(これまでのあらすじ)
自分は人外の存在だからと疎外感を感じる竹姫に、羽は、自分を含めて皆が竹姫を好きであることを伝え、自分が大人になったらこの月の砂漠を超えてどこまでも竹姫を連れていてやると、約束します。そして、竹姫に、自分の魅力に気付いてほしいという想いと、約束の証という意味を込めて、「輝夜姫」の名を贈ったのでした。
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【第15話】
グウエエエエ・・・・・・。
ギェ、グウウウウゥエ‥‥‥。
何やら暖かな世界に浸っていた二人は、駱駝が不安げに鳴く声で、急に現実に引き戻されました。
「なんだろう、羽。駱駝たちが不安そうにしてるよ」
先ほどまで、アカシアの茂みの脇でときおり葉を噛みちぎりながら大人しくしていた駱駝が、今は、前足に結わえられた紐がさも邪魔で仕方がないとでも言うかのように鳴きながら、しきりに身体を動かしています。
また、先ほどまで感じていた砂漠に常に吹き続けている風とは異なる、もっと強くて重い風が、二人の身体にぶつかってきていました。そして、その風の勢いは段々と強くなってきて、砂漠の窪みにいる二人に、吹き飛ばされてきた砂粒がバチバチとぶつかってくるようになりました。
砂漠の天候は非常に変わりやすいものです。さっきまで晴れていたとしても、急に砂嵐に巻き込まれることがあります。
「とりあえず、様子を見よう。た・・・輝夜、駱駝を引いて上に上がろう」
自分の心の中に急に広がってきた不安を表に出さないように、落ち着いた声で話すように心がけながら、羽は、駱駝の足紐をほどいて手綱を引き窪みから上にあがるようにと、輝夜姫に指示しました。
何かとても嫌な予感がします。自分の駱駝の足紐を緩めるためにしゃがみながら、羽はそっとまじない言葉をつぶやきました。
この二頭の駱駝は、騎乗できるように飼い慣らされ訓練を施されたものです。なにかにおびえた様子を見せていましたが、二人に手綱を取られると、少し安心したかのように鼻面を寄せてくるのでした。二人は、それぞれ一頭の駱駝を引き、落ち着かせるように鼻面や首筋をなでてやりながら、砂地の斜面を登っていきました。
風の勢いは、先ほどまでとははっきりと異なるものとなってきていました。斜面を登る二人の顔には次々と砂粒が当たります。砂漠に広がっている砂は目の細かい粒でしたが、勢いよく飛んできて顔に当たるととても痛くて、二人は、頭に巻き付けていた白い布をほどき、目元を残して顔を覆わなければならないほどでした。もちろん、砂粒を巻き上げながら吹き降ろしてくる風に向って、顔をあげて進むことなどできません。二人は下を向き、ときおり、目を手で覆って砂粒から守りながら、一歩一歩足を進めて行かなくてはいけませんでした。
降りるときの何倍もの時間と労力をかけて、ようやく斜面を登り切って周りが見渡せるようになった時、二人の前に広がっていた砂漠の景色は、先ほどまでとは全く異なるものになっていました。
二人の頭上には、うっすらと雲がかかり始めてきたものの、月星が深い藍黒の夜空を飾り立てています。でも、地上に目を転じてみると、先ほどまでのように、夜空と地上が合わさるところまで見通すことはできなくなっています。何かが視界を遮っているのです。右から左へぐるっと見渡してみても、砂漠の先の方で視界一杯に途切れることなく広がった大きな壁のようなものが立ち上がっているのです。それは、すべての光を吸収するかのように真っ暗で、その壁の向こう側で輝いているはずの星は完全に隠されてしまっています。それとは対照的に、壁のさらに上には、薄く広がった雲を透して星々が輝く夜空を確認できます。また、その壁の中には、黒い筋が何本かゆらゆらと踊っています。
そうです、砂上にはどこか奇妙で非日常的な風景が出現しているのでした。そして、さらに恐ろしいことには、その壁はどんどんどんと膨張しながら、二人がいる方向へと進んできているのでした。
「まずいっ。ハブブだ」
増々強くなってきた風に飛ばされないように口元の布を抑えながら、羽がつぶやきました。どうやら、羽には、この壮大な自然現象に心当たりがあるようでした。
余りに想像を超えた光景に、声を出すこともできなかった輝夜姫は、耳に入った聞きなれない言葉に、羽の方へ振り向きました。羽に問いかける声は、少し震えていました。
「あの壁、雲の壁みたいなあれが何か知っているの、羽? どんどん大きくなってこっちに近づいてくるみたいだけど」
羽は、どうすれば輝夜姫を心配させないで済むのか少し考えてから、ゆっくりと答えました。
「あれは、ハブブと言われている、なんというか、砂嵐のものすごく大きいものだよ」
月の民はゴビで生活する遊牧民族です。砂嵐は砂漠においてしばしば発生する自然現象ですから、羽はもちろん何度も遭遇したことがありますし、輝夜姫も、ここまでの遊牧隊との旅で砂嵐を経験しています。
その砂嵐は、程度の差はありますが、突然湧き上がってきた風と砂で視界が遮られて身動きが取れなくなり、飛んでくる砂の痛みにじっと耐えないといけないものではありましたが、命の危険を感じるようなものではありませんでした。
「砂嵐? あれが‥‥‥。今まで見たものと全然違うよ‥‥‥」
でも、いま目の前に広がっている黒い砂嵐の壁は、かつて経験した砂嵐とは比べることのできないほど強大で、圧倒的で、それに追いつかれたら二度と外に出てこられないのではないかという怖れを、輝夜姫に抱かせるものでした。