コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 第266話

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(これまでのあらすじ)

 月の巫女である竹姫と、その乳兄弟である羽磋。月の巫女としてではなく、素の自分の居場所が欲しいと頑張る竹姫に、羽磋は「輝夜」(かぐや)の名を贈り、自分が輝夜を望むところに連れて行くと約束します。それは二人だけの秘密でした。しかし、大砂嵐から身を守るために月の巫女の力を使った竹姫(輝夜姫)は、その大事な秘密を忘れてしまいます。月の巫女はその力を使った代償として自らの記憶・経験を失い、最悪の場合は、その存在が消えてしまうのです。それを知った羽磋は、輝夜姫が無事に生を全うして月に還ることができる方法を探すため、肸頓族の阿部の元へと旅立ったのでした。

 

※これまでの物語は、「月の砂漠のかぐや姫」のタブでご覧になれますし、下記リンク先でもまとめて読むことができます。

 

www.alphapolis.co.jp

 

 

【竹姫】(たけひめ)【輝夜姫】(かぐやひめ) 月の巫女とも呼ばれる少女。人々からは「竹姫」と呼ばれる。羽磋に「輝夜」(かぐや)という名を贈られるが、それは二人だけの秘密。

【羽磋】(うさ) 竹姫の乳兄弟の少年。貴霜(くしゃん)族の有望な若者として肸頓(きっとん)族へ出されることとなった。大伴の息子。幼名は「羽」(う)。

【翁】(おきな) 貴霜族の讃岐村の長老。夢に導かれて竹姫を拾い育てた。本名は造麻呂。

【大伴】(おおとも) 羽の父。貴霜族の若者頭で遊牧隊の隊長。少年の頃は伴(とも)と呼ばれていた。

【阿部】(あべ) 大伴の先輩で良き理解者。肸頓族の族長。片足を戦争で失っている。

【小野】(おの) 阿部の信頼する部下。片足を失くした阿部に代わっ

て、交易隊を率いている。小野と言う名前だが、30代の立派な成人。

【御門】(みかど) 月の民の単于(王)。

【冒頓】(ぼくとつ) 烏達渓谷の戦いで大敗した匈奴が月の民へ差し出した人質。匈奴の単于の息子。小野の交易隊で護衛隊長をしている。

【苑】(えん) 匈奴から冒頓に付き従ってきた従者の息子。成人していないので、親しいものからは「小苑」(しょうえん)と呼ばれる。

【王花】(おうか) 野盗の女頭目

【王柔】(おうじゅう) 王花の盗賊団の一人。交易隊の案内人。

【理亜】(りあ) 王柔が案内をしていた交易隊が連れていた奴隷の少女。

 

 

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【第266話】

 彼女が祈りを中断した時と言えば、長老に会いに行く時ぐらいしかありませんでした。遊牧民族は代々の知恵を口伝えで後代に託していくのですが、それを一番多く知っている者が長老なのです。長老の前に出た彼女は文字通り地に伏して、この病気を治すにはどうしたら良いか、どうにかして娘の命を助けていただけないかと、涙ながらに尋ね、また、すがるのでした。

 もちろん、長老は村の指導者でもありましたから、母親に問われるまでもなく、この流行り病に対して大変心を痛めており、村の知恵者と相談したり交易路を渡って来た者から情報を得たりして、治療法を探し続けていました。でも、残念ながら長老にも病気を治す良い方法はわからず、その母親が何度やってきても、「栄養のあるものを与えて安静にするように」としか、助言を与えることができないのでした。

 

「羽磋殿、なんですか、これはっ」

 経験したことが無いほどの強風が吹き抜ける中、王柔は空中でグルグルと回転しながら、同じように風に弄ばれている羽磋に対して大声を上げました。

 自分が見ているたくさんの場面は、どれも濃青色の球体の内部にあるはずがないものです。それに、自分自身が娘を持つ母親になっているように感じるなんて、これまでに考えたことさえありません。さらに言えば、自分たちはいま嵐の中で風に吹き飛ばされているように思えますが、いくら球体が大きいとは言っても、このこと自体がおかしなことです。

 何が、どうして、どのようになっているのか。

 王柔には、わかることが一つもありませんでした。

 でも、羽磋には思いついたことがあったのでした。地下の洞窟や大空間の中で経験したこと、そして、そこで見た理亜の様子から、大空間の中で丘の斜面を駆け上がる直前に「ひょっとしたら・・・・・・」というところまで考えが至っていました。その思いつきがあまりにも突拍子のないことであったので、自分でもそれが本当の事だと信じ切れないでいたのですが、ここで見せられたたくさんの場面が自分のその思いつきが正しいものだと示しているように思えたのでした。

 羽磋は一つの大きな決断を下したようなキッとした表情で、王柔に答えました。

「わかりませんか、王柔殿っ!」

「何がですか、羽磋殿っ。僕には、僕には、さっぱりわかりません!」

 王柔は強風に体勢を崩されながらも、水中を泳ぐようにして羽磋の近くへ寄ってきました。明らかにこれも有り得ないことなのですが、夢の中で過ごす時のように、王柔は細かなことは気にならなくなっていました。

「王柔殿!」

 羽磋も王柔の顔の近くに自分の顔を寄せ、強風の立てる音に負けないように大声を出しました。

「これは、母親の記憶ですよ!」

「それはわかります! 確かに母親になってました、僕はっ」

「違います、いや、そうです!」

 自分の考えに興奮しているのか、羽磋の言葉も乱れていました。自分がこれから話すことが普通には信じられないようなことであることは、自分でも良くわかっていたのです。それでも、羽磋はその考えが正しいという内なる声に従って、それをはっきりと声に出しました。

「王柔殿っ。僕たちが見たり感じたりしているのは、母親の記憶です。それも、あの『母を待つ少女』の母親なのですっ」

「ええっ、あの『母を待つ少女』の母親っ! そんなことがあるんですかっ!」

 王柔の目が大きく開かれました。そして、もっと言いたげに彼の口も大きく開かれましたが、それ以上の言葉は出てきませんでした。

 「母を待つ少女」。それは月の民を始めとするゴビに生きる遊牧民族の間で、古くから言い伝えられている昔話です。それがあまりにも有名な昔話であったことから、ヤルダンの中に数多くある奇妙な形をした砂岩のうちの一つが、話の中に出てくる少女のように手を伸ばして誰かを待っているように見えるとして、いつしか「母を待つ少女の奇岩」と呼ばれるようになったほどです。

 どういう不思議な力が働いたのか、その奇岩は動き出した上にサバクオオカミの奇岩を率いて、王花の盗賊団や冒頓たちの護衛隊と戦いを繰り広げています。羽磋や王柔たちも実際にその戦いに巻き込まれていましたし、理亜の身体に起きている不思議の原因ではないかと母を待つ少女の奇岩を目指していましたから、「母を待つ少女」の奇岩がヤルダンにあること自体にはまったく驚きは感じません。

 ただ、それは「昔話にちなんで名づけられた奇岩」だと、王柔は思っていました。あくまでも、奇岩は奇岩であって、昔話は昔話だと。でも、羽磋は言いました。いま自分が感じたり見たりしているのは、母を待つ少女の母親のものだと。それは、つまり・・・・・・。

 ブゥワ、ゴウウウッ!

「うわっ!」

 その時、急に風の向きが、王柔の顔の正面から吹き付けるように変わりました。大きく目を開いていた彼は、慌ててギュッと目を閉じました。すると、何も見えなくなるはずなのに、彼の心の中には赤茶色のゴビが広がる世界が浮かび上がってきました。またもや、羽磋が言う「母親の記憶」が、王柔の中に流れ込んできたのでした。