コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 第276話

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(これまでのあらすじ)

 月の巫女である竹姫と、その乳兄弟である羽磋。月の巫女としてではなく、素の自分の居場所が欲しいと頑張る竹姫に、羽磋は「輝夜」(かぐや)の名を贈り、自分が輝夜を望むところに連れて行くと約束します。それは二人だけの秘密でした。しかし、大砂嵐から身を守るために月の巫女の力を使った竹姫(輝夜姫)は、その大事な秘密を忘れてしまいます。月の巫女はその力を使った代償として自らの記憶・経験を失い、最悪の場合は、その存在が消えてしまうのです。それを知った羽磋は、輝夜姫が無事に生を全うして月に還ることができる方法を探すため、肸頓族の阿部の元へと旅立ったのでした。

 

※これまでの物語は、「月の砂漠のかぐや姫」のタブでご覧になれますし、下記リンク先でもまとめて読むことができます。

 

www.alphapolis.co.jp

 

 

【竹姫】(たけひめ)【輝夜姫】(かぐやひめ) 月の巫女とも呼ばれる少女。人々からは「竹姫」と呼ばれる。羽磋に「輝夜」(かぐや)という名を贈られるが、それは二人だけの秘密。

【羽磋】(うさ) 竹姫の乳兄弟の少年。貴霜(くしゃん)族の有望な若者として肸頓(きっとん)族へ出されることとなった。大伴の息子。幼名は「羽」(う)。

【翁】(おきな) 貴霜族の讃岐村の長老。夢に導かれて竹姫を拾い育てた。本名は造麻呂。

【大伴】(おおとも) 羽の父。貴霜族の若者頭で遊牧隊の隊長。少年の頃は伴(とも)と呼ばれていた。

【阿部】(あべ) 大伴の先輩で良き理解者。肸頓族の族長。片足を戦争で失っている。

【小野】(おの) 阿部の信頼する部下。片足を失くした阿部に代わっ

て、交易隊を率いている。小野と言う名前だが、30代の立派な成人。

【御門】(みかど) 月の民の単于(王)。

【冒頓】(ぼくとつ) 烏達渓谷の戦いで大敗した匈奴が月の民へ差し出した人質。匈奴の単于の息子。小野の交易隊で護衛隊長をしている。

【苑】(えん) 匈奴から冒頓に付き従ってきた従者の息子。成人していないので、親しいものからは「小苑」(しょうえん)と呼ばれる。

【王花】(おうか) 野盗の女頭目

【王柔】(おうじゅう) 王花の盗賊団の一人。交易隊の案内人。

【理亜】(りあ) 王柔が案内をしていた交易隊が連れていた奴隷の少女。

 

 

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【第276話】

 羽磋と王柔は「母を待つ少女」の昔話を知ってはいましたが、それは「少女」が砂像となってしまい、それを見た「母親」が大地の裂け目に飛び込んでしまうというところで終わっていました。しかし、濃青色の球体の中で母親の過去を追体験した結果、二人はその話に続きがあったことを知りました。裂け目に飛び込んだ「母親」は死んでしまったのではなく、地下に広がっていた空間の中で濃青色の球体へと変化していたことを、いまでははっきりと認識できるようになりました。

 その次の瞬間、彼ら二人の視界がパンッと明るい青色の光で満たされました。そして、眩しさのあまり目を閉じた二人がそろそろと目蓋を開けて辺りを見回した時には、過去の世界は消えていました。

 濃青色の球体に飲み込まれた直後と同じように、一面に灰色の雲が広がる空の下で、ゴウゴウと乱暴な音を立てながら渦巻いている風によって、彼らは空中を流されていました。稲妻の光でしょうか、分厚い雲の所々に刺すような黄色の閃光が浮かんでは消えています。羽磋たちが浮かび流されている大気自体が怒りを我慢しているかのように常に細かく震えていて、いつ何時それ自体が爆発しても不思議ではないほどの緊迫感が肌に伝わってきます。

 始めの時は、「ここには恐ろしい怒りが満ちている」と言うことしか感じられなかった二人でしたが、いまではそれ以上のものが感じ取れるようになっていました。それは、暗い場所から明るい場所に出てきた人が、当初は眩しさばかりが感じられて何も見えなくても、やがて目がその光に慣れてくると周囲の様子を見て取る事ができるようになるのに似ていました。

 羽磋と王柔が飲み込まれた濃青色の球体は、一度は命が助かると思った娘を失ったことへの深い悲しみ、そして、自分と娘へ過酷な運命を与えた自分たち以外の誰かへの激しい怒りをきっかけとして、「母を待つ少女」の母親が転じたものでした。その内部で吹き荒れる強烈な暗い念の嵐に対して、二人は一方的に押し流されるだけでした。でも、母親の過去を追体験してその気持ちに共感できるようになった後では、球体内部で荒れ狂う嵐にも「母親のどこにもぶつけることのできない感情の現れ」と理解できるようになっていたのです。そうしてこの世界を構築する大元の感情に触れることができた二人は、自分にぶつかって来る猛烈な風に目を閉じて身を固くするだけでなく、その向こう側にあるものを見て取ることができるようになったのでした。

 この球体内部の世界の中心にいたのは、一人の中年の女性でした。ボロボロにすり切れた衣服を身に纏い、酷く薄汚れた髪を元は白色でしたがいまでは赤土のせいで赤茶色に染まった頭布で覆ったその女性は、常人の数倍もの大きさがあるように見えました。 

 羽磋たちにはすぐにわかりました。母親です。この女性こそ、この濃青色の球体そのものとなった母親の意識体でした。その巨大な母親は伸び上がり両手を大きく広げ、ギザギザと尖った叫び声を上げていました。もともとこの球体の内部は絶望と悲しみと怒りで満ちていましたが、いまの彼女は特定の何かに対して激しい憤りを覚え、それを攻撃しようとしていることが、羽磋たちにも伝わってきました。

 その彼女の前には小さな少女がいました。まるで子羊に襲い掛かろうとするオオカミのような勢いで叫び声をあげる母親に対して、少女はひざまずいて両手を胸の前で合わせながら必死に何かを訴えていました。少女が身体を動かす度に、印象的な赤い髪が大きく揺れ動きました。この小さな少女こそは、羽磋と王柔が追いかけていた理亜でした。

 目に続き耳の方もこの世界に馴染んできたのか、羽磋と王柔の耳に母親が激しく感情を昂らせながら理亜を責める怒声と、彼女に何かを必死に訴える理亜の涙声が伝わってきました。

「なんだ、なんなんだっ! お前は誰だあっ!」

「あたしダヨ! お母さん、あたしダヨ! 由(ユウ)ダヨ!」

「まだ、そんな大嘘を言うのかっ! 一時はそのような気も感じたが、間違いだった。お前が娘の由のはずはない。お前のその髪は何だ。この呪われたゴビの赤土のような赤い髪はっ。由は月より来たものを祖とする誇り高き月の民の娘。美しい黒髪を持っていたのだぞっ!」

 母親の声は雷鳴のようにバリリッっと空気を震わし、彼女が発する怒気はそれ自体をはっきりと目で見ることができると思えるほど、小さな理亜に向けて荒々しく叩きつけられていました。

 それは巨大な滝の下で落下してくる水を全身に浴びるかのような、とてつもない圧力でした。誰であろうともこのような恐ろしい相手に正面から責められれば、たとえ自分に覚えがないとしても、相手の言う通りに非を認め、泣いて許しを請わずにはいられないと思われました。

 でも、理亜は違っていました。

 母親の怒号と威圧に身を小さくしブルブルと震えながらも、顔をしっかりと上げ彼女の方を見ながら、訴えを続けているのでした。