コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。宜しければ、ひとときおつきあいください。

【掌編小説】 雨の呪い

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 私は手紙を書いている。

 

 私はいわゆる金貸しだ。他人に金を貸し、利息と共に返済を受け取ることを生業としている。

 もっとも、法律を破って業を行っているわけではない。法に定められた利率を超える設定をしたところで、それでも金を借りようとする者、つまり、正規の金融業者から金を借りられなかった者から貸した金を回収する手間や貸し倒れのリスクを考えれば、大した利益にはならないからだ。もちろん、官憲による摘発の恐れも考えればなおさらだ。

 そんなところに手を出さなくても、法律を裏側から眺めるだけで、上手く利益を上げることができるのだ。そう、それを利用することで、債務者から、長く確実に利益を回収することができる。「債務者は生かさず殺さず」とはよく言ったものだ。

 汚いことなどではない。法律の範囲でやっていることだ。それに、彼らは自分から進んで私のところへ金を借りに来たのだ。私は彼らの頼みを聞き、金を貸し、彼らを助けてやったのだ。金を借りた者が、それを返すのは当然のことではないか。「借りたものを返さない」、それこそ極悪非道というものだ。

 私は金を貸す。担保の有り無しは問わない。

 法律の範囲で、利率を設定する。

 期限が来れば、金利と債権を回収する。猶予はしない。

 もちろん、支払いの期限になってから、「もう少し待ってくれ」と虫のいいことを言ってくる輩もいる。当然、待たない。期限については、始めにお互い合意して契約したのではないか。自分の都合だけを一方的に訴えるこのような輩と同じ空気を吸っていると思うと、わたしはそれだけで気分が悪くなる。法律の範囲で回収するとしても、なに、方法はいくらでもあるものだ。借りたけれども返さない奴が悪いのだ。私は悪くない。私は彼らのような汚い愚かな人間ではないのだ。

 

 先日、私の事務所に一本の電話があった。

 その電話は、不振に陥った家業の運転資金が必要だというのでまとまった金を貸し付けているAの返済について、相談をしたいというものだった。

 電話をかけてきた相手は、Aの代理人を名乗る男だった。少年のような声からすると、かなり若い男だ。

 興味をそそられた私は、会見場所に指定された洋食屋に出向くことにした。なに、恐れることはない。法律は私の味方だ。

 

 私は手紙を書いている。震える手を励ましながら書いている。

 

 当日は雨だった。指定された洋食屋は赤レンガ造りの小さなもので、ガス灯の明かりに照らされると、雨の中に浮かび上がっているようだった。

 蝙蝠傘を折りたたみ、店の中に入って名を告げると、奥の個室に案内された。そこには、既に代理人らしき男が座っていた。それも上座にだ。驚くことに、若いだろうと私が考えていたその男は、まだ少年と言っていいような年ごろで、長く伸びた黒髪が肩にかかっていた。黒一色のスーツを身にまとい、傍らの帽子掛けには、彼のものにしては少し大きめの黒い山高帽がかけられていた。

「やあ、お待ちしていました。足元の悪い中、御足労をおかけしました。どうぞお座りください」

 堂々とした彼の態度に私は驚いた。大方の場合、債務者側の態度はおどおどとしているかケンカ腰かのどちらかだからだ。そして、私をまっすぐに見つめる彼の瞳といったら、これほどに、怪しく不思議な光をたたえる瞳を私は見たことがなかった。

「お待たせしたようですね。何、私は雨が好きなのです、お気になさらずに」

 知らず知らずのうちに、私は彼に圧倒されていたのだろうか。何の違和感も覚えることなく、私は下座に腰を下ろした。

「お話は食事を楽しみながらにしましょうか。なかなかいい料理を出す店ですよ」

 そう彼が話す通り、仏蘭西で修業をしたというシェフが作る料理は、丁寧で気の利いたものだった。

 

 スープで冷えた体が温まった頃、ようやく仕事の話となった。

 Aの友人で代理人を務める彼(なんと、本職は探偵とのことだ)の相談とは、返済の繰り延べについてだろうという私の予想とは異なっていた。

 その内容を要約するとこうだ。

『Aは、家業の経営が悪化した結果、借りた金の返済ができなくなった。ついては、自ら命を絶つので、加入している生命保険の支払いを返済に充てることにして欲しい。』

「もっと前に店を畳んでいれば、ここまで大きな問題にはならなかったのでしょうが、なまじ運転資金を調達したために、破綻したときの負債額は大きくなりすぎていました。そのため、どうしても返済の見込みが立たなかったのでしょう。真面目な人でした」

 パンをちぎりながら、淡々と話す彼の口調には、私を非難する調べはない。

 当然、私も自分に非があるとは思わない。ただ、彼の望みに応じて、運転資金を用立ててやっただけだからだ。また、生命保険が既に払われていて現金とし返済が行われるのでも、支払い見込みの債権として受け取るのでも、貸した金と利子の回収ができるのであれば異論はない。正直、金を貸した相手が死のうが生きようが、私は興味がないのだ。

 支払いの時期等についての事務的な話の中で、彼が私に尋ねた。

「ところで、貴方は雨が好きだとおっしゃいましたが、どうしてですか」

「ああ、珍しいですか。こういう仕事をしていると、どうしても人間や社会の汚いところを見ることが多いのです。でも、雨は良い。雨上がりの街のすっきりとした様子はどうですか。きっと、雨が人間や社会にある穢れをすべて洗い流してくれるのだと思うのです」

「なるほど。雨が穢れを洗い流してくれる、ですか」

 小さくつぶやきながら、彼が中性的な美しい笑みを口元に浮かべたのが、とても印象的だった。

 

 次に、給仕が運んできた料理は、こんがりと焦げ目がついた皮が見た目にも食欲をそそる、鱸のパイ包みだった。

「これが、この店の名物なのです。さあ、いただきましょう」

 彼は私に語り掛けると、ナイフでパイ皮に切れ目を入れた。熱い湯気が立ち上り、個室に鱸と香草の香りが広がった。

 そして、私が自分の料理に手を付けようとしたその時、何気ない体で、彼はこう言葉を続けた。

「ところで、洗い流された穢れはどこに行くんでしょうね」

「どこ、と言いますと」

 私は、ナイフとフォークを両手に持ったまま、何気なく彼に問い返してしまった。かてて加えて、彼の瞳を見てしまったのだ。ああ、彼の怪しく輝く大きな瞳には、何も映ってはいなかった。私はもう、その瞳から視線を逸らすことができずに、ただ、彼の話に聞き入るしかなかった。

「雨が洗い流した穢れは、もちろん、溝などを伝って川へ流れ込み、やがては海へ届くのではないでしょうか。生物濃縮という言葉を御存知ですか。自然界に溶け込んだ物質は食物連鎖によってどんどんと濃縮されるという考え方です。さて、海へ流れ込んだ穢れは、プランクトン等へ取り込まれます。そして、それを小魚が食べ、さらに、その小魚を大きな魚が食べることによって、穢れも濃縮されていくのではないでしょうか」

 ゆっくりと、彼は、微笑みながら、鱸を切り分けた。

「ちょうど、この鱸のように大きな魚にです」

 私は、彼の瞳から視線を逸らせないままであるのに、まるで彼の行動を写し取るように、自分の鱸を切り分けた。

 すると、私の鱸から立ち上がったのは、白い湯気でも香ばしい香りでもなく、ヘドロのような黒色と血のような赤色が混じり合った煙であった。それは、まるで、パイ皮の切れ目から、都市の陰部の夜が流れ出たかのようだった。

 

 夜の中では、誰かが誰かを殴っていた。汚れた服を着た子供たちは路上で物乞いをし、片隅に追いやられ、そして、盗みを働いた。街角に立つ女たちは、自分たちが病に侵されていることを知っていた。石畳を大きな声をあげながら男が走っていた。

「戦争だ、戦争が始まるぞ。帝国は立ち上がった」

 巨大な工場は煙突から黒い煙を吐き続けていた。この煙が止まるときに工場は死ぬのだ、吐き続けなければならない。どこからでもいい、なんでもいい、燃やすものを調達しろ。煙突からたなびく黒煙はやがて黒雲と一つになり、街に雨が、ああ、雨が落ちてきた。雨音が響いた。どこか遠くでサイレンが鳴り始めた。軍靴が石畳を蹴る規則正しい音が大きくなってきた。子供たちは路上から逃げ出した。そして、その街の片隅、人通りがない商店街の小さな店の奥では、痩せた男が一人、鴨居から紐でぶら下がっていた。ゆらーりゆらりと揺れていた。

 やがて、雨水は川へ流れ、海へとたどり着いた。私はプランクトンに吸収された。その私は小魚の胃に入り小魚となった。海の表層を仲間たちと泳いでいた私は、大きな鱸に追いかけられた。泳ぐ速さではかなわない。なんとか小回りを利かせて逃げようと尾びれを振ろうとしたときには既に、私の下半身は喰いちぎられていた。私の口から赤い何かが漏れ海水と混じり、やがて消えた。残った私の半身もすぐに鱸に喰われるのだろう。そして‥‥‥。

 

「どうかなさいましたか」

 私は彼の言葉で我に返った。幻でも見ていたのだろうか、個室の壁は落ち着いた調度で整えらえれており、黒い煙などはどこにも見当たらなかった。

 私の皿からは、魚と香草の食欲をそそる香りが立ち上がっていた。

「お召し上がりください。美味ですよ」

 自分の料理を口に運んだ彼が私に勧めた。私も切り取った身を口に入れようとした。だが、視線を下におろしたときに、何ということだろう、パイ皮で作られた魚が私にウインクをして見せたではないか。

 食欲をなくしてナイフとフォークを置いた私に対して、微笑みかける彼。

「こんなに美味しいのにもったいない。召し上がらないのでしたら、僕がいただきますよ」

 私には、彼の無邪気な態度や言葉とは裏腹に、その瞳の奥底で悪魔と鬼が手を取り合ってダンスを踊っていることが感じられた。

 

 私は手紙を書いている。震える手を励まして手紙を書いている。貴方に届くようにと。

 

 私は、途中で席を立ったその会食以来、何も食べることができていない。水を飲むことすらもできていない。

 握り飯を頬張ろうとしたところ、それは手の中で異臭を放つ死肉の塊となった。鮎の塩焼きをつつこうとしたところ、それが皿の上から空中に飛びあがり、とても考えられないほど大きく開いたその顎で私を飲み込んだ。喉の渇きを覚え、水を飲んだところ、水が内腑に染み渡るのと同時に、「あいつだけどうして」、「どうして俺は駄目なんだ」、「おまえなんか死んでしまえ」などの嫉みや妬みの言葉が私の頭に染み渡った。

 そう、そのとおりだ。雨が洗い流した穢れが、私のところに集まってきているのだ。

 

 私は、もう、長くはないだろう。

 ただ、私はこのまま静かに消えていくことを、是とするつもりはない。私の体内でもまた、穢れが濃縮されているのだろうから。

 だから。

 

 私は手紙を書いている。震える手を励ましながら書いている。貴方に届くようにと。貴方にも雨の呪いが降りかかるようにと。そう願いながら、この手紙を書いているのだ。