コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。また、短編小説集をBOOTHで発売しております。https://syuuhuudou.booth.pm/

月の砂漠のかぐや姫 第299話

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(これまでのあらすじ)

 月の巫女である竹姫と、その乳兄弟である羽磋。月の巫女としてではなく、素の自分の居場所が欲しいと頑張る竹姫に、羽磋は「輝夜」(かぐや)の名を贈り、自分が輝夜を望むところに連れて行くと約束します。それは二人だけの秘密でした。しかし、大砂嵐から身を守るために月の巫女の力を使った竹姫(輝夜姫)は、その大事な秘密を忘れてしまいます。月の巫女はその力を使った代償として自らの記憶・経験を失い、最悪の場合は、その存在が消えてしまうのです。それを知った羽磋は、輝夜姫が無事に生を全うして月に還ることができる方法を探すため、肸頓族の阿部の元へと旅立ったのでした。

 

※これまでの物語は、「月の砂漠のかぐや姫」のタブでご覧になれますし、下記リンク先でもまとめて読むことができます。

 

www.alphapolis.co.jp

 

 

【竹姫】(たけひめ)【輝夜姫】(かぐやひめ) 月の巫女とも呼ばれる少女。人々からは「竹姫」と呼ばれる。羽磋に「輝夜」(かぐや)という名を贈られるが、それは二人だけの秘密。

【羽磋】(うさ) 竹姫の乳兄弟の少年。貴霜(くしゃん)族の有望な若者として肸頓(きっとん)族へ出されることとなった。大伴の息子。幼名は「羽」(う)。

【翁】(おきな) 貴霜族の讃岐村の長老。夢に導かれて竹姫を拾い育てた。本名は造麻呂。

【大伴】(おおとも) 羽の父。貴霜族の若者頭で遊牧隊の隊長。少年の頃は伴(とも)と呼ばれていた。

【阿部】(あべ) 大伴の先輩で良き理解者。肸頓族の族長。片足を戦争で失っている。

【小野】(おの) 阿部の信頼する部下。片足を失くした阿部に代わっ

て、交易隊を率いている。小野と言う名前だが、30代の立派な成人。

【御門】(みかど) 月の民の単于(王)。

【冒頓】(ぼくとつ) 烏達渓谷の戦いで大敗した匈奴が月の民へ差し出した人質。匈奴の単于の息子。小野の交易隊で護衛隊長をしている。

【苑】(えん) 匈奴から冒頓に付き従ってきた従者の息子。成人していないので、親しいものからは「小苑」(しょうえん)と呼ばれる。

【王花】(おうか) 野盗の女頭目

【王柔】(おうじゅう) 王花の盗賊団の一人。交易隊の案内人。

【理亜】(りあ) 王柔が案内をしていた交易隊が連れていた奴隷の少女。

 

 

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【第299話】

 その少女が地下世界に入り込んできた時から、ぼんやりとした意識の中ではありましたが、母親は彼女から自分の娘に近いものを感じとっていました。その感覚があったからこそ、実際に彼女を見た時に、その容姿が自分の娘と全く異なることに大きな落胆を感じたのでした。また、そこで生じた激しい感情の動きが、久しく眠っていた母親の意識を呼び起こしました。ただ、働き出した母親の頭が導き出した結論は、少女が何らかの目的で自分を騙そうとしているということであり、決して母親本人にとって嬉しいものではありませんでした。

 ところが、いま丘の上で、彼女の仲間である少年のようにも見える若い男が、「赤い髪の少女のお母さんは母を待つ少女の母親になる」と言っているのです。それはつまり、あの赤い髪の少女が言うように、彼女は自分の娘「由」であるということです。そんなはずはありません。一目見ればわかります。髪の色も違えば、顔の作りも違うのです。それこそ、母親である自分が間違えるはずなどありません。だからこそ、自分はあんなにも大きく落胆し、心の底から湧き上がる怒りを覚えたのです。

 でも。でも、です。

 では、どうして彼女の仲間はそのような事を言うのでしょうか。彼女たちが自分を騙そうとしているのであれば、あの少年がその様なことを言うはずはないのではないでしょうか。

 ひょっとしたら、ひょっとしたら・・・・・・。

 ヤルダン近くの村で暮らしていた遠い昔の頃から、母親は娘のことを深く愛していました。だからこそ、病のために娘が命を失う恐れが生じた時に、昔話に出てくる薬草を探すなどと言うおよそ当てのない旅に飛び出したのです。娘が砂岩の像となったことに絶望し、地面の割れ目に身を投じてこの地下世界に落ちてきた後も、地下世界に満ちていた不思議な力によって濃青色の球体に姿を変えながらも、娘のことを想い悲しみの青い雨を降らし続けていたのです。

 母親の切実な願いは、「もう一度娘に会いたい」ということでした。その母親が「赤い髪の少女が自分の娘の由だ」と言う少年の言葉に、心を揺り動かされない訳がありません。確かに、二人の髪の色や顔立ちの違いから、いいえ、それ以前に、娘の由は遠い昔に砂岩の像に変えられていて、いまも乾いた風に吹かれながらヤルダンに立っているはずですから、地下世界に落ちて来た命ある少女が自分の娘であるはずが無いと、母親も頭では考えているのです。でも、頭ではなくて彼女の心が、「ひょっとしたら、あの少女が娘かも知れない。もう一度娘と会えるのかもしれない」とざわめいているのです。

 それはもう、意識で制御できる思考ではなく、無意識に働きかける強い衝動でした。

 地下世界の丘の裾に力なく身を横たえていた「母を待つ少女」の母親、つまり、濃青色の球体は、その衝動に突き動かされて再び宙に浮かび上がりました。そして、丘の上で自分を探している羽磋たちに対して、傷ついた身を隠すところなく晒しながら、心の中で膨張して弾けそうになっている疑問を吐き出したのでした。

 

 探していた相手とは言え、想像していたものと異なる様子でそれが突然に現れ、自分たちに対してとても力のある叫びをぶつけてきたのですから、羽磋がそれを受け入れて何らかの反応を示すまでに、幾ばくかの間が必要でした。羽磋の傍らでも、膝をついていた理亜が口元に手を当てたまま凍りつき、羽磋と会話をしていたところだった王柔も、様子が急に変わった羽磋たちの視線の先を追って球体の姿を見たとたんにポカンと口を開けたままになってしまいました。

 ほんの僅かな間でしたが、その場に静寂が生まれました。ですが、それは球体が発する叫びによって、すぐに打ち消されました。

「ドッ、どうした。答えろ、いや、答えてくれっ! その少女は、わたしの娘なのかっ! ウ、ググウッ」

 球体はブワンブワンと苦し気に身を揺すりながらではありましたが、羽磋たちに対して声を発しながら宙を移動すると、丘の上に降り立ちました。でも、やはり力を大きく消耗しているようで、その接地は誰かが重い球体を地面の上に放り出したかのような乱暴なもので、ドスゥンと地面に降り立った球体は勢いのまま二、三度転がり、ようやくその下部を羽磋たちの近くに落ちつけた後も、大人を数人重ねたほどの大きさがあるその身体をブワブワワンと揺らし続けるのでした。

 三人の中で最初に自分を取り戻したのは、やはり羽磋でした。彼が目にした姿はとても考えていなかったものでしたが、そもそも、目的があって濃青色の球体の姿を探していたところであったのですから。

「うわっ、なんだ、この球体の様子は。ボロボロじゃないかっ。大丈夫なのか? でも、急がないと・・・・・・」

 サッと球体全体に視線を走らせ母親の状態を確かめた羽磋は、心の中で眉をしかめました。でも、彼の考えていることには、この母親の協力が不可欠なのです。それに、先ほどまで王柔と話していたことは、母親から投げつけられた問いと重なります。「いっそ、この場で皆に話そう」と心を決めた羽磋は、濃青色の球体が落ち着いた場所と自分たちがいた場所のちょうど中間に進み出ると、バッバッと何度も両者の方を見やって自分に注目を集めました。

 濃青色の球体には目も口もありませんが、それ以上大声を上げなくなったので、「球体は自分の言葉を待っているのだ」と、羽磋は確信しました。また、王柔と理亜の顔も自分の顔に向いていますし、その表情はとても真剣なものでしたから、「二人も自分を取り戻している。自分の言葉をきちんと聞いてもらえる状態だ」と、羽磋は判断しました。