コトゴトの散文

日常のコトゴトが題材の掌編小説や詩などの散文です。現在は「竹取物語」を遊牧民族の世界で再構築したジュブナイル小説「月の砂漠のかぐや姫」を執筆中です。宜しければ、ひとときおつきあいください。

月の砂漠のかぐや姫 第170話

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(これまでのあらすじ)

 月の巫女である竹姫と、その乳兄弟である羽磋。月の巫女としてではなく、素の自分の居場所が欲しいと頑張る竹姫に、羽磋は「輝夜」(かぐや)の名を贈り、自分が輝夜を望むところに連れて行くと約束します。それは二人だけの秘密でした。しかし、大砂嵐から身を守るために月の巫女の力を使った竹姫(輝夜姫)は、その大事な秘密を忘れてしまいます。月の巫女はその力を使った代償として自らの記憶・経験を失い、最悪の場合は、その存在が消えてしまうのです。それを知った羽磋は、輝夜姫が無事に生を全うして月に還ることができる方法を探すため、肸頓族の阿部の元へと旅立ったのでした。

 

※これまでの物語は、「月の砂漠のかぐや姫」のタブでご覧になれますし、下記リンク先でもまとめて読むことができます。

 

www.alphapolis.co.jp

 

 

【竹姫】(たけひめ)【輝夜姫】(かぐやひめ) 月の巫女とも呼ばれる少女。人々からは「竹姫」と呼ばれる。羽磋に「輝夜」(かぐや)という名を贈られるが、それは二人だけの秘密。

【羽磋】(うさ) 竹姫の乳兄弟の少年。貴霜(くしゃん)族の有望な若者として肸頓(きっとん)族へ出されることとなった。大伴の息子。

【翁】(おきな) 貴霜族の讃岐村の長老。夢に導かれて竹姫を拾い育てた。本名は造麻呂。

【大伴】(おおとも) 羽の父。貴霜族の若者頭で遊牧隊の隊長。少年の頃は伴(とも)と呼ばれていた。

【阿部】(あべ) 大伴の先輩で良き理解者。肸頓族の族長。片足を戦争で失っている。

【小野】(おの) 阿部の信頼する部下。片足を失くした阿部に代わっ

て、交易隊を率いている。小野と言う名前だが、30代の立派な成人。

【御門】(みかど) 月の民の単于(王)。

【冒頓】(ぼくとつ) 烏達渓谷の戦いで大敗した匈奴が月の民へ差し出した人質。匈奴の単于の息子。小野の交易隊で護衛隊長をしている。

【苑】(えん) 匈奴から冒頓に付き従ってきた従者の息子。成人していないので、親しいものからは「小苑」(しょうえん)と呼ばれる。

【王花】(おうか) 野盗の女頭目

【王柔】(おうじゅう) 王花の盗賊団の一人。交易隊の案内人。

【理亜】(りあ) 王柔が案内をしていた交易隊が連れていた奴隷の少女。

 

 

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【第170話】

 

 ザザワッ・・・・・・。

 早朝の冷たい風が、冒頓の肌を冷やし、足元の青々とした草を揺らしました。

 冒頓は遠くの方で行われている戦いの様子を見極めようと、じっと目を凝らしていました。

 え、朝? それに、足元の草?

 冒頓たちはいま、夕刻が迫ったヤルダンの赤土の上にいるのではなかったでしょうか。

 もちろん、実際に冒頓の体が、急にどこかに行ってしまったわけではありません。肌をなでる早朝の風も足元で揺れる草も、冒頓がそのように感じているというだけです。おそらくは、あの地面から噴き出した青く光る飛沫を全身に浴びたからでしょう。弁富や苑たちと同じように、冒頓の意識も、現実の世界から飛び出て、別の世界の中に入り込んでしまっているのでした。

 冒頓が入り込んでいるのは、遠い昔の記憶の中でしたが、それは彼の人生を決定的に変えた、ある一日についての記憶でした。

 冒頓が立っているのは、柔らかな下草が生え茂っている草原の上でした。そして、草原を見渡している彼自身の視点は、とても低いところにありました。これは、冒頓が座っているからではありませんでした。彼の体自体が小さいのでした。

 この記憶は、彼がおおよそ五歳の頃のものでした。この頃、彼ら匈奴は、彼の父親である頭曼(トウマン)単于(王)の元で、急速に勢力を拡大していました。そのため、他の遊牧民族と遊牧地をかけて争いになることも数多くありました。この日は、冒頓の足元に広がっている草原の帰属を掛けて、月の民との戦に臨むところでした。

 匈奴を含む遊牧民族は、家族と家畜を伴って各遊牧地を巡り、長距離の移動をしながら生活する民族です。月の民の五大部族の様に根拠地となる村を持つ民族は別として、それは戦いの場合にも同様でした。実際の戦いそのものには加わらないにしても、戦地の後方には家畜や家財道具を取りまとめた女子供の集団がいるのが常でした。

 まだ少年であった冒頓は、父と共に戦場に立つことはできませんが、自分たち匈奴の命運をかけた大きな戦いの趨勢が気になって仕方がありませんでした。そのため、この女子供を集めた集団から従者と共に抜け出して少し離れた丘に上ると、戦場となっている烏達(ウダ)渓谷の方を、鋭い目で見つめていたのでした。

「どうですか、冒(ボウ)殿。我らが匈奴が押しているように見えますよっ」

「まだ、わからん。月の民が後退しているのは確かだが、崩れたって感じがしないしな」

「そうですかね。圧倒しているように思いますが・・・・・・」

 厳しい表情を崩さない少年冒頓の横で、「やれやれ、自分の意見を変えないお方だ。だから、むやみに突き進むという意味で、冒(ボウ)と呼ばれるんだ。我が匈奴が、月の民の騎馬隊をあんなに押し込んでいるのに、まだわからないなんて」と、口をとがらせている従者は、年若い頃の弁富でした。

 弁富が考えているように、烏達(ウダ)渓谷の入口に広がる草原で始まった匈奴と月の民の会戦は、匈奴が優勢のように見えました。風上に立った匈奴の軍勢から放たれた矢は悠々と月の民の軍勢にところまで達しているものの、風下の月の民からの矢は匈奴の軍勢に届く前に力を失ってしまっていました。遊牧民族の戦いでは、弓矢が主な武器でしたから、この違いは非常に大きなものなのでした。

 指先が白くなるほど力を入れてこぶしを握りめながら少年冒頓たちが戦況を見つめる中で、この状況を不利と見たのか、月の民の軍勢は烏達(ウダ)渓谷の中へと逃げ込んでいきました。そして、匈奴の軍勢も、それを追いかけて渓谷の中へと突入していきました。

「見てください、冒殿っ。月の民の奴らを、逃げ場のない渓谷の中へ追い込みました。我らの大勝利ですっ」

「ああ、そうだなっ。どうやら、勝てそうだっ」

 少年冒頓と弁富が顔を見合わせて笑い安堵の息を漏らした、その時のことでした。

 急に、匈奴の軍勢と月の民の軍勢が上げていた旗印のたなびく向きが変わったのです。それまでは匈奴の軍勢の側から月の民の軍勢の側へとたなびいていたのでしたが、月の民の軍勢の側から匈奴の軍勢の側へとたなびくように変わりました。それは、烏達(ウダ)渓谷を通り抜ける風の向きが、一瞬にして変わったことを示していました。

「ああ、なんだとっ」

 少年冒頓は、自分の目を疑いました。

 逃げる月の民の軍勢を追いかけて烏達(ウダ)渓谷へ突入していった匈奴の軍勢が、次々と倒れていっているではありませんか。

 全ては、月の民の軍勢を率いていた御門の思惑によるものでした。わざと不利な風下で戦いを挑み、逃げると見せかけて匈奴を烏達(ウダ)渓谷の中に誘い込むと、当時の月の巫女である弱竹(ナヨタケ)姫の力により風向きを反転させて、一斉に反撃の矢を放ったのでした。

「そんな、そんな・・・・・・。父上ぇっ」

 遠く離れた丘の上に立つ少年冒頓の瞳に、父である頭曼(トウマン)単于(王)率いる軍勢の上に、空にかかる雲そのものが落ちてきたような恐ろしい密度で、これまでは届くことがなかった月の民の軍勢の矢が降り注ぐ様子が、焼き付けられました。

 その日、匈奴の軍勢は月の民の軍勢の前に大敗北を喫しました。この「烏達(ウダ)渓谷の戦い」と呼ばれる戦いを境に匈奴は勢いを失い、月の民の前に膝を屈することとなるのでした。

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