか推測することはできなかったが、嫌な臭いではなく、むしろ、安らぎを与えてくれる香りだった。

 その香りが立ち登るのと同時に、少しずつ、「ザーザー」と何かが流れるような音が聞こえてきた。管の中を液体が流れるような音だ。製作者の演出だろうが、悪い感じはしない。少しずつ音は強くなり、そして、前触れもなく止まった。

 

 映画が始まった。どうやら映画にはセリフがなく、シンセサイザーで作られた音楽で感情を表現しているようだった。

 最初のシーンは、病院だった。画面にはベットに横になっている若い女性の顔が大写しになっている。画面から司に笑いかけているその顔には汗が見える。いままさに、大仕事を成し遂げたというような安堵と誇らしさ、そして、限りない愛情がその表情から読み取れる。柔らかなシンセサイザーの音色が、画面に明るさと希望の色を付けていく。司にも、すぐに伝わった。これは生命の誕生、つまり、出産直後のシーンで、母親が我が子に笑いかけるその表情を観客が子供の立場から眺めているのだ。画面は母親の顔からその周りへと移っていったが、医者、看護士の顔にも微笑みが見え、父親と思われる男性は、涙すら浮かべていた。喜びにあふれた、皆に祝福された誕生の場面だった。

 次に、スクリーンには大きな客船が映し出された。

 どうやら出航のシーンのようだ。岸壁で見送りをする人と客船から別れを惜しむ人が紙テープでつながっている、おなじみのシーンだ。音楽は船出にふさわしい元気なものに変わっている。やがて、客船はゆっくりと岸壁を離れ港から出ていく。画面は、船の操舵室からの景色に変わった。これからの航海に向けて、希望を膨らませるかのような音楽。そして、画面は上から客船を見下ろすように変わった。だんだんと、上空からの視点に変わっていく。音楽が最高潮に達するとともに、陸地は完全に画面から消えた。

 その後、スクリーンには、困難に当たっても成長する子供とそれを見守る家族の姿、そして、天候や潮流に左右されながらも進んでいく客船の姿が、交互に映し出されていった。

「なるほど、この映画は、人生を航海に例えているのだ。」と、司は気付いた。上手く工夫されているのが、子供の成長のパートで、すべて子供の目線で撮ることによって、観客が自分の成長を追体験できるように演出されているのだった。セリフがないのも、観客が自分の人生と子供の成長、そして、客船の航海とを重ねることができるように、周到に計算されてのことだろう。甘い香りも、シンセサイザーの音楽も、そのための演出だ。そう考えると、映画が始まる前の「ザーザー」とした音は、母親の胎内で聴いた血液の流れる音なのだろう。

 客船が大嵐に遇った場面に対応するかのように映画の中の子供はいじめにあい、嵐を抜けた場面でそれを解決したが、司は自分の学生時代を思い出していた。いじめにはあったことはなかったが、ちょっとしたことがきっかけで、親友と大げんかをしたことはあった。あのとき、どうしてあいつはあんなことを言ったんだろう。あのとき、俺はどうして言いたいことをうまく言えなかったんだろう。

 客船に雷が落ちて火災が発生した場面で、子供の祖母が亡くなった。司は子供のころにかわいがってもらった祖母のことを思い出していた。ずいぶん前に亡くなってしまったが、今でも司は自分はおばあちゃんっ子だと考えていて、小学校に上がるときに祖母にもらったお守りは、大人になった今でも身に着けている。司の目はスクリーンを見ていたが、司の頭に浮かんでいる像は、懐かしい祖母の顔だった。

 映画は、少しづつ、少しづつ、客船のパートが多くなり、子供のパートが少なくなっていった。そして、子供が成人して社会に出た段階で、客船のパートのみが展開されるようになった。しかし、既に、司をはじめ観客は客船を自分と同一視していて、客船がぶつかる困難と解決を自分の人生に重ね合わせているのだった。天候と潮流という自分では左右できない条件に翻弄されながらも進みゆく客船。まさに、社会の荒波の中でもまれている自分の姿そのものではないか。

 一度も寄港することなく、大海原を進む客船。

 その行く手の水平線になにかが姿を現し始めた、その時。

「熱いっ。」

 突然、司は左胸に焼けた棒を突き付けられたような痛みを感じた。思わず声が漏れてしまったが、周囲には誰もおらず、司の慌てた様子に気が付いた観客はいなかった。皆、スクリーンに集中しているのだ。

 司は、着ていたスーツの左胸を反射的に右手で身体から離した。スーツの左胸の内ポケットだ、そこが、燃えているように熱くなっている。たまらずにスーツを脱ぐが、暗い館内のこと、スーツが燃えているのではないことはすぐにわかった。そもそも、司は煙草を吸わないので、ライターやマッチを持ち歩いておらず、スーツに火の気はないのだ。

 だが、スーツの熱さはどんどんと強くなってきていた。映画館の中で火の手でも上がろうものなら大惨事になりかねない。司は、あわててスーツを掴むと立ち上がり、ロビーへと駆け出た。視界の片隅に、ドア近くの席に座ってスクリーンを見つめる女性客の顔が入り込んだ。司がロビーに出るために開いたドアから差し込む細い明かりで、女性の頬を伝う涙が光った。

「どうした、なにがどうなっているんだ。」

 後ろ手にドアを閉めてロビーに出た司は、スーツをバサバサと振り回した。そうっと、内ポケットに手を差し込むと、祖母からもらって身に着けているお守りが出てきた。

「なんなんだよ、もう。ばあちゃん。」 

 思わず、司の口から恨み言が飛び出したが、先ほどまで祖母との日々を思い出していたこともあって、強い口調ではなかった。

 だが、内ポケットから取り出したお守りは、掌の上で冷たかった。先ほど熱くなったのはこのお守りではなかったのか。内ポケットには他に何も入っていないのだが。

「ばあちゃん、このお守り、石灰でも入っているのか。」

 しばらくお守りを眺めながら考えていたが、先ほどの熱気がお守りのせいなのか、そもそも、単なる神経痛などの痛みだったのか、司にはどうでもよくなってきた。小学校に上がるときに、祖母がお守りと一緒に手作りの給食袋をプレゼントしてくれたことなど、懐かしい記憶が次々と脳裏によみがえってきて、理由を詮索する気持ちなど無くなってきたのだった。

 そのままお守りを見つめて思い出に浸っていた司だったが、館内には戻らずに、家路につくことにした。始まりから計算しつくされた映画に、途中から戻っても仕方がない。加速したジェットコースターに途中から飛び乗るようなもので、ストーリの流れに乗れずにはじき出されるのがオチだ。それに、今夜は懐かしい記憶を思い出すことができて十分に嬉しい。司は、誰もいないロビーを抜け、相変らず開け放たれたままの自動ドアから外に出た。その手には、お守りがしっかりと握られていた。

 

「ああ、しまった、寝過ごした。」

 司が「ライフ・ボート」を見てから、数日後の朝。

 いつもより遅く起きてしまった司は、慌てて身支度を整え始めた。一人暮らしの悲しさ、朝食が用意されているわけもない。新聞受けから新聞を抜き取るが、当然読む暇もない。司は、テーブルに新聞を放置したまま、形だけ歯磨きをすまし、顔も洗わずに仕事へと飛び出していった。スーツの内ポケットには、もちろん、祖母のお守りが入っている。

 テーブルの上に置かれた新聞の一面には、「廃業映画館で複数の遺体。集団自殺か」という見出しが載っていた。「ライフ・ボート」と自らを同一視した観客。映画の最後、目的の港に船が接岸したときに、自らの航海も終了したのだろうか。遺体を発見した人物によると、映画館の館内には、嗅いだことのない甘い香りが漂っていたということであった。

 <了>