コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 第267話

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(これまでのあらすじ)

 月の巫女である竹姫と、その乳兄弟である羽磋。月の巫女としてではなく、素の自分の居場所が欲しいと頑張る竹姫に、羽磋は「輝夜」(かぐや)の名を贈り、自分が輝夜を望むところに連れて行くと約束します。それは二人だけの秘密でした。しかし、大砂嵐から身を守るために月の巫女の力を使った竹姫(輝夜姫)は、その大事な秘密を忘れてしまいます。月の巫女はその力を使った代償として自らの記憶・経験を失い、最悪の場合は、その存在が消えてしまうのです。それを知った羽磋は、輝夜姫が無事に生を全うして月に還ることができる方法を探すため、肸頓族の阿部の元へと旅立ったのでした。

 

※これまでの物語は、「月の砂漠のかぐや姫」のタブでご覧になれますし、下記リンク先でもまとめて読むことができます。

 

www.alphapolis.co.jp

 

 

【竹姫】(たけひめ)【輝夜姫】(かぐやひめ) 月の巫女とも呼ばれる少女。人々からは「竹姫」と呼ばれる。羽磋に「輝夜」(かぐや)という名を贈られるが、それは二人だけの秘密。

【羽磋】(うさ) 竹姫の乳兄弟の少年。貴霜(くしゃん)族の有望な若者として肸頓(きっとん)族へ出されることとなった。大伴の息子。幼名は「羽」(う)。

【翁】(おきな) 貴霜族の讃岐村の長老。夢に導かれて竹姫を拾い育てた。本名は造麻呂。

【大伴】(おおとも) 羽の父。貴霜族の若者頭で遊牧隊の隊長。少年の頃は伴(とも)と呼ばれていた。

【阿部】(あべ) 大伴の先輩で良き理解者。肸頓族の族長。片足を戦争で失っている。

【小野】(おの) 阿部の信頼する部下。片足を失くした阿部に代わっ

て、交易隊を率いている。小野と言う名前だが、30代の立派な成人。

【御門】(みかど) 月の民の単于(王)。

【冒頓】(ぼくとつ) 烏達渓谷の戦いで大敗した匈奴が月の民へ差し出した人質。匈奴の単于の息子。小野の交易隊で護衛隊長をしている。

【苑】(えん) 匈奴から冒頓に付き従ってきた従者の息子。成人していないので、親しいものからは「小苑」(しょうえん)と呼ばれる。

【王花】(おうか) 野盗の女頭目

【王柔】(おうじゅう) 王花の盗賊団の一人。交易隊の案内人。

【理亜】(りあ) 王柔が案内をしていた交易隊が連れていた奴隷の少女。

 

 

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【第267話】

 

 

 母親は村を出ることを決意しました。

 娘の病が良くなったわけではありません。むしろ、その逆です。娘の熱は一向に下がらず、このままでは、その小さな体が耐えきれなくなりそうでした。

 では、どうして母親はそのような状態の娘を残して、村を出ることを決めたのでしょうか。そして、彼女はどこへ、何をするために、行こうというのでしょうか。

 それは、彼女が「どうか娘を助けて下さい」と懇願するために何度か目に長老を訪ねた際の事でした。この恐ろしい病に関しては長老にも何の知識もなく、風邪をひいた時と同じように「身体を休めるように」程度の助言しか与えられていませんでした。この病は村中に広がっていて、長老にしても適切な指示を与えてやれない自分に、忸怩たる思いを強く感じていました。そのためだったのでしょう、またもや良い助言を得られずにがっくりと肩を落として帰ろうとする母親が天幕から出る前に、彼の口からポロリと独り言が零れ落ちてしまったのでした。

「こんな時に、あの薬草でもあれば……」

 この独り言を耳にした母親はガバッと長老の方へ振り向くと、間髪入れずにその膝に取りすがりました。そして、「薬草ですか、それがあれば娘は治るのですか。教えてくださいっ、教えてくださいっ!」と、必死の形相で請い願いました。長老はその時になって、伝説でしかない万病に効く薬草の事を、自分がうっかりと口にしてしまったことに気がついたのでした。

 その薬草に関する話は、知識や知恵とは呼ぶことのできない程おぼろげなものでした。それは代々の長老に語り継がれた昔話の中に出てくるものであって、この長老にしても実際にそれを見たことがないどころか、それを使った者の話を聞いたこともありませんでした。それに、その昔話は村から遠く離れた祁連山脈を舞台としていましたから、「万に一つの可能性に掛けてその薬草を探す」ということも困難でした。

 そのため、「病を癒すことができるかもしれない」と希望を持たせた後で、すぐに「その薬草は幻のものなのだ」と絶望させることになるだけですから、長老は病を治す方法を聞きに来る村人の誰にも、この伝説の薬草の話はしていなかったのでした。ところが、あまりにもこの母親の熱意が強かったために、長老の口からこの伝説の薬草のことが、ついつい繰り言となって出てきてしまったのでした。

 長老を見上げる母親の目はギラギラと異様なほどに輝いていて、長老の膝を掴む指にもギリギリと強い力が加わっていました。もはや、この薬草の話をせずに母親を帰らせることはできないでしょう。

 長老は諦めたようにホウッと深いため息をつくと、「これは代々の長老に伝わっている昔話で、実際にあるかどうかもわからないのだが……」と断りを入れてから、伝説の薬草の話を始めました。

 それは祁連山脈の高地に咲くと言われる薬草で、月の光を花の形にまとめたような、輝きを帯びた白色の美しい花弁を持つとされていました。厳しい寒さと激しい風に鍛えられ霊的な力を蓄えたその薬草はいくつかの昔話の中に登場し、それを手に入れた者が病の回復を祈りながらそれを磨り潰して病人に与えると、もはや死を待つしかないと思われている病人でも奇跡的に健康を取り戻すと語られていました。

 もっとも、それはどの昔話の中でも非常に希少な薬草とされていて、ある話ではそれを求めて王様が軍勢を山に登らせたが誰も帰ってこなかったとされており、また別の話では、それを購入するために他国から金銀を摘んだ荷車が月の民にやって来たとされているほどでした。唯一、登場人物がそれを手に入れることができた昔話でも、病気の妻を救うために祁連山脈に入った夫が、山襞の奥にある竹林に祭壇を設け、満月が欠け始めてから再度満月に戻るまでの間そこで一心不乱に祈った結果、ユキフクロウに姿を変えてその薬草を咥えて病気の妻の元へ戻って来ることができたとされていて、昔話の中でも無事に薬草を手にして戻ってきた者はいないのでした。

 薬草の話をし終えた長老は、心配して母親の顔を覗き込みました。話を聞き終えた時からずっと、彼女の身体がブルブルと震えていたからです。長老は、心配していた通り、この薬草の話を聞いた母親が大きな絶望を感じてこの場で死んでしまうのではないか、とさえ思ったのでした。

 でも、その長老の心配は当たっていませんでした。

 覗き込んでいた長老の顔にぶつかりそうになるぐらい母親は勢い良く立ち上がると、彼の右腕をギュッと自分の両腕で抱え込みました。その力は驚くほど強く、長老は身動きができなくなったほどでした。

 母親は興奮の極致にありました。愛する娘を助ける方法が見つかったと思ったのでした。彼女は長老の顔を見上げると、唾を飛ばしながら矢継ぎ早に大きな声を出しました。

「長老様、ありがとうございます! ありがとうございます! お陰様で娘は助かります! いえ、あたしが助けます! 今から薬草を取りに行ってきます! その間、娘をお願いいたします! ああ、嬉しい! 嬉しいっ!」