いつもと同じ夜のはずなのに、何かが違う。
おかしい。誰かに見られている気がする。
だけど、そんなことはあり得ない。自分の部屋の中にいるんだぞ。誰に見られているというんだ。
何気なく若者が振り向いた先には、奴がいた。
死神。
黒いローブで全身を包み、大きな鎌を構えている骸骨。大柄な体を透して部屋の向こうがうっすらと見える。死神が抱える大鎌はその身丈を二つ重ねたほどの長さがあり、この世の物理法則に従えばその姿が若者の部屋に納まるはずもないのだが、それは確かにそこに存在していた。
死神の存在感は圧倒的で、彼は自分の目を疑うことすらできなかった。
彼の身体は硬直し、心は瞬時に凍りついた。いや、ただ一つ生じた感情を除いては。
その感情とは、「恐怖」。
それは、彼の心の片隅に生じるやいなや爆発的に成長し、彼の心を乗っ取ってしまった。
「し、死神・・・・・・。待ってくれ、俺はまだ死にたくないっ。まだ若いし、死ぬなんて、そんな、考えたこともないんだ。いや、でも、まだ、やりたいこともあるし、そう、頑張るから、いや、もっと人にも優しくなるし、な、待ってくれ。頼む、頼む!」
硬直が解けた彼の口から真っ先に飛び出たのは、命乞いだった。それは、自分の命が無くなる、その事実に初めて直面した彼の正直な感情だった。
だが、彼の言葉は死神の姿を通り抜けた。
若者の命乞いなどなかったかのように、死神はゆっくりと大鎌を振り上げた。
いつのまにか彼の部屋は、どこまでも大きく広がっていた。壁で区切られた「部屋」という概念は、既に存在しなかった。室内にあったはずのベッドやテーブルも消えていた。この世界に存在するのは、若者と死神だけ。
「嫌だっ、頼む、頼む!」
逃げる事など、とても考えつかない。頭にあるのは「死にたくないっ」という強烈な思いだけ。
彼にできたのは、ただ目を閉じることだけだった。
そして、静寂。
いつもと同じ夜、いつもと同じ部屋。
彼は、ゆっくりと目を開いた。
「い、生きているのか、俺・・・・・・」
◆◆◆
「お疲れさん。今日も、頑張ってるな」
「あ、お疲れ様です、先輩」
同時刻、星月が輝く空を、死神が二体、解き放たれた黒色の風船のように上昇していた。
「お前、今年の最優秀死神賞を受賞したんだってな、おめでとう。すごいな、なにか秘訣でもあるのか」
「いやぁ、ありがとうございます。お世話になっている先輩だからお話しますけど、実はコツを発見したんですよ。ほら、僕たちって、人間にあらかじめ定められている時に合わせて下界へ降りて、魂の回収をするじゃないですか」
「ああ、あいつらそれぞれの寿命に応じてな。その回収した魂の量と質(QOS:Quality of Soul)で、俺たちの成績が決まる」
「それなんです。実は、定められた時、つまり寿命が来た時にだけでなくて、その前に一度、対象者のところを訪れることにしたんですよ」
「対象者一人につき二回も行くのか。そりゃ面倒くさいだろう」
「いや、面倒くさいことは面倒くさいですけど、これがすごく効果があるんです。一度訪問した人間の魂の質、つまりQOSは、そうしない場合の魂のそれと比べると全然違うんです。どうやら、生きている途中で一度死神を見た人間は、それから寿命が来るまでの間にすごく頑張って、充実した人生を送るようなんですよ。それで、死ぬときの満足感というか達成感が高まって、QOSがあがるんです」
「なんでまた。生の途中で死神の姿を見ることに、どんな意味があるんだ」
「いや、不思議ですよ、人間って。自分の命が永遠でなくて、いわば自動的に消滅するものなんだって、初めからわかっているはずなんですけどね。あいつらは、死神の姿を見てようやくそれを実感するんです。やがて自分が死ぬことや、いま生きていることのありがたさをです。それからなんですよ、あいつらが自分の人生と真剣に向き合うのは」
「ほんとに不思議な奴らだな。とは言え、お前のその成績優秀の秘訣は、俺には面倒くさくて無理だわ。まぁ、これからも頑張れよ、お疲れさん」
「ありがとうございます、先輩。お疲れさまでしたっ」
ゆっくりゆっくりと、夜空を上がっていく二体の死神。
やがて、その姿は月と重なり、そして、消えていった。
(了)
※本作は本編は2018年11月8日に公開した「【掌編小説】最優秀死神の秘訣」を改稿したものです。