コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。宜しければ、ひとときおつきあいください。

【掌編小説】 泡

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 ゴボァッ。ボゴン、ゴポンッ。

 ガポッ、ガポッ。グワッ、ガフガフガフ・・・・・・。

 

 俺が事あるごとに思い出すのは、この景色。子供の頃に、妹と見た夕焼けだ。

 空にかかっている間は目を刺すほどにまぶしい太陽が、海へ沈む刹那だけ見せてくれる、柔らかな橙色の姿。

 どうだい、綺麗だろう。

 俺と妹は夕方になると海を臨む崖に行き、優しい光があたりから消えてすっかりと夜の闇に覆われるまで、ずうっと夕日を眺めるのが日課になっていた。

 それは、母親を早くに亡くしていたからかもしれないな。温かな手で抱き抱えられる、そんな体験がなかったからかもしれない。

 父親か。

 俺は父親を憎んでいた。

 ああ、こいつだよ。この、馬鹿みたいに厳めしい顔をしている、よく日に焼けた男。これが、俺の親父だ。

 うちがとても貧しかったのは、すべてこいつのせいだ。

 うちは、小さな漁村からさらに山の中に入ったところに、ポツンと建てられていた。親父の仕事は、窯業だった。もっとも、本人に言わせれば、「陶芸家」だそうだが。

 親父は自分の作る焼き物に、強いこだわりを持っていた。自分の作るものは芸術作品だと言ってはばからず、気に入らないものは、すべて叩き割っていたんだ。

 一方で、親父の眼鏡にかなった数少ない作品が、世間一般で芸術作品として認められていたかと言えば、まったくそんなことはなかった。それは通常の焼き物と同じ値段でなければ買い手がつかなかったんだ。

 親父は金については全く頓着しなかった。「焼き物とは、生活の中で使われてこその芸術だ」とうそぶいていたから、高額で売ろうという努力すらしなかったんだが、仮に努力していたとしてもどうだったろう。

 戦後間もなくの頃だ。当時みんなが必要としていた焼き物は日常品であって芸術品じゃなかった。俺には焼き物の良し悪しなんてわからないが、どうやったって、高い値が付くはずはなかったと思う。

 妹を産んだ時に母親は亡くなっていたから、実際のところ、うちの家計を支えていたのは俺だった。漁村で地引網を引くときには小学校をさぼって手伝いに行ったし、家の裏庭で野菜を育てても見た。近くの村に市が立つ日には、親父の目を盗んで検定前の焼き物を持ち出し、道端で広げたりもした。あいつの検定なんて、いい加減なもんだ。俺が持ち出した焼き物も売れたよ。もちろん、大した金にはならなかったが。

 そういえば、一度だけ正面切って親父に金の話をしたことがあったな。あんときは、あいつなんて言ったっけ。

「親父、妹の体のこともあるし、いい加減にきっちりと金を稼いでくれよ。せっかく焼いたものを割らずに売れば、もっと金が入るじゃないか」

「馬鹿なことを言うな。いいか、お前、金なんていうのは、しょせん紙や金属片だ。そんなものを欲しがってどうするんだ」

「だけど、それが要るんだよ。それで必要なもんを買わなきゃ、やっていけねえじゃないか」

「金で物が買えるのは、その金に信用があるからなんだよ。お上がこの紙切れにはこれだけの価値があるってのを保証してくれるから、みんな単なる紙切れをありがたがっているんだ。俺だって、お前、作品を割る度に、その信用ってやつを稼いでいるんだぜ」

「なんで、焼き物を割って、信用が稼げるんだよっ」

「その肩の上に乗っている丸いもんを使って、ちっとは考えてみろ。質の悪い作品がこの俺の作品として出まわったらどうなる。俺の作品は芸術作品だ。その信用がいっぺんに吹っ飛んでしまうだろうが」

「そんなもんよりも、金のほうが大事にきまってるじゃねぇか。親父のいう信用じゃ、腹はふくれないじゃねぇか」

「なんだと、俺の芸術の価値がわからんのかっ。俺が苦労して高めた作品の信用が、やがて俺やお前たちを助けてくれるのだぞ。いいか、そもそもだな・・・・・・」

 ああ、そうだった。結局、親父の芸術論を長々と聞かされるハメになるだけで、なんの解決にもならないんだった。

 親父の言う「芸術作品の信用」なんて話は、まったくの夢物語だった。

 実際、貧乏生活の中で親父が身体を悪くしたときにも、「あの素晴らしい作品が作られなくなるから」と助けてくれる者など、ありはしなかったのだから。その逆に、「助けてください」と頼んだのに、「金がない者は来るな」という者は、いくらでもいたんだがな。

 結局のところ、金だ。

 自分のやりたいことだけをやった挙句、俺と妹を残してあっさりと死んでしまった親父から学んだのは、それだけだった。

 

 ボゴゥッ。

 グプン、グプン。

 

 そうだ、妹だ。 

 これが、俺の妹だ。どうだ、可愛い顔をしているじゃないか。

 だけど、俺とは大分年の離れたこの妹は、生まれながらに心臓に重い病気を持っていたんだ。

 子供の頃は日銭を稼ぐためにあまり学校に通っていなかったから、はっきりとは覚えていない。だけど親父が死んだのは、確か俺が小学校を卒業するかしないかの頃だった。

 親父が死んだあと、俺と妹は親戚に引き取られたんだが、一つのところに長く留まることはできなかった。

 まぁ、それは仕方がないことだとは思っている。

 単に親戚というだけで、心臓に病を患っている小さな子供とろくに学校にも通っていない悪がきを押し付けられたのだから。それも、遺産が付いてくるというのならば、別の話になるのだろうが、付いてくるのは親父が残した借金ときたもんだ。

 最後に俺が妹を連れて親戚の家を飛び出した時には、俺は十四、五にはなっていたはずだから、その間は、たらいまわしだったとはいえ、親戚連中に育ててもらったことになる。戦後の混乱もまだまだ収まっていなかったころだ。こんな俺たちに金を使ってもらって、なんともありがたいことだった。

 しかし、その厚意に甘えるのにも限度ってやつがあった。だから、俺は親戚の家を飛び出したんだ。

 妹の具合が少しずつ悪くなっていったんだ。そして、それに連れて必要となる金も大きくなっていったんだ。それは最後には、とても普通の家庭である親戚には頼ることができない金額になってしまったんだった。

「このままじゃ、金がないために妹が死んでしまう。そうだ、妹の為に、俺がもっと金を稼ぐんだ。方法はなんだっていい。いや、むしろまともな方法で、俺が大金を稼げるわけがない」

 俺はそう思ったんだった。

 ああ、よくある話だよ。だが、よくある話ってのは、まぁ、よくあるもんなんだ。

 

 ゴフッ。ゴフン。

 

 ここは、俺たちのシマだった、漁村だ。小さな漁村だよ。だが、あっちに見える大きく張り出した半島が北風を遮ってくれる。そのおかげで、冬の間も漁に出ることができる天然の良港を持っているんだ。

 漁に出るには漁業権ってものが必要になる。それに、ここらでやっていた巻き網漁は、複数の船で行う漁だ。人手もたくさん必要になる。

 何が言いたいのかっていうと、つまり、利権や人手の調整が必要なところには、裏の仕事がたくさんあったと言うことだ。

 小さなころから漁村に顔を出していた俺には、そっちの世界にも知り合いがいたんだ。

 俺は、金が欲しい。

 あちらは、若い奴が欲しい。

 学も技術もない俺には、ありがたかったね。

 妹の為に、金を稼ぐために、俺はどんな汚いことでも、喜んで与えられた仕事をしたもんだ。

 おかげさんで、オヤジ、ああ、あっちの世界でのオヤジのことだが、には重宝された。そのうちに、俺の下には、若い奴がつくようにもなったんだ。

 

 カフ・・・・・・。

 ・・・・・・クププ・・・・・・。

 

 そうだ、こいつらだよ。

 なんだ、そんな泣きそうな顔をして俺を見るなよ。泣きたいのは、こっちの方だ。あれだけの金を約束してやったじゃないか。

 そうだ、そうなんだ。

 俺たちはいわゆるヤクザもんだった。オヤジの下で、漁場をめぐる漁師同士の争いや日雇い労働人の手配などに食い込んでいた。なに、金が動く場所とは力が必要な場所だからな。俺達の力が必要な場所は、いくらでもあったわけだ。

 だが、急に金が、それも大金が、必要になってしまった。妹の病気が進行してしまったんだ。外国で心臓移植手術を受けでもしなければ、これ以上妹の命を長らえることはできないと、残念そうに首を振りながら医者が俺に伝えてきたんだ。

 金だ。金が必要だ。

 だが、言い換えれば、金があればいいんだ。

 結局のところ、金なんだ。

 俺は、漁業関係者の伝手をたどって、ロシアマフィアにコネをかけた。シャブだよ。手っ取り早く儲けるには、こいつが一番だ。ロシアの漁船が海上に遺棄したシャブを、漁港から船を出して回収するんだ。

 とはいえ、これはさすがに俺一人の手には余るんで、俺の下についている若い奴を使うことにした。だが、うちの組は薬物の取引は危険が大きいから絶対に手を出さない事としていたから、手伝いをさせた二人には大金を払うことを約束して、オヤジには知られないように気を付けたんだった。

 なに、金さえ払えば大丈夫だ。金の力は偉大だからな。命さえ、金次第だ。

 なのに。

 

「・・・・・・どうして、お前ら・・・・・・」

 腹に突然生じた熱い塊。それを両手で押さえながら何とか疑問を絞り出した俺に対して、二人は叫ぶようにして答えた。

「あんたが、俺たちを金で買おうとしたんじゃないすかっ」

「兄貴、信用していたのに、信用していたのにっ」

 二人が何を言っているのか、俺には全く分からなかった。ただ、確かなのは、一人が俺を羽交い絞めにしていて、もう一人の男の短刀が俺の腹に突き刺さっているということだった。

 ロシアの漁船が公海上に遺棄したシャブを回収するために、俺は部下が手配した漁船で深夜の港を出ていた。

 どこだ、約束のシャブはどこだ。巻き網漁に使用するブイをつけて、沈まないようにしているはずだ。

 約束の場所に到着して、どんな細かな変化も見逃さないように、注意のすべてを海上に向けていた時に、突然弟分二人に襲われたんだ。

「・・・・・・金か、・・・・・・金を自分たちの・・・・・・もんにしたいんか・・・・・・」

「違うっ。まだわかってくれないっすかっ。裏切られたからっす。信用を裏切られたからっすよっ」

「金なんて、何になるんすか。そもそも、この取引だって、嘘なんすよっ!」

 い、いま。こいつは。

 何と言ったんだ。

「俺たちを、俺たちの信用を裏切った兄貴を殺すため、ただそのために船を出したんすよ。露助との話なんて、進めてないっす」

「兄貴、どうして俺たちを信用してくれなかったんすか。金を出して、俺たちを買おうなんて・・・・・・。金を出して買ったものは、金を出されたら売ってしまう。そんなの、俺たちの世界では当たり前のことでしょうが」

「兄貴・・・・・・」

「俺たちの世界、信用がなきゃ、やっていけないんすよっ!」

 それが、俺が聞いた最後の人の声だった。

 

 二人は俺を船上から押し出した。俺の体は慣性に従って回転しながら、青黒い海へと落ちていった。

 

 死にたくない。妹の為に生きたい。

 いざとなれば、そんな気持ちなんて、どこにもありはしない。

 ただ。

 

 息がしたいっ。空気っ。空気っ。

 

 沈んでいるのか。浮いているのか。

 それすらもわからないが、俺の顔の周りには、冷たい水しかない。

 

 息を、息を吐きたい。

 

 駄目だ、口を開けたら、海、息が、息が、海、すいが。

 

 グバワァッツツツ!

 

 ゴボァッ。ボゴンゴポンッ。

 ガポッ、ガポッ。グワッ、ガフガフガフ・・・・・・。

 

 吐き出した空気の代わりに、入ってきたのは。

 口に、水が。沈む、しずんでいく。

 

 ゴフッ。ゴフン。

 

 喉の、奥まで、冷た・・・・・・い。

 くる・・・・・・・し・・・・・・い。く・・・・・・う。

 

 カフ・・・・・・。

 ・・・・・・クププ・・・・・・。

 

 口から、鼻から、細かな泡を吐き出しながら、俺の体は沈んでいく。

 

 クププルルル・・・・・・。

 

 ルル・・・・・・。

 

 吐き出すものもなくなった俺の体は、静かに海の底へと沈んでいく。

 沈んでいく。沈んでいく。

 水流が俺の体にあたっても、もはや、それに抗うことなどない。ただそれに合わせて、体の形を変えるだけ。

 トン、と海底が俺の体を受け止めたとき、最後まで肺の中にしがみついていた息が、無慈悲な海水によって、その居場所から追い出される。

 

 クプン。

 

 ゆらゆらと揺れながら、少しでも抵抗の少ないところを探しつつ上がっていくその橙色の球体は、子供の頃に俺が妹と見た、あの夕日の様だった。

 それは、少しでも早くみんなのところに行きたいと急くのか、かつて俺の体であったものには何の執着も見せずに、きらきらと月光を受けて輝く水面を目指す。

 

 そして、ようやく海面に顔を出し、外気に合流することができたそれは。

 

 小さな波が起こしたうねりを受けて。

 

 割れた。

 

                                   (了)